ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(2)

2013年02月16日 23時05分35秒 | 社会・経済

 第115号路線を取り上げたところ、長くなってしまいました。そこで、今回は第116号路線を取り上げます。

 (2)「百十六 大分県杵築ヨリ富来ヲ経テ宇佐附近ニ至ル鉄道」

 これだけしか書かれていませんので、具体的なことは全くわからないのですが、日豊本線の杵築駅から国東半島をぐるりと周り、日豊本線の宇佐駅の近くまでの路線、ということになります。現在、国東半島を海沿いに周回するルートと言えば国道213号線ですが、第116号路線も、杵築駅から大分交通杵築バスターミナル付近までを除いて、おおよそ国道213号線と同じような経路が想定されていたものと思われます。なお、富来は現在の国東市にある地区の名前で伊予灘に面しており、港があります(国東港の北の方です)。

 そういえば、私も杵築から宇佐まで、国道213号線を車で走ったことがあります。また、国道213号線の途中に大分空港があるため、大分大学時代には時々利用していました。また、日出町の会下(えげ)交差点から国東市塩屋まで大分空港道路が通っています(杵築駅のほぼ真上を、非常に高い橋で渡っています)。

 2月8日付で掲載した「大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(1)」において「鉄道敷設法に掲げられている予定線を見ると、実際には私鉄が開業しているという例が多く見られます」と記し、第115号路線がその一つであると記しました。第116号も同じです。しかも大分交通の鉄道路線ということで、この点でも第115号と第116号には共通性があります。但し、開業した私鉄がどれほど鉄道敷設法を意識していたかは不明です。

 「(1)」で述べたように、大分交通には別大線、豊州線、宇佐参宮線、国東線、そして耶馬溪線という5つの路線がありました。このうち、耶馬溪線が第115号路線の話に登場しています。今回は宇佐参宮線と国東線の話でもあります。

 まず、宇佐参宮線です。これは宇佐参宮鉄道として1916年に豊後高田~宇佐~宇佐八幡の全線が開業しています。距離は9キロメートル足らずで、起点は豊後高田駅、現在の豊後高田バスターミナルです。名称の通り、宇佐神宮への参詣路線として開業しました。

 現在、宇佐神宮の最寄り駅は日豊本線の宇佐駅(人呼んで日本のアメリカ合衆国)ですが、この駅から宇佐神宮まではかなりの距離があります。そこで宇佐参宮鉄道が計画され、開業となったのでしょう。1945年に大分交通の一員となり、1965年に廃止されるまで、単線かつ非電化でした。

 宇佐参宮線が第116号路線と関係があるのは、豊後高田~宇佐の部分です。詳しいことはわかりませんが、路線名からして宇佐~宇佐八幡の区間だけで目的を達成しているはずなのです。あるいは、現在の宇佐市の中心部である四日市地区、さらに日豊本線の柳ヶ浦駅か豊前善光寺駅(大分交通豊州線の起点)のほうへ延長すれば、利便性は増したでしょう。平成の市町村合併によって安心院町および院内町と合併する前の宇佐市は、1967年に宇佐町、駅川町、長洲町および四日市町が合併して誕生しました。宇佐駅は市の中心部から外れた所にあり、おそらくは当時も駅の周囲はそれほど発展せず、閑散としていたことでしょう。

 第116号路線と関係があると思われるのは、宇佐~豊後高田の区間です。現在も豊後高田市にはJRの路線が通っておらず(これは大分県内で唯一の例です)、この市へ行くにはバスかタクシーか自家用車か、という所です。1965年に宇佐参宮線が廃止されてから、豊後高田には鉄道がなく、そのためなのかどうかわかりませんが人口は減少し、平成の大合併の前には過疎市町村に指定されていました。大分県内の市では一番目か二番目に人口が少なかったのです。

 現在、豊後高田市の中心部にバスターミナルがあります。大分交通の子会社である大交北部バスの路線がここに発着するのですが、おそらく、ここから先、旧真玉町、旧香々地町を、周防灘の沿岸というルートで建設することが想定されていたのではないかと思われます。大分交通も、国東線の国東駅まで宇佐参宮線を延長する計画を立てていたらしいのですが、詳しいことは不明です。

 そもそも、鉄道敷設法別表各号の路線は、基本的に起点と終点しか書かれていません。第116号のように経由地があげられている場合もありますが、お読みいただければ一目瞭然で、大雑把に過ぎてわかりにくいとも言えます。ただ、大正時代に法律が制定されていること、その後に何度か改正を受けているとは言え根本的な変更の手が加えられてはいないこと、当時の土木技術水準などからして山岳ルートをとることは考えにくいこと(急勾配が多くなると蒸気機関車の能力の限界を越えてしまいます)、などからして、現在の国道213号線と同じようなルートが想定されていたはずです。当時の鉄道省などの内部文書には、経路に関する細かい記述を見出せるかもしれません。あるいは、大分交通に関係資料が保存されているかもしれません。

 しかし、旧真玉町、旧香々地町、旧国見町(現在は国東市の一部で、姫島村への入口となる伊美港があります)を通過する経路が、選挙の票集めを別とする実際上の意義をどれほど有していたかと問われるならば、十分な解答を示すことは難しいでしょう。大分交通は、資金などの関係もあって豊後高田~国東の予定線の工事に着手していないはずですが、それは正解であったと言えるでしょう。

 宇佐参宮線の痕跡と言えば、豊後高田市にあるバスターミナルは鉄道駅から転用されたものですし、日豊本線の宇佐駅の近くに線路の跡が残っているそうですが、それ以上にわかりやすいものが宇佐神宮の境内にあります。蒸気機関車です。

 (以下の3枚の写真は、いずれも2002年7月6日に撮影しました。)

 この機関車は、1891年、ドイツはミュンヘンにあるクラウス社が製造したものです。夏目漱石の小説で有名な「坊ちゃん」の舞台、松山市を走る伊予鉄道でも、クラウス社製の蒸気機関車が活躍しました。コッペル社製のものと並び、明治期の鉄道を語るに忘れてはならない存在です。

宇佐神宮に保存されている26号蒸気機関車は、元々、JR鹿児島本線などの前身である九州鉄道が購入したものです。1948年、大分交通に譲渡され、宇佐参宮線で活躍しました。

 現在、宇佐神宮へ行くのに最も現実的な方法は、自家用車かタクシーでしょう。バス路線もあるのですが、本数が少なく、利便性は高くありません。宇佐参宮線が現在も運行されていたら……、と思うこともあるのですが、大分県は完全な自動車社会であり、平松知事時代は徹底的なほどに道路偏重政策がとられていましたので、存続しえなかったのでしょう。ただ、自家用車の普及により、路線バスも苦しい状況にあるものと思われます。

 

 次に、第116号線の杵築からの部分を成していた国東線を取り上げましょう。

 この路線は国東鉄道として1922年に杵築(日豊本線の駅)~杵築町駅(後の杵築市駅で、現在の杵築バスターミナル)が開業しています。その後、小刻みに延長を重ね、1935年に国東(現在の国東バスターミナル)まで延長します。杵築市駅から国東駅までのコースは、ほぼ国道213号線に並行する形、というより、跡の多くが国道213号線として活用された、と考えてよいでしょう。杵築市駅付近から海沿いを走り、守江、奈多八幡、安岐、武蔵を通り、国東駅(現在の国東バスターミナル)に至っており、30キロメートルほどの長さを持っていました。国東駅から富来までの延長も計画されていたようですが、実現はしていません。

 1945年に大分交通の一員となりますが、1961年、集中豪雨の影響により、安岐~国東が休止となり、その3年後に廃止されます。そして、1966年、残っていた杵築~安岐も廃止されてしまいました。1961年の集中豪雨は、同じ大分交通の別大線で、大分市仏崎でのがけ崩れによって電車が埋まり、死者を出すという事故をも引き起こしていますが、国東線にとっても致命的な打撃であったと言えます。それまで貨物輸送でも好調であったと伝えられているだけに、杵築市から国東まで海沿いを走っていたことにより、被害が大きくなったようなのです。仮に復旧が進んでいたならば、大分空港へのアクセス路線として機能した可能性もありました(但し、日豊本線の杵築駅からのルートで、しかも単線非電化では不十分に過ぎますので、廃止の時期が遅くなっていただけに終わったかもしれません)。

 現在でもJR日豊本線杵築駅のホームには、乗り換え案内として「国東線」が書かれています。この駅は、名称こそ杵築ですが市の中心部から遠く離れており、当時の八坂村にありました。杵築駅を出ると、日豊本線の下り列車は大きく右に曲がりますが、国東線はほぼ真っ直ぐ進みました。しばらくすると杵築市の中心部に入り、その名も杵築市駅に着きます。現在のバスターミナルです。ここからは国道213号線とほぼ同じルートを通り、国東市(旧安岐町、旧武蔵町、旧国見町が合併して成立)に入り、大分空港の近くを通って国東駅(現在はバスターミナル)に至っていました。国道213号線が所々で経路を変えていますが、少なくとも杵築市内では国東線の痕跡がよく残っています。

 また、国東から富来までの延長計画も存在しており、実際に土地も確保されていたようです。これが実現すれば、第116号路線の南半分は完成したことになるのですが、結局は着工されることもなかったようです。

 結局、1960年代に第116号路線は、完全に実現することなく、廃止されてしまいました。その代わり、国道213号線および大分空港道路が整備されています。しかし、大分空港は、九州各県にある空港の中でも利便性に乏しいことで知られています。最近では大分市の5号地から空港までのホバークラフトが廃止されました(私は利用したことがありません。運賃が高いこと、欠航が多かったこと、5号地から大分駅までバスに乗らなければならなかったことによります)ので、公共交通機関のアクセスは大分交通のエアライナー(大分・別府~大分空港)などに限られます。

 なお、大分県内の鉄道敷設法別表掲載路線のうち、今回取り上げた第116号路線と第117号路線は、九州島横断鉄道の一部となっていません。


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 朝日新聞大分版に、2013年1月9月付で「【つれ... (川崎高津公法研究室長)
2013-02-17 11:53:39
 たしかに、私が大分市に住んでいた頃にも大分空港発着便は、ソウル便、札幌便など、次々に休止(実質的には廃止)されています。東京便も減りました。「九州の主要空港」がどこなのかは明示されていませんが、福岡空港は当然として、熊本空港、鹿児島空港、宮崎空港、そして長崎空港を指すのでしょう。
 その上で、栗林さんは次のように書かれています。
 「本来、空港へのアクセスは、福岡や宮崎のように定時性を保てる鉄道系が望ましいが、これから大分空港まで線路を引くのは難しい。/その昔、旧国鉄杵築駅から現在の大分空港付近を経て旧国東町まで走っていた大分交通国東鉄道線が廃止されたことは、残念でならない。」
 しかし、実際には、大分空港の移転は国東線の廃止の後に決定されたことです。また、国東線を空港アクセス路線とするには、少なくとも電化した上でのスピードアップが必要でしたし、可能であれば複線化が望ましかったでしょう。そして、杵築駅ではなく、日出町、別府市または大分市から、たとえば亀川駅、別府駅、大分駅といった所からの路線とする必要があったでしょう。大分駅~亀川駅の区間は日豊本線と並走することになりますが、別大線が通っていましたので、これを活用すれば、大分市から大分空港までの鉄道路線を建設することも可能ではありました。
 この他には、日出駅、亀川駅、別府駅といった日豊本線の駅からアクセス鉄道も考えられたところでしょう。勿論、日豊本線へ直通運転します。但し、その場合には問題が残りました。
 日豊本線の新田原~幸崎が電化されたのは1967年です。国東線が廃止された年には工事が行われていたはずですから、空港アクセス路線を目指すのであれば、国東線も電化せざるをえなかったでしょう。しかし、日豊本線の電圧は交流2万ボルト60ヘルツです。交流区間用の電車は高価なので地方の中小私鉄が手を出せないのではないでしょうか。全国的に見ても、JR以外の鉄道で交流電車を導入しているのは第三セクターの阿武隈急行くらいです。そうなると交直両用の電車ということになりますが、高価にして複雑な構造となります。
 「過去のことについて想像をあれこれと巡らせることに意味はない」と言われたならば「その通りです」としか答えようがないのですが、記してみました。
 さらに書き加えておくならば、九州の空港でアクセス鉄道が存在するのは福岡空港と宮崎空港ですが、福岡市営地下鉄の利便性が高いのは当然としても、JR日南線・宮崎空港線はそれほど利便性が高くありません。一度利用したのですが、宮崎駅でかなり待たされました。また、延岡方面からであれば特急が直通しますが、都城方面からであれば南宮崎で乗り換えざるをえず、しかも接続がよくありません。日南市や串間市から日南線を利用するとすると最悪で、同線の本数が少ない上に田吉での連絡が悪いのです(田吉には特急「にちりん」が停車しません)。
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