ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

大分県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定路線の話 その顛末(1)

2013年02月08日 00時03分22秒 | 社会・経済

 2月1日付の「旧国鉄宮原線の話」において鉄道敷設法を取り上げました。現在の全国新幹線鉄道整備法や国土開発幹線自動車道建設法にも通じる部分を有する鉄道敷設法は、旧国鉄の赤字体質を深化させる原因の一つとなっただけでなく、「土建国家」や「バラマキ財政」の原型を形作ったと評価しうるものであり、日本の鉄道網の発展にとって一種の桎梏となってしまったとも言えるでしょう。時代に対応して早く廃止されればよかったのですが、実際に廃止されたのは1986年、日本国有鉄道改革法等施行法(昭和61年12月4日法律93号)第110条によります。あまりに遅すぎました。1968年(私が生まれた年です)に赤字83線の廃止意見が出された際に、鉄道敷設法も廃止されるべきであったのでしょう。今更こんなことを記しても始まりませんが、教訓が生かされないのが日本の政治や社会でもありますので、何度でも振り返ることが必要になります。

 さて、「旧国鉄宮原線の話」で「鉄道敷設法の別表から、大分県に関わる部分のみを掲げておきましょう。実際にどのようになったかについては、別の機会に取り上げます」と記し、第115号ないし第118号を引用しておきました。それらが実際にはどのようになったのかについて、ここで簡単ながら述べておくこととしましょう。なお、いずれも国鉄の鉄道路線として開業せずに終わったことを、注意として記しておきます。

 (1)「百十五 大分県中津ヨリ日田ニ至ル鉄道」

 大分県北部にある中津市は、大分市や別府市などと異なり、旧国名で言えば豊前の領域にあります。その中津市の中心駅である中津駅(日豊本線)から、大分県西部の中心都市にして江戸時代の天領だった日田市の中心駅、日田駅(久大本線)までの路線として、第115号路線があげられていました。おそらく、山国川や日田往還(国道212号線)に沿ったルートが想定されていたはずです。久大本線や豊肥本線が九州を縦断する路線となっていますが、第115号路線も同じ意味を持っています。

 鉄道敷設法に掲げられている予定線を見ると、実際には私鉄が開業しているという例が多く見られます。第115号路線もその一つで、中津駅から、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門、耶馬溪を通り、旧山国町(現在は中津市の一部)の守実温泉まで、大分交通耶馬溪線という路線が通っていました。第115号路線のルートと同一と言ってよいでしょう(鉄道敷設法には経由地などが細かく書かれていた訳ではありません)。現在でも、青の洞門のトンネルなどの痕跡がありますし、中津市にある汽車ポッポ食堂には耶馬溪線で活躍した気動車などが保存されています。紀州鉄道を走ったキハ603およびキハ604を思い出される方も多いでしょう。キハ603のほうは2009年まで紀州鉄道線を走っていました。

 耶馬溪線は、1913年、耶馬溪鉄道が中津~洞門(当初は樋田)を開業させたことに始まります。当初は軽便鉄道でした。翌年には柿坂まで延長され、1924年に守実温泉まで延長され、36キロメートルほどの路線となりました。ここで止まってしまいましたが、日田までの延長も予定されていたようです。1929年に改軌され、国鉄と同じ軌間となっています。

 戦争中の1945年4月、別府大分電鉄を中心として、大まかに言えば大分県北部の鉄道事業者、バス事業者が合併し、大分交通が発足します(ちなみに、同じく大まかに言えば県南部については、大分バスが成立しています)。耶馬溪鉄道も合併の対象となり、大分交通耶馬溪線として営業を続けることとなりました。これは、昭和13年4月2日に法律第71号として公布された陸上交通事業調整法の影響によるものとみられます。この法律によって直接の統制が及んだ地域もあればそうでない地域もありますが、全国的に、程度に激しい差がみられるとは言え、交通事業者の統合が進められていました。大分交通の発足に伴い、次に取り上げる国東鉄道、宇佐参宮鉄道、豊州鉄道の各路線も大分交通の経営下に置かれることとなりました。一時期の関東鉄道と同じく、各路線は独立して存在しており、全く連絡していません。

 耶馬溪線は、大分交通の路線となってからも中津~守実温泉の路線として営業を続けましたが、高度経済成長期の到来により、沿線では過疎化が進行します。私が大分大学に勤務していた頃のことを記すならば、1999年度、大分県の過疎地域市町村指定率は約77.6%で、全国一の高さでした。58市町村のうちの45市町村が指定を受けていたことになります(翌年に杵築市が指定から外されました)。2003年4月21日の時点における過疎地域市町村指定率は約75.9%で、やはり全国一でした。この数字からしても、多くの市町村において過疎化および高齢化が進行していることがわかります(以上、拙稿「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」月刊地方自治職員研修2003年10月号31頁~33頁によります)。一村一品運動の発端も考え合わせるならば、1960年代から耶馬溪線沿線の過疎化は進行していたでしょう。沿線は、現在でこそ全領域が中津市の領域に入っていますが、それは平成の市町村合併の結果によるところであり、当時は中津市、下毛郡三光村・本耶馬渓町・耶馬溪町・山国町を通っていました。このうち、中津市以外は上記の指定を受けていたはずです(但し、三光村についてはどうであったか覚えていません)。

 高度経済成長期と言えば、道路整備の進展も忘れてはなりません。車社会の到来とは時間差があったはずですが、道路整備が進めば自家用車保有率が高くなるのは当然のことです。耶馬溪線の乗降客は目に見えて減少したはずです。また、山国町の領域が、経済圏としては中津市ではなく、日田市のほうに属していたことも、この鉄道の存続理由を弱めた理由にあげられるかもしれません。かつて大分県は市町村合併推進要綱を制定し、強力に合併政策を進めましたが、その中で山国町については日田市との合併も提案されていたほどです。

 過疎化と道路整備は、鉄道の衰退を帰結します。耶馬溪線も、御多分に漏れない例となりました。1971年、野路~守実温泉が廃止されます。距離にして約26キロメートル、耶馬溪線の7割ほどが廃止されたこととなります。これにより、中津から耶馬溪、青の洞門、羅漢寺へ鉄道を使って行くことはできなくなりました。

 残された中津~野路も、先行きは決して明るくなかったはずです。大分交通は、戦後、保有していた鉄道路線の廃止を進めていました。軽便鉄道のままであった豊州線(旧豊州鉄道。豊前善光寺~豊前二日市)は台風の被災によって1951年に休止され、1953年にそのまま廃止されていますし、宇佐参宮線(旧宇佐参宮鉄道。豊後高田~宇佐八幡)は1965年に廃止されています。また、国東線(旧国東鉄道。杵築~国東)は1964年に一部区間(安岐~国東)が廃止され、1966年に全線廃止となりました。そして、九州初の路面電車にして大分交通の発祥と言える別大線(旧別府大分電鉄。大分駅前~亀川駅前、北浜~別府駅前)は、1956年に北浜~別府駅前が廃止されたものの、長らく健闘を続けてきました(黒字路線であったとも言われています)が、大分県警察の要請を受ける形で1972年に廃止されました。耶馬溪線の中津~野路は、大分交通の鉄道路線としては最後まで残ったのです。

 しかし、結局、中津~野路も、1975年に廃止されました。これには中津駅の高架化が関係したとも言われています。費用負担を迫られたようなのです。ただ、どの程度まで影響があったのか、疑問も残ります。既に7割以上も廃止され、観光地へのアクセス路線としての意味も失われていた耶馬溪線は、駅の高架化に関係なく、廃止が時間の問題となっていたと考えられるからです。

 最後まで電化されず、また、日田まで延びることがなかった耶馬溪線ですが、仮に日田まで延長されていたとすれば、鉄道敷設法別表第115号と完全に一致します。福岡から豊前地域(福岡県東部、大分県北部)への短絡路線となるため、買収・国有化の対象となった可能性があります。しかし、そうなることはなく、耶馬溪線は姿を消しました。現在、中津駅前から日田まで、大分交通の子会社である大交北部バスの路線があり、特急バスが平日5往復、土曜日および休日4往復が設定されています。

 第115号路線について記したところ、長くなってしまいました。そのため、予定していた第116号路線(「大分県杵築ヨリ富来ヲ経テ宇佐附近ニ至ル鉄道」)、第117号路線(「大分県幸崎ヨリ佐賀関ニ至ル鉄道」)および第118号路線(「大分県臼杵ヨリ三重ニ至ル鉄道」)については、機会を改めて述べることとします。

 この節の最後に、参考として陸上交通事業調整法(なんと現行法です。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S13/S13HO071.html)の第2条を紹介しておきましょう。

第二条  国土交通大臣公益ノ増進ヲ図リ陸上交通事業ノ健全ナル発達ニ資スル為陸上交通事業ノ調整ヲ為サントスルトキハ審議会等(国家行政組織法第八条 ニ規定スル機関ヲ謂フ)ニシテ政令ヲ以テ定ムルモノ(以下審議会等ト称ス)ノ意見ヲ徴シ調整ノ区域、調整スベキ事業ノ種類及範囲、之ト密接ナル関係ヲ有スル兼業ノ処置並ニ左ノ各号ニ依ル調整ノ方法ヲ決定スベシ

 一  会社ノ合併、分割又ハ設立

 二  事業ノ譲受又ハ譲渡

 三  事業ノ共同経営

 四  事業ノ管理ノ委託又ハ受託

 五  連絡上必要ナル線路其ノ他ノ設備ノ新設、変更又ハ共用

 六  運賃又ハ料金ノ制定、変更又ハ協定

 七  連絡運輸、直通運輸其ノ他運輸上ノ協定

 八  用品其ノ他ノ共同購入、共同修繕其ノ他調整上必要ト認ムル方法

2  国土交通大臣ハ前項ノ決定ニ依リ陸上交通事業経営者ニ対シ前項第一号ノ事項ノ実施ヲ勧告シ又ハ同項第二号乃至第八号ノ事項ノ実施ヲ命ズベシ」

(第2項の頭の「2」は便宜上付しました。)


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