ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2017年4月23日の午前中、溝口緑地にて(1)

2017年04月25日 01時06分30秒 | まち歩き

 このブログでも何度か取り上げている溝口緑地は、川崎市高津区溝口四丁目、高津図書館のすぐ前にあります。いや、図書館と緑地は同じ敷地にある、と記してよいでしょう。かつて文教大学付属小学校があった所で、裏に高津小学校があります。

 私の自宅のすぐ近くで、時折通勤の途中で歩くこともあります。

 ここを含め、東急田園都市線高津駅から、国道409号の起点でもある国道246号溝口交差点までの溝口三丁目・四丁目・五丁目は散歩のコースでもあり、私にとっては何度歩いても飽きません(小学生時代から馴染んでいます)。

 今回は4月下旬、まさに春真っ盛りの晴天の日曜日に、5年前に買ったCanon EOS Kiss X5で撮影した写真を載せておきます。写真の腕前云々は脇に置いてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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生で見てみたかった

2017年04月24日 21時19分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 落語家の三代目三遊亭圓歌師匠が、昨日亡くなられました。

 私は、勿論、幼い頃からこの方のお名前などを知っておりましたが、或る日、まだ日本エアシステムの旅客機があった時代のこと、その旅客機の便で「中澤家の人々」(川崎市民プラザでの録音)を聴いて爆笑したことがあり、それ以来、録音や録画で何度となく楽しんできましたが、一度も生で体験したことがなかったのでした。

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桜新町駅前で(2)

2017年04月23日 00時03分57秒 | まち歩き

 

 

 

 

 

 

 

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桜新町駅前で(1)

2017年04月22日 23時59分35秒 | まち歩き

 

 

 

 

 

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志賀島の金印公園

2017年04月19日 00時41分51秒 | 旅行記

 (今回は、2013年3月24日から4月1日まで「待合室」第518回として掲載した記事です。なお、一部を修正していますが、内容は基本的に当時のままです。)

 2012年9月2日の朝、私は、宿泊していたホテルを出て、天神駅から地下鉄空港線に乗り、博多駅でJR鹿児島本線に乗り換え、香椎駅で香椎線のディーゼルカーに乗りました(「海の中道線(香椎線西戸崎~香椎)」)も御覧ください)。

 同線の起点である西戸崎駅に到着しました。ここから志賀島へ行く訳ですが、歩くとかなりの時間を必要としますので、西鉄バスに乗ることとしました。

 通称「海の中道」を通り、海の中道海浜公園の南西側を通ります。そのような場所にも、東区大岳には市営住宅などがあり、小規模な商店などもあります。実際、バスに乗っていると、およそ海岸に近い観光地とは思えない様子です。リゾート風味が少しばかり加えられた新興住宅地、と表現するほうがよいでしょう。

 しばらくすると、その住宅地も途切れ、公園の緑地と海に挟まれた場所を走ります。程なく、短い橋を渡ります。これで、志賀島に入りました。

 すぐに、海の家、駐在所、郵便局などがある集落があり、ここに志賀島バス停があります。私が乗っているバスは、志賀島小学校前から先、勝馬まで走りますが、途中の金印塚バス停で降りました。道路の片側にしかバス停の柱が置かれていません。

 早速、バス停のそばから博多湾にカメラを向けました。南方は福岡市西区に属する能古島、北西には同じく西区に属する玄界島、西方には福岡市西区と糸島市に属する糸島半島が見えます。空は少しばかり霞んでいましたが、福岡ドーム、マリノアなども見えます。

 関東の政令指定都市に、このような風景を楽しめる場所はあるでしょうか。私は、1時間ほど前まで福岡市中央区天神にいたのですが、既に大都市の一部地域とは思えないような場所にいます。頭の中で、何度も、ここは福岡市東区であると確認しながら、博多湾を眺めていました。

 

 

 

 金員塚バス停で降りたのは、日本史の教科書でおなじみの「漢委(倭)奴国王」金印が発見されたという場所を訪れてみたかったからです。バス停のすぐ目の前に、金印公園があります。入口に、御覧のような石碑が立てられていました。

 すぐに小高い丘を登ります。

 階段を昇り終えると、中腹に御覧のような案内板が設置されています。

 金印は、たしかにこの島で発見されたようです。江戸時代のことで、誰が発見したのかはわかりませんし、出土場所についても正確なことはわかっていないようですが、さぞ驚かれたことでしょう。

 しかも、これが日本の弥生時代のものだったのです。弥生時代という名称は、現在の東京都文京区にあった弥生町で土器が発見されたことに因んでいますので、江戸時代にはどのように呼ばれていたのでしょうか。

 「漢」と書かれていますが、ここでは後漢(25~220年)のことで、初代皇帝である光武帝(劉秀)が新を滅ぼして再興した王朝です。一方、「奴(な)」は、弥生時代にこの福岡市付近にあったとされる国の名前です。金印は後漢書にも登場しているようです。

 ちなみに、実物は早良区百道浜にある福岡市博物館に展示されています。

 

 ちょうど足元に、金印を模したモニュメントが置かれていました。

 志賀島は、昔から海上交通の要所でした。そのために、古事記、日本書紀などにも登場しています。案内板に描かれている地図を見ても、志賀島が重要な位置に存在することがわかります。「奴」国の中心がどこにあったのかはわかりませんが、この島を押さえていたことは確実でしょう。

 

 

 

 

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草加駅(2013年5月12日撮影)

2017年04月18日 00時48分51秒 | まち歩き

 〔今回は、「待合室」の第533回(2013年7月21日から30日まで)として掲載した記事の再掲載ですが、一部を修正しています。写真撮影日は2013年5月12日です。なお、この記事は「日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅」の続きである、とお考えください。〕

 日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅から、我々は東武バスに乗りました。駅を離れて程なく、埼玉県草加市に入ります。車窓が急に変わる訳でもありませんが、埼玉県に入ったことがすぐにわかります。これは「わかる人にはわかる」という感じの話です。

 バスは幅の狭い道を走り続け、かなりの時間をかけて、草加駅西口に着きました。すぐに東口に出ました。

 2012年以降、浅草~東武動物公園および押上~曳舟はスカイツリーラインと称されていますが、これは愛称で、正式には現在も伊勢崎線です。東武の本線格の路線ですが、東上線より短い編成が多いというのも興味深いところです。草加駅には東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線に直通する急行も停車します。

 それにしても、「スカイツリーライン」という愛称の付け方には疑問符がつきまといます。もっとも「スカイツリーライン」は何処を経由するかわかるので良いのですが、野田線の愛称である「アーバンパークライン」は「何なのだ?」と首を傾げます。大宮駅から流山市および野田市を経由して船橋までの路線なのですから「醤油・味醂線」とでも名付けてくれるほうが、よほどわかりやすいでしょう。「ソイソースライン」でもよいかもしれません。ただ、関東で醤油というと銚子も有名なので、「みりんライン」という愛称がよかったのではないでしょうか。「アーバンパークライン」ではどこを走っているのか全くわかりません。

 余計なことを記しました。特に東武鉄道関係者の方々にはお許しを願うところでございます。

 実は、私はこの日、つまり2013年5月12日に初めて草加市を訪れました。そもそも、関東の大手私鉄で東武と京成には縁が薄く、とりわけ東武の利用機会は少なかったのです。何しろ、私が大東文化大学に勤務するようになるまで、たった一度、東上線の上福岡~川越市だけしか利用したことがなかったのでした。それは、高校1年生の時、地理の授業の一環として行われた巡検に参加したためです。六本木などへ行くために東京メトロ日比谷線を利用していたのに、東武伊勢崎線に乗ったことは一度もなかったのでした。

 以前に、やはり日暮里・舎人ライナーを利用した時、終点の見沼代親水公園駅からバスに乗り、竹ノ塚駅に出て、そこから普通電車で西新井まで乗り、そこから田園都市線の中央林間まで走る急行で帰りました。その時、伊勢崎線を初めて利用したのです。

 草加と言えば煎餅です。こんなオブジェが置かれていました。意外にも、駅前にはそれほど煎餅屋が多くありません。

 こちらは西口です。

 最初にこの記事を書いてから3年9か月程が経過します。東急田園都市線の各駅から東武伊勢崎線・日光線の駅(伊勢崎線は久喜駅、日光線は南栗橋駅まで)に乗り換えなしで行けるようになってから10年を軽く超える年月が経過しましたが、私はまだ草加駅より先へ行ったことがないのです。神奈川県人の悲しい性なのでしょうか?

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大東文化大学法学部での私の担当講義について お知らせ

2017年04月16日 00時00分00秒 | 受験・学校

 ようやく、DB PORTALを、今年度に使用するスライドやプリントなどの掲載のために使用することができるようになりました。

 そこで、私が大東文化大学法学部で担当する講義のうち、「行政法1」(「行政法1A」および「行政法1B」)、「税法」(「税法A」および「税法B」)、「法学特殊講義2A」および「法学特殊講義2B」については、DB PORTALを利用することといたします。

 皆さんも活用してください。

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色々な意味で

2017年04月15日 00時19分37秒 | 受験・学校

 良い意味でも悪い意味でも、学校の違い、学年の違いというものを感じます。

 あまり表にすべきことでもないのですが、世の中、たいてい、長所ではなく、短所で感じるのです。

 教室で、チャイムが鳴っているのか鳴っていないのかわからないという所があります。

 チャイムの音量が小さいのか、教室が騒がしいのか。

 おそらく後者です。

 時々、大学にいるのか、小学校にいるのか、そもそも何処にいるのか、わからなくなります。

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大東文化大学法学部の講義で使用するスライドなどの掲載について(続)

2017年04月12日 14時53分47秒 | 受験・学校

 本日(4月12日)の午前中に、10日に配布することとしていた法学特殊講義2Aのプリントをダウンロードできるようにしておきました(PDFです)。次のアドレスで参照してください。

 http://kraft.cside3.jp/slide2017.htm

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皆様はどのように発音されますか?

2017年04月12日 01時19分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、六本木へ行った時に、毛利庭園のそば(ということはテレビ朝日のそば)で撮影しました。

 BMWの新しい5シリーズです。

 ところで、皆様はBMWをどのように発音されますか?

 小学生時代にスーパーカーブームを体験した私は、ドイツ語の読み方に近い「ベーエムヴェー」と言います。人によっては「ベームヴェー」あるいは「ベーンヴェー」などと言うかもしれません。フォルクスワーゲン(ドイツ語に近い表記であればフォルクスヴァーゲン)の略であるVWを「ファオヴェー」と言うのと同じようなものです。

 これに対し、妻は「ビーエム」と略して言っています。若い世代だとこのように言う人が多いようです。

 ちなみに、BMWはBayerische Motoren Werkeの略で、ミュンヘンに本社があります(私も現地で建物を見ました)。

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