クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

マンガ・アニメの発信力:BLEACH―ブリーチ―(1)

2010年12月25日 | マンガ・アニメの発信力の理由
日本のアニメ・マンガやポップカルチャーの発信力の理由、五項目の①と⑤の表現を変更し、その結果次のようなものになった。今後も、より適切なものに変更できるところは変更していきた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

昨日、いくつかの作品を例としげ挙げたなかで、『BLEACH―ブリーチ― 』については、「日本的なイメージも強調されるが、その異界観は独特である。いずれにせよ、この世と異界との間に厳密な区別がなく、その自由な交流のなかでストーリーが展開するのが特徴だ」と書いておいた。

そのあとで『ブリーチ』の最初の方を少し見直したり、いくつかのサイトで確認したりした。そして縄文以来の日本人のあの世観を扱った本として、梅原猛の『あの世と日本人 (NHKライブラリー (43))』をざっと読みなおしてみた。

それで改めて思ったことは、『ブリーチ』にも縄文時代以来の日本人の「あの世」観が、かなり色濃く反映されているのではないか、ということであった。具体的な習俗やイメージの描き方としてよりは、基本的な「あの世」観としてということであるが。もちろんそこに『ブリーチ』独特の「あの世」観が重ね合わされてはいるが。

『ブリーチ』では、死神は大切な役割を担っている。この世の何かに強い未練を持ち、それに因果の鎖を絡めとられ、憑き霊や地縛霊となっているの迷える霊を、この作品では整(プラス)と呼ぶ。これらの霊は、この世に迷っているだけで基本的には無害だが、彼らを尸魂界(しこんかい:ソウル・ソサイアティ)に送るのが、死神の役割の一つだ。

死神のもう一つの大切な役割は、虚(ホロウ)の浄化だ。死神によって成仏させられなかった霊は、ある一定期間が経つと虚(ホロウ)になってしまう。虚は、現世を荒らす悪霊となり、人間の魂魄(たましい)を主食とするので、生きた人間を襲っては命を奪う。

この作品の主人公の一人は、朽木(くちき)ルキアという死神だ。虚(ホロウ)と戦っているさなかに、主人公の高校生・黒崎一護と出会う。ルキアは、霊が見え優れた霊力を持っていた一護に、死神になるきっかけを与える。出だしのストーリーである「死神代行篇」では、彼ら二人が協力しながら、さまざまな虚(ホロウ)たちと壮絶な戦いを繰り広げる展開が中心だ。

『ブリーチ』の「あの世」観は、きわめて精緻に構築されており、そこに分け入っていったら切りがない感じだ。ここでは基本の一部を押さえただけだが、これを日本人にもともと伝わってきた「あの世」観と比較してみよう。その過程で必要に応じて『ブリーチ』の、もう少し突っ込んだ「あの世」観にも触れるかもしれない。

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マンガ・アニメの発信力:異界の描かれ方

2010年12月24日 | マンガ・アニメの発信力の理由
日本のアニメ・マンガやポップカルチャーの発信力の理由(下の五項目)のそれぞれが、日本文化のユニークさ四項目のとどんな関係があるかという観点から、何回かに分けて考えてきた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする。

その過程で、②の項目を追加したが、今他の項目でもいくつか表現を変える必要があると感じている。ひとつは昨日触れた⑤についてである。⑤は、コンテンツの魅力といいうより、そういう魅力が生まれてくる基盤を述べている。それでこんな風に変更をしたい。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

これも、まだあくまでも仮のものだが、こんな表現ではどうだろうか。なお「民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民」という特徴は、「日本文化のユニークさ」の方の一項目として新たに付け加えたいと思う。

さて次に、これは新たに項目を作るべきか、すでにある項目の一つに付け加えるべきか迷っていることがある。まず次の作品群を見てほしい。

BLEACH―ブリーチ―

涼宮ハルヒの憂鬱

DEATH NOTE デスノート

鋼の錬金術師

犬夜叉

幽・遊・白書

ヒカルの碁

ざっと思いついた主な作品だけでもこれだけ挙がるのだが、これらに共通する内容上の特徴は何だと思われるだろうか。

そう、これらのいずれもテーマが何らかの形で、あの世、霊、異界、異次元などに深くかかわるのである。もちろんそれぞれが異界を描く仕方はさまざまだ。ひとつの宗教に縛られないだけに、自由に多様な仕方で描かれている。しかし、この世界と異界が密接に結びついていたり、自由に行き来ができるところに大きな特徴があるような気がする。たとえば『デスノート』などはどちらかというとキリスト教的なにおいがする。『犬夜叉』などは純日本的である。『ブリーチ』は、日本的なイメージも強調されるが、その異界観は独特である。いずれにせよ、この世と異界との間に厳密な区別がなく、その自由な交流のなかでストーリーが展開するのが特徴だ。

こうした特徴も、ここにもこれまで見てきたような日本文化のユニークさが背景にあってのことなのだろうか。だとすれば、どんな背景がどのように関係するのだろうか。日本人の異界観や霊界観は、仏教の影響も受けているだろうが、しかしテレビ番組などでよく取り上げられる怨霊とか地縛霊とかは、もともとの仏教とは関係がないといわれる。キリスト教だったら、教義としてある程度はっきりした「死後世界」観があるだろうが、日本人はそういう「明文化」できるうようなあの世観をもっていない。でいながら、あの世や霊界を意外と近しいものと感じている。

日本人が漠然と無意識に受け継いできた「あの世」観とはどんなものだったのか。それが現代のマンガやアニメにどのように反映しているのか。今後は、個々の作品も取り上げながら、おいおい探っていきたい。

それで、この特徴を①に追加して以下のように文章を変えることも考えている。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。

しかし、これもあくまでも暫定的なものである。あの世や異界と自由に交流するのが日本的な特色なのか、またそれを縄文時代以来の心性と結びつけていいのか、検討を要する。もしかしたらこのこの特徴は独立した一項目にするかもしれない。いずれにせよ、もう少し勉強し、じっくり考えたい。

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(5)庶民の力

2010年12月23日 | マンガ・アニメの発信力の理由
マンガ・アニメの発信力の理由、5項目のうち最後⑤番目の「民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする」が、日本文化のユニークさ四項目とどうかかわるかを見ていこう。この項目は、コンテンツそのものがもっている発信力というより、発信力が生まれてくる基盤といっていいかもしれない。むしろ、日本文化のユニークさのひとつと言えるかもしれない。今後検討が必要だ。

この特徴についても、これまで折に触れ記事にしてきた。以下がそれだ。

日本の庶民文化の力
欧米にない日本の大衆社会のユニークさ
日本のポップカルチャーの魅力(2)

なお、その具体例といった感じで書いた記事も挙げておこう。

世界一の「一般人」がいる日本
平凡な日本人のレベルの高さ
自分の仕事に誇りをもつ日本人
日本の長所10:仕事への責任感、熱心さ、誇り①

「民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を」が存在する日本文化のユニークさは、その四項目のうち次に関係が深い。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。

江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。(中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)

以下は、私の見解だが、幕末から明治初期にかけてヨーロッパとくにフランスを中心としてジャポニズムと呼ばれる現象が巻き起り、日本の浮世絵などが印象派の絵画に大きな影響を与えた。これもまた、江戸時代の豊かな庶民文化が背景にあり、庶民の生活から生み出された浮世絵や工芸品だったからこそ、当時のヨーロッパ市民階級の共感を呼ぶものがあったのである。

現代の日本も、江戸時代の庶民文化のあり方を引き継いでいる。世界中のほとんどどの国にも大衆をがっちり支配する知的エリート階級が存在する。しかし日本ではそのような階級はすでに崩壊してしまったか、崩壊寸前だという。何とか自分たちの失地を回復したい日本の知的エリートは、日本について悲観論を繰りかえし、大衆を脅しつけることで支配したいのだ。あらゆる格差の中で知的エリートと大衆との間の格差ほど深刻で、根絶するのが難しい格差はない。ところが日本では、この知的能力格差が消滅寸前に近いという。政治家を一種の知的エリートと捉えれば、そのお粗末さは誰もが納得するだろう。 (増田悦佐『格差社会論はウソである』)

日本のマンガがここまで受け容れられた背景には、欧米のコミックとのマンガのストーリーづくりの違いにある。顕著な相違点は、「強くもなく、特別でもない主人公が、試練と努力を重ね、強く成長していく」というところだ。 欧米のコミックの主人公は、特別な才能を持っていたり、タフだったりと、いかにもヒーローらしい主人公が多い。無敵の主人公に憧れるタイプのストーリー展開になっている。

その点、日本のマンガの主人公は、落ちこぼれだったり、不良だったり、ごく普通の学生だったり、と最初からヒーローでない場合が多い。普通の人間として、マンガに登場する主人公に共感できる。

日本の社会は、階層性のきわめて少ない、巨大な中間層が中心をなし、大衆を形成している社会だ。そのような大衆が生み出す価値観が、マンガの中に自ずと反映されており、それが日本のマンガが受け入れられるひとつの背景になっているかも知れない。マンガは、そうした巨大な「中間層」に消費され、そのような普通の日本人の意識や希望や挫折や喜びや悲しみを反映している。日本人には意識しにくいが、マンガには、外部から見た日本の社会の魅力が、自ずと反映している。だからこそ、それはクールと感じられ、好感ももって受け入れられるのだろう。

現代の庶民文化は、マンガ・アニメを代表とするポップカルチャーを生み出し、それらが世界に影響を与え始めた。ヨーロッパでフランスを中心にマンガ・アニメブームが起こったことは、第二のジャポニズムになぞらえることができるかもしれない。

なお、日本文化のユニークさ四項目の他の項目との関連はうすいと思われるので、ここでは取り上げなかった。

《関連図書》
★『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること
★『格差社会論はウソである
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)

2010年12月21日 | マンガ・アニメの発信力の理由
マンガ・アニメの発信力の理由、5項目のうち④番目の「宗教的タブーのない自由な発想と表現、相対主義的な価値観の魅力」が、日本文化のユニークさ四項目とどうかかわるかを見ていこう。

なお日本アニメの相対主義的な価値観を表す代表的な作品に宮崎駿の『もののけ姫 』があるだろう。この作品がもっている文明観の深さについては『宮崎アニメの暗号 (新潮新書)』を紹介しながら簡単に触れた。(マンガ・アニメの発信力の理由03)

えみし(縄文人の末裔といわれる)の村のアシタカは、タタリガミに呪われた己の運命を見定めるため、西を目指して旅立つ。旅先で彼は、森を切り拓いて鉄を作るタタラの民とその長エボシや、森の山犬のとともに生きる少女サンに出会う。エボシたちは、生きていくためにシシ神の森を切り拓き、シシ神を殺そうとする。ヒロインのサンにとっては宿敵だが、一方でエボシは、女達や不治の病に苦しむ人々に生きる場を与え、頼りにされる指導者だ。ここには、単純に善や悪では割り切れない、人間の営みと、それによって失われていくものへの深刻な問いかけがある。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

縄文時代以来、日本人の心の中に無自覚に生き続けるアニミズム的、多神教的な心性が、日本人の相対主義的なものの見方の基盤となっている。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない男性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。

縄文的な心性を受け継ぐ日本神話では、対立する極のどちらか一方が完全に優位を獲得し切ることはなく、一見優勢に見えても、かならず他方を潜在的に含んでおり、直後にカウンターバランスされる可能性を持つ。例えばアマテラスとスサノオの関係は、どちらかを一方的に善か悪に決めつけることができない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。この二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)』参照)

このような相対的な価値観が、現代のマンガ・アニメにも受け継がれ、世界に発信されるメッセージのひとつとなっている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

牧畜文化が流入せず、遊牧民族との接触がほとんどなかったことが、また縄文人の心性が日本文化の深層に流れ続けた、一つの理由になっている。その結果、キリスト教の流入も拒まれ、自然崇拝的、相対主義的な世界観が伝統となり、マンガやアニメの世界観の背景になっていった。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や虐殺、暴力的な支配をほとんど経験しなかった。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。日本人同士の紛争は多く経験しているが、同じ民族同士の戦争なら価値観を変える必要はない。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。自分にとって都合のよい「普遍的な価値観」によって戦いを合理化しなければならないのだ。

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。

ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムを外国から自由に吸収し、並存させることができた。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。(G・クラーク『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』参照)

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

西洋人は、そしてユーラシア大陸の多くの民族も、宗教やイデオロギーのような原理・原則の方が優れていると思っている。ところが日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。イデオロギー的な宗教支配なくして、とくにキリスト教なくして、キリスト教から派生したはずの近代国家を形成したということ、農耕文明以前の、自然崇拝的な精神を基盤としたまま高度産業社会を発展させたということ。この事実は、文明史的な観点からいってもきわめて特異なことだろう。その特異さは、文化的な観点からいってもきわだっている。宗教などによる一元的な価値観の支配なくして高度に現代的な社会を営み、しかも世界のあらゆる文化的アイテムを相対化して自由に使いこなしながら、相対主義的な価値観にたった作品を次々の生み出してく。

一元的な宗教を基盤とし、多少なりともハードな統合性をもった文化から見ると、日本のポップカルチャーはどこか無原則的に見えだろう。その何でもありの柔軟性や融合性に、自分たちがよって立つ文明原理を根底から揺さぶり動かされるような衝撃と、同時に魅力を感じるのかもしれない。たとえその衝撃がどこから来るのかい無自覚であるとしても。

《関連記事》
日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本の長所15:伝統と現代の共存
ジャパナメリカ02
クールジャパンの根っこは縄文?

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(3)相対主義

2010年12月20日 | マンガ・アニメの発信力の理由
再び、マンガ・アニメの発信力と日本文化のユニークさとの関係の話題に戻ろう。前回、③子ども文化と大人文化の融合という項目まで論じた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする

今回は、④と「日本文化のユニークさ」四項目との関係についてだが、日本文化に見られる相対主義的な価値観については何か所かで多少は触れてきた。たとえば次のようなエントリーなどだ。

世界カワイイ革命(2)
日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化

このような絶対的なイデオロギーを嫌う日本文化とマンガ・アニメの関係は、増田悦佐が『日本型ヒーローが世界を救う!』のなかで論じている。

著者によれば、日本のマンガ・アニメの特徴は、集団的英雄像と善悪を相対化する視点だという。現実は、たったひとりの英雄が大衆の無気力や妨害をはねのけて巨悪と対決するおとぎ話ではない。また戦争状態にある集団同士は、一方が完全に正義を体現し、他方は完全に悪を体現するなどということはありえない。そのような相対的な現実を日本のアニメが語り始めた。

日本のアニメ・マンガは、人類全体にとっての優れた無形の財産を形成しつつある。それらが世界に発するメッセージは、「善と悪」、「敵と味方」といった二元論に振りまわされない物語展開の中に隠されているという。その素晴らしい実例が、『EMOTION the Best GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [DVD]』だという。そのラストシーンで草薙素子は、悪役人形つかいの提案を受け入れて、一体化していく。

日本のマンガには、たとえば『らんま1/2 (少年サンデーコミックス)』など、男性と女性の役割がコロコロと入れ替わることをネタにした名作が多い。この役割転換の発想は、戦争での敵・味方を相対化する視点につながるという。

この自由自在の視点の転換が、知識人主導型の社会(アメリカなど)では危険思想に感じられ、脅威になっているのではないかという。そういえば、アメリカン・ヒーローが一方的に正義を振りかざすのは、アメリカの国際社会での態度に似ているかもしれない。同じことは最近の中国にも当てはまるだろう。

では、このような日本のマンガ・アニメの特徴が、「日本文化のユニークさ」四項目とどのようにつながるのか。これについては、次回ゆっくり論じよう。

《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)

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日本発ポップカルチャーの魅力02:初音ミク(続き)

2010年12月18日 | マンガ・アニメの発信力の理由
引き続き、初音ミク現象について。より詳しい情報については、下の動画がおすすめ。part6まであるが、ぜひ追って見てほしい。

【HD】初音ミクの世界(World of HATSUNE MIKU) part1

初音ミクは、もともと音楽のソフトとして発売されたが、そのキャラクターをこれほど反響があるとは発売元の会社も考えてもいなかったようだ。しかしキャラクターはイラストや動画として二次創作され、予想もしなかった盛り上がりを見せていく。多くの初音ミクのファンが、音楽ソフトに添えられたキャラクターに命を吹き込んでいく、文字通りanimateしていくプロセスがすごい。ファン一人ひとりの並々ならぬ情熱が、ソフトによる固有の声をもったヴァーチャルアイドルを、あたかも実在するかのように作りあげ、そのアイドルのライブに熱狂し始めたのだ。そして日本のポップカルチャーに関心を持つ世界の若者たちが、日本で始まったこの現象に注目し、ライブの歌やダンスの質の高さに驚き、もっと詳しい情報を得たい、自分たちもライブに参加したいと待ち焦がれている。

日本のポップカルチャーの発信力の秘密という観点から、この現象を考えてみよう。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする

まさに①のアニミズム的なものへの親和性が、私たちの心に流れているからこそ、ファンの一人ひとりの力を結集してヴァーチャルなものに命を吹き込んでいこうとする動きが、こんなにも盛り上がるのではないか。

そしてヴァーチャルアイドルが、こんなにもファンの心をつかむひとつの理由が、動きがあれほどリアルでありながら、どこか現実ばなれした純粋無垢なかわいらしさの象徴のような表情をしていることにあるのではないか(②)。あれが、もっと生々しい現実的な顔をしていたら、これほどの盛り上がりはなかったかもしれない。

初音ミクらは、音楽ソフトにで作られた音声で自由に歌い、信じられないくらい上手にダンスをする「お人形さん」なのだが、もはや子どもではない若者たちがそれに熱狂することに何の違和感も感じない(②、③)。

おそらくキリスト教文化の本流は、こうしたすべてのことに本来抵抗感をもつので、ヴァーチャルアイドルに熱狂するというような動きは、その文化の内側からは生れて来にくいだろう(④)。

さらに日本語という共通の言語をもった、巨大で知的な庶民が、コンピューターテクノロジーを駆使して、協力しながら創作していったからこそ、ヴァーチャルアイドルのクオリティーの高いパフォーマンスが実現したのだ(⑤)。

こうして考えてみると、日本のポップカルチャーの発信力の秘密のすべてが、初音ミク現象の背後ではたらいているといえそうだ。


《関連図書》
★『ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使
★『できる初音ミク&鏡音リン・レン VOCALOID2 & Windows Vista/XP 対応 (できるシリーズ)
コメント (2)
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日本発ポップカルチャーの魅力01:初音ミク

2010年12月17日 | マンガ・アニメの発信力の理由
いま日本で初音ミク現象というべきものが起きており、日本のポップカルチャーに関心のある世界中の人々からも熱い視線をあびている。初音ミクになじみのうすい方は、まずこれを見てほしい。

東京ITニュース 初音ミク コンサート Hatsune Miku Live
東京ITニュース 初音ミク 高まる人気 Hatsune Miku boom

その上で、ひとつだけ初音ミク(Hatsune Miku)のライブの映像もご覧いただこう。ともに踊っているのは巡音ルカ(MEGURINE LUKA)だ。

Magnet Live in HD (1080p 1920 x 1080)

ホログラムではなく、舞台上の透明板に背後からプロジェクターで映し出されているが、とても立体感のあるリアルな映像だ。舞台上に実際に存在するかのバーチャルアイドルのライブにこれだけ熱狂する時代が来たのだ。映像のクオリティーが高く、歌やダンスもクールで、何度でも見たくなる。私にはこれが、恐ろしく画期的な現象に感じられ、胸が躍るようだ。ポップカルチャーの新しい局面がここに開かれたのだ。日本発のこの現象は急速に世界に広がっていくだろう。これらの映像に世界中から寄せられたコメントを読んでいるとそれがよくわかる。

「日本人だけが楽しんでいて世界にシェアしないのはずるい」、「私の国でも、ぜひツアーを組んで」、「このコンサートを見に日本に行きたい」、「世界のメインの言語が英語ではなく、日本語だったらよかったのに」、「日本人に生れていればよかった」‥‥こんなコメントが溢れかえっているのだ。ヴァーチャルアイドルのライブ映像に衝撃を受け、これらについての情報を渇望している様子がじかに伝わってくる。また、ミクやレン、ルカのコスプレ映像も、世界中から投稿されている。


さて、日本のマンガ・アニメの発信力の理由を仮に五つに整理した。初音ミク現象は、マンガ・アニメの枠に重なる面はあるが、はみ出している面もあるので、タイトルは「日本発ポップカルチャーの魅力」とした。マンガ・アニメだけでなく日本のポップカルチャー全体に、下の五つの特徴は当てはまるだろう。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする

このそれぞれを、これからはできるだけ具体的な作品や現象を取り上げながら、検討していきたい。今日は、その手始めに初音ミク現象を取り上げてみた。初音ミク現象は、上の①や②に関係が深いと思われる。次回は、この点をもう少し掘り下げてみたい。

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(2)融合

2010年12月16日 | マンガ・アニメの発信力の理由
日本のマンガ・アニメの発信力の理由、昨日付け加えたものも入れて並べかえるると次のようになる。表現は少し修正している。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする

今回は、③と「日本文化のユニークさ」四項目との関連に、ごくかんたんに触れて見よう。ただし、③は四項目のすべてに直接関係があるということではない。また、すでに論じた②の「かわいい」文化で論じた観点にかなり重なる部分がある。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜(農耕・牧畜)文化にたいして、日本は穀物・魚貝(農耕・漁撈)型とでも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

③にとっては、これがいちばん関係が深いかもしれない。日本には、牧畜文化が流入しなかった。そのため、人間と家畜との間には明確な違いがあるものとして厳格な区別をする必要がなかった。ヨーロッパの牧畜文化では、人間とほかの生き物を区別するいちばん大きな違いは、「理性」をもっているかないかにあった。「理性」がまだ充分には発達しない子供もまた、完全な人間とは言えず、したがって子ども文化と大人文化の間にも、はっきりとした区別があった。牧畜を知らない日本人は、人間と動物、強いては大人と子どもの間に厳然たる区別をする必要がなかった。だからマンガ・アニメも、子どもの専有物である必要はなかった。

上の事実は、順序は逆になるが「日本文化のユニークさ(1)」にも間接に関係する。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

牧畜文化を知らなかったからこそ、人間と動物を厳然と区別する必要がなく、縄文的、アニミズム的な心性が残ったともいえるからである。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

ユダヤ教やキリスト教やイスラム教は、発生当初から砂漠や遊牧民との関係が深い。そういう背景を持っていたから、キリスト教はヨーロッパの牧畜・農耕文化とも、ある意味で相性がよかった。農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の営みを合理化するため、人間と動物を厳然と区別する教えが必要であった。

日本では、人間と動物の違いを極端に強調する必要はなかった。人間と動物を完全に異質のものとする人間中心主義の宗教は日本ではなじまなかったし、根づかなかった。日本にキリスト教が根づかなかったひとつの理由に、キリスト教が持っている遊牧・牧畜民的な背景があるのではないか。要するに基盤になっている文化が異質なのである。だからこそ、大人と子どもを明確に区別するキリスト教的な文化も、日本人の感性には異質だったのである。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

もちろん、もともと異質な文化的な背景をもっていた地域にキリスト教が流入していった例は多い。というより、アジア、中南米などの多くの地域でそうしたことが起こった。多くの場合そこには、暴力的な侵略や植民地化、先住民族の虐殺などが伴っていたのである。その意味でこの特徴も③に間接的につながっているだろう。

《関連記事》
日本文化のユニークさ04:牧畜を知らない
日本文化のユニークさ05:動物とつらなる命
日本文化のユニークさ06:人間中心主義でない

《関連図書》
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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マンガ・アニメの発信力と日本文化(1):「かわいい」

2010年12月15日 | マンガ・アニメの発信力の理由
これまで、日本のマンガ・アニメの発信力の理由として暫定的に次の4点を挙げてきた。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
③宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現
④民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする

最近「かわいい」文化を論じてきて、やはりこれもマンガ・アニメの発信力の理由として触れておくべきだと思うようになった。上の②と関連が深いが、とりあえず独立した項目②としてつぎのような文章をいれ、上の②以下の番号をひとつずつずらしたい。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く文化

文章は、あくまでも暫定的なものなので、他の項目も含めて、今後さらに検討し、練っていきたい。

ところで、「かわいい」と日本文化のユニークさの関係を考えているうちに、他のすべての項目が、「日本文化のユニークさ」4項目と多かれ少なかれ関連していることを再認識した。

①については、その関係にある程度触れてきた。以下のエントリーを参照してほしい。

マンガ・アニメの発信力の理由02
マンガ・アニメの発信力の理由03

以下では、「日本文化のユニークさ」四項目すべてとの関連をかんたんに見ておこう。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

これと① アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する、との関係は、一目瞭然なので説明の必要はないだろう。上の二つのエントリーでも詳しく触れている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

牧畜文化が流入せず、遊牧民族との接触がほとんどなかったことが、森林破壊が少なく、また縄文人の心性が日本文化の深層に流れ続けた、一つの理由になっている。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

異民族に征服され、その価値観を押し付けられる経験がなかったからこそ、縄文的な心性が生き続ける結果となったのである。キリスト教によってほとんど抹殺されていったケルト文化とは好対照をなしている。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

上とも関連するが、縄文的な心性が息づいていたからこそ、キリスト教が浸透しにくかったし、キリスト教が支配的にならなかったからこそ、縄文的な基層文化が、途絶えることなく現代に受け継がれたのである。

こんな感じで、次回以降「発信力の理由」の他の項目についても、日本文化のユニークさとの関係をかんたんに見ていこう。

《関連図書》
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)
★『宮崎アニメの暗号 (新潮新書)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)

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「かわいい」と日本文化のユニークさ(2)

2010年12月14日 | 母性社会日本
日本文化のユニークさ、4項目のうち

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

と「かわいい」文化との関係については、つい先日論じたばかりである。

『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(1)
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(2)
『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)
『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(2)

日本文化のユニークさ(1)(2)との関係も含めて整理すると以下のようになるだろう。縄文時代は、豊かな森のなかで自然崇拝的な母性原理の文化を育んできた。その後、大陸から伝わった稲作文明は、牧畜をともなわず、そのため森林破壊も少なかったので、森に根ざした縄文的な心性は、日本列島に生きる人々に連綿と受け継がれていった。

しかも日本列島は、大陸の文化を学び取るにはほどよい距離にあったが、大陸から攻め入るにはかなり困難を伴う位置にあった。たとえば中国は、何回か遊牧民族の支配下に入ったが、日本は一度攻撃されただけで終わった(元寇)。ユーラシア大陸では、異民族相互の悲惨な戦いの歴史が繰り返されたが、日本は他民族の侵入をまぬかれ、他民族による虐殺、征服などを知らない。強大化したヨーロッパのキリスト教文明は、中南米、アフリカ、アジアを次々と植民地化していったが、日本はヨーロッパによる植民地化もまぬかれた。

もし日本列島で、異民族相互の激しい戦いや、キリスト教文明による植民地化があったなら、縄文時代に育まれ、稲作文明に受け継がれた母性原理的な文化も崩れ去っていたかもしれない。異民族相互の生きるか死ぬかの存亡をかけた戦いは、母性原理の文化を切り刻むだろうし、父性的な一神教であるキリスト教も、母性原理の文化を破壊するだろう。

日本が、農耕文明以前からの母性原理的な文化を破壊されず、それを基盤としながら、外から学び取るという形で近代化を達成したことは、人類の歴史上でも、奇跡的なことなのかもしれない。そういう奇跡的な基盤の上に「かわいい」文化も花開いたのろう。


《関連記事》
異民族による侵略を受けなかったことからくる日本文化のユニークさについては、グレゴリー・クラーク の『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』などを紹介しながら、以下で論じた。

日本文化のユニークさ07
日本文化のユニークさ08
日本文化のユニークさ09
日本文化のユニークさ11

《関連図書》
★『日本の文化力が世界を幸せにする
★『国土学再考 「公」と新・日本人論

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「かわいい」と日本文化のユニークさ(1)

2010年12月13日 | 母性社会日本
これまで「かわいい」文化と平和の関係ということで何回か書いてきたが、書いているうちに結局、日本文化のユニークさということで挙げた4項目がすべて、現代の「かわいい」文化に何かしら関係をもっているようだと思えるようになった。そこでこの4項目を「かわいい」論の視点から、もう一度、整理して復習しておくのも役に立つような気がする。

とりあえず、その4項目の確認。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

まず(1)の、日本人の深層に生き続ける縄文文化については、以下で触れてきた。
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

1万数千年も日本列島に続いた縄文文化は、母性原理の優勢な森の文化であり、しかも稲作文明が流入してもそれと併存したり、融合したりしながら、日本人の心に生き続けた。その稲作文明は牧畜を伴わなかったため、豊かな森が残った。そのためもあり、砂漠、遊牧、牧畜を背景とする一神教の文明は、ついに日本列島に根を生やすことができなかった。近代文明は、男性原理に立つ一神教であるキリスト教から発展したが、日本は、近代文明を受け入れながらも、はるか縄文文化から続く母性原理の文明を捨て去ることがなかった。この母性原理の文明と「かわいい」文化とは、深層でつながっている。

次に(2)の穀物・魚介型の日本文化の関連は、以下で見た。
日本文化のユニークさ04:牧畜を知らない
日本文化のユニークさ05:動物とつらなる命
日本文化のユニークさ06:人間中心主義でない

要するに、日本に本格的な牧畜が流入しなかった、また遊牧民族との接触がほとんどなかったということなのだが、それによってキリスト教的な人間中心主義の生命観とは違う、縄文的な生命観、自然観が保持されたということである。動物と人間を厳然と区別する生命観は、日本人には受け入れられなかったのである。もちろんキリスト教が日本に普及しなかった理由はそれだけではないだろうが、人間=神の似姿として人間だけを特別扱いする思考が、日本人になじまなかったのも確かである。

人間と動物を区別するもっとも大切な能力は「理性」である。そして「理性」が発達していない子供は、不完全な人間とみなされたのであり、西洋では「子供っぽいものを退けることが至上命題とされた」(ドナルド・リチー)のである。西洋に発する近代文明は、「かわいさ」に高い価値を置く日本の文化とは対照的である。「かわいい」文化は、西洋文明がはるかケルト時代に忘れ去った何かを思い出させる、衝撃的な新鮮さがあったのではないか。

(3)異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験を持たなかった。これについてはすでに論じたが、次回、補足しながら触れてみたい。(4)についても次回触れる。

《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見




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『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

2010年12月11日 | マンガ・アニメの発信力の理由
◆『「かわいい」論 (ちくま新書)』(四方田犬彦)

再び『「かわいい」論』に戻って話を進めたい。たとえばサンリオのキティちゃんは、いまや世界で子供を中心とした消費社会の中枢を占めるまでになっている。「かわいい」が海を渡り、国境を越えて受容され、巨大な産業として発展している例である。一方で、アメリカの少女たちはほぼ十二歳ぐらいでキティちゃんを卒業するのに、東アジア、とくに日本では、成人してからもキティちゃんを愛好する女性が多いなど、文化的な違いと思われる現象もあるという。

そのような受容の仕方の違いはあるにせよ、日本発の「かわいい」文化が世界中で受け入れられている現実があるのは確かである。そこで著者は、「かわいい」は日本文化に深く根ざした特殊なものだからこそ世界で珍重されるのか、それとも世界中の人間が享受しうる、何らかの普遍性をもつからこそ受け入れられるのか、という問題を提起している。ただし著者は、この問題は結局、従来から対立している二つの文化観、すなわち伝搬論か原型論かという宿命的な問題に帰着してしまうとし、この問題をどちらか一方に結論づけるのは避けている。

私としては、そこに両方の側面があるといわざるを得ない。そう言うと、結局同じように結論を避けているだけではないかと言われそうだが、問題は両方の側面があるということを根拠を示して説明することだろう。

まず文化の普遍性、原型論の立場からいうなら、これまで何度か触れた縄文文化とケルト文化の類似性を思い起こすことが重要である。そして日本文化の特殊性、およびその伝搬という立場で論ずるなら、なぜ日本で農耕文化以前の漁撈・採集的な縄文文化の残滓が生き残りつづけたかという問いに注目する必要があるだろう。

縄文文化とケルト文化については、日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化というエントリーで触れたことを思い起こしてほしい。簡単に要約しよう。

ケルト巡り』(河合隼雄)でも語られるように、かつてケルト文化は、ヨーロッパからアジアにいたる広大な領域に広がっていた。しかしキリスト教の拡大に伴いそのほとんどが消え去ってしまった。しかしアイルランドなどにはケルト文化が他地域に比べて色濃く残る。そのケルト文化には、私たちの深層に横たわる縄文的心性と深く響き合うものがある。

私たちは、知らず知らずのうちにキリスト教が生み出した、西洋近代の文化を規範にして思考しているが、他面ではそういう規範や思考法では割り切れない日本的なものを基盤にして思考し、生活を営んでいる。一方、ヨーロッパの人々も、日本人よりははるかに自覚しにくいかもしれないが、その深層にケルト的なものをもっているはずだ。

ケルトでは、渦巻き状の文様がよく用いられるがが、それは古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。またそれは輪廻の渦でもある。父性原理の宗教であるキリスト教が拡大する以前のヨーロッパには、母性原理の森の文明が広範囲に息づいていたのだ。

日本の縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多い。土偶そのものの存在が、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。日本人は、縄文的な心性を色濃く残したまま、近代国家にいちはやく仲間入りした。そこに日本の特殊性がある。

縄文的な心性を現代にまで残してきた日本文化の特殊性は、世界のどの文明もかつてはそこから生れ出てきたはずの、農耕・牧畜以前の母性原理に根ざした狩猟・採集文化という原型の記憶を呼び覚ますのだ。

《関連記事》
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化

「カワイイ」文化について
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ
『「萌え」の起源』(1)

《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)
★『ケルト巡り
★『ケルトと日本 (角川選書)
★『共生と循環のコスモロジー―日本・アジア・ケルトの基層文化への旅)



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『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(2)

2010年12月09日 | 侵略を免れた日本
◆『国土学再考 「公」と新・日本人論

城壁に囲まれた都市の住民は、勝つため、負けないために必死に研究しなければならない。情報を集め、それは正しい情報か、もれはないか、偽情報は含まれないかなどをつねにチェックしなければならない。あらゆる不測の事態や可能性を想定して作戦をたて、二重にも三重にもチェックしなければ、皆殺しにされてしうかもしれないのだ。

だからこそ、その思考は網羅性、俯瞰性、長期性などの特徴をもつ。合理的な判断を狂わせるような情報は厳しく排除される。合理的に判断する成熟した主体にこそ、最高の価値が置かれるのは、そういう歴史的は背景があったからではないだろうか。一方、日本人はそういう戦いの状況に置かれたことが歴史上あまりなかったため、厳しく合理的な思考訓練ができていない、必要ともされなかった。

他国に攻め込まれる恐怖もほとんどなく、食糧も豊かだった日本では、ぎりぎりの厳密で合理的な思考やその伝達にさほど重きを置かずにすみ、また「そぶり」や「以心伝心」程度のコミュニケーションで困ることはなかった。外敵に包囲され、防御策を綿密に決めて、誤解のない言葉でルール化しなければ全員の命がない、などという状況に身をおいたことがほどんどないのだ。

岸田秀の『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』の中に興味深い日本人論があり、いつか紹介したことがあるが、上で語られたことと関連させて考えてみたい。

岸田によれば、日本人はある種の人間観を前提として行動しているが、その前提についてはほとんど無自覚だというのだ。それは一言でいえば「渡る世間に鬼はなし」という性善説。人間は、本来善良でやさしく、そして一人では生きることのできない弱い存在だから、互いにいたわり合い、助け合って生きていくしかない。中には裏切ったり悪いことをする人間もいるが、それはそうせざるを得ない事情があってのことで、根っから悪い人間はいない。だいたいこんな人間観を前提にして日本の社会や規範は成り立っているというのだ。

人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を前提として日本の社会はなりたっている。さらに日本人の問題は、このような人間観を他国や他民族にも共有される普遍的なもとの信じ込んで、行動することだ。しかし、日本人のような性善説に立つ人間観はむしろ例外的で、世界の大部分はそういう前提に立っていないから、日本の他国への期待は裏切られることが多い。

岸田秀は、こうした人間観のマイナス面を強調しているのだが、プラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。

しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルにしたポジティブな人間関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。

ここでようやく、私たちのテーマである「かわいい」文化との関係につなげることができた。「母子関係をモデルにしたポジティブな関係」にとって「かわいい」や甘えが重要な位置を占めていることは言うまでもない。今後は、河合隼雄や土居健朗などの論を参考にしながら、もう少しこのテーマをさぐってみたいと思う。

《関連記事》「かわいい」文化関連
「カワイイ」文化について
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ
『「萌え」の起源』(1)

《関連記事》紛争史観関連
日本文化のユニークさ07
日本文化のユニークさ08
日本文化のユニークさ09
日本文化のユニークさ11
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した

《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)
★『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』(G.クラーク)
★『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

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『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)

2010年12月09日 | 侵略を免れた日本
「かわいい」文化と、古来からの日本の平和との関係を考えるうえでとても参考になる本を最近読んだ。日本を「自然災害史観」の国ととらえ、それ比較して大陸の歴史を「紛争史観」からとらえている。大石久和氏の次の本だ。

◆『国土学再考 「公」と新・日本人論

著者によれば西洋文明は、国土的な条件と歴史の違いから、日本社会のルールや思考法とは大きな隔たりがあるという。西洋文明は、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた。その城壁造りや見張りや守りの分担などで厳しいルール伴う社会を守ってきた。周辺の自然環境は厳しく、他民族との死ぬか生きるかの戦いの中で、常に備えを万全にしておく必要があった。「皆殺し」への恐怖を前提にした思考法が、現在の世界文明の礎になっているというのだ。

これに対して基本的に温暖湿潤な日本列島は、乏しい食糧を集団どうしが常に争い合う必要があまりなかった。その代わりに自然災害による定期的な打撃を受けてきたのだが、これは守りを固めてもどうしようもなく、ただあきらめ、受け入れるほかなかった。

こうした歴史を持つ国はまれだ。たいていの民族は歴史上、紛争によって皆殺しに近いことをされたり、その恐怖に直面したりしている。日本のように「皆殺し」が天災によるものしかない国は、世界中にほとんど見当たらない。

こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。さらに日本人の優しい語り口や控えめな言語表現、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれたのだという。

以上の事実と現代日本の「かわいい」文化とがどのように関係するのか。もちろんこの本はそのような話題に触れているわけではない。しかし私には、こうした日本の独特な環境と歴史が、これだけ「かわいい」が強調される現代のポップカルチャーにも、何かしら深く関係しているように思えてならない。次回このテーマをもう少し掘り下げてみたい。

《関連記事》
日本文化のユニークさ07
日本文化のユニークさ08
日本文化のユニークさ09
日本文化のユニークさ11
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した

《関連図書》
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』(G.クラーク)
★『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

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『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(2)

2010年12月08日 | マンガ・アニメの発信力の理由
◆『「かわいい」論 (ちくま新書)』(四方田犬彦)

今回も、書評というよりは「日本文化のユニークさ」というテーマや「マンガ・アニメの発信力の理由」というテーマにそう形で本の内容を取り上げたい。

「日本文化のユニークさ」の三番目は次のようなものであった。(ほかの三つについては「日本文化のユニークさ15:キリスト教が広まらなかった理由」などを参照のこと。)

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

これがどうして「かわいい」文化に関係があるのか。『「かわいい」論』の中には、ドナルド・リチーの『イメージ・ファクトリー―日本×流行×文化』から紹介して語る次のような一節がある。日本人が未成熟で子供じみたものにひときわ愛着を示し、自分も子供っぽい自己イメージを進んで周囲に示したがるのはなぜか。それは、幼稚であること、無害であることを通して隣人の警戒を解き、互いにその幼稚さを共有しあいながら統合された集団を組織していくからではないか。

言い方を少し変えれば、日本は古代からほどんどずっと、子供っぽさ、幼稚さ、無害、素直さなどをどこかで互いに認め、共有しあって社会関係を結ぶことが許される平和な社会だったのではないか。逆に、成熟し独立した人格こそが、人間にもっとも大切な価値であるとする社会とは、個々が人が独立した主体として責任をもって判断しながら生きていかなければ、いつ殺されるかもしれない熾烈な社会なのではないか。「かわいい」ことが生き延びていくうえでプラスにもなる社会と、かわいかろうとなかろうと、殺されるときには殺されてしまう社会との違い。

日本は、「かわいい」が積極的な価値をもつほどに平和な社会だったのではないだろうか。

《関連記事》
「カワイイ」文化について
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ
『「萌え」の起源』(1)

《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)
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