日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。8項目は次の通り。
日本文化のユニークさを8項目に変更
今回も引き続き、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。
この7番目の項目は、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係しており、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。
今回は、日本文化のユニークさ(3)を、日本人の相対主義的な世界観との関係で取り上げる。
(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
大陸の多くの地域は「普遍宗教」に基づく支配構造に組み入れられていった。それゆえ文化が、絶対的な理念によって一元的に統合される傾向がある。日本列島は、「普遍宗教」による文化の一元的な支配に組み入れられることがほとんどなかった。「神仏習合」が生まれたことも、日本人に固有なアニミズムや自然崇拝宗教が受け継がれていった事実の一面を物語る。自然崇拝的な心性が生残ることによって、人間と他の生き物とをことさら区別しない傾向や、生き物を神として信心する風習も残った。
そして、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったことも、上述のような傾向や風習を保ち続けたことと深く関係する。日本列島は平野が少なく急峻な山々にに覆われていて牧畜に適さず、しかもコメはムギに比べ生産性が高いので、必ずしも牧畜を必要としない。ともあれ、牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。ここに、日本人の相対主義的な世界観の基盤がある。
さて、ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。
ユダヤ教、キリスト教を生んだヘブライ人は、牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。
ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。
一方、日本列島では縄文時代から弥生時代、さらにその後の時代へと自然崇拝的な森の思考が生残っていった。「普遍宗教」の圧倒的な力の前に屈することもなかった。それゆえ日本人は、絶対的な理念(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。そして、遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育くんだ。人間も他の生物の命と同じ、相対的なものと見なすのである。これもまた日本人の相対主義的な世界観の一部をなしていいる。
それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。
《付記》
日本人が人間と生き物とを同じ命とみなす傾向は、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったこととも深く関係する。日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者はは多い。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)
《参考図書》
★日本人の価値観―「生命本位」の再発見
★蛇と十字架・東西の風土と宗教
★森のこころと文明 (NHKライブラリー)
★一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
★森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)
《関連記事》
★日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった
★日本文化のユニークさ05:人と動物を境界づけない
★日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観
★日本文化のユニークさ37:通して見る
★日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
★その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧
★日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
★日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
★日本の長所15:伝統と現代の共存
★ジャパナメリカ02
★クールジャパンの根っこは縄文?
日本文化のユニークさを8項目に変更
今回も引き続き、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。
この7番目の項目は、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係しており、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。
今回は、日本文化のユニークさ(3)を、日本人の相対主義的な世界観との関係で取り上げる。
(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
大陸の多くの地域は「普遍宗教」に基づく支配構造に組み入れられていった。それゆえ文化が、絶対的な理念によって一元的に統合される傾向がある。日本列島は、「普遍宗教」による文化の一元的な支配に組み入れられることがほとんどなかった。「神仏習合」が生まれたことも、日本人に固有なアニミズムや自然崇拝宗教が受け継がれていった事実の一面を物語る。自然崇拝的な心性が生残ることによって、人間と他の生き物とをことさら区別しない傾向や、生き物を神として信心する風習も残った。
そして、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったことも、上述のような傾向や風習を保ち続けたことと深く関係する。日本列島は平野が少なく急峻な山々にに覆われていて牧畜に適さず、しかもコメはムギに比べ生産性が高いので、必ずしも牧畜を必要としない。ともあれ、牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。ここに、日本人の相対主義的な世界観の基盤がある。
さて、ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。
ユダヤ教、キリスト教を生んだヘブライ人は、牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。
ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。
一方、日本列島では縄文時代から弥生時代、さらにその後の時代へと自然崇拝的な森の思考が生残っていった。「普遍宗教」の圧倒的な力の前に屈することもなかった。それゆえ日本人は、絶対的な理念(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。そして、遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育くんだ。人間も他の生物の命と同じ、相対的なものと見なすのである。これもまた日本人の相対主義的な世界観の一部をなしていいる。
それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。
《付記》
日本人が人間と生き物とを同じ命とみなす傾向は、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったこととも深く関係する。日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者はは多い。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)
《参考図書》
★日本人の価値観―「生命本位」の再発見
★蛇と十字架・東西の風土と宗教
★森のこころと文明 (NHKライブラリー)
★一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
★森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)
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