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同じ命とみなす:相対主義の国・日本03

2012年12月30日 | 相対主義の国・日本
日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

今回も引き続き、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。

この7番目の項目は、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係しており、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。

今回は、日本文化のユニークさ(3)を、日本人の相対主義的な世界観との関係で取り上げる。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

大陸の多くの地域は「普遍宗教」に基づく支配構造に組み入れられていった。それゆえ文化が、絶対的な理念によって一元的に統合される傾向がある。日本列島は、「普遍宗教」による文化の一元的な支配に組み入れられることがほとんどなかった。「神仏習合」が生まれたことも、日本人に固有なアニミズムや自然崇拝宗教が受け継がれていった事実の一面を物語る。自然崇拝的な心性が生残ることによって、人間と他の生き物とをことさら区別しない傾向や、生き物を神として信心する風習も残った。

そして、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったことも、上述のような傾向や風習を保ち続けたことと深く関係する。日本列島は平野が少なく急峻な山々にに覆われていて牧畜に適さず、しかもコメはムギに比べ生産性が高いので、必ずしも牧畜を必要としない。ともあれ、牧畜が持ち込まれなかったために豊かな森が家畜に荒らされずに保たれた。豊かな森と海に恵まれた縄文人の漁撈・採集文化は、弥生人の稲作・魚介文化に、ある面で連続的につながることができた。豊かな森が保たれたからこそ、母性原理に根ざした縄文文化が、弥生時代以降の日本列島に引き継がれていったとも言えるだろう。ここに、日本人の相対主義的な世界観の基盤がある。

さて、ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。

ユダヤ教、キリスト教を生んだヘブライ人は、牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

一方、日本列島では縄文時代から弥生時代、さらにその後の時代へと自然崇拝的な森の思考が生残っていった。「普遍宗教」の圧倒的な力の前に屈することもなかった。それゆえ日本人は、絶対的な理念(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。そして、遊牧や牧畜を背景にした、人間と他生物の峻別を原理とした文化とは違う、動物も人間も同じ命と見る文化を育くんだ。人間も他の生物の命と同じ、相対的なものと見なすのである。これもまた日本人の相対主義的な世界観の一部をなしていいる。

それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

《付記》
日本人が人間と生き物とを同じ命とみなす傾向は、日本人が本格的な牧畜を経験しなかったこととも深く関係する。日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者はは多い。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)

《参考図書》
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
蛇と十字架・東西の風土と宗教
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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森の思考と母性原理:相対主義の国・日本02

2012年12月29日 | 相対主義の国・日本
日本文化のユニークさ8項目に従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

前回から、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。

今回取り上げる日本文化のユニークさ7番目は、「以上のいくつかの理由から‥‥」という出だしの言葉からもわかるように、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係している。そのためもあり、それぞれの項目を論じたときにも、その項目との関係で日本人の相対主義的な世界観に触れてきた。ここではそれらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成されてきたことを確認する。

日本文化のユニークさ、最初の2項目は以下の通りだが、両者は密接にからんでいるので、二つを合わせて論じたい。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

縄文人の思考、つまり自然崇拝的な森の思考が、現代の日本人の心にまで受け継がれているということは、逆に言えば、それが大陸の「普遍宗教」によって抹殺されずに生残ったということである。儒教、仏教、キリスト教、イスラム教など「普遍宗教」の影響の強い国々には、倫理・道徳などの面で絶対的な基準がはっきりしている。日本にはそれがない。「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどない」のである。日本文化のこの特徴は、どれほど強調しても強調し過ぎることはないほど重要である。

日本がそうあり得たのは、日本文化のユニークさ4項目目の、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した文化や言語の継続があった」という特徴に密接に関係する。大陸からの侵略、征服がなかったというのは外的な理由である。一方に内的な理由もあっただろう。つまり、前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な森の思考が縄文人の確たる基盤となっていたため、絶対的正義を標榜する「普遍宗教」を受け入れるとき、そのまま受け入れずに、自分たちの心性に合うように骨抜きにしていったのである。

以上の事実を「母性原理」の観点から見ると以下のようになる。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

世界史の流れは、母性原理的な文化から父性原理的な文化へと移行する傾向がある。大まかにいって農耕・牧畜が開始する以前は、母性原理の文化が広がっていた。これについては以下の記事を参考にされたい。

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)

日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な漁撈・採集時代を生きた。そのため農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それに応じて高度に発達した母性原理の文化がその後の日本文化の基盤となった。

縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。

日本人が、絶対的な原理や正義へ執着が薄いことは、縄文時代以来の日本文化が母性原理の傾向を強くもっていることと大いに関係がありそうだ。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

母性原理の日本文化は、「曖昧の美学」にも現れる。「曖昧」は成熟した母性的な感性となり、単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。すべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。

農耕文明に入ってからも母性原理的な森の宗教の原型を色濃く残し、しかも大陸の高度文明の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができた。中国文明だけではなく、下って西欧文明が流入したときも、母性原理的な基盤に抵触しないように何かしら変形して受け入れた。

ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。

その実、海外から入ってくる「高度な文明」には強力なフィルターがかかって取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。その結果私たちは、相変わらず相対主義的な価値観のもとに生活しているのである。

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《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)

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日本人は絶対正義が嫌い:相対主義の国・日本01

2012年12月28日 | 相対主義の国・日本
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。

今回から、(7)「以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった」に関係する記事を集約し、整理する。

今回取り上げる日本文化のユニークさ7番目は、「以上のいくつかの理由から‥‥」という出だしの言葉からもわかるように、これまでに考察した6項目のすべてが深く関係している。それらの特徴が多かれ少なかれすべて相互に作用しあいながら、日本文化の相対主義が形成された。今回は、それぞれの特徴がなぜ相対主義的な世界観に関係するのか、かんたんに触れてみよう。個々の考察は次回以降に行う。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

縄文人の心性が現代の私たちの心や文化にまで影響を及ぼしているひとつの例は、私たちの中に、たとえ無自覚であろうとアニミズム的な感性が色濃く残っているということである。たとえば家を建てる前に地鎮祭を行わないと何となく居心地が悪いなど。そういう心性が、絶対的な理念や宗教的なイデオロギーを肌に合わないと感じさせるのではないか。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

牧畜を経験しなかった日本人は、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を動物と区別し、価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明のの負の面に直面せず、その良い面だけをひたすら崇拝し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。

(4)と(5)は、合わせて考えたい。高度に発達した縄文文化は、大陸から渡来した弥生文化によって消え去ったのではなく、縄文文化は基盤として根強く生き残りながら、大陸文化と融合していった。その事実の宗教的・政治的な帰結が神仏習合である。さらに弥生時代以降も一貫して、日本列島に異民族が大挙して侵入したり、さらに日本民族を征服したりすることがなかった。したがって「正義」の優劣を決する熾烈な争いも、完璧に異民族の「正義」の支配下に置かれてしまう経験ももたなかった。そのため縄文時代以来の独自の文化を保持しながら、大陸の高度文明の不都合なところはわきにおいたまま「いいとこどり」を繰り返すことができた。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

縄文時代から現代に至るまで、豊かな恩恵をもたらしながら、ときに狂暴化する自然のもとで生きてきた。そうした自然への畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成した。また日本列島は、国土の大半が山林地帯であるため、水田稲作は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきた。巨大な専制権力や、それを可能にする政治的、文化的な統治イデオロギーも必要なかった。強大な権力による一元支配がなかったのである。

これらがすべて、日本文化の相対主義的な価値観を形成する重要な要因になっているだろう。次回以降は、この6点のそれぞれをやや詳しく見ていきたい。

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《関連図書》
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
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大災害と日本人:自然の豊かさと脅威の中で02

2012年12月27日 | 自然の豊かさと脅威の中で
東日本大震災と日本人(3)「身内」意識

日本では、自分たちの言葉や文化や習俗が根こそぎ奪われてしまうような、異民族による侵略はなかった。国内に戦乱はあったにせよ、規模も世界史レベルからすれば小さく、長年培ってきた文化や生活が断絶してしまうこともなかった。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となった。

日本では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、一方で自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。東北大震災の直後に見せた日本人の行動が、驚きと賞賛をもって世界に報道された。危機に面しても混乱せず、秩序を保って協力し合う日本人、それは日本の歴史の中で何度も繰り返されてきた日本人の姿であった。

豊かな森におおわれた島国であり、異民族の侵略を受けず、濃密な協力関係を保つことが稲作を可能にした。そんな国土が以下のような日本人の長所を作った。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり

大災害に直面すると、いや大災害に直面すればさらに、上のような長所が際立つのだろう。それを世界は驚きの目で見るのである。

日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った

異民族間の戦争の歴史の中で生きてきた大陸においては、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積される。一方日本列島では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。そして、人間への基本的な信頼感、優しい語り口や自己主張の少なさ、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれた。

地震を筆頭に 日本の自然は不安定であり、 いつも自然の脅威にさらされてきた。それが日本人独特の 「天然の無常観」を生んだと指摘したのは、戦前の日本の物理学者であり、地震学者でもあった寺田寅彦である。自然が猛威を振るうと、ある種のあきらめの状態のなかで耐えるほかない。しかしそれは悲観的で絶望ではなく「天然の無常」ともいうべき自然感覚による、自然への対処だった。(『寺田寅彦随筆集 (第5巻) (岩波文庫)』)

「天然の無常観」の奥にあるのは、はかなさや悲しみに打ちひしがれてしまうのではなく、それを受け入れたうえで、残された者同士がいたわりあって生きていこうとする決意だ。諦念に裏打ちされた前向きな姿勢だ。東日本大震災後にもはっきりとそれが見られた。日本人は、「天然の無常観」を連綿と受け継いでいる。だからこそ、家族を失った被災者が「こんなときだからこそ元気に生きていきたい」と語り、日本中が力を合わせて立ち直っていこうという雰囲気が瞬く間に生まれるのだろう。

呉善花も近著『日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力』のなかで次のようにいう。

「日本人は甚大な被害を与える大地震・大津波が何度も繰り返される歴史のなかで、深い悲しみを乗り越え『すっぱりと過去への執着を断ち切り、気分を一新して新しい世の建設へ向かう』という、「前向きの忍耐』を余程のことしっかり根付かせてきたのに違い。今回の東日本大震災で、多数の被災者・救援者の方々に共通に見られる対処の姿勢から、私は強烈に教えられた。」

彼女によれば、日本文化は基本的に受け身をモットーとする文化だという。受け止める力によって、造り直して足場を固め、前へと進む反復する力が、日本文化を形成してきた。日本文化は、天災であれ海外から来る先進文化であれ、外部からくるものを押しのけて排除するのではなく、しっかり受け止め、取り込むことで前へと前進していくエネルギーを常に保持してきたし、これからも保持していくだろう。であるなら日本の未来は明るい。

日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない

日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)によると欧米人は子供を守る時、加害者に正対して立ち向かうが、日本人は子供を抱き、加害者に背を向けるという。この日本人の行動には、長い年月の間にすり込まれた「恐ろしく強いものには抵抗しない」という行動規範が隠されているのではないか。そして、この「戦わない」という行動こそ、意外にも、日本人が災害にへこたれない理由のひとつではないかと著者はいう。侵略を受けてこなかった日本列島の住民にとって「最大の恐怖」は、自然災害であった。そして自然災害を敵にし戦うことの愚かさを、日本人は熟知していたのだ。

子供を抱きかかえ敵に背を向ける姿勢が、自然災害の多さと本当に関係するかどうかは分からないが、そういう日本列島に何代にも渡って住み着いてきたことが、日本人独特の自然観・人間観や行動様式を作ってきたことは確かだ。たとえば今回の津波のような巨大な自然災害に対しては、戦うことも抵抗することもできず、ただ黙って受け入れ、耐えるほかない。身内が死んでも、財産の一切を失っても、誰を恨むでもなく、きっぱりと現実を受容したうえで、新たに生活を立て直すしかない。そういう経験を何度も繰り返してきたからこそ、災害にへこたれない強さも育まれたのではないか。

著者は、政府が無能でも、東北地方は着々と復興していくだろうという。日本人は、指導者がいなくとも、それぞれの持ち場を支え助け合い、現場での復興を成し遂げてしまう力を備えているのではないかという。私たちは、自分たちでは十分自覚していない災害に対する対処方法を身につけている。地震と津波のあとに見せた日本人の秩序維持や他者へのいたわりはまさにそれだ。これが海外のメディアでは、驚嘆をもって報道された。

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日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果
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東日本大震災と日本人(2)日本人の長所が際立った
東日本大震災と日本人(3)「身内」意識
東日本大震災と日本人(4)突きつけられた問い
日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った

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森の文化:自然の豊かさと脅威の中で01

2012年12月26日 | 自然の豊かさと脅威の中で
日本文化のユニークさ7項目を8項目に変更した。8項目は次の通り。

日本文化のユニークさを8項目に変更

これに従って、これまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続けている。

今回から(6)「森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。」に関係する記事を集約して整理する。ただし、最初はこれまでアップした記事からではなく、新たな記事となる。

では始めよう。

日本列島は、縄文時代以来、豊かな自然に恵まれた「森の列島」であった。これ程豊かな森に恵まれた島は、温帯地域ではめずらしいという。降水量に恵まれた風土は、森林の成育にとって好条件となった。この豊かな森の中で、その恩恵をたっぷりと受けて育まれたのが縄文文化であった。そして、現代に至る日本文化の基層には、豊かな森林という環境の中に1万数千年を生活し続けた縄文人の感性が脈々と受け継がれているのだ。

森は豊かな生態系を作る。多様な生物が森の中で、森に依存して生きる。縄文人は、沃土に支えられた多様な植生、そして多様な植生に支えられた多様な生き物とともに生きていた。豊かな大地と森には命を生み出す力があり、生み出されたすべての命には大いなる力が宿っている。人間の生命や力を超える力を持った無数の生命が、大地と森という大いなる生命から生まれてくる。そのような自然環境だからこそのアニミズムが生まれ、大地母神への信仰が生まれ、たくさんの神を信じる多神教が生まれたのである。

縄文文化の特色は、狩猟、漁労、採集を基本とする生活まら生まれたが、やがて定住し、中期からはヒエ、アワ、イモ類の栽培も始まる。晩期には稲作も始まっていた可能性が高い。

弥生時代になると本格的な稲作が受け入れられたが、羊や山羊などの肉食用の家畜は受け入れなかった。その理由のひとつとして考えられるのは、日本の稲作が、稲作漁撈文明である長江流域から直接に伝播した可能性が高いということである。長江文明も羊や山羊を持たない。もうひとつの理由として考えられるのは、森の民である縄文人が、森の若芽や樹皮を食べつくし、森を破壊する家畜を積極的に受け入れなかったのではないかということである。

ともあれ、弥生文化の流入は縄文文化を駆逐し去り、破壊し去ることがなかった。当時の、大陸から日本列島への渡航の困難さから考えても、一時に圧倒的多数の弥生人が渡来したことは考えにくく、少しずつ渡来した弥生人が先住の縄文人の文化の影響も受けながら徐々に融合していった可能性が高い。

一方で複数の研究者が、縄文晩期と弥生前期の稲作は同時に、パラレルに存在していたと指摘する。あるいは、縄文人が稲作において弥生人の影響を受けたとの推定もある。いずれにせよ日本人の特性は、縄文と弥生の二つの文化が結びついた「ハイブリッド民族」であり、森で育まれた平和で独創的な縄文文化と、稲作に象徴される保守性、協調性に優れた弥生文化が溶け合うことで生まれたといえよう。

日本の農耕の主流は水田の稲作であって、焼畑のように自然を食いつぶすものではなかった。ほとんどが低湿地の沖積平野、河口のデルタを利用しての水稲であった。大陸と違い、山地から短い距離を流れ下ってくる河は、よほど治水をしっかりしないとすぐに氾濫した。それゆえ昔から山々にはしっかりと木を植え、水源を確保し調整するための知恵と技術が生まれた。山岳信仰により乱伐がタブーとされた。日本人にとって国造りの基礎は木を植えることである。いや、国造り以前、有史以前から日本人は営々と木を植えてきたのだ。それは考古学的にも実証されることだという。

それでも大和朝廷による統一がなされると、森林破壊が始まった。天皇の死や政治不安のたびに、穢れを避けようと都が変えられた。頻繁な遷都により、膨大な樹木が消費された。大仏造りも森林の膨大な消費を伴った。戦乱による焼失で再建されれば、また森林が伐採された。江戸時代の再建では、近隣からの巨木入手が困難のため、遠路を山口県から運んだという。

しかし森林を破壊し尽くして文明そのものの消滅にまで至らなかったのは、日本が島国で、国土が荒廃して人が住めなくなったら、他に移動するところなどないということを知っていたからだろう。森がなければ日本は滅びるということを本能的に知っていたからだろう。もちろん水が豊富で砂漠化しにくいという自然条件にもよるところも大きいが、そのこと自体が日本人の生き方や信仰を根本のところで支える自然の恵みなのである。

日本人は、この島国の自然の恵み、森の豊かさが、自分たちの生活を、そして歴史と文化を支えてきたということを腹の底で分かっているところがある。だから奈良時代、室町時代、安土桃山時代、そして明治時代以降と、繰り返し外来文明が流れ込んできて、それを積極的に受け入れもしたが、日本の根幹をなす「森の文化」は、失われることなく保ち続けられたのではないだろうか。

《関連図書》
森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)
対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
砂の文明・石の文明・泥の文明 (PHP新書)

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