風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

駿河湾で大発見! ニッポンとアメリカスカップの親密な関係。

2011年08月29日 15時24分20秒 | 西村一広風日記
この日曜日、友人に誘われて、
深い考えなしに、何の気なしに
沼津のヨットに乗りに行ったら、
そのヨットは、
マグニチュード8クラスの地震だったという
安政の地震によって発生した、
下田をほとんど全滅させるような大津波に端を発する、
日本人の手による西洋型帆走艇誕生のエピソード
にまでさかのぼることが出来る、
とんでもないヨットだったことを知って
驚いたの何の!
そうして、
さらによく考えると、
それはアメリカスカップにも繋がる(かもしれない)
ヨットだった!

というお話を、以下にさせてください。



そのヨットは、君沢(くんたく)型
と呼ばれる和洋折衷のスクーナーで、
その君沢型のヨットは、戸田(へだ)号
という100トンのスクーナーを祖とする、
というお話を、
そのヨットのキャプテンから聞いたことから
この日の驚きの連鎖の、はじまり、はじまり。

まずは、沼津にある重要文化財・江川邸の
サイトより抜粋した文章に、
日曜日にお聞きしたお話を少し書き加えて、以下に。

-----------------------------

 安政元年(1854)11月4日から5日にかけて、
東海から近畿・四国・九州の広い範囲を
マグニチュード8クラスの大地震が襲いました。

安政の地震と呼ばれるこの地震によって、
家屋の倒壊や火災による焼失は数万棟におよんだといいます。
また、太平洋沿岸地域には
津波による甚大な被害がでました。
地震による死者は数千人にものぼったと推定されています。

 津波は伊豆半島にも大きな被害をもたらしました。
特に半島南端にある下田は壊滅的な打撃を受け、
全戸数の90%以上を流失した上、
85人もの死者を出す惨事となりました。

下田では、折しもロシア使節プチャーチンが
日露通好条約締結に向けて交渉をしている最中でした。
プチャーチンの乗艦ディアナ号も
津波のため船底を破損してしまいます。

(中略) 
座礁したディアナ号は
西伊豆の戸田(へだ・現沼津市)に回航して
修理することとなりました。

ところが、下田から戸田に向かったディアナ号は、
予想外の悪天候のため戸田に入港することができず、
そのまま駿河国富士郡宮島村(現富士市)沖まで流されて
座礁してしまったのです。

結局、ロシア人乗組員およそ400人は救助されましたが、
ディアナ号自体はあきらめざるを得ませんでした。

(中略)
 そこで、戸田において
ディアナ号の代船を建造することになりました。
とはいえ、
200トンクラスのディアナ号と同等の洋式船を
建造することのできる設備は戸田にはなく、
かつ代船引き渡しまで100日
という期限が決められていたことから、
それよりも小型の
100トンクラスの洋式船を建造することになりました。

ロシア人乗組員によって設計された代船は、
(注・ワタクシがキャプテンから聞いたお話は、
ここの部分が違っていて、
ディアナ号に積んであった、当時欧州で人気だった
100トンクラスのスクーナーの設計図を元にして
造ったそうです。
以下、こちらの説を我田引水で採用させていただいて
話を進めます。)
2本マストのスクーナーで、
日本で建造された初めての本格的な西洋式帆船となりました。

建造にあたったのは、
戸田村および周辺各地から集められた船大工たちでした。

 安政2年3月、竣工した船は「戸田(へだ)号」と名付けられ、
ロシア側に引き渡されました。

プチャーチン以下47名がこの戸田号に乗って帰国、
残りの乗組員は幕府の手配したアメリカ商船によって
ロシアに戻っていきました。

後日、ロシア政府は日本の対応に感謝の意を込めて、
戸田号に52門の大砲を載せて返還してきたということです。

 なお、戸田号建造にあたった人々によって、
その後も同型の西洋式帆船が建造されています。
これらの船は、建造地の郡名をとって
「君沢型(注・地名はきみさわ郡だけど、くんたく型)」
と呼ばれるようになりました。

--------------------------------

黒船来航(1853年)の翌年に、
今回の東日本大震災に匹敵する地震と津波が
東海から近畿・四国・九州の広い範囲を
襲っていたとは。

そのときもしすでに静岡県浜岡に原発群があったら、
福島第1原発をさらに超える規模の
大変な事態が出来(しゅったい)していたことだろう。
わずか150年前に起きたことを「想定」に入れない「想定」って、
一体何なんだろう?

さ、話を戻して、
ここでワタクシが感慨にふけったことは、
日本の船大工が洋式の帆掛け舟を初めて造るという、
新しい文化導入へと足を踏み出すキッカケが、
大地震と大津波だったこと。

それと、
黒船来航の翌年にはもうすでに、日本の船大工が
竜骨のある西洋型の帆船を造っていたのだ、ということ。
なんという文化伝播のスピード感。

それともうひとつ、
100トンの木造船をわずか100日で完成させたということ。
現在であっても、欧米の造船所ですら不可能な
木造艇造船能力だ。
日本の船造り文化は、江戸時代からすでに
相当なレベルにあったことが分かる。

沼津に流れ込む狩野川の「狩野」は
日本書紀に出てくる日本初の船の名前「かるの」「かの」
と繋がっているという解釈もあるくらいなので、
1854年当時、沼津の狩野川流域には、
名うての船大工がそろっていたこともあるのだろう。

ところでね、
1851年のロンドン万博記念レースで優勝したアメリカ号は、
170トンのスクーナー。
そうして、
1854年に当時ヨーロッパで人気だったというデザインの
100トン・クラスのスクーナーを元に日本で造られたのが
後に君沢型と呼ばれるようになった和洋折衷の戸田号。

ただの万博記念ヨットレースの優勝カップだったカップは
優勝したアメリカ号のカップ、アメリカスカップと呼ばれるようになって
現在までその争奪戦が続いているわけだけど
そのこととは別に、
スクーナーであるアメリカ号の圧倒的なスピード性能は、
ヨーロッパ諸国の造船界では、とてもセンセーショナルな
話題になったと言われているから
そのカタチが、その当時の欧米の造船界で
人気を博しただろうことは想像に難くない。

君沢型の戸田号は、
繰り返すけど、
1854年当時、欧米で人気を博していたカタチの
スクーナーの図面を元に造られた。

ねえ、ねえ、
これって、もしかして
日本人が初めて建造した洋式帆船は、
あのアメリカ号に酷似していた、
ってことじゃないの?

ねえ、ねえ!
これってつまり、
日本人とアメリカズカップって、
その発端の頃から深いつながりがあった、
ってことじゃないの?

こういうの、我田引水って言うのかもしれませんが、
こと日本の海洋文化とか、アメリカスカップ関係については
これまでも、そういう態度を貫かせていただいていますし、
これからも、そうさせていただきます。

ついでだから、もうひと我田引水させていただくと、
戸田で戸田号の建造が始まった1854年は、
現在のアメリカズカップレース運営の大パトロンのひとつである
ルイヴィトンの創業者、ルイ・ヴィトンさんが、
パリで注文生産のかばん屋さんを開業した年でもある。
うーむ。さすがにあんまり関係ないかな。

来月9月は、
仕事で、そのパリからTGVで数時間のところにある
フランスのとある造船所にどっぷりと滞在する予定です。
そのフランスから、
仕事の合間を縫って
第34回アメリカズカップ2011ワールドシリーズ第2戦
が開催されている英国ポーツマスに足を伸ばしてきます。

日本がユースアメリカズカップに出るのに
AC45を安くチャーターできないか、関係者に交渉して
可能性を探ってくるのが目的。
チャーターであれば、こういう辛い経済時期の日本にも
出場のチャンスがあると考えるのです。




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精進の日々は続く

2011年08月25日 01時23分39秒 | 西村一広風日記
関東地方が、
夏らしからぬ雨の北風になった8月21日は、
千葉県内房の保田から、海ほたるの橋の下を経由して
東京ディズニーシー沖にフィニッシュする
距離約30海里の東京湾ヨットレース。

ここ数年東京湾で乗せていただいている
30ftのそんごくう。
ここのところめっきり機会が減ってしまったレースでのステアリングを
このチームではありがたく担当させていただいている。

前夜遅くまでの宴会と、朝6時のスタートがセットになったこのレース、
本来朝型のワタクシにとってさえ、結構朝がしんどい。
しかも今年のレース日の夜明けは夏らしからぬ霧雨。

それでも、レースフリートの他の皆さんより一足先にもやいを解いて、
金谷沖の大某網の位置での風の様子をチェックしに行く。

それから、保田漁港すぐ沖に設置されたスタートラインにもどる。
前夜、久し振りに集まった昔の仲間との時間がうれしくて
ちょいと深酒をしてしまったみたいで、
認めたくないけど、ちょっと気持ち悪い、ような気がする。

そんごくうは、派手なオレンジ色にお化粧しているけれど、
実はもう約20年も前にヤマハから発売された、よぼよぼのおばあさん。
しかも、20年前にNセールでセールデザインを担当していた
ワタクシがデザインしたスピネーカーが、
変わり果てたシェイプになって
まだバックアップとして艇に積み込まれている。

そんなよぼよぼのおばあちゃんであるけれど、
夢の島のレースでは、とても名誉ある高いレーティングをいただき、
ときどきだけど、自分たち内部では『ほぼ完璧♡』と思うレースをしても、
なかなか勝つことはできない。

でも、この高いハンディキャップは、
チーム全員の力を出し切るモチベーションをキープするには
とても価値あるものだと感謝している。

そういうことなので、
少しでも勝つ可能性を高く保つために、
そんごくうでのスタートは、
いつもピンを狙わなければならないという宿命にある。

これはこれで結構しんどいことではあるけれど。
こういう試練を与えられることも、
腕を錆びさせたくない自分にとっては
ありがたいことだと思って
このプレッシャーに感謝するようにしている。

で、最初のマークである金谷沖の大某網に最も近く、
岸寄りのほうがパフが濃い、という意味でも有利な、
本部船の横、上一番からスタート。

滑り出しは、ほぼ思い通りに行き、
楽しいレースの始まり始まり。

でも、ワタクシがそんごくうで出たこれまでのこのレースは、
滑り出し順調で、後半失速するパターンが多い。
気を引き締めようとするが、なぜか頭がとっても痛い。
身に覚えはないが、どうやら酒でも飲みすぎたようだ。
ジッパーを閉め忘れたジャケットから入り込んでくる雨も嫌な感じ。

040度よりも右に振れてもいた北東風が、
金谷と富津崎の中間地点辺りから左に振れ始める。
かと言って、左の振れをきちんと掴みたくても、
コースのすぐ左側には、
縫航中(タックタックのクローズホールド)の帆船が
侵入してはいけない浦賀水道航路があって
左に大きく伸ばすことはできない。



観音崎を西に見るあたりで、
夏らしからぬまじめな北風16~18ノットが
ドシンと吹いてきた。
これは正直なところほとんど予期してなかった風で、
この風が続いては、大型艇に伍して走ることはできそうにない。

#2ジェノアを持っていないので、ジェノアを#3にセールチェンジ。
セールチェンジのためにマイナスのタックを長く走らざるを得なかったけど、
タックチェンジそのものは、クルーのみんなの頑張りで見事に決まった。
惨敗した今年のスバル座カップで使ったセールを、
このレースでも見ることになった。悔しさが甦る。

第一海堡をかわした後は、
海ほたるの橋に向かって約2時間のポートタックの片上り。
このレグの走りはじめに、
「2時間も片上りかあ」、なんて瞬間思ったけど、
昔のハワイのケンウッドカップでは、
最終レースのハワイ諸島一周レースの、
ニイハウ島からハワイ島までのレグは、
平均25ノットの風と悪い波の中、
丸二日、48時間のポートタックの片上りだったことを思い出し、
わずか2時間に苦情を言おうとした自分を叱り付ける。

海ほたるの橋をくぐる前あたりから、
それまでほぼ真北で安定していた風が、
左右への振れを見せるようになった。

レース前に調べた限りでは、
東京湾奥では北東へと振れる
という予報が大勢を占めていたが、
ある気象予報サイトは、
北北西まで風が左に振れるという予想も出していた。

海ほたるをかわしてからは
西側を走る本船航路に入らないようにしつつ、
基本的にシフトに合わせてタックしながら
北西への振れを意識して他艇の左にいるようにして北上したが、
徐々に東、つまり右へのシフトの気配が強くなってきたため、
このレグの中間を越えた辺りで
一緒に走っていた他の2隻の右側を走るよう、
サイドを変えることにした。

ところが
スターボ艇の後ろをかわそうとしているときに、
艇が切り上がってしまい、
衝突を避けるためにスターボへタック。
再び左に向かって走りながら、
危険を感じさせてしまったスターボ艇のオーナーに
謝ったりしつつ、仕方なくスターボを延ばしているうちに
案の定、右へのシフトが入り、
むむむー、タックできなくなる。

結果としてはあそこで右に行けなかったことで
その後のシフトのプレイのリズムを乱してしまい、
自分自身で左へ左へと行ってしまい、自滅した。

北風のシーズンの東京湾では、
ディズニーシー沖と海ほたるの間の南北10海里の海面は、
シフトをつかむというヨットレースの頭脳プレイの部分を楽しむのに
最適な海面だと思う。



今回も、第一海堡まではまあまあかな、というレースだったけど、
その先がジリ貧の、3位に対してきわどい2位。
雨交じりの冷たい風の中、
一生懸命ハイクアウトして、
一生懸命パフコールと波コールしてくれたクルーのみんな、
ありがとう。
そして
ちょっぴり、ごめんなさい。
でも、前夜のお酒と30マイルのクローズホールド、
楽しかったよね?


夏に開催される東京湾ヨットレースにしては珍しく
冷たい雨の振る北風のレースになった今年のレース。
雨の振る中、また、フリートが前後に大きく分散して
レースコミッティーの皆様は大変だったと思います。
ご苦労様でした。
おかげさまで楽しいレースをさせていただきました。
ありがとうございました。


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福島日報あぶくま抄 8月22日

2011年08月24日 10時09分12秒 | Weblog
福島県の新聞、『福島日報』8月22日ウエブ版から。

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「フクシマ、フクシマ」の連呼は応援ではなかった。
19日にベルギーで行われたサッカー一部リーグの試合で、
リールスに所属する日本人ゴールキーパー川島永嗣選手に、
相手チームの応援席から向けられた心ない挑発だった。

 川島選手は県民に代わって怒り、泣いてくれた。
「他のことは許せるが『フクシマ』と言うのは、
冗談にできることではない」と。
自身のブログで振り返り、
試合後にベルギー人のチームメートから
「同じベルギー人として本当に申し訳なく思う」
と声を掛けられたエピソードも紹介している。

 欧州のサッカーファンの行儀悪さは有名だ。
集団になると心の歯止めが利かなくなるのだろう。
だが、こうした中傷の奥底に
「日本は原発事故をいつまでも収束できず、
世界に被害をまき散らしている」
という海外のいら立ちまで想像しては
神経質過ぎるだろうか。

 日本が適切な情報を海外に提供しなかったり、
通報もなく汚染水を海に垂れ流したりしたことに、
世界の目は厳しかった。
福島は紛れもない被害者だ。
しかし気を落ち着けて考えることも必要だ。
心ならずも加害者になってはいないか…。
さらに別の不幸を招かないために。

----------------------------

我々日本人は、被害者であり加害者である、という視点を、
なぜ日本の政治家は持てないのか。
今は、小さなクラスの学級委員長になるための
名誉争いをしている場合ではないことに、
なぜ気が付かないのかな?

ソースはこちら
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夏が行く前に

2011年08月18日 06時01分48秒 | Weblog
この月曜日、15日の朝、
葉山には、それとはっきりと分かる秋風が立った。
南風なのに、秋の匂い。
その朝から、ツバメをほとんど見なくなった。

この週末にかけて、いよいよ関東にも
秋雨前線が南下してくる様子。
今年の夏も、いよいよ終わりが見えてきた。

一年中夏であっても構わないと思っている人間としては、
ちょっと残念。
ま、定点にいる限り、
夏はいつか必ず終わるもの。



ま、夏を自分で追いかけられる仕事に、
これからもっと邁進すればいいわけだけど。

でも、なんだか、
今年の秋は、いろいろと嬉しいことで忙しくなりそうで楽しみ。
それを、自分のセーリング人生の集大成へと結びつけるために
最大限の努力をするつもり。

その準備にもう3週間前くらいからかかっているのだけれど
なんとなく心がフワフワしていて、手が付かない。
そろそろ真剣に段取りに入らなきゃ、まずいな。

その前に、2011年夏の思い出仕舞いになるはずの、
週末の東京湾縦断レースの準備をしよう。
雨の北風になるのかな、やっぱり。
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America's Cup TV放映

2011年08月11日 05時25分44秒 | Weblog


第34回アメリカスカップ2011ワールドシリーズ第1戦ポルトガル・カスカイス大会。ライブTVがやけに面白い。マルチハルの時代になって、ヨットレースのスピード感と迫力は写真だけでは伝えにくくなってきた。
このTV素材を日本語で編集して放映できないか、関係方面と鋭意交渉中!

英語バージョンですが、下のロゴをクリックして、ご覧下さい。

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KAZU Impression動画版第1弾 Vite2 公開しました。

2011年08月10日 09時06分44秒 | CompassCourse業務日報


5月中旬に取材して以来、
月刊誌KAZIのレポートと同時に進めていた
KAZU Impression動画版第1弾、
Vite2プルメリア
ですが、
やっと完成しました。



パートナーを務めてくれている
動画制作のプロの人との二人三脚で、
いろいろと苦労しながらの制作でした。

これまで、
セールトリム解説動画やボルボオーシャンレース解説動画
の制作を手がけてきましたが、
この世界も、やればやるほど奥が深いことが分かり、
苦労させられると共に、
チャレンジ精神が湧いてきます。

セーリングというスポーツ文化を
より一般の人たちに理解してもらうためのツールとして
セーリング・ムーヴィー制作の分野でも
第1人者を目指そうと、パートナーと共に決意しています。
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今日のお仕事 昨日の笑顔

2011年08月08日 23時46分29秒 | 西村一広風日記
横須賀市浦賀のマリーナ・ヴェラシスで、
新モデルの試乗、インプレッションレポートの
お仕事。
アメリカ製のできたてホヤホヤの
クルージングヨット。



この艇を購入されたオーナーは、
ご夫婦で、世界1周に出かけるのだとか。

この日の東京湾は、もう、これ以上はないくらいの
完璧なセーリング・コンディション。
仕事を忘れて、心地良いセーリングをたっぷりと楽しませていただいた。

最高のセーリングだったし、
艇も、最高に素敵なクルージングヨットでした。
この艇の試乗インプレッションの詳しいレポートは、
月刊KAZI誌11月号で。

さて昨日の日曜日は、
お台場でのセーリングイベント開催。

東京に出かける前に朝散歩をしていたら、
森戸川にかかる橋の上の電線に、
つばめたちが止まって、
すごい勢いでおしゃべりをしていた。



朝ごはんをそれぞれの巣で子どもたちに食べさせた後に
示し合わせてここに集まって
それぞれの子どもたちの発育状況の情報交換と、
今年南に帰る日取りについての相談をしていると見た。

葉山からバスと横須賀線を乗り継いで、お台場へ。

親子の皆さんにセーリングを体験してもらう催しは、
午後12時45分受け付け開始。
すぐに大行列ができる。



この日はワタクシはもう一月近くも続いている膝痛のため、
膝立ちをしなければいけないこの日の艇でのセーリングは
お休みさせていただき、
かと言って受付業務でも使い物にならず、
記念写真撮影係り。



参加者の皆さんには、
それぞれの皆さんの記念すべき初セーリングの様子と
こぼれるような笑顔の大アップの写真を
ダウンロードしていただくサイトを作ってご案内しているので、
ここではさわりだけ。












お昼過ぎくらいに、
千葉県房総半島内房辺りで発生した大入道雲のひとつが
東京湾を西に向かって進み、
15時を過ぎると羽田空港上空にかかり、
そこから急に北上してきて、
15時45分、お台場の西側に到達する。

雲の中に雷鳴が響き渡っているのが聞こえ始め
それと同時に、非常に強い西風がその雲から吹き出してきた。

終了予定の15分前だったけど、
参加者の皆さんを怖がらせてはならぬと思い、
この時点で以降のセーリングを中止にした。
すでに受付を済ませていた21名の方々、
ごめんなさい。
次回、9月第1日曜日にぜひいらしてください。

この日来てくれた方々は125名。
セーリングを楽しんだ方々は、104名。

今年のどこかのタイミングで、
東京都内で避難生活をしているご家族に
セーリングを楽しんでいただく一日を
プレゼントできないものかと、
みんなで考えています。

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福島の 特別の夏。8月6日

2011年08月07日 05時22分03秒 | Weblog
今日は
これから東京の船の科学館まで行って、
子どもたちとお父さんお母さんたちに
セーリングを体験して楽しんでもらう。

今日も
たくさんの子どもたちお父さんたちお母さんたちの笑顔を
ヨットの上で見ることができるといいな。



このところずっと
その体験セーリングイベントを一緒にやっている仲間たちと
話していることがある。

東北で震災にあって辛い経験をし、
さらに原発事故に追い討ちをかけられて、
それでも踏ん張って
未来を切り開いていこうとしている
子どもたちのこと。

その子たちが元気になることに
自分たちができること、
つまり、
風を感じ、その風に乗って水の上を自由自在に走る楽しさを
伝えることを通して、 
自然は人間にとって恐ろしいものであるけれど
自然は人間の友だちでもあり、
人間はこれまでずっと、自然と共に生きてきたこと
を伝えること、
で力になれないものか。

親切の押し売りは避けたいし
場にそぐわない行動も避けたい。

でも、セーリングを知った子どもたちが
はじけるような笑顔を見せることも
ぼくたちは知っている。
子どもたちの笑顔に
ぼくたちはきっと貢献できる、はず。


自分たちができることで、
力になりたい。
具体的にどうすればいいのかは
まだ分からない。
でもきっと、出番はあるはず。

昨日掲載分の『福島の特別の夏』を読んで
改めてそう思った。

終わりのほうに掲載されている、
福島第1原発の30km警戒区域のすぐ近くの
学校の子どもたちが書いたポスターを見てください。
この子たちにこんなポスターを書かせてしまったのは
私たち日本人の大人世代だということに気付かされると、
原発を取り巻く様々なことに不勉強だった自分が悔しくて、
涙が出てきます。

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糸井重里さん

2011年08月01日 09時42分13秒 | 西村一広風日記
毎日13万人の人たちが見ているという
『ほぼ日刊イトイ新聞』を主宰する
糸井重里さんが、
児玉先生の動画のことを取り上げてくれた。

自分が、児玉先生の姿に魂を揺さぶられた理由が、
そうか、そうだったのか、
と納得もできた。
これからの、自分自身の取るべき姿勢や関わり方にも
ヒントをもらった。

この、糸井さんの毎日の言葉は、
その日に見なければ
アーカイブとして残らないようなので、
念のためここに書き写しておきます。

-------------------
ほぼ日刊イトイ新聞 7月31日

・東京大学先端科学研究センター教授の児玉龍彦さんが、
 衆議院厚生労働委員会で、
 「放射線の健康への影響」という題で、
 「参考人説明」をしたときの記録動画が、
 どうして多くの人のこころによく届くのか。
 これからのさまざまな問題を考えるときに、
 とても重要なヒントがあると思います。
 
 1)ほんとうにこころのこもった発言に感じた。
  怒りも口惜しさも誠実さも、
  こころから自然に出ているものだということが、
  よく伝わってくる。
 
 2)伝えたいことが、具体的な提案になっている。
  敵を想定して、それへの攻撃するのではなく、
  「どうすればいいのか」を実現するための話である。
  敵か味方かを問題にするのでなく、
  「どうすればいいのか」が共有できて、
  その実現に向うことのほうが重要なのだ。
 
 3)現場を知っている感覚が伝わってきた。
  結論の出にくい問題についても語っているのだけれど、
  「いまそこにいる人の心を感じ取ってきた」
  という臨場感と自信があった。
 
 3つとも、とても大事なことだと思います。
 特に多くの人に届くためには、
 2)の「どうすればいいか」があるかないかが重要です。

 危険や不安について、どれだけ言っても、
 何が「悪」かについてどれほど説明しても、
 未来への夢をどんなに語っても、この児玉さんのように
 「計るしくみを確実につくる」
 「民間業者を入れて除染作業を進めるべきだ」
 「この法律を変える必要がある」というふうな、
 具体的な「どうする」がないと、残念ながら、
 「もっと怒りましょう」キャンペーンになっちゃいます。
 感情を揺さぶることが目的でなかったことが、
 見ている人や、会場の人たちの感情を揺さぶったのです。
 見て、知って、ほんとうによかったと思っています。
 
(文・糸井重里)
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糸井さんの原文が掲載されている『ほぼ日刊イトイ新聞』はこちらへ。           
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8月1日 吉永小百合さん

2011年08月01日 06時25分11秒 | 西村一広風日記


セーリング情報を伝えるべきブログの中に、
原発やフクシマのことなど書かないほうがいい、
専門外のことに口を出さないほうがいい、
と助言してくださる
ヨット界やセーリング関係の諸先輩の方々が
たくさんいらっしゃいます。

そのとおりだ、と思います。
確かに専門外だし、
これまでちっとも知らなかったことだらけです。

でも、私の夢のひとつに
『海とセーリングをとおして、
この地球に生まれてきた幸せを
子どもたちに知ってもらうための活動を
生涯続けたい』
というものがあります。

その夢を推進しようとするときに、
原発問題はどうしても
避けて通れないものになってしまいました。

子どもたちに、
『あなたたちは、
素晴らしい能力を持っていた祖先の血を受け継いで、
奇跡のように美しい地球に誕生し、
今も素敵な人たちに囲まれて生きているんですよ』
と伝えようとするときに、
人類が作ってしまった原発のことを
存在しないかのように振舞うことはできそうにない、
と思うのです。

このブログの基本は常に、
ポジティブなセーリング情報の発信です。

でも、セーリングをとおした私のその夢に関わってくる、
本当は耳を塞いでしまいたいような嫌な情報も、
これからも、このブログで発信してしまうことになると思います。
ごめんなさい。

今朝一番のメールで、
その活動をお手伝いして下さっている東京深川・牡丹町の御仁が、
下のニュースを教えてくれました。
いろんな分野の人たちが、
ゆっくりと立ち上がり始め
それぞれの得意分野で
できることを始めているんですね。


(2011年7月31日21時33分 読売新聞)
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広島市で31日に開かれた日本母親大会で、
原爆詩を朗読した女優の吉永小百合さんが、
福島第一原子力発電所の事故に触れ、
「日本から原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。


吉永さんは朗読前のあいさつで、
「『原子力の平和利用』という言葉を、
今まであいまいに受け止めていた。
(福井県敦賀市の)高速増殖炉『もんじゅ』は恐ろしいと聞き、
廃炉運動には参加していたが、
普通の原子力についてもっと知っておくべきだった」
と語った。

その後、吉永さんは峠三吉の「序」、
栗原貞子の「生ましめんかな」など6編を朗読。
小学生や市民らと平和を祈る「折り鶴」を合唱した。
吉永さんは、1986年から各地で原爆詩の朗読を続けている。

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