木曜待ってろよー

2011年01月31日 | 風の旅人日乗
ここ数日続いていたパソコンでの資料作り一段落。ふー。
ちょっとの差で日が暮れてしまい、浜を走りに行けない。残念。

明日はパソコンごとその資料持って、早めの飛行機に乗って、明後日まで日本某所でお仕事。
ぷれっしゃー。

でも、それが終わったら、今週残りの木金土日は、ずっとセーリングの予定が入っている。ヤッホー。

ブログがだんだんツイッター文体と文字数に近づきつつあるなう。


1月30日(日)のつぶやき

2011年01月31日 | 風の旅人日乗
05:32 from web
息抜きに外に出ると、南の空高く麦色のホクレアが輝いている。仰角74度って、こんなに高いんだな。少し西下のスピカの横に、今日は土星がクッキリ。そんな素敵な星空の下の屋内で、背中を丸めてパソコンに向かい続ける。この時間が、早く海に戻ってセーリングに没頭する日々に繋がることを願う。
11:24 from web
ヘリーハンセンでお世話になっているセーリングウエアを除き、陸で着る服は質素を通しているけど、髪は一点豪華でアクア青山のMAKIさんに、この数年お任せ。セーリングキャンセル後の急な予約も取れ、気分転換兼ねて東京・表参道にこれから出発。
by KazuNishimura on Twitter

1月29日(土)のつぶやき

2011年01月30日 | 風の旅人日乗
05:33 from web
昨日午後から夕方の3時間半、逗子のひだか治療院で骨盤首肩ほか身体を徹底的に揉み解してもらう。目覚めると今までとは違う身体。この状態がこれからも長く維持するかが次の問題。でも奇跡の予感ぞわぞわ。
15:53 from web
いつもはレースしたりチューニングしたりセーリング練習している海面がのっぺりと凪ぎているのを、娘どもと大根とか人参とかを抜きながら眺めた。こっちのサイドから海を見る人生もありだったんだな。
18:09 from web
セーリングに関わって以来数十年、これほどセーリングヨットのディテールについて深く深く思考を沈み込ませることがあっただろうかと思うほどの、この数日間。苦しみから逃避したいことは事実ではあるけれど、逃避すべきではないことも、また自明。逆に、とても幸せな時間をいただいているのだと感謝。
by KazuNishimura on Twitter

1月28日(金)のつぶやき

2011年01月29日 | 風の旅人日乗
05:53 from web
一昨日のミーティングでみんなに投げた宿題を、自分でも考える。なぜ海がいいのか。それを一言で説明できなければ海に来ない人を海に向かわせることなどできない。答への入り口が、自分の中で二つ見つかった。真ん中にあるのは、人類の過去と未来をつないでくれるもの。説明になど、まだなってないね。
by KazuNishimura on Twitter

夕陽赤く、地平の果て、今日も沈み、時は行く

2011年01月27日 | 風の旅人日乗


なんだか不思議なことに、1月の後半になってから、この季節には珍しく、相模湾では穏やかな天気が続いている。
大西が吹く日に逗子海岸で開催する予定のウインドサーフィンのウエイブパフォーマンスのトロピタイル・カップ、早く観たいのだけれど…。

夕方、穏やかな海を見ながら浜を走る。
防波堤で腕立てとか、腹筋とか。

防波堤横の岩にビッシリと茂っているのは、ヒジキの新芽。柔らかそうで美味しそう。



日没時間が近づくと、昨日と同じような雲が、同じような場所に現れた。



今日もグリーンフラッシュ見えたけど、見えた瞬間にシャッター押したら、実際のシャッターが下りたのは、1,2秒後で、太陽が姿を消したあと。
デジカメのこの部分って、なんとかならないのかな。



それからまた走って森戸神社に行き、今日の無事のお礼をする。



さ、早く寝よ。
明日は夜中に起きて、とても手強いけど楽しい案件の提案書作り始めるぞ。

走ろ、っと。

2011年01月27日 | 風の旅人日乗
さ、夕陽の時間に合わせて走ってこよう。

これは一昨日の夕陽



グリーンフラッシュ見えたけど、撮影は失敗。シャッターと同時に撮れるデジカメじゃなきゃ、だめだ。

これは、昨日の夕陽。



相模湾上空に雪雲がかかって、すごい色合いの夕焼けになってた。
左側の森は、森戸神社の木々と丘だけど、山火事みたいな光景だった。
こういう状態でも、最後の明かりが伊豆半島の向こうに消える瞬間は、橙色が緑色に偏光した。

今日の夕陽はどんなかな。

これって変だ、と思うオイラのほうがおかしいのか?

2011年01月26日 | 風の旅人日乗
ここに書くべきことなのかどうか、迷ったまま書く。

例えば、
自分の娘が外国でその国の男に強姦されて殺されて、裸のまま砂に埋められたとする。

人の命は簡単に奪うくせに、その容疑者はやけに生存本能が旺盛で、
周囲を騙しながらその国の隅々まで逃げ回って生き延びる。
なかなか捕まらない。
娘の命を奪われた苦しさのあまり何度もその国を訪れては容疑者逮捕の可能性を模索し続ける。
何年か後にやっとその犯人が捕まる。
許されるのなら自分の手でそいつを殺したいが、その国の法がその容疑者を裁くのを見守るしかない。

努めて心静かに、そいつに裁きが下される日まで、なんとか時間をやり過ごそうとしていたら、
その、憎んでも憎み足りない容疑者が、逃走中の生活をぬけぬけと本にして出版するという。
その本で得た収益を遺族にくれてやりたいのだという。

悪い冗談ならやめて欲しい。
取って付けたようなそんな出版理由で、常識ある人々の批判をかわそうとすることも、あまりに人をバカにしている。
どこまで自分たち家族を苦しめれば気が済むのだ。
常識ある法治国家だと思っていたその国が、人としての、そんな非常識を許す国だったとは…。

極悪非道な犯罪の容疑が掛けられている重要参考人が、
捕まるのが嫌だという理由だけで国中を逃げまくった日々を綴った本を出す。
それが一般書店に並ぶ。
地方の小さな本屋さんでは、その本がこどもの絵本や学習参考書と一緒に並ぶことだってあるかも知れない。

ぼくには、この話の中のどこにも、人の道の『道理』というものを探せない。
道理があるとすれば、出版社のビジネス、つまり『金稼ぎ』という道理しかないだろう。

その出版社を経営しているのはとても優秀な出版人として評価されている人のようで、よくメディアにも登場する。
会社の経営も順調なことだろう。
社員を路頭に迷わせる寸前の状態でもない「優秀な」人が、こういうことを企てるのだ。
なぜだ?
金を稼ぐって、人の心を尊重する以上に大事なことなのか?

1月25日(火)のつぶやき

2011年01月26日 | 風の旅人日乗
06:35 from web
サバニ油塗り予想以上に時間掛かり、後の約束の人を2時間半待たせた。時間掛かったと言うより、掛けた、って言うほうが正しいかな。休館日の薄暗い館内で、サバニに触れている時間を楽しんだ。後の約束の人も笑って許してくれたしな。日が暮れてレインボーブリッジ歩いて帰れなかったのが残念じゃがの

15:24 from web
夕陽の時間に浜をジョギングしていられるように仕事の割り振りを操作しているのだけれど相手もいたりしてなかなか思い通りにことが運ばず。今日はどうなるか


17:34 from web
今日は浜トレ中に伊豆半島の向こうにバッチリ日没。時間管理が上手なみたいで嬉しい。12月中旬には天城山の近くまで南下していた日没位置が、ずいぶん北のほうに上がってきた。透き通った海の中を覗き込むと、ワカメやヒジキの新芽がグイグイと成長している。冬を押しのけて、春接近中。ウシシ。
by KazuNishimura on Twitter

サバニを愛でる

2011年01月25日 | 風の旅人日乗
月曜日。
船の科学館に展示されているサバニに、油を塗りに行く。
展示コーナーの入り口に置いてあるので、船の科学館の休館日である月曜日にしか作業ができない。

担当の学芸部のスタッフには、休日出勤をお願いした。
少数精鋭の激務にあるにも拘らず、学芸部の担当者の方は、数少ない休日を返上して出てきて下さった。

サバニは塗装をしていない飫肥杉でできた舟だから、展示会場に置いたままでいると乾燥して、
接いでいる部分の口が開いたり、厚い底板が裂けたりする。
本来サバニは、サメの肝臓から煮出した油を定期的に塗り重ね、
日常的に海を走り海水を浴びることで、50年60年以上の寿命を授かる。


[船齢50年を越える糸満サバニ源丸]

空調が管理された、人間にとって居心地のいい博物館の館内は、
本来海を走るために生まれたサバニにとっては、過酷な生存環境だ。
水棲生物を、乾いた砂漠に放り出しているようなものなのだ。

サバニを形作っている飫肥杉の各部材が乾燥しすぎて一旦舟が割れると、
それを元通りにすることはとても難しいか、あるいは、不可能だ。

博物館に置いたままでバラバラになっていっていいのなら、それでもいいかも知れない。
実際、船の科学館でサバニの周囲に展示されている木造の船のいくつかは、痛ましいほどのクラックが入っている。
それらの船がもう一度海に浮かんで、海を走ることは、不可能に近いのではないかと思う。

このサバニを、そのような目に合わせるわけには行かない。
今すぐにはいろいろな事情があってできないけど、近い将来に、
沖縄にいるチームの皆とこのサバニを海に浮かべ、漕ぎ、セーリングする。絶対に。
そのためには、舟が割れるようなことがあってはならない。



しかも、このサバニは、伊江島のサバニ大工・下門龍仁さんが、
外国人ボートビルダーにサバニ作りのすべてを伝えた貴重なサバニ。

話は少しずれるが、
サバニ作りを日本の船大工が下門さんに教えを乞うたのではない。
アメリカ人がサバニに恋焦がれて、健康上の不安を理由に渋る下門さんに手紙を送り続けて、
ワタクシもちょっとお力添えをさせていただき、やっとのやっとで許可を得てサバニ大工に弟子入りを果たしたのだ。
そのお陰で、そのサバニが東京の博物館に保存されることになった。
日本の伝統船大工の技を伝授され、作り、記録に残したのは、
日本人ではなく、アメリカのボートビルダーだ。
一体どうなっているのだ?

彼のことは褒め称えるに値する。
しかし、日本人にこのアメリカ人のように日本の船文化海文化を引き継ごうとする若者が出てこないことを嘆くのは、
ワタクシだけだろうか。

本来サバニに塗るべきサメの(肝臓の)油は、匂いがきつい。しかも、ゴキブリが非常に好んで舐めに集まってくる。
室内に展示しているこのサバニに塗ることは避けて欲しい、と船の科学館担当者からお願いされている。

この数ヶ月、いろんな木材の専門家たちに話を聞き、やっと見つけた油を購入して持参した。
昔は和船にも使われていたというし、日本家具にも塗布されていたという。
外国でも、無塗装の木造ボートにも塗られることがあるらしい。

月曜日に仕事を休んでサバニに油を塗るなんていう酔狂な人間は、普通あまりいない。
誰にお願いしても迷惑が掛かる。

一人でやるつもりだったが、深川牡丹町に住む、ある御仁が手伝いを申し出てくださった。
いつも、深川八幡祭りの神輿を一緒に担がせていただいている御仁だ。
江戸深川と沖縄。遠く離れていても自分たちの祖先が伝えてきた歴史や伝統を守ろうとする心は、しっかりと通じ合う。

久し振りにサバニにじっくりと触れる貴重な時間になった。
このサバニを将来水に浮かべるときに加えなければならないちょっとした補修や、
他のサバニより優れている点などを見つけることもできた。
時計も何もかも外して、ツナギのカッパと軍手と靴カバーに身を固めて、無心でサバニに向かっていたため時間の感覚がまったくない。



午前中から始めて3、4時間もあれば終わるだろうと思っていた。
ところが、すべて塗り終え、すのこを戻し、帆柱を立て、帆を揚げて、ティンナー(メインシート)をきれいにセットし直してから、
外していた時計を見たら、もう午後4時近い。
空腹も喉の乾きも覚えなかったので、まだ午後1時くらいかと思っていた。

打ち合わせで会うことにしていた次の約束の人物は、近くのお台場で2時くらいから待っているはず。
慌てて学芸部の担当の方に終了の報告に行き、深川の御仁へのお礼も丁寧にできないまま、ゆりかもめの駅まで走り、
2つ隣のお台場海浜公園駅に向かう。

2時間半待っていてくれたその方は、事情を話すと、サバニを守ることですからね、大事なことですからね、と気持ちよく許してくれた。
本当に申し訳ない。

そのあとの打ち合わせは、とてもいいアイディアの交換になり、その仕事に向けて、さっそく来週から動き始めることになった。
2時間以上も待たされたのに、前向きな検討をしていただき、本当にありがたい。

打ち合わせが終わると、急いで新橋に戻っても通勤ラッシュに巻き込まれる時間帯になっていたため、
新橋駅にすぐに戻ることに、気持ちが尻込みをする。

そうだ、折角の機会だからレインボーブリッジを歩いて渡ろう、と思い立つ。
ところが、レインボーブリッジの下まで歩いて到着すると、歩行者道のゲートの前に守衛のおじさんが立っていた。
日が暮れると徒歩では渡ってはならぬらしい。
夜景を見ながら東京港上空の空中散歩って、いいじゃん、いいじゃん、と自分のアイディアを自画自賛していたのに、残念無念。

また次の機会にどうぞー、という守衛さんの言葉を背中に聞いてゆりかもめの駅のほうに戻る。
百円ローソンに入り、缶チューハイを一本購入。
お台場海浜公園のビーチに出て、本日の一人お疲れさん会を開く。
ここの砂は伊豆・神津島から持ってきた砂。
悔しいけど、うちの近所の森戸海岸の砂よりも数段足ざわりがよろしい。
周囲が明るすぎて森戸海岸のような星空は見えないけど、大都会東京の夜景を眺めながら座る神津島の砂ビーチの魅力は、正直に言って否定しがたい。

そのビーチから沖縄に電話をかけ、サバニ関係者に本日の報告をする。

経済活動に関しては支出のみの一日だったけど、ココロは充実感に溢れる豊かな一日になりました。



1月21日(金)のつぶやき

2011年01月22日 | 風の旅人日乗

21:41 from web
9月の怪我以来、どの医者も治してくれなかった肩が、セーリングの大先輩、日高さんに1時間手当てしてもらっただけで、治癒の気配。3日間安静にしたあと、本当の結果が分かるらしい。でもすでに確かな吉兆あり。来シーズンのセーリングに間に合うかもしれない、幸せの予感!

立待ち月

2011年01月21日 | 風の旅人日乗
日没とほぼ同時に上がってくる満月の日の次の日の月は、立待ち月。
つまり、日没後、まだかなあ、もうすぐかなあ、と立ったまま待っているところに、気を揉ませながら上がってくる月だね。

その翌日の月は、居待ち月。
つまり立ったままでは疲れるくらい出てくるのが遅い、もう立ってらんない、座って待つぞ、という月。

そのまた翌日の月は、さらに登場するのが遅くなる、臥し待ち月、あるいは寝待ち月。
座って待っていても疲れちゃったので、もう私失礼して腹ばいになります、と言い訳をして出るのを待つ月。

昨日の満月の月出に比べると、今日の立待ち月は1時間以上も月の出が遅い。
昔の日本人にとって1時間なんてえものは、へいちゃらで立って待つことができる時間だったんだな。
現代日本人、弱くなっちゃったな。

セーリングの仕事がらみで面白い出来事と面白くない出来事があったけど、今日の日記はこんなところかな。

曜を愛でる

2011年01月21日 | 風の旅人日乗
ここのところパソコンの調子が悪い。
日中にシーボニアその他を回った後の夕方、
ご近所に住む、外洋ヨットのオーナーでありパソコン修理のプロフェッショナルでもある方のお宅にパソコンを持ち込み、
診察を受け、治療を施していただく。

パソコンとの付き合いの親密度をどのように設定すればいいのか、へっぴり腰のままこの30年近く過ごしてきたのだけど、
正直言うと、好きではない部類に入る器械。
相手もそのことが分かるのだろう、いつまでたっても付かず離れず、決して心を許してくれようとしない。
そういうやつが立ち直っていく様子を見ていても退屈でしかない。

ふと窓の外を見ると、太陽が力強い光を発しながら伊豆半島に向かってグイグイと下降しているところ。

多くの場合は感傷的になりやすい夕陽なのに、
昨日の洛陽はなぜかすごいばかりのエネルギーに溢れていて、心が惹き付けられてしまう。
これを潮に、パソコン修理は専門家の方に任せっぱなしにして、テラスから太陽見物にかかる。



そのまんまパソコン修理現場には近寄らないようにして、
太陽が沈んだあと、コーヒーを飲みながらしばらく待って、
地球を挟んで太陽と正反対の位置にあるはずの月齢15日ちょっとの月が裏山から上がってくる頃を見計らって、
そのお宅の東側に面する玄関のドアを開ける。

おお、上がってました。当然だけど。


(下のほうの2,3個の明かりは人工発光物)

因みに、一昨日の、月齢15日ちょい前の月は、松の枝の間から上って来た。
ちょっと花札の絵柄を思い起こさせて、人間の心には風流だったんだけど、
携帯電話のカメラに風流を理解することを要求するのは無理みたいで、
人間の心の目では存在しないものになっていた電線などの無粋なものが、とても正確に写っていてガッカリ。




日曜、月曜の『曜』という字は、あらゆる天体、つまり、太陽、月、惑星、恒星、彗星、星雲、ブラックホール(たぶん)など、すべての天体を指す字らしい。
大いにめでたい字だと思い、子供の名前にも拝借させてもらったのだけど、
これから先の人生も、空にかかる『曜』と親しく深く関わっていける人生にしていきたいなと、
パソコン修理のことをほっぽらかしたまま思ったことでした。

今日の立待ち月は、どんなシチュエーションで見ることになるのだろう。

という日記を、修理していただき、見違えるようにキビキビと働くようになったパソコンで書きました。


第34回America's Cupに裏番組?

2011年01月19日 | 風の旅人日乗
スペインのウエブ・セーリングマガジンのVセールに、スペインの新聞El Mundに掲載された記事が紹介されている。
それによると、チームオリジンのキース・ミルズ、アリンギのエルネスト・ベルタレッリ、そしてルナロッサのパトリツィオ・ベリテーリあるいはニュージーランドのグラント・ダルトンが、
第34回America's Cupがサンフランシスコで行なわれる予定の2013年に合わせて、
モノハルのAC90クラス(アリンギが第33回America's Cup用に提案していたモノハル艇)によるレース・サーキットを行なうことを企画しているという。

グラント・ダルトンはともかく、保守的なヨットにこだわるヨーロッパのお金持ちたちの考えそうなこととしては、あっても不思議はなさそうな話ではある。

高みの見物をするには興味深いけど、
日本のセーリング界をどうにかしたい!という話を、昨夜一所懸命してきたばかりの身には、
自分の楽しみばかりを追いかける欧州のお金持ちたちのことなど、どうでもいいように思える。

Vセールが記事に名前が記載されている当事者たちに問い合わせたところ、ベルタレッリとベリテーリから「ノーコメント」という正式返答があったらしい。