風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

5月某日 必勝!、ならず(涙)

2010年05月15日 20時40分53秒 | Weblog
どんなセーリングでも、ぼくはその練習やレースが
「自分のアメリカスカップ」、「自分のボルボオーシャンレース」
だと思うようにして、全力を傾けるようにしている。
実際のアメリカスカップやボルボオーシャンレースに出られないからってクシャクシャしていても、
なんにも前向きな解決にならないからね。

で、この週末は、ぼくの若いパートナーと一緒に開発した新しい発想で作らせていただいたジェノアでのレース。
この考え方のジェノアは日本初、というか、世界初。
レース前日の土曜日に、葉山から東京まで車を走らせて、
ハーバーの中でジェノアを揚げてスプレッダーパッチを貼ったり、あれやこれやの準備をする。
一度出艇するが、外海に出てみると予想以上に東風が強く、試したい風速を超えていたため、
セールを揚げずにすぐにハーバーに引き返して、車を飛ばして葉山へ戻る。
折角のいい天気、森戸の浜で子どもたちと遊びたかったのだ。

翌、日曜日、朝5時44分始発のバスに乗って逗子に出て、東京へ。

スタート前、風弱く、作ったジェノアに絶好のコンディション。
早速その新しく作ったジェノアを揚げてチェック。
デッキに寝そべって、そのセールのカタチを下から見上げる。
うふふ、いい感じ。ウットリ。
 
新しいジェノアのカタチにうっとりしている間にスタート時間が近づく。
スタートライン設置後に風が35度以上右に振れたため、スタートラインは右端が強烈に有利な、大きく傾いたスタートラインになっている。
スタートラインを設置しなおす気配はないようだ。

こういうスタートラインになると、スタートラインがいくら長くても意味はない。
出るべき場所は、スタートラインの右端になる本部船の横、一ヶ所。

当然、全艇がそのピンポイントからスタートを切ることを目指すから、大混乱のスタートになる。
その一ヶ所をめぐる、数十隻のヨットの椅子取りゲームだ。
1隻だけが、そのたった一つの椅子に座れるのだ。

しかも、それだけ風が右に振れると、第1マークへはスターボードタックの、ほぼ片上りになるから、
スタートに失敗してしまったからと言って、右にタックして逃げることもできない。
つまり、最初のレグでクリア・エアの中を走り続けたいと思うのなら、
スタートの失敗を避けるためにその椅子取りゲームに参加しない、という選択肢すらないのだ。

大型艇であれば、小型艇との絶対的なスピード差を生かして、スタートが上手くいかなくても後ろから小型艇をズンズン追い抜いて、すぐにクリア・エアをつかむことが可能だが、今日乗っている艇は小型艇だ。その手は使えない。

さあて、強いプレッシャーがかかった状態で、最良のプレイができるかどうか、
自分自身を試すには絶好の機会だととらえ、椅子取りゲームに参加することを決める。

「俺のアメリカスカップ」のスタートに集中し、そのピンポイントをゲットする。
きちんと仕事ができた。
気持ちよくスタートし、しばらく艇団のトップを走る。

スタート後、予想していたよりも早い段階で風が上がり始め、
新しく作ったジェノアが最大の能力を発揮する風速を超えてしまう。
布地の強さ的には、まだまだ風速が上がっても大丈夫なものを使っているが、
セールのシェイプに関しては、想定風速の上限を超えている。
その風速に合ったジェノアを持っていないので、仕方なくそのまま最後までそのジェノアを使い続ける。

レースの中盤から、さらに風速が上がってきて、
ジェノアがメインセールに悪さを始め、スピードが伸びない。当たり前だけどサ。
でもこれが「俺のアメリカスカップ」だ、最後までベストを尽くそう。

結果、今週の「俺のアメリカスカップ」必勝! は、ならず。
うなだれて帰る葉山までの道のりが、やけに長い。
でもね、微・軽風用の、最高のジェノアは作れたし、いいんでないかい、今週はそれだけで。

来週は、また別の新しいセールを葉山でテストする。
レース用ではないが、このセールがまた新しいアイディアの、とんでもないセールだ。
テストが楽しみ。
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5月某日 もの思い

2010年05月15日 02時53分14秒 | Weblog
みんなが寝静まった夜更け。
仕事のメールや、報告書や、雑誌に載せる文章を書いていたりしていることがほとんどだけど、
2,3週間に一度、そういうことを何もせずに、かと言って本を読む気にもならず、なんだかボンヤリと思考したいと思いながら、つい、当てもなくインターネットの世界を彷徨うことがある。

そういうとき、いつも最後に行き着くのが、糸井重里さんの『ほぼ日』。
糸井さんの日々の口上を読んでいつも気持の良い文章を書く人だなあと感心したり、2,3回分溜まった大沢在昌さんの『新宿鮫・絆回廊』の連載を読んでドキドキしたり、黒柳哲子さんと糸井さんの面白い対談を読んでニヤリとしたり。

そのサイトで過去のコンテンツを眺めていて、偶然『鯨井保年』の項を見つけた。

鯨井さんがマスコミにもてはやされてタレントとしても活躍していた時代を、ぼくは知らない。
その頃ぼくはほとんどニュージーランドにいたし、日本にいるときもニュース以外にテレビを観ない生活をしていたからかな。

数年前、『ようこそ先輩』というテレビ番組に出させていただくことになって、担当ディレクターと最初の打合せをした後、
参考までに、とそのディレクターが過去に制作したその番組の2本のビデオを貸してくれた。
一つは格闘家だった角田さんの回のもので、もう一つが鯨井さんの回のものだった。

その番組では、その回の「先輩」が小学生の「後輩たち」が待つ教室に入ったときに、自己紹介をしながら黒板に自分の名前を書く、というのが決まりごとのようだった。
そのディレクターはKさんという人で、とてもいい人だったんだけど、
「緊張しないでいいですからね、楽に行きましょう。でも、ガッツ石松さんに出ていただいたときは、ガッツさん、緊張して自分の名前を、ガッツ右松、って書いてしまいましたけどね、アハハ」、と脅す人でもあった。世界チャンピオンでさえアガル、ということらしい。

なんだか気が重くなり、この話辞退できないかな、などと思いながら家に帰って、借りたビデオを観た。
格闘家の角田さんのは、もう気合入りまくりで、自分にはこんな熱い『課外授業』は無理だとさらに気が重くなった。
でも、その次に観たライフセーバーでビーチフラッグの世界チャンピオンでもある鯨井さんのは、まったくてらいがなく、ごく自然体で、海の面白さや海の恐さをこどもたちにうまく伝えていた。
ああ、こういうやり方でいいのか、こういうやりかたなら、もしかしたら自分にもできるかも、と少し安心した。
そして、こういうカッコイイ男が日本の海の世界にいるのだなあ、知らなかったなあ、と思った。
会ってみたい人ではあったが、ライフセーバーと外洋ヨットのセーラーに、接点はなさそうだった。

しかしそれからわずか3年後、ハワイから日本に来たホクレア号が、日本人のライフセーバーとセーラーを結び付けてくれた。
かつて、遭難したホクレア号のクルーを救おうとして自らの命を捧げたエディー・アイカウはすべてのライフセーバーとサーファーの憧れの存在だったし、
その彼の死を背負ってホクレアを航海させ続けたナイノア・トンプソンは、すべての航海者の憧れだ。
考えてみれば、ホクレアを核にすれば、ライフセーバーと外洋セーラーが出会っても何の不思議もないのだった。

鯨井さんは、その後、日本までホクレアをサポートしてきたカマヘレに横浜から乗り込んで、太平洋を渡ってハワイまで送り届け、本筋のセーラーにもなった。

鯨井さん、みんなが呼んでいるように「ヤス」と呼びたいがまだ照れくさい、との心の繋がりはそれ以来今も続いている。
それは、ホクレアのお陰だったんだ、と改めて気が付かされた。
いま、打瀬舟で日本の海と船を元気にしようとしている人たちとの交流も、ホクレアが始まりだった。
やはりホクレアのことは、自分の人生の中で大切にすべきものなのだ、と今更ながらに思う。

今日明日と、2日続く東京湾でのセール・テストとレースのことを気にしながらの夜更かしだったけど(というか、24時30分にパッチリと目が覚めてしまい、本日の活動開始がいつもよりちょっと早過ぎた)、価値ある「もの思い」の時間でした。

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5月某日 転載・打瀬舟内海丸談義

2010年05月14日 13時57分40秒 | Weblog
みかんさんが、熊本から瀬戸内海経由で木更津まで打瀬舟を回航するに当たり、
広島・福山のcoyoteさんこと村上水軍商会の村上さんが、
瀬戸内海を代表する打瀬舟、内海丸にも、みかんさんのプロジェクトに協力してもらおうとして、いろいろと地元で動いてくれています。
村上さんからいただいたコメントを、このムーブメントが大きな輪に広がっていくことを願って、
ご本人には無断のまま、ここに改めて転載させて頂きます。
内海丸にまつわるとても興味深いお話も盛り込まれています。

以下、村上さんです。よろしくお願いします。

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皆さんお久しぶりです。
さっそく、内海町の漁協に行ってきました。
内海丸を管理している理事に、内海丸を海に浮かべることができるかどうか率直な意見を聞いてみました。

まずは、海に上げ下ろしのクレーンを借りるための金銭的な問題。
続いて、マストの根元が風にもつかどうか。
ホクレアのときもNHK坂の上の雲撮影の際もこの点が、気がかりだと船長が言っていたそうですが。
(かなり慎重な方なので、まあでも船長とはそうでなければいけないものですよね。)

そんなことを今月発売されたカヌーライフの2ページ目に写った、どでかい打たせ船の写真と、
最近手に入れた笠岡の写真館のおじいさんが撮影していた笠岡沖の打たせ船の写真をみながら
話は、いつのまにかどんどん内海丸自慢になってしまいました。
そのうえ保存会の会長さんが僕の車を見つけたとあらわれ話に参加してきて収拾つかなくなってしまった…。

保存会の人たちは内海丸を作るときに熊本へも視察に行った話も出てきました。
で熊本の海は時間が来ると同じ風が来るのでその風にあわせて漁をするため自走の必要があまりなく、
愛知型といわれる内海丸は熊本のそれとは違い自走して瀬戸内海をあちこち漁場を見つけなければならなかったため
ヨット並みの風上への航行力が必要だったのだと
誇らしげに語っておりました。

まあ、保存会の会長は興味津々でうけとってくれていました。
最後に僕がNPOを立ち上げて寄付金を集めて打たせ船を動かせるようにして活動すればいいという話になって、もう、わや……になってしまいました。

現状では、あぶと観音のそばに陸揚げされているので伯方島沖から鞆に行く途中に、そばまで近寄りエール交換なんてことは簡単にできるように思います。
帆を揚げれるかどうかは当日の風しだいのようですが。

僕のほうではとりあえず、航海士の有田さんからいただいたプロジェクトの資料に鞆・内海丸とのつながりを一筆入れ、
プレスや役所関係に流して鞆入港の際に取材が入ればと思っています。

偶然ですが、知り合いの持っていた舵社のBoat CLUBの2009,5月号に
僕が今乗っている日産のSUNCATというモーターボートの記事が載っていたので
ねこばばして家に持ち帰っていたのですが、
その中には木更津の打たせの記事と、『海を守る人々』では熊本の打たせ船の記事も出ていてなんと偶然なことか。
そして僕のSUNCATはホクレアと同じカタマラン…。
なにかに導かれているんですかねえ。
6/7日はうちのホクレアは出せますよ。定員8名ですのでおはやめに!!

あっそれから、これも偶然ですが僕の出向している愛媛県の豊島に
昨日、葉山から来たというヨットが立ち寄りまして
その乗組員に、Tarzanの記者だったと言うメガネをかけた白髪交じりのヒゲをはやした方と出会いました。
westさんの元同僚ということでしたよ。
いまから北海道に行くとか???よく考えたら瀬戸内海から山陰にまわり北海道へって事かと、あとで驚かされました。

話長くてごめんなさい。
内海町には海小屋もありますのでダミ師も含め福山にお越しのようでしたらお声をおかけ下さい。
それと水軍商会へのご連絡はこちらのほうがつながりやすいので、よろしくお願いします。
村上水軍商会090-8718-4141
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5月某日 打たせ舟

2010年05月11日 10時45分47秒 | Weblog
みかんさん達による、熊本から木更津までの打たせ舟航海計画をサポートしようとする人たちの輪ができつつあります。

村上水軍商会の村上さんは、昨日この計画を知ったばかりなのに、地元を動かそうと早速今朝から動き始めてくれています。
富山高専の奥准教授は、カウアイ島プログラムの報告書をまとめながら、打たせ舟を日本の海洋教育に使う道筋を見つけることができないか、思案を巡らせているようです。
westさんとダミ声さんは、取り合えず6月6日の鞆の浦集合を決めたようです。

このブログから、もっと多くの、日本の海洋文化が大好きな人たちが集まる場所に飛び火していって欲しい思いです。

自分はどの部分でお手伝いができるのか、一所懸命思案中。
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緊急連絡 打たせ舟

2010年05月06日 09時23分27秒 | Weblog
このブログを読んでくださっている「みかん」さんが、
熊本から木更津まで現役の打たせ舟を回航するそうです。

1ヵ月後の6月6日に、広島の厳島沖通過、6月7日に鞆の浦で舟釘を積み込む予定だそうです。
内海丸関係者の人たちと連絡が取れたら、内海丸とのツーショットも実現させたいそうです。
村上さん他、内海丸関係者の方たちがもしこれを読まれていたら、
連絡先など、コメント下さい。
非公開コメントにしていただいても結構です。
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