風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

4月20日 拝啓デューク様

2009年04月20日 13時28分27秒 | Weblog
デューク様、

『後遺症』へのコメントありがとう。

2012年から始まる巨人軍沖縄スプリングキャンプに先駆けて、
今年度から沖縄本島宜野湾に場所を移したチームまいふなサバニ2009第一次合宿、無事終わりました。
突風がセールに入ってまいふなが急に傾いたときの
パドルでのリカバリーと体重移動ですが、
みんな少し上達したよ。
セールも少しいじってパワフルなシェイプにしてみたら、怒涛のように走るようになりました。
意外に美しく成長している宜野湾沖の珊瑚を真下に見ながら、時間の許す限りパドリング&セーリングしてきました。

合宿の詳細報告は、追ってさせてもらうとして、
今回の沖縄で一番衝撃的だったのは、
太平洋を往復してきた中国の伝統セーリング艇とそのクルーたちに会ったこと。
2月のホノルルでは、1日違いで彼らの出港に間に合わずに会えなかったのだけど、
今回、偶然にも合宿初日に、彼らがホノルルからヤップ経由で那覇に到着した。

強い北東風の中、エンジンが故障したために那覇港に向かって向かい風の中を航走できなくなったため、
那覇のサバニ関係者の方が、パワーボートで迎えに出た。前島辺りまで流されていたらしい。
確かに、先週末は大潮ではなかったのに、かなり潮が速かった。

夜、沖縄のサバニ関係者たちが那覇市内で一席設け、オリオンビールと泡盛で彼らの無事到着を祝った。
彼らはとても礼儀正しく、姿勢良く、フレンドリーで、第一級の海の男と女性だった。
あんな小さな艇で太平洋を往復したのだから、実際の航海技術、セーリング技術も第一級であることも間違いないと思う。

ぼくが彼らとの会話で理解したことが正確なら、
彼らは伝統に則って、中国本土で中国古来の外洋艇のレプリカである、この『プリンセス・タイピン(太平公主)号』を造り、
香港を経由して台湾に凱旋(このプロジェクトの代表者リュウさんは台湾国籍)した後、
沖縄、和歌山を経由して、太平洋を渡ってロスに到着。
帰りはホノルル、ヤップに寄って沖縄に再び寄港した。
この後、沖縄で一人の琉球人を乗せて、台湾に帰り、
この一連のプロジェクトを完成させる。

ぼくは不勉強にも、マスコミがニュースで一方的に流す情報をそのまま信じて、
中国本土に住む人たちと台湾に住む人たちが、
まるで憎しみ合っているかのように勘違いしていた。
香港の人たちと中国・台湾の人たちも
相容れない感情を持っているかのように勘違いしていた。

彼らの話では、どうも、そうではないらしい。
多くの人たちが、政治のために同じ民族が別々に暮らさなければならない悲しみの感情を共有しているらしい。

彼らは『太平公主号』で、2つの中国の垣根を取りたいんだというメッセージを発信し、次に日本とポリネシア、ミクロネシアを経由しながらアメリカ本国まで往復することによって、太平洋で隔てられた国々が共に仲良くなりたいというメッセージを送ったのだ、とぼくは感じました。

デューク、
この人たちは、本当にすごいとぼくは思う。
ぼくらが何年も前からやろう、やろうとしてなかなかできないでいることを、中国の本筋の伝統セーリング艇『太平公主号』の人たちは、サラリ、とやってしまった。

かつて自分で悦に入って展開してきた『日本人は世界最古の優秀な海洋民族だー!』というアピールが、3月の太平洋航海を境に、最近はなんだか浅はかで、視野が狭いものに思えてきています。
別に、日本人が「世界最古の」、とか「世界で最も優れた」とかいう形容詞がつく海洋民族でなくてもいい、
太平洋沿岸に住む民族みんなが、優れた海洋民族なんだ、
ということを確認しあうことのほうが、とても意味がある。
そして、そう考えると、その先には、
世界の人たちみんなが、海を核にして地球という天体のことを考えるようになる、
そんな時代がやってくるような、そんな期待も芽生えてくる。
Palmyra環礁航海の後ナイノアから与えられた宿題の答えは、
きっとこの考え方の中にある、と思うようになってきた。

とは言えね、例えば、もう真剣に取り組み始めて6,7年になるサバニなのに、
まだ完全には思い通りに扱えない自分ではあるけど、
このサバニも含めて、なかなかゴールにたどり着けない、
そのもどかしさも楽しみながら、自分自身のペースで前進しようとも、思っている。
夢に、あっけなく到達できたらつまらないものね。
ちょっと負け惜しみだけどサ…






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4月14日 Palmyra Atoll航海 記憶の断片を徒然に 01

2009年04月14日 04時56分22秒 | Weblog
ブルース・ブランケンフェルドのナヴィゲーション。

ポマイラの環礁を抜けて太平洋に出ると、曳航する方向の指示が、
ブルースからカマヘレに伝えられた。
「トゥルー・イースト(磁気コンパスでなく、真の方向で真東)へ」

それからひたすら真東に走ること丸3日半。
水平線の一箇所だけ雲が割れ、奇跡のようにそこから太陽が昇ってきた。
曳航索を切る前、
ブルースは
「まずはビッグアイランド(ハワイ島)東側のヒロ沖を目指す」
とカマヘレに伝えてきて、
そうして、セールを揚げるや否や、
ホクレアはある方向に狙いを定めてセーリングし始めた。

その後ろを追うカマヘレのGPSモニターを見ると、
船首が向いている先を示すラインは、
モニターの上でも遥か遠くにあって、点にしか見えないヒロのすぐ東を向いている。
すでに太陽は再び雲の中。行く手の水平線も分厚い雲に覆われている。
吹いている東風が立てている波とは別の、
2,3種類のうねりが海面にあるのは分かるけど、
それは、逆に、方向を惑わすものにしか思えない。
それなのに、ホクレアは、まるで800海里先のハワイ島が見えるかのように、
その方向に確かな意思を持って、大波を次々と乗り越えながら走っていく。

鳥肌が立った。

(写真は、太平洋の真ん中にポツンと浮かぶPalmyra Atoll。カマヘレの復路クルーSamuel Monaghanが撮影)

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4月12日 後遺症

2009年04月12日 18時38分04秒 | Weblog
今回の航海では、ぼくはものすごく深い精神体験をしてしまって、
それがまた、まずいことに、
そうなるかも知れないという覚悟を事前にキチンとせずに不用意に出掛けたものだから、
その影響を全身全霊で受けてしまい、
表現は適切ではないかもしれないけれど、
失語症のようになってしまっている。

日本に帰ってもう随分経ったように思っていたのに、
まだほんの3,4日しか経ってない。
この短い間に、随分世俗的仕事をこなしたように思うけど、
その仕事は、できるだけ脳の深い部分を使わないようにして、
別の、表層にある薄い領域でやっつけたような、そんな感じ。
深いところに迷い込んでいる自分のココロを、敢えて覚醒させたくないと、
今のぼくは望んでいるのかもしれない。

燃えないごみの日に出すつもりにしていた袋の中から拾い上げた、
埃まみれのカセットテープの中に入っていた山下達郎の、
レトロで古いメロディーと歌詞が、変に心に染み入ってくるのはなぜだろう。


これは確かに、完璧に、何かの後遺症だ。
だけど、なんだかとても心地良い後遺症だ。
だから、なるべくたくさんの人に分けてあげたい後遺症だ。
ウーン、困った困ったと、心地良く困っている。


(写真は、Palmyra国際空港。カマヘレの復路クルーSamuel Monaghanが撮影)
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4月9日 Palmyra航海終了

2009年04月09日 06時15分45秒 | Weblog
〔上の写真は、ポマイラ環礁でしばし憩うホクレア。左端に座るナイノアと話しているのはマイク・テイラー(今回はホクレアのワッチキャプテン)]

昨日日本に帰国しました。
これからしばらく現実仕事に追われることになるので、詳しい報告は遅れると思いますが(もしかしたらいつものように無期延期かも…)、
心配してくださっていた方々に、まずは無事に帰国したことのご報告です。


ポマイラ国際空港その1


ポマイラ国際空港その2


ポマイラ環礁へようこそ
ホクレア一行が着く前までの島の人口、5人、標高6フィート



ヤシガニとナイノアのビーサン


動きが速すぎて写真のフレームの中に捉えきれなかったけど、
ポマイラは海鳥たちのサンクチュアリーでした。
鳥たちは我々を大歓迎してくれました(彼らに無断で上陸したので怒ってたのかも)





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