6月30日 沖縄と北海道

2009年06月30日 | 風の旅人日乗
沖縄に行き、サバニに乗ってセーリング&パドリングしてきた。
一緒に練習と苦労を重ねてきた仲間たちとの、楽しい航海だった。

みんなが一所懸命に自分の持てるすべての力を出し切って、いいレースをすることができた。
チームのみんなに改めて感謝したい。

個人的にも、充足感に満たされたレースだった。
自分のアイディアに沿って、
サバニセールのレースルールの範囲内で、
これまでずっと納得のいかなかったお仕着せのセールを
思い切って独断で改造したことが功を奏し、
この数年の、サバニでのセーリングのモヤモヤが一気に吹っ飛ぶ、
スカーッ、としたセーリングを堪能した。
サバニが本来帆走艇である、ということも、
自分の中では、改めて再認識した。

サバニはとても不安定な艇だ。
だが、我々の祖先たちは、サバニを敢えてその不安定なカタチに進化させ、
そして波荒い外海で自由自在にセーリングして、
自分の手足のように乗りこなしてきた。

サバニにアウトリガーを付ければ、大きなセールを張ることができるから、
大きな推進力を受けることができる。
だから、アウトリガー付きのサバニが、アウトリガーを付けてないサバニよりも格段に速く走ることは、
ごくごく当たり前のことだし、技術的にもごくごく簡単にできることだ。
しかもアウトリガー付きにすれば、クルーは、船を安定させる技術をまったく要求されない。
バランスはアウトリガーに任せればいいからだ。

しかしサバニの歴史の中には、
重い荷物を運ぶために2隻、3隻を横に繫いでダブルハル、トリプルハル艇として使っていた事実はあっても、
アウトリガーは存在しない。
ラダー(舵)なんてものも、エンジンが載せられる前の帆装サバニには存在しなかった。

帆装(フーカキ)サバニと、それを創り出した自分たちの祖先を尊敬する気持ちを持っていれば、
本来の帆装サバニの乗り方で、祖先と同じように自分もサバニに乗ってみたい、いや、乗るべきだと、
ごく自然に考えるようになる。
そう考える仲間たちが、この10年の間に、ジワジワとだが、増えてきた。

舵やアウトリガーといった、自転車で言えば補助輪に当たるような補助設備を付けたサバニや、
安定性を増すためにに竹製チューブで周囲を覆ったゴムボートのようなサバニに乗ることを潔しとせず、
祖先をリスペクトし、先祖が乗っていたのと同じ乗り方でサバニに乗って今年の座間味-那覇間のレースに参加したのは、
我々を含めた9隻。

その正統サバニの中で、堂々と優勝を飾った〈ずけらん丸〉は、
糸満市に住む現役の海人漁師さんたちのチームである。
彼らは、パドリングではなく、セーリングを主体としたレース運びで2連覇を果たした。
6名のクルーのうち、2人がセールを操りハイクアウトして艇のバランスを取り、
2人がエーク(櫂)で舵を取り、残りの2名のみが漕いだのだという。

〈ずけらん丸〉は、18海里の海を4時間16分で渡った。
アウトリガーなしで、大きなセールを張った不安定なサバニを、
うねりの大きい外海で操ることは、とても難しいことだ。
しかし彼らは一度も水舟になることなくフィニッシュまで走り切った。

昨年来、ぼくは彼らのことを、心から尊敬している。
さらに今年は、至近距離で抜きつ抜かれつのレースをさせてもらったお陰で
彼らのセーリングを目の当たりにすることができた。
彼らは本当にすごかった。
自分たちは、在り難い、本物の、素晴らしいライバルに恵まれているのだと知った。

ぼくたちは、〈ずけらん丸〉に61秒遅れて、2位でフィニッシュした。
プロセーラーとしての誇りをかけて、
ぼくも頑張ってバランスを取り続け、セールをトリムし続けたが、
うねりの中で2回、舷側から浸水して水舟になり、
そのたびにセールを降ろしてアカを汲んだ。
その作業で61秒以上の時間をロスした。
2回のうち1回は、ライバル艇の伴走艇が立てた大きな曳き波にやられたものだが、
彼らにも悪気はなかったことだろうし、
それを負けた言い訳にするつもりも毛頭ない。

昨年も、ぼくたちは〈ずけらん丸〉に敵わず2位に終わったが、
昨年は、15分もの大差を付けられた。
今年も2位に終わったが、
その差を、僅か61秒、距離にして100メートルに、一気に縮めることができた。
ぼくたちのこの進歩の理由は、
我々のチームの誇りである強力な漕ぎ選手たちが頑張ったことが第一だが、
安定して風をはらみやすく、しかもパワーのあるセールに改造したことが
とても大きな要因だと考えている。
レーシングヨットだけでなくサバニにおいても、セールをおろそかにしてはいかんのだ。

レース中、セール・デザインについてさらに新しいアイディアが浮かんだ。
そのアイディアを実際の形に表現できれば、
今年のセールよりもさらに扱いやすく、性能のいいセールになる自信がある。

サバニレースにはセールに関するルールがある。
本来のサバニのセールのカタチから逸脱したセールが出てくることを制限する目的だ。
そのルールを尊守したうえでも、セールの性能アップのための工夫の余地はまだまだある。
来年はお仕着せのセールを『改造』するのではなく、
ルールブックに従いながらも自分のアイディアを生かした新しいセールを作って、
もっともっと気持ちよく風に乗って走りたい。

でも、『改造』するだけでもずいぶん時間と費用がかかったから、
新しくセールを作るとなると、問題は、その制作費用と時間をどうひねり出すか、だな。

那覇に着いたあと、
炎天下の那覇・泊港の水面上で2時間半、
サバニを上架するまで、漂いながら待つことになった。
梅雨が明けた沖縄の強烈な陽射しを避けることもできず、
焼けた肌の痛さと暑さに痛めらつけられながら、
涼しい夏の北海道を舞台にした日本映画のことを思い出していた。
『ジャイブ 海風に吹かれて』という、セーリングを一つの核にした映画だ。
そういえば、沖縄出身の上原多香子ちゃんも頑張って演技していたな。

もう上映されているはずだけど、人気のほうはどうなんだろう?
セーリングについて興味を持つ人が一人でも増えるよう、
観客動員が好調だといいな。

その映画のパンフレットに、映画の宣伝を兼ねて、と依頼されてエッセイを
書いたので、下に転載します。
北海道が舞台の映画についての感想文に、
無理やりサバニを押し込んでしまいました。

もし興味とお暇がありでしたら、是非映画も観に行ってください。
セーリングや船内のシーンでは、2,3気になるところがありましたが、
個人的には好きな映画です。
映画の公式サイトhttp://www.imageforum.co.jp/jibe/
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海とヨットと日本人

映画 『ジャイブ 海風に吹かれて』 に寄せて

ヨットが、風を後ろから受けて走っているときに方向転換することを、ジャイブという。つまり、一方の舷から風を受けて走り続けるのではなく、反対舷から風を受けるように意図を持ってコースを変更する操船技術だ。

強い風の中では、ジャイブは、ヨットの技術の中では最も難しく、且つ危険な動作とされている。ジャイブに失敗するとヨットが横倒しになることもあるし、ひどい場合には帆柱が折れたりもする。だから、強風下でジャイブをするには、高度な技術と共に、ある種の勇気をも必要とする。しかし、このジャイブをしない限り、ヨットは風に吹き流されるまま限られた方向にしか走れないことになり、自分が望む方向に自在にヨットの進路を変えることができない。

そんな難しいヨット用語がタイトルになっている映画を観た。一体どんな映画なのか、製作スタッフの方々に対しては甚だ失礼なことだが、疑心暗鬼な気持ちのまま観始めた。

感動した。

午後の陽射しに輝く海のシーンから始まるこの映画の中にすんなりと引き込まれ、テンポよく海とセーリングの冒険へと移行していくリズムを楽しんだ。そして何よりも、主人公の心にすんなりと入っていくことができたことが、とても心地良かった。

なぜだろう。

「ヨット」という言葉は、西洋型のセーリング艇の総称だ。しかし、なにも西洋型ヨットだけがセーリング艇ではない。
日本にも、ほんの最近まで、現役で活躍する日本オリジナルの様々なセーリング艇が存在した。江戸時代、江戸よりも豊かな都市だったとさえ言われる北海道の江差(この映画の舞台)に繁栄をもたらせた北前船も優秀なセーリング艇だ。日本のセーリング文化を現代に伝える沖縄のサバニも、由緒正しい日本オリジナルのセーリング艇である。

我々日本人は、一万年以上の昔からほんの百年ほど前まで、長い長い歴史を持つ海洋文化を背負った海洋国民だった。当然、優れたセーリング技術も持っていた。
「海」を思い浮かべるとき、ほとんどの日本人にとって、それはとてもポジティブで、心地良いイメージを持った存在だと思う。

車窓から思いがけず突然海が見えたときや、波打ち際に立って潮騒の音を聞きながら水平線を眺めるとき、我々日本人が、なんとも言えず懐かしいような、心が浮き立つような気持ちになるのはなぜだろう?

そもそも、人類は、なぜ海に出ていくようになったのだろう?
数万年前のことだったに違いないそのときの光景を、目を閉じてイメージしてみる。

最初は、海岸の貝を取り尽し、少し離れた岩まで泳いで渡るところから始まったのかもしれない。海に流れ出た倒木が水に浮くことに気付き、それに乗ってみようと思い立つ。最初は手で漕いで丸太を進めたが、櫂を使うともっと効率良く進むことに気付く。自分も濡れず物も濡らさずに海の上を移動するために、木を刳り抜いて丸木舟を作ることを発明する。木の枝に布を張ってそれに風を受ければ、楽に速く丸木舟が動くことを知る。これらの発明と発見の過程には、数千年、数万年の時間が横たわっているのだろう。

日本列島に住んでいた我々の祖先は、どんなふうに海と関わり始めたのだろうか?
はっきりしていることが一つある。木を刳り抜いて丸木舟を作るために使われていた特殊な石器があって、それは考古学の世界で丸型石斧と呼ばれている。この石斧の、世界で最も古い発見例は、日本の鹿児島で発掘されたもので、約一万二千年前のものだ。

そう、世界最古の造船用石器は日本で見つかっているのだ。世界最古の造船用具が見つかったということは、日本人の祖先は、この地球で初めて船を造った人類である可能性が高い、ということになる。つまり、日本人の祖先は、船に乗って海に出た最初の人類なのかもしれない、ということだ。
このことは、我々日本人の多くが海に特別な感情を抱く理由のヒントになりはしないだろうか?

日本人の祖先である縄文人が、遠く、太平洋まで乗り出していたことも、現代の日本人にはあまり知られてない。
小笠原群島に属する硫黄島や、伊豆諸島の八丈島には、約四千年前の縄文人が残した遺跡がいくつも残っている。そしてそこに住んでいた彼らが頻繁に本州と行き来していたことも、遺跡で発見された品々から判明している。

本州から硫黄島までの約千キロもの海を、人間は泳いで渡ることはできない。また、世界屈指の強い海流である黒潮が横切るこの海を、例え船を使ったとしても、櫂を漕ぐことだけで渡ることはできない。風を利用してセーリングしなければ、黒潮を横切って千キロ以上もの海を渡ることはできないのだ。

つまり、四千年も前、我々の祖先が太平洋をセーリングで走っていたという間接的な証拠が、硫黄島や八丈島で見つかった遺跡の存在である。イエス・キリストが生まれた年よりもさらに二千年も遡った時代に、我々日本人の祖先は、太平洋を風に乗って自由自在に航海していたのだ。

我々の祖先が古くから海や船と深く関わり、そこでの技術を進化させてきた過程の記憶は、現代日本人の脳幹にもきっと刷り込まれているはずだ。多くの日本人が海に懐かしさを覚えるのは、長く海と接してきた祖先たちの記憶を受け継いでいるからだと、ぼくは確信している。

『ジャイブ』の主人公・哲郎は、都会から故郷の江差に戻り、セーリングで北海道を無寄港で一周しようとするのだが、海に出た哲郎の表情が、次第に生き生きと輝いてくるようになる。それは、海で生きてきた日本人の祖先のDNAを哲郎も受け継いでいることを思えばある意味当然のことで、だから観る側の、同じ遺伝子を持つ我々も、この映画と主人公の心の中に違和感なく引き込まれてしまうのだと思う。

ところで、主人公・哲郎が、実際にヨットでジャイブをするシーンは一度も出てこない。その映画のタイトルがなぜ『ジャイブ』なのかは、観てからのお楽しみ。

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