スカンジナビア漂流 ・北欧の海洋文化を辿る旅・ (最終回)

2009年09月03日 | 風の旅人日乗
バイキング船<ガイア>誕生


バイキングが活動したのは9世紀から11世紀の前半にかけてのことで、Norsemenと呼ばれる民族の多くがバイキングと呼ばれた。湾(Vik)に住む人、という意味でViking、バイキングと呼ばれたのだということを、かつて、故・野本謙作先生に教えていただいた。

サンデ・フィヨルド郊外のゴックスタで、その地方の首領の埋葬に使われたバイキング船が発掘されたのは1880年のことだった。
バイキング時代、有力者は自分の船ごと埋葬されていたのだ。

この船は注意深く復元作業を施された後、現在オスロ市にあるバイキング船博物館に展示されている。

バイキングは、コロンブスが“新大陸”を“発見”する15世紀よりも、さらに500年前、10世紀後半にすでに現在の北アメリカ大陸東海岸まで航海していた。
つまり、ヨーロッパ系新人類(コーカソイド)として初めて北アメリカ大陸に到達したのは、ぼくらが学校で教わったこと(コロンブス、アメリゴ・ベスプッチが北アメリカ大陸を発見した)とは違って、バイキングたちだったのである。

彼らバイキングはその大陸の一部を「ワインの国」、Vinland(ヴィンランド)と呼んでいたという。現在のニューファンドランド辺りである。

ゴックスタで見つかったバイキング船の精密なレプリカを造り、それに乗ってヴィンランド、アメリカ東海岸まで行こう、という運動が盛り上がったのは1980年代の終わりのことだった。

2年をかけてこのレプリカが完成し、そのバイキング船は<ガイア>と名づけられた。
1000年以上も前に造られたバイキング船の精巧なレプリカを建造することができたのは、この地方に現代まで途切れることなく伝わる造船術があったからだ。
発掘されたバイキング船の構造のほとんどは、西ノルウエー地方で現在でも木造船の構造に使われているものと同じだったのである。

<ガイア>は1991年に、まずはニューヨークまでの大西洋横断航海を成功させ、そこから南米大陸ブラジルのリオデジャネイロまで到達して、そして無事サンデ・フィヨルドにもどり、バイキング船の航海能力を改めて現代の北欧人に印象付けた。

出土したバイキング船の構造を正確に復元した〈ガイア〉の船体構造は驚くべきものだ。

外板をフロア材に接合する部分の構造をよく見ると、フロア材と外板の間に隙間が空けられ、それらが細いロープで縛り付けられている。
つまり、外板とフロア材の間には、ごくわずかだが隙間があるのだ。こういう構造は、これまで他の船では見たこともないものだった。

<ガイア>が大西洋を横断したとき、大きな波を受け、その波が船底に衝撃を与える際に、船底外板がフロア材との隙間分だけたわむことによって波のパワーの一部を抜き、波の衝撃がフロア材に直に伝わって船全体に掛かる荷重を軽減する効果があることが分かったという。つまり、外板とフロア材の間に作られたわずかな隙間は、波の衝撃のショックアブソーバーとして機能することが分かった、というのだ。

話を聞いているだけではにわかには理解できないことだが、実際に〈ガイア〉で大西洋を渡った人たちが、現実に感じ取ったことなのだから、間違いのないことなのだろう。
バイキングたちの驚くべき知恵である。

現代の船言葉の語源どおり、〈ガイア〉のステアボード(舵)は、スターボード・サイド(右舷側)にが付いている。
とねりこ材でできた舵柄も正確に復元された。
舵の面積は、船の大きさに比べてかなり小さい。大きすぎる舵は、負荷が大きくなって壊れやすいし、船を速く走らせることにはマイナス要素になる。
舵を左右に動かすためのフレキシブルな軸には、レプリカではワイヤーが使われているが、当時どんな材質が使われていたのか、まだ分かってないのだという。

外板には黄色の三角形と黒のコンビネーションの、沖縄糸満のハーリー船の彩色を彷彿とさせる絵柄が描かれている。距離と時間を隔てた2つの船の彩色の符合に、鳥肌が立った。

復元バイキング船〈ガイア〉のマストを支えるシュラウド(マストの横方向を支えるリギン)は、素早く着脱できる木製のペリカンフックのようなもので船体に固定されている。

バイキングの時代、敵船に遭遇して海上戦になった場合、シュラウドがまず狙われた。相手に接近し、すれ違いざまに相手の船のシュラウドを蛮刀で切れば、マストが倒れ、その船はその後セーリングすることが出来なくなるからだ。

それを阻止するため考え出されたのが、素早くシュラウドをはずしてマストを倒しておくことができる、このペリカンフックを使ったシステムなのだという。
セーリング中は、セールを引き込むときに邪魔になる風下側のシュラウドをはずして、セールを強く引き込んで、風上に切り上がっていくセーリングもやっていたのではないかと思う。

バイキングたちは、速く走るために船を少しでも軽く造るべきだということも知っていた。
技術を駆使して船を軽く造っておいて、空荷で走る航海では、船体中央部に石を積んで復元力を増し、大きなセールを張って帆走した。
略奪品や交易品などを得た帰りの航海では、石を捨て、代わりに船底に荷を詰め込んで復元力を確保した。

デッキに置いた箱に私物やキッチン設備を入れるやり方は、太平洋をを自在に走り回っていたポリネシア人たちが双胴セーリング・カヌーでやっていた知恵と共通する。
バイキング船にはオールで漕ぐ際に必要なベンチがないため、船を漕ぐときは各クルーの私物を入れた箱をローイング・ベンチとして使っていたと考えられている。

親船と一緒に出土した小舟も復元された。うっとりするほど美しいカーブが連続する舟だ。
この舟は起倒式のマストを備えてセーリングもできるようになっていて、この小舟も、スターボード・サイドにステアボード(舵)が付いている。

バイキング船以来、この地方に伝わるオールは、先が鋭く尖っている。その時代、オールは戦闘の際の武器としても使われていたのだ。

現在、<ガイア>は地元の有志たちが保管・整備し、夏は毎週セーリングの練習をしながら、次なる航海に備えている。

祖先が乗っていた船を発掘し、そのレプリカを造って祖先が航海した海を辿る。
なんと幸せなことだろう。祖先の血を自分の血管の中にそのまま感じることができるに違いない。

日本にも菱垣廻船、北前船、八丁櫓、ウタセ船などの伝統帆装船を復元した例はある。しかしこれらは、なぜか広く一般に知られることのないまま、博物館にひっそりと展示されていたり、人知れず港のはずれに舫われたままであったりする。

日本ではバイキング時代よりもさらに数千年前の、縄文時代前期の大型丸木舟さえ各地で出土している。
そんな古い時代から海上交易を盛んに行なっていた事実も発見されている。日本列島に生活し、文化を築いてきた祖先たちは、北欧の民たちに勝るとも劣らない優秀な海洋民族だったに違いないのだ。

この北欧の旅で見てきたものは、日本の海洋文化を掘り起こしていく活動のヒントになるはずだ。その道を、これからも一所懸命探り続けることにしたい。

(おわり)

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2 コメント

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Unknown (windy)
2009-09-06 14:19:40
今日は久しぶりにちょっと暑いくらいですが、風もありクルージング日和?ですね。窓からは遠くにちょっと海が見えます。
近くのマリーナで以前、春一番って艇の方とお話した事を思い出しました。もちろん何の関係も無い偶然同名というだけの事ですが、釣りが好きな方のようでした。
今日サバニ船のお話が聞ける機会があるのですが、ちょっと体調不良で・・。
いつも更新楽しみにしています。
瀬戸内海での再会 (kazu)
2009-09-07 12:26:46
windyさま、

私をノルウエーのフィヨルドに案内してくれた春一番とは、その後瀬戸内海で再会しました。ハワイの伝統カヌーを水先案内している最中の周防大島でのことでした。

野本先生は他界されましたが、春一番が野本先生の故郷(宇和島)の近くの海を走っているのを見て、うれしくなりました。

今日はこれからそのハワイの伝統カヌーに乗りにハワイ島に行きます。インターネットのない世界です。
せっかく更新を楽しみにしていただいているのに、しばらくは更新できそうもありません。
ゴメンナサイ。

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