Jan.24 2006 本質

2006年01月24日 | 風の旅人日乗
1月24日 火曜日 

写真は昨日に引き続いて、相模湾沿岸の小部屋から見る今日の富士山です。

2月9日から12日まで幕張で開催される東京国際ボートショーで『Team Nishimura Project』 の紹介パネルを展示する機会をもらうことができた。ここのところずっと、そのパネルで表現する「Team Nishimura Project」とは何か? 「Team Nishimura」とはどんな集団なのか?といった文章の案を考えている。

2月の始めに行かなければいけない海外出張の段取りとか、4月に始める仕事の準備とかが重なり、一つのことについて集中して考える時間が細切れになり、ボートショーで展示するパネルの内容がなかなかまとまらなくて困っている。

短く、端的に言ってしまえば、Team Nishimura Projectの最終ゴールは、
『日本の海洋文化を背負ったアメリカズカップ挑戦を実現する』だ。
であるのだが、しかし、過去の日本のアメリカズカップ挑戦とは一線を画した挑戦であることを知ってもらわなければならない。

過去の日本のアメリカズカップ挑戦と、それについての華やかな報道は、確かにそれなりに意義のあることだったと思う。ぼくがチームに入れてもらえた2000年の大会でも、その挑戦のおかげで我々日本人セーラーはセーラーとしていっそう進化することができた。

しかし同時に、日本の過去の挑戦は、日本の中に負の遺産も残してしまっていると、自分自身の反省も含めて言わなければならない。

過去の日本のアメリカズカップ挑戦と、それについての報道から、日本にはアメリカズカップについての間違った観念が蔓延してしまっているとぼくは感じている。「アメリカズカップ」という言葉を出してしまうと、一瞬にして「ああ、あのアメリカズカップね」と、その間違った観念でくくられてしまうのだ。

日本の報道が強調してきた「お金がかかるヨットレース」、「乗っているのは、相撲取りのような力持ちで大男ばかり」というアメリカズカップ観は、アメリカズカップの本質から程遠いものだ。
この観念に捉われてしまうと、アメリカズカップの本質を知ろうという気さえ起こらなくなる。「どうぞ、ご勝手に」となってしまうのだ。

2000年の日本からの挑戦を、そのセーリング・チームの一員として日記風のノンフィクションにして出版した。それらの文章を本にする前に、雑誌に連載記事として書き続けた。
そして、実際の海の上での挑戦と、そのことを書き綴るという作業を通じて、自分には、この、アメリカズカップという、すべてのスポーツの中で歴史上最古のトロフィーを競うスポーツの本質が、見えてきたように思うのだ。
その本質を知った上でこのトロフィーに挑戦しなければ、到底勝つことはできないだろうし、また、参加する意味さえない、と確信するようになったのだ。

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