ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

昭和伊南総合病院の救命救急センター指定見直しの問題

2008年08月08日 | 地域医療

コメント(私見):

救命救急センターとは、急性心筋梗塞、脳卒中、頭部外傷など、2次救急で対応できない複数診療科領域の重篤な患者に対し高度な医療技術を提供する3次救急医療機関であり、人口100万人あたり最低1カ所、それ以下の県では各県1カ所設置されます。

24時間救急に対応するには常時1名以上の救急科の専門医が病院に待機している必要があり、そのためには最低でも5名程度の専任の専門医を確保する必要があると考えられますが、現実的には、救命救急センターが設置されていても、救急科の専門医が十分には確保されてない病院も多く、その結果、救急科医師の労働環境が悪化し、激務に耐えかねて辞める医師が増加し、それによって、救急科医師の労働環境がさらに悪化、というように悪循環に陥っています。

少ない医師数で救命救急センターの運営を維持するのは大きな限界があります。長野県の人口は約217万人ですから、人口規模から言えば、本来は県内に救命救急センターは2カ所程度設置されるのが適正数とも考えられます。ただ、救命救急センターまでのアクセスに時間がかかりすぎると救命率が下がるので、むやみに施設数を減らすわけにもいかない事情もあります。

既存の救命救急センターとの距離的問題などから3次救急医療を必要とする重篤な患者の診療を行うため新たにセンターの整備が必要と認められる圏域には10床程度の新型救命救急センターの設置が認められることになりました。

長野県・南信地区では、約30年前に昭和伊南総合病院が救命救急センター(30床)に指定されて、長い間その機能を果たしてきました。しかし、30年の間には事情もかなり変わってきましたので、南信地区に新型救命救急センターを3カ所設置することになり、2年前、昭和伊南総合病院の救命救急センターを30床から10床に縮小し、諏訪赤十字病院(10床)、飯田市立病院(10床)が新型救命救急センターとして新たに指定されました。昭和伊南総合病院と伊那中央病院とは同じ上伊那地方にあって、同地方の救急患者の多くは伊那中央病院に搬送されています。現在、上伊那地方のセンターをどの病院に指定するのかで問題となっています。

信州大付属病院は、救命救急センターのうちでも特に高度な診療機能を提供する高度救命救急センターとして認可されています。

(伊那毎日新聞、2008年8月1日)

****** 信濃毎日新聞、2008年8月6日

地域医療の要に波紋

医師減の影響深刻 公立3病院維持 重い課題

 県の救急医療機能評価委員会が7月末、昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)の救命救急センターに「機能不十分」との評価を下し、病院や地域に波紋を広げている。県は本年度内に、同病院がセンターにふさわしいかどうか見極める方針。仮にセンター指定を外れれば、同病院の経営難に拍車をかける可能性もある。指定の見直しは、公立病院が多くを担う上伊那地方の地域医療をどう維持していくか、根幹にかかわる課題も投げ掛けている。

◆救命救急センター 心筋梗塞、脳卒中、頭部損傷など重篤な救急患者に24時間態勢で高度な医療を提供する施設。県が病院に設置を要請し、国が認める。対象病院は実質的に県の判断で決まるが、指定を取り消す権限はないとされる。県内のセンターは東信が佐久総合(20床)、北信が長野赤十字(34床)、中信が信大付属(20床)と相沢(10床)、南信が昭和伊南(10床)、諏訪赤十字(10床)、飯田市立(10床)の計7ヵ所。

昭和伊南の救急「不十分」評価

 「厳しい判断が下るとは思っていた。医師不足はわれわれの努力だけでは何ともならないのが現状だ」

 評価委が昭和伊南を現地調査に訪れた7月31日。評価結果を聞いた長崎正明院長は淡々と語った。

 評価委はこの日、調査を終えると直ちに、「センターとしては不十分」(滝野昌也委員長)との見解を表明。8月中にも事実上の指定替えを求める報告を県に出す考えを明らかにした。

 「常勤医が50人はいないとセンターの運営が厳しいことは分かっていた」。ある男性医師は言う。同病院の常勤医は現在23人。2003年3月には36人いたが、信大の引き揚げや開業などを理由に次々と流出した。その厳しさは、誰よりも現場の医師たちが痛感している。

 1979年、昭和伊南は「24時間・365日の高度な救急医療」を掲げる救命救急センターに県内で初めて指定された。長い歴史を持つ救急医療に誇りを持つ関係者は少なくない。

 だが現在、救急部門の常勤医は2人。休日・夜間の多くを他の診療科の医師がカバーする。整形外科と産婦人科の常勤医は不在だ。

 医師不足は経営面にも深刻な影響を与えた。04年度に約9800万円だった単年度赤字は06年度、約4億6800万円に拡大。「医師が1人いなくなれば、年間1億円の減収につながる」(事務部)という。

 このままセンターの指定が外れれば、高度医療を提供するとの理由で高く設定された診療報酬が適用されなくなり、経営へのさらなる打撃は避けられない。運営する伊南行政組合の杉本幸治組合長(駒ヶ根市)は「今後も守り抜く」と力を込めるが、「悪循環」を抜け出す特効薬は見つかっていない。

 昭和伊南がセンターでなくなった場合、指定が有力視されるのは伊那中央(伊那市)だ。常勤医師は現在62人。心肺停止状態で救急部門に運ばれたケースは07年1年間に105件あり、昭和伊南の45件を大きく上回る。

 南信のセンターをめぐっては、前県政時代に県が昭和伊南に「自主返上」を促したものの、地元の反対を受けて存続方針に転換。指定を見込んでいた伊那中央側は、運営する伊那中央行政組合の小坂樫男・伊那市長が「はしごを外された」と猛反発し、両病院や地域間のしこりも生んだ。

 こうした経緯もあり、伊那中央側は「センターになれば今と同じ態勢で1億1千万円の収入増になる」と期待感を示す。

 ただ、指定替えによる影響は未知数な部分もある。伊那中央でも、かつて7人いた救急部門の常勤医師は現在3人に減り、休日や夜間は他の診療科もカバーする。昭和伊南の運営がより厳しくなれば、伊那中央にさらに患者が集まり、医師の負担が過重になる事態も招きかねない。

 今年1月、小坂市長は昭和伊南、伊那中央と辰野総合(上伊那郡辰野町)の公立3病院の経営統合にも言及したが、その後議論は進んでいない。「上伊那の公立3病院全体をどう維持していけばいいか、難しい課題だ」。市長は重く受け止める。

 センター見直しをめぐり、地域にとって最善の「着地点」は見いだせるか。医師不足で昭和伊南がお産の扱い休止を決めたことを受け、昨年10月に駒ヶ根市の母親らがつくった「安心して安全な出産ができる環境を考える会」の須田秀枝代表は「まずは病院同士、行政同士が率直に話し合ってほしい」と求めた。【東条勝洋、大杉健二】

南信地区の救命救急センターをめぐる主な経緯

1979年4月 昭和伊南総合病院のセンター(30床)が運営
       開始
2005年3月 県の救急医療機能評価委員会が昭和伊南を
       「マンパワー不足で将来的に厳しい」と評価
     8月 県が昭和伊南にセンター指定の「自主返上」
       を要請、地元側は反発
     9月 県が南信のセンターを伊那中央、諏訪赤十
       字、飯田市立に10床ずつ再配置する案を示す
2006年5月 田中知事(当時)が方針を転換、昭和伊南の
       センターを10床に縮小して存続、残り20床を
       諏訪赤十字と飯田市立に配置する考えを表明
     9月 機能評価委が昭和伊南、諏訪赤十字、飯田
              市立への再配置方針を「妥当」と判断
    10月 新体制に移行
2008年7月 機能評価委が昭和伊南を現地調査、「機能が
       不十分」との評価で一致

(信濃毎日新聞、2008年8月6日)

****** 伊那毎日新聞、2008年8月1日

昭和伊南総合病院 「緊急医療に不適切な状態」と認識示す 県緊急医療機能評価委員会、7月31日の現地視察で

 長野県緊急医療機能評価委員会が31日、駒ヶ根市の昭和伊南総合病院を現地調査し、「救急医療を行なうには不十分」という認識を示した。

 委員会は、県内の救命救急センターに指定されている病院を視察し、センターとしての機能が発揮されているかを調査している。今年度視察するのは、県内の指定病院7カ所のうち2カ所で、今日は、長野赤十字病院と昭和伊南病院が対象。視察後に病院側と意見交換もした。

 委員からは、夜間の救急センターの運営や、他の医療機関と連携について質問が出され、救命救急センター長の村岡伸介医師は、「休日・夜間に勤務した次の日に、休めないこともあり、厳しい状況だ」と答えていた。

 連携については、現在昭和伊南病院には、整形外科や産婦人科の常任医師がいないので、伊那中央病院などに依頼している状況であると報告していた。

 視察を終えて、瀧野昌也委員長(長野救命医療専門学校救急救命士学科学科長)は、「委員全員一致で、救急医療を行なうには不十分だと感じた。今後の改善の取り組みを見守りたい」と話した。また、委員から、「伊那中央病院のセンター指定を視野に入れて視察をしてはどうか」との意見も出たと話していた。

 昭和伊南病院の長崎正明院長は「無理して継続することにより悪影響が出るよりは返上もやむをえない」と話していた。

 長野県は今年度中に上伊那の救急医療体制について方針を出したいとしている。【伊那ケーブルテレビジョン】

(伊那毎日新聞、2008年8月1日)