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『太陽はひとりぼっち』 旅の友・シネマ編 (30) 

2020-01-18 17:16:56 | 旅の友・シネマ編



『太陽はひとりぼっち』 L'Eclipse (伊)
1962年制作、1962年公開 配給:ヘラルド モノクロ
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ、エリオ・バルトリーニ、オティエリ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ
主題歌 『太陽はひとりぼっち』 L'Eclipse Twist  
主演 ヴィットリア … モニカ・ヴィッティ
    ピエロ … アラン・ドロン
    リカルド … フランシスコ・ラバル
    ヴィットリアの母 … リッラ・ブリグノン
    アニタ … ロッサナ・ローリ



ヴィットリアは三年間交際していたブルジョアの婚約者リカルドに別れ話を持ち出し、未練がましいリカルドを振り切って婚約を
解消した。ヴィットリアは証券取引所で相場を張っている素人投資家の母を訪ねるが株価の乱高下に夢中な母は彼女の話を
聞こうとはしない。その母は株の大暴落で大きな損失を抱えてしまった。ヴィットリアは虚無感を背負ったまま女友達のアニタ
たちと深夜のアパートでふざけたり、その夫の操縦するセスナに乗ったりと気分転換を図ったが気だるい気分は解消できない。
ヴィットリアは再び訪れた取引所で証券会社のピエロと出会い親密な仲になる。ピエロは「明日会おう、明後日も、次の日も」と
言うものの、お互いに真剣に愛し合っても二人の間にはお互いに埋められない深い谷間があることを思い知らされる。ピエロの
言葉はヴィットリアには虚しく響く。都会の中の廃墟のような町の風景が二人の愛を暗示しているかのよう見え、ヴィットリアの
精神は無情にも蝕まれてていく。



この作品は独自の知的リアリズムで愛の不毛を描き、世界映画史に燦然と名を残したイタリアの鬼才と呼ばれたアントニオーニ
監督によるものです。アントニオーニは第二次大戦後にネオ・リアリズムの影響を受け、映画は単に物語を見せるものではなく、
登場人物の心理を映像表現するという作風で、1957年の『さすらい』で孤独に苛まれ絶望しながらも脱出を求めて苦悩する
主人公の姿をモノクロの映像美の中に心の渇きを荒涼として広がる冷淡な風景と重ね合わせるというイメージ処理によって
独特の映像芸術を確立し、他に追随を許さない知的リアリズムを完成させました。



アントニオーニは次いで「愛の不毛三部作」と称された作品群を発表します。『情事』『夜』そしてこの『太陽はひとりぼっち』です。
『情事』では物語性を排除して登場人物の心理を映像表現する映画へとさらに進化させて不要な説明を一切せず、心の繋がりを
失って孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ真実の愛の渇きを、背後に広がる無人の冷淡な風景を多用しながら、
表向きでは繋がっている男女も実際は互いに隔絶し冷たい浮遊の個にすぎないという愛の不毛を映像で表現、『夜』においても
離婚の危機に瀕した中年夫婦を主体として都会に生きる男女の埋めることのできない断絶感を完成された知的リアリズムで
描き切り、この『太陽はひとりぼっち』においても人間同士の断絶感を廃墟のような都会の情景を積み重ねるショットによりその
心情をさらに深化した映像で綴りあげています。



これらの「三部作」に共通していえることはいずれの作品もストーリーがありません。アントニオーニ作品は物語の起承転結を
見せるものではなく、登場人物の心理を映像で表現するのを目的としている映画なので下手なストーリーは不要なのです。
『太陽はひとりぼっち』 においても、黒人女性に扮してボディ・ダンス、セスナでローマの上空を旋回、証券所の喧騒、水没した
オープンカーの引揚げ、など説明を一切せずに何の脈絡もない日常の一コマとして利用しながら心の渇きを抽象的に表現し、
映像芸術を確立したラストシーンがそれを見事に象徴しています。





巷ではアントニオーニの作品は難解だといわれています。重ねて申しておきますが、アントニオーニ作品は物語の起承転結を
見せるものではなく、登場人物の心理を映像で表現する知的リアリズム映画なので、筋書きのあるドラマだと決めつけて観ると
意味不明な凡作にしか見えないでしょう。
当時、映画に先行して爆発的にヒットした主題歌や、アラン・ドロンの恋愛映画という期待で映画館に通った人々の見終わった
あとの失望感は半端なものではありませんでした。この意味不明の作品がキネマ旬報、映画の友、スクリーンなどの映画誌の
1962年度ベストテンで堂々の4~5位の高評価となればきっと納得がいかなかったことでしょうね。



  *****

ツイストとブルースを融合させたような主題歌はアントニオーニの明友ジョヴァンニ・フスコの作曲によるものです。
これを和製のコレット・テンピア楽団が演奏したレコードがリリースされて各種のラジオ番組で爆発的な大ヒットになりました。
映画ではタイトルバックでミーナ・マッツィーニが唄っている一節以外はほとんど流れず、それも小さな音量でしか聞くことが
できませんでした。映画音楽に期待していた人も肩すかしを食らったかもしれませんね。

↓はミーナ・マッツィーニの『太陽はひとりぼっち』 YOUTUBEより


↓はジョヴァンニ・フスコ楽団の『太陽はひとりぼっち』 YOUTUBEより


↓はコレット・テンピア楽団の『太陽はひとりぼっち』 オリジナル盤 YOUTUBEより



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