港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

ちょっと疲れました…

2019-12-31 20:47:43 | 明日は誰の日

今思えば無謀な企画であった
「明日は誰の日」のカテゴリーも
何とか一年続けることができました。
稚拙な記事にお付き合いいただきまして
ありがとうございました。

ちょっと疲れました…


『12月31日』

2019-12-30 22:23:41 | 明日は誰の日

【ご命日】

★リッキー・ネルソン Ricky Nelson (1940.5.08~1985.12.31)



アメリカの芸能一家に生まれ育った元祖アイドルの青春ポップシンガー、映画俳優。
主な歌唱曲として『トラベリン・マン』『ハロー・メリー・ルー』『ヤング・ワールド』『ティーンエイジ・アイドル』などがあり、
主な出演作品として『三つの恋の物語』『リオ・ブラボー』『南太平洋ボロ船作戦』などがある。

↓はリッキー・ネルソンの『ハロー・メリー・ルー』【YOUTUBEより】

『12月30日』その1

2019-12-29 23:33:18 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆キャロル・リード Carol Reed (1906.12.30~1976.4.25)



第二次大戦後にデヴィッド・リーンと共に衰退していた英国映画界を復活させたイギリスの映画監督です。
舞台俳優の子息としてロンドンのパトニーで生まれました。カンタベリーのキングス・スクールに学び16歳から俳優として舞台に
立ち、スリラー作家のエドガー・ウォーレスの舞台劇に参加したのを機に舞台助監督をつとめ、そのウォーレスが映画会社を設立
したことからその助手として映画界に入りました。1935年に "Midshipman Easy" で監督デビューを果たし、1937年の『銀行休日』
で新鋭監督として注目を集め、1940年には『ミュンヘンへの夜行列車』はヒッチコック流の快作スリラーを発表しました。
第二次大戦後の1947年に『邪魔者は殺せ』においては政治資金強奪事件で重傷を負った男の生死をめぐってドキュメンタリー手法に
よりその人間関係をスリラー形式で描き上げ、ヒッチコックがハリウッドに去った後の沈滞していた英国映画界を活気づける
傑作となりました。次いで1948年に少年の心理を鮮やかに描いた『落ちた偶像』をスリラー仕立てで演出し、さらに1949年には
『第三の男』において敗戦後のウイーンの澱みに生きた男女をチターの音色に乗せて社会劇スリラーの傑作に仕上げました。
この三作品はいずれもドキュメンタリー手法により英国独特の無機質的な冷ややかな視点で凝視し、モノクロの鋭利な映像で描き
切ったもので、ヒッチコックをはるかに超えるスリラーの名作として高い評価を受けました。
しかし、1951年の南海の小島を舞台に白人と現地女の恋愛を描いた異色作『文化果つるところ』や1955年のロンドンの裏町に住む
人々の哀歓を描いた『文なし横丁の人々』などではそれまでのシャープな切れ味が失せ、1958年の『鍵』で復活の兆しが見えたか
と思われましたが、続く『ハバナの男』『逃げる男』ではお得意だったはずの社会劇スリラーでも手腕を発揮できず、1968年の
ミュージカル『オリバー! 』に至っては輝かしいキャリアの汚点とも言える低落ぶりを露呈てしまいました。

【主要監督作品】
1937年『銀行休日』Bank Holiday

1939年『星は地上を見ている』The Stars Look Down
1940年『ミュンヘンへの夜行列車』Night Train To Munich

1944年『最後の突撃』The Way Ahead 
1947年『邪魔者は殺せ』 Odd Man Out【YOUTUBEより】

1948年『落ちた偶像』The Fallen Idol【YOUTUBEより】

1949年『第三の男』 The Third Man【YOUTUBEより】

1951年『文化果つるところ』Outcast of the Islands

1955年『文なし横丁の人々』A Kid for Two Farthings

1956年『空中ぶらんこ』Trapeze

1958年『鍵』The Key

1960年『ハバナの男』Our Man in Havana 

1963年『逃げる男』The Running Man
 
1965年『華麗なる激情』 The Agony and The Ecstasy

1968年『オリバー! 』Oliver! 


『12月30日』その2

2019-12-29 22:26:33 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ロベール・オッセン Robert Hossein (1927.12.30~ )



クールで強い個性によりフィルム・ノワール系作品で活躍したフランスの俳優、映画監督です。
作曲家アンドレ・オッセンの子息としてパリに生まれました。中等教育を終え大学入学資格を取りましたが、ルネ・シモンのもとで
演技を学び、グラン・ギニョル劇場で舞台に立ち犯罪物の戯曲で好演して注目されました。1953年に "Quai des Blondes" に出演
して映画界入りし、1954年のジュールズ・ダッシン監督の『男の争い』の傍役が評価され、以後はクールで知的な個性を売り物
として特にフィルム・ノワール系の作品で俳優活動を続けました。一方で、1956年には『悪者は地獄へ行け』で監督業にも挑戦、
この作品で共演したマリナ・ヴラディと結婚(1962年に離婚)しています。

【主要出演作品】
1954年『男の争い』 Du rififi chez les hommes

1956年『罪と罰』 Crime et châtiment

1957年『大運河』 Sait-on Jamais

1959年『殺られる』Des Femmes Disparaissent

1959年『悪党ども』Les Canailles
1961年『ヒッチ・ガール』 Les Petits matins
1962年『戦士の休息』Le Repos du guerrier【YOUTUBEより】

1962年『悪徳の栄え』Le Vice et la vertu

1962年『太陽は傷だらけ』Les Grands chemins

1963年『夜のエレベーター』Le Monte-Charge

1963年『めんどりの肉』Chair de poule
1968年『個人教授』 La Leçon particulière
1969年『砂漠の戦場エル・アラメン』 La Battaglia di El Alamein

【主要監督作品】
1956年『悪者は地獄へ行け』Les Salauds vont en Enfer (出演も)
1956年『不良の掟』Pardonnez nos offenses
1960年『危険な階段』Les Scélérats (出演も)
1964年『殺人者に墓はない』La Mort d'un tueur (出演も)

1969年『傷だらけの用心棒』 Une corde, un Colt (出演も)


☆デル・シャノン Del Shannon (1934.12.30~1990.2.08)



『悲しき街角』などの街角シリーズで人気を博したアメリカのポップ・シンガーです。
ミシガン州グランドラピッズに生まれ、クーパースヴィルで育ちました。14歳の時にギターを弾きはじめ、高校時代に学生仲間と
バンドを結成して音楽活動を開始しました。高校卒業後には兵役にとられましたが軍隊の娯楽ショーなどで腕を磨き、除隊後には
再び結成したバンドで地元のラジオ局に出演していた時にビッグ・トップレコードから声が掛かり契約、友人のキーボード奏者で
あるマックス・クルックと共同で作詞・作曲した『悲しき街角』が1961年に全米1位の快挙となりました。
その後も『花咲く街角』『さらば街角』などのヒットを連発し、日本でもそのタイトルから【街角男】とも呼ばれる人気者になり
ました。しかし、ロックンロールの衰退と共に人気にも陰りが出始め、1960年半ばからはこれといったヒットもなくなり、徐々に
アルコールに依存するようになりさらにうつ病が悪化、1990年に自宅で猟銃自殺を遂げて帰らぬ人となってしまいました。

【主要歌唱曲】
1961年『悲しき街角』Runaway 全米1位【YOUTUBEより】

1961年『花咲く街角』Hats Off To Larry 全米5位【YOUTUBEより】

1961年『さらば街角』So Long Baby 全米28位 視聴
1962年『鏡の中のジニー』Ginny In The Mirror 視聴
1963年『街角のプレイガール』Little Town Flirt 全米12位 視聴
1965年『太陽を探せ』Keep Searchin 全米9位 視聴
1967年『悲しき街角'67』Runaway '67 視聴

他にも「街角シリーズ」として↓のような曲もありました。
 Give her lots of loving ⇒ 恋する街角
 Stranger in town ⇒ さすらいの街角
 Never thought I could ⇒ 涙の街角

『12月29日』

2019-12-28 17:48:47 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョン・ヴォイト Jon Voight (1938.12.29~ )



1969年の『真夜中のカーボーイ』で知名度を上げたハリウッドの俳優です。
プロゴルファーのエルマー・ヴォイトの次男としてニューヨーク州ヨンカーズ生まれました。
アーチビショップ・ステピナツ・ハイスクールに入学し、卒業後はワシントンに移住してアメリカ・カトリック大学に進学して
美学を専攻していましたが舞台劇『夏の夜の夢』に出演したのを機に役者を志すようになり、やがてブロードウェイの舞台に立つ
ようになりました。1967年の『墓石と決闘』で遅まきながら映画デビューを果たし、1969年にジョン・シュレシンガー監督の
英国風の冷酷なリアリズム作品『真夜中のカーボーイ』で注目を集めました。
その後も確実な演技で現在も映画やTVなどで活躍を続けています。

【主要出演作品】
1967年『墓石と決闘』Hour Of The Gun

1968年『青春の渚』Out Of It
1969年『真夜中のカーボーイ』Midnight Cowboy【YOUTUBEより】