港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

1960年に流行った洋楽といえば

2021-01-31 15:31:08 | ポップス

前回及び前々回に1960年『ユア・ヒット・パレード』と『今週のベストテン』年間順位を紹介しましたが、
1960年には次のような楽曲も流行していました。

『おおキャロル』 ニール・セダカ

『きみこそすべて』 ニール・セダカ  視聴
『イッツ・ナウ・オァー・ネヴァー』 エルヴィス・プレスリー  視聴
『今夜はひとりかい』 エルヴィス・プレスリー  視聴
『グッバイ・ジミー・グッバイ』 ケーシー・リンデン  視聴
『ビキニスタイルのお嬢さん』 ブライアン・ハイランド

『ピロー・トーク』 ドリス・ディ  視聴
『メロンの気持』 グローリア・ラッソ  視聴
『月影のナポリ』 ミーナ・マッツィーニ

『月影のキューバ』 セリア・クルス  視聴
『悲しきインディアン』 ジョニー・プレストン  視聴
『恋の汽車ポッポ』 アルマ・コーガン  視聴
『グッド・タイミング』 ジミー・ジョーンズ

『悲しき60才』 ロス・エスパニヨレス

『燃ゆる想い』 ジャミー・クー   視聴
『パイナップル・プリンセス』 アネット


テレビの普及と共に和製カヴァー曲が氾濫した時代でした。
当時を知る方々にとっては、原曲よりもこれらの和製カヴァー曲を聞いていた方のほうが
多いのではないでしょうか。



  *********

菅首相がコロナ禍で生活苦にあえいでいる人々に対して「最終的には生活保護がある」と
とんでもない言葉を発しました。
生活保護の前にあらゆる努力をするのが政府の責任のはずなのですが。
貧乏人は路頭に迷えということなのでしょう。

そういえば、その昔に「貧乏人は麦を食え」と言った大蔵大臣(後の総理大臣)がいましたね。
「貧乏人は麦、金持ちはコメを食うのが経済原則、中小企業の倒産によって自殺者が出る
ことになってもやむを得ない」
菅首相の現在の対策はまさにこの当時の池田勇人(後の総理大臣)の思想とそっくりです。
自由民主党による金持ち優遇かつ貧困層切り捨てという思想が脈々と受け継がれているようです。

哀しい世の中です。



1960年『今週のベストテン』年間順位

2021-01-23 11:34:18 | ポップス

『ユア・ヒット・パレード』に次いで『今週のベストテン』の年間順位です。

①太陽がいっぱい サウンド・トラック(ソノシート盤)
②死ぬほど愛して アリダ・ケッリ
③恋の片道切符 ニール・セダカ

③ローハイド フランキー・レイン

⑤グリーンフィールズ ブラザーズ・フォー

⑥悲しき16才 ケイシー・リンデン

⑦夏の日の恋 パーシー・フェイス楽団
⑧渚にて ジミー・ロジャース
⑨星空のブルース ベルト・ケンプフェルト楽団

⑩マイ・ホーム・タウン ポール・アンカ

『今週のベストテン』の順位につきましては、弊ブログの『60年代ポップス変遷史』におきまして
60年代ポップス黄金期といわれる1960年4月~1964年3月までを語りつくしていますので
弊ブログのカテゴリー『60年代ポップス変遷史】をご参照頂けますようにお願いいたします。

1960年『ユア・ヒット・パレード』年間順位

2021-01-19 04:15:53 | ポップス

今回は1960年の『ユア・ヒット・パレード』年間順位です。

①太陽がいっぱい フィルム・シンフォニック楽団

②死ぬほど愛して アリダ・ケッリ

③グリーンフィールズ ブラザーズ・フォー
④ローハイド フランキー・レイン
⑤夏の日の恋 パーシー・フェイス楽団

⑥渚にて ジミー・ロジャース

⑦恋の片道切符 ニール・セダカ
⑧悲しき16才 ケイシー・リンデン
⑨黒いオルフェ サウンド・トラック

⑩アフリカの星のボレロ フィルム・シンフォニック楽団


プレスリーの復員もありましたが、巷で一番流行ったのは和製のロックンロールだったかもしれません。
ザ・ピーナッツに続いて坂本九(ダニー飯田とパラダイスキング)と森山加代子がデビューして町中に
和製ポップスが溢れた年でした。
個人的には和製ポップスを蔑視して聞かないようにしてはいましたが、否が応でも耳に飛び込んで
くるほどの一大ブームでもありました。


2021-01-17 08:06:01 | 独り言

1995.1.17 Am 5:46
激震が走り抜けたあの日から26年です。

コロナ禍の中、今年も各地で追悼の行事が営まれているようです。
数多くの尊い命が失われ、命の大切さを思い知らされたものでした。


人の命は尊い。
人の命ほど尊いものはない。


にもかかわらず、政府のコロナ対応策の現状は
医療崩壊を招き毎日数多くの尊い命が失われています。
崇高な理想による憲法下では、国家は国民の生きる権利(命)を保障する義務があるはずです。
いったい、何人の命が失われたら自らの無策に気づくのでしょうか。


疫病対策は徹底した検査と感染者の隔離が基本中の基本でしょう。


「国民の命はオリンピックよりも大切。
 病院、ホテル療養施設などのベッド不足により命を落とす人も増えてきました。
 感染者を野放しにしたり自宅待機にするなどは絶対に避けます。
 その証の一つとして、まず
 オリンピック選手村(1万8000ベッド)等の施設を感染者のために転用させます。
 国家の総理として国民の命を守ることを力強く宣言します。」

と、ガースーさんに決断 してもらいたいですね。
ガースーさんが本気度を見せれば状況も変わってくるかもしれません。


震災の追悼記事↓