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クリスマスを背景にした映画

2016-12-24 15:33:30 | シネマ

今日はクリスマス・イヴですね。

クリスマス・ソングといえば、ビング・クロスビーやパット・ブーンの『ホワイト・クリスマス』が定盤です。
では、クリスマスを背景にした映画といえば 皆様はどんな作品を思い起こされるのでしょうか。

私の印象に残った三篇は

『シベールの日曜日』 当ブログ 2014年8月3日付け 映画音楽映画音楽史(196)にて紹介








『シェルブールの雨傘』 当ブログ 2014年9月4日付け 映画音楽映画音楽史(224)にて紹介






『幸福への招待』 当ブログ 2014年3月21日付け 映画音楽映画音楽史(82)にて紹介







皆様はどんな作品を思い起こされるのでしょうか。
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アカデミー賞について思うこと

2015-06-04 03:29:11 | シネマ

今日はアカデミー賞について、『嫌われごと』を述べてみようと思います。

私も映画と真剣に対峙するまではハリウッド発のアカデミー賞に関心を持っていたものです。
しかし、アカデミー賞自体がハリウッドの一大宣伝イベントにすぎないと悟ってからは一切興味がありません。
内外のマスコミは映画界最高の栄誉としてもてはやしますが、ハリウッド映画を全世界にばらまくための商業手段で、
マスコミやファンが騒げば騒ぐほどハリウッドが儲かる仕組みとなり、これは戦略的な営業イベントそのものです。
さらにアカデミー賞は、ハリウッド内の権威争いの場でもあります。
受賞することによって、制作者をはじめ、監督・役者から衣裳デザイン・音楽に至るまでその映画に携わった
あらゆる人たちの地位と名声が後々の映画界において保証されます。
個人の演技に対する賞を受けた俳優は一躍スターダムに、その後の出演には莫大な出演料を約束されます。
映画製作会社としては、賞の肩書で全世界に売り込みが容易となりその映画の興業収入が確保されます。
そのために、関係者は自らの作品を受賞させるための醜い暗躍を繰り返しています。
( 一例を挙げれば駄作としか思えない『風と共に去りぬ』におけるデヴィッド・O・セルズニックの言動 )
裏側のそんな泥臭い銭闘のために 見る側が踊らされては たまったものじゃありません。

さらに、主演男優賞など(主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞) もナンセンスの極みでしょう。

私の友人である Amore-mioさんの父上が仰っていた言葉、
「役者の演技が上手いというけれど、そうではない。その演技をさせた監督が上手いのだ」
まったく同感です。
将棋でたとえるならば、棋士は監督で俳優は将棋の駒にすぎません。
まともな映画作品は監督の‘一貫した思い’を映像化するものです。
その作品は監督の"生産物"であって 主演俳優の"物"ではありません。
一介の俳優が作品の制作進行にあたって、自分の考えで監督の指示に従わずに勝手に演技したり、
監督に注文を出すということは、作品が監督のものであることを否定することであり許されるものではありません。
俳優が思い上るのはハリウッドの悪産物であるスター主義の最大の弊害でしょう。
俳優はあくまでも監督の意思に従って動かされる意思を持たない将棋の駒なのです。
逆に言えば、監督の意思に従って監督の思い通りの演技をこなすのが俳優という職業です。
娯楽目的の作品やテレビドラマ級の作品ならともかく、俳優は監督の指図に絶対であるべきでしょう。
役者の演技が上手かったと感じたならば、それは演出の"腕"です。
棋士を称えるべきであって駒を称えることはありえないことです。
したがって、主演男優賞など俳優に与えられる賞には何の価値感も持てません。
そういう理由なのか、賞を辞退した勇気ある俳優もいたようですが、これには大きな拍手を送ります。

アカデミー賞はナンセンス。

不快に思われる方もおられるでしょうが、これが私の持論です。




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太陽の誘惑 (1960) イタリア映画

2013-10-31 00:04:28 | シネマ


映画音楽が先行し、主演がクラウディア・カルディナーレということで話題となったイタリア映画です。
監督はフランチェスコ・マゼリですが日本ではほとんど無名で、日本公開作品はこの他に『豊かなる成熟(1961)』の挿話だけなので無理もありません。
マッゼリは1953年、生え抜きのイタリアン・レアリスタであるチェーザレ・ザヴァティーニ総監督のオムニバス『巷の愛』の一編を監督、
またミケランジェロ・アントニオーニらの助監督をつとめています。
その後短編ドキュメンタリーなどを手掛けていたようですがわが国では公開されておりません。
1955年に『Gli Sbandati (逃亡者)』というレジスタンス映画で長編デビューし、『太陽の誘惑』は二作目になります。
映画のタイトルは『 I DELFINI 』で、直訳すれはイルカですが、上流階級の御曹司を意味するものです。



物語を簡単に紹介すると
イタリア貴族や資本家の二代目たちが高級車を乗り回し酒と好色におぼれていた。
ある夜にその中の一人が発作で倒れ、医師とその恋人が駆けつける。
医師の恋人であるフェドラ(カルディナーレ)は上流階級に興味を持っていた。
やがて主人公の二人もその世界に入り込んだものの、荒んだ世界に嫌気をさして去っていく。
といった内容。

自分は何の力もないのに親の地位と金にモノを云わせて思うがままに酒と女に遊び呆ける御曹司たち。
世の中の不条理と無気力な姿を冷静かつ細微に写実して進行します。
荒廃した上流社会の描写は、カメラを絞ってできる限り暗く撮影していて、未来もなく価値もない人間の暗部を連想させます。
逆にそんな世界から主人公の二人が夜明けに抜け出すラストシーンは明るい将来を予測させ、その対比が鮮やかです。
モノクロ作品ならではの強い陰影のタッチが社会の矛盾に対する憤りを反映するかのような力作でした。

ロベルト・ロセリーニ、ヴットリオ・デ・シーカで始まったイタリアンリアリズムは1953年ころから現実直視という初期の意気込みが軟化しましたが、その精神は新たな旗手のフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニに受け継がれて開花していきました。
また、イタリアン・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったピエトロ・ジェルミの登場で、イタリアの新たな時代が始まります。
この流れに追随した新進のマウロ・ボロニーニやヴァレリオ・ズルリーニもしっかりとイタリアン・リアリズムの精神を継承しています。
フランチェスコ・マゼリもイタリアン・リアリズムの継承者と思えるような才能を持ち合わせていたはずですが、その後作品に恵まれていないため、その実力は図り知ることはできません。

振り返って1960年前後の公開作品を並べてみると、その数年がイタリア映画の過渡期であったことを物語っています。
1957年 『道』『カビリアの夜』(以上フェリーニ)、『屋根』(デ・シーカ)
1958年 『崖』(フェリーニ)、『白夜』(ルキノ・ヴィスコンティ)、『鉄道員』(ジェルミ)
1959年 『さすらい』(アントニオーニ)、『青春群像』(フェリーニ)、『わらの男』(ジェルミ)
1960年 『甘い生活』(フェリーニ)、『ロベレ将軍』(ロセリーニ)、『若者のすべて』(ヴィスコンティ)、『刑事』(ジェルミ)、『激しい季節』(ヴァレリオ・ズルリーニ)
1961年 『ふたりの女』(デ・シーカ)、『ローマで夜だった』(ロセリーニ)、『鞄を持った女』(ズルリーニ)、『太陽の誘惑』(マゼリ)
1962年 『情事』『太陽はひとりぼっち』『夜』(以上アントニオーニ)、『ウンベルトD』(デ・シーカ)、『2ペンスの希望』(レナート・カステラーニ)
1963年 『イタリア式離婚狂想曲』(ジェルミ)、『祖国は誰のものぞ』(ナンニ・ロイ)、『ビアンカ』(マウロ・ボロニーニ)、『シシリーの黒い霧』(F・ロージ)
1964年 『家族日誌』(ズルリーニ)、『山猫』(ヴィスコンティ)、『ブーベの恋人』.(ルイジ・コメンチーニ)、『堕落』(ボロニーニ)
いずれも名作揃いです。

『太陽の誘惑』はそんな新旧作家の織り交ざった時期の貴重な一編でした。

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タンスと二人の男(1958) その2

2013-06-16 17:09:57 | シネマ

この映画を語る前にまず監督であるロマン・ポランスキーの生い立ちに触れないわけにはまいりません。

ポランスキーは1933年8月8日、パリ生まれのユダヤ系ポーランド人。
三歳の時、ポーランドに戻ったが七歳の時にナチスによって一家は収容所に送られる。
自身は出所したものの母親は収容所で死亡、何とか生き残った父とは大戦後に再会できた。
ワルシャワ蜂起などを体験し、戦乱時を転々として苦しかった少年期を過ごした。
しかし、ナチスのあとは社会主義国家ポーランドという自由を制限された息苦しい生活を余儀なくされる。
やがて映画の世界に入り、アンジェイ・ムンクやアンジェイ・ワイダに仕えて演出を学んだ。
1955年から数本の短編を手掛けるが、このうちの一本が『タンスと二人の男』である。
そして1962年、初めての長編映画『水の中のナイフ』を監督、ベネチア映画祭で一躍脚光を浴びる。
(ただ、ポーランド国内ではイデオロギーがないと厳しく批判されている。)
それを機にヨーロッパから声がかかり、ようやく社会主義国家のポーランドから脱出、真の自由を手にすることができた。
以後、『世界詐欺師物語・オランダ編』『反撥』『袋小路』『吸血鬼』『ローズマリーの赤ちゃん』などを監督。
つねに弱者の立場から人物を描く作家として活躍を続けた。
そして彼は二度と祖国の土を踏むことはなかった。

そんな作家の人生経験を理解したうえで、『タンスと二人の男』に戻ります。

映画は突然海の中からタンス(もって生まれた人生の重荷)を担いだ二人の男が現れる。
タンスにある中央の大きな鏡は自分たちのプライドのように輝いている。
二人の男は希望を抱いて祖国の土を踏む。
(二人の男はポランスキー自身と彼の父親であろう。父親役のボーダーのシャツは収容所の縦縞を連想させる)
一人の女性にかすかな希望の光を見出したものの、彼等の受け入れを冷たく拒絶する市民 たち。
あふれる暴力や犯罪そして殺人。さらには厳しい警備員(官憲)。
暴力に屈した二人のプライドは鏡とともに砕け散ってしまう。
二人は荒廃してしまった祖国に絶望し、無邪気に砂遊びをする少年のそばを振り向きもせずに通り過ぎてゆく。
(少年の作っている砂山は無数の犠牲者の墓石を連想させます)
そして二人はタンスを担いだまま海の中に消えていく。
失望と共に再び祖国を脱出したいという作者の希望的結末なのでしょうか。
ポランスキーの荒廃した祖国ポーランドから脱出したいという思いを重ねながら、ナチや社会主義国家への痛烈な皮肉を込めて静かに語った映画だと思われます。
1920年代後半における前衛映画の再来、それも抽象主義手法を彷彿とさせる一篇でした。

この映画についての私の解釈は以上なのですが、観る人によっては全く違うかもしれませんね。

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タンスと二人の男(1958) その1

2013-06-14 15:24:08 | シネマ

ATGがスタートした頃には長編映画とセットで短編映画が同時上映されていました。
どの長編映画とセットだったのか失念しましたが、
1962~3年にロマン・ポランスキー監督の『タンスと二人の男』
という短編が同時上映され衝撃を受けたものです。

モノクロの画面に物語性はなく、台詞すらありません。
音声はというと、自然の音と音楽が流れているだけで、実質はサイレント映画そのものでした。
その映画の全編がYOUTUBEにアップされていて、半世紀ぶりに鑑賞することができました。
この作品を語る前に映像をご覧いただければと思います。
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