港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

そんなこんなで…

2013-02-26 01:08:18 | 絵画・イラスト

中学後半から高校時代は勉強よりも自分の趣味を追う生活に明け暮れました。
まず、下校すると劇画やイラストを描きはじめ、夜の七時を過ぎるとラジオの音楽番組。
観たい映画があるときの土・日曜の昼間は映画館通い。
これが日常でした。
今思うと、もう少しいろんな勉強をしておけばよかったと思ったりもしますが、
勉強せずに身に沁みついた音楽・映画・イラストは私にとってかけがえのない財産となっています。
特に映画は、学校では教えてくれない人生の教科書でした。
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劇画の誕生

2013-02-22 17:26:42 | 絵画・イラスト

昭和60年前後に、劇画というジャンルが誕生しました。
当時、男子向けの児童漫画は、手塚治虫、横山光輝の両巨頭の作品が主流でした。
しかし、その表現に異論を唱え、さらなるリアル感を追求すべく生まれたのが劇画でした。
名付け親は辰巳ヨシヒロ先生です。
やがて同志が集まって『劇画工房』が誕生し、雑誌『街』や『影』を舞台として発展していきます。
メンバーは、さいとうたかを、佐藤まさあき、K元美津、山森ススム、辰巳ヨシヒロ、桜井昌一、松本正彦、石川フミヤス(敬称略)
当初は、漫画の域を出ない作品も多かったのですが、時の経過と共にその存在感を増していきました。
リアルな写実、コマ割などは外国映画からかなりの影響を受けていたと思われます。
中でも、優れたデッサン力のさいとうたかを作品はファンからも絶大な支持を得ていました。
少なからず、私もその作風に魅了され、数多く模写したものでした。
私の描いた絵画やイラストはその影響があるのは否めません。
当時、私の描いたのイラストが何点か残っていますので、追々、ここに貼っていこうと思います。
下は、さいとうたかを先生の模写です。

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映画音楽

2013-02-19 16:21:29 | 映画音楽
映画がトーキーになると、新しい作曲家の仕事の領域として映画音楽家が誕生しました。
ビクター・ヤング、ヘンリー・マンシーニ、ジョセフ・コズマ、ニーノ・ロータ、カルロ・ルスティケッリ、ジョバンニ・フスコなどが代表的な存在です。
映画音楽がラジオなどで先行ヒットするとその結果として映画も興行的にも成功し、映画がヒットするとその主題歌も売れるということで、映画と音楽は切ってもきれない重要な関係です。
ポピュラーファンで洋画ファンの私にとっても、映画音楽は重要な位置づけでもありました。
主題歌が流れてくると映画のワンシーンが瞼の裏をスクリーンにして鮮やかに蘇ってきます。
たとえ映画は見ていなくても音楽として充分楽しめるのですから。
このブログでも、映画音楽について取り上げてゆこうと思います。

そんな映画音楽には二つの流れが存在します。
まず、トーキーの誕生により、映画の中に歌曲が取り入れられます。
アル・ジョルスンの『ジャズ・シンガー』(1927年)がアメリカで公開されると、アメリカではブロードウェイの映画化が主流になっていき、唄物映画が一気に溢れ出しました。
映画で曲が流れさえすればレコードや楽譜が売れるというので、作曲家や演奏家・歌手がニューヨークからハリウッドに押し寄せた時代です。
これが音楽映画の源流となっています。
『音楽のための映画』で、典型的な例として、ミュージカル映画やプレスリー映画がこの部類になります。
その特徴として、映画の進行上、何の脈絡もなく突如として歌が始まります。
まさに『音楽のための映画』そのものでもあります。
一方で、ヨーロッパでもトーキーの時代に入り、当然のことながら音楽も取り入れられるようになりました。
しかし、ヨーロッパでは『音楽のための映画』ではなく、映画に音楽を融和させる手法が主流となりました。
『嘆きの天使』『会議は踊る』『巴里祭』『巴里の屋根の下』など、秀逸な作品にその主題歌が一体となりました。
挿入歌でありながらも、映画の構成上なくてはならない映画の一部となっています。
もちろん歌曲に限定したものではなく、映像のバックに流れる演奏も同様です。
『太陽がいっぱい』『第三の男』『鉄道員』『ブーベの恋人』などがこの部類になります。

『音楽のための映画』なのか『映画に融和した音楽』なのか…
どちらにせよ、これらに使用された音楽は、双方とも映画音楽として扱われています。

YOUTUBEで『国境は燃えている』(1965年)がアップされているのを見つけました。
マリオ・ナシンペーネの作曲でモーリス・ルクレール楽団の演奏したものですね。
反ナチのレジスタンス映画でしたが哀愁のこもったメロディーを聴くと、マリー・ラフォレのものうい表情が浮かんで心に沁みます。

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自主上映会

2013-02-18 04:33:43 | シネマ
アートシネマ神戸グループ(ACKG)も会を重ねるごとに映画への思い入れが熱くなり、やがて自主上映の話が持ち上がります。
メンバーの誰もが開催には賛成でしたが、こういった興行に関してはまったくの素人が開催するのですからそれはそれは一大事でした。
まずは、上映作品を何にするかで話し合われ、ATG第一回配給作品の『尼僧ヨアンナ』、それとフランチェスコ・ロージ監督の『シシリーの黒い霧』の二本立てに決まりました。
メンバーで手分けして、ATG関西出張所に出向きフィルムの貸し出しの了承を取り付け、あとは、会場および撮影技師の手配、入場券の印刷と販売、税務署への届出(入場税)等々。
私も担当の入場券の印刷と協賛広告の募集に奔走することになりました。
みんなの努力が実り、神戸海員会館にて第一回の自主上映会は何とか成功いたしました。
昭和42年7月1日(土)のことでした。

その後、私的な都合で私がメンバーから抜けたあとにも自主上映会を開いたという話も耳にしましたが定かではありません。
映画に情熱を傾注していた頃の思い出です。
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ACKG (アートシネマ神戸グループ)

2013-02-14 14:58:52 | シネマ

阪急文化で上映されるATG作品の鑑賞を重ねて常連となるうちに、当時の阪急文化の北川支配人(後に石原光正支配人)がアートシネマ神戸グループ(ACKG)を立上げました。
私もATG配給作品の合評会やACKGの会報発行などのお手伝いをするようになりました。
グループのメンバーはリーダー格の酒井氏を中心に二十代のサラリーマンや学生でした。
メンバーが集まれば一杯飲みながらの楽しく、時には激しい議論を交わしたりの映画談義。
もぎりの女性たちとも顔なじみになり、支配人から顔パスで場内に入る許可をしてもらったものです。
私自身は転勤のためにメンバーから外れ、その後ACKGの集まりにも参加することもなくなってしまいました。
いずれにしてもあの頃はみんな若くて熱かったものです。
数年前に、当時のメンバーが集まる機会があり、懐かしく話し合うことができました。
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