朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

「3・11」 六年前のこと

2017-03-11 05:40:40 | 日記
今朝の新聞の見出しには、この2017年を象徴するような三つの出来事が表されている
一つは国会でも論議を呼んでいた、南スーダンからの自衛隊施設部隊の撤収、司令部要員を除いて
5月には帰国するという。防衛相の「戦闘ではない」発言が記憶に新しい。

そして、韓国での朴大統領の罷免。
60日以内に大統領選挙が行われるという。慰安婦少女像問題はまた、蒸し返される様相を帯びている

そして、今も、2553人の行方が分からない東日本大震災のこと
テレビ、ラジオ、新聞のメディアも今日明日にかけ、様々な角度から報道だ。
 
6年前のこの日は、実は転勤する人の送別会の実施予定日だった。
少し早目に家を出て、町をぶらぶらしていた。丁度、仙台の仲掛丁の商店街にいた時だった。初めは,おや、地震だなぐらいの感じだったが、揺れはなかなかおさまらない。
そのうちアーケード街のまだ店を開けていないところのシャッターが「ガタガタ」と揺れ始め、その後、二階あたりから砂埃が落ち始め、揺れは一分半ぐらいは続いたろうか。大勢の人たちが外に出て、まさに不安そうに家々を眺めていた。この時点でできることは何もなく、茫然と佇むしかなかった。
私は仕事場に向かうべきところだが、対応は現役で十分だろう、そして、休みでもあったので何より家に一人でいる「カプチーノ」のことが心配になった。急いで、道々、情報を収集しながら自宅に戻った。
玄関前の本棚は倒れ、本が散乱、何かのガラス片を持った途端、指を切ってしまった。
カプの姿は見えない、食器棚の皿なども飛び出し、割れている。まだ夕方前だったので外の灯りが窓辺にさし、部屋の光景を映し出していた。これが長い耐乏生活の始まりだった。

カプは,その後、二階からか細い声で鳴きながら下りてきた。無人の家でさぞか細かったことだろう
とりあえず壊れたもの、などを撤去、スペースを作り、夕食の準備をした。
情報はラジオで、水は貯水槽に残っているものでしばらくしのぐことになる。ろうそくの明かり、そして携帯ラジオの情報と
「あの戦時中のような生活」が始まったのだった。ガス電気水道まさにライフラインの大切さを身をもって知らされた日々だった。

この日以降の話は、いずれまた書こうと思う。翌日から私は仕事に、朝4時半過ぎに出かけるという生活が続くことになる。
コメント
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