朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

太平洋から欧州へ渡った日本人がいる

2022-10-31 06:37:28 | 日記

青葉山の散策の途中、隅櫓の再建建物の向かいを覗いてみた。ちょっとした広場がありそこには白い像が建っていた。支倉常長像だ。当時の名前は支倉六右衛門常長、書物によって長常と書かれたものがあり、どちらが本物なのか定かではない。かつて歴史の足跡をたどる小さな旅をしたことがあり、常長の墓もたずねたことがある。

北山の光明寺の一角にその墓はある。どういうわけか、支倉の墓は県内の他の3っか所にもあり何か不思議な感じがする。

政宗の時代、家康に対抗し全国制覇をもくろんだ政宗、キリシタンに帰依し宗教の力も借りて全国進出をもくろんだようだがその一環として支倉を欧州に派遣した。長い旅路の後、支倉はローマに至る。旅先の修道院での宿泊や中々、宿泊料をだれが負担するか論議はあったようだが、ローマに到着している。洗礼を受け帰国の途につく。

かなり苦労はあったようだがフィリピン経由で何とか日本にたどり着く。仙台市博物館には洗礼を受けた支倉常長の祈りの図も保存されていて、輸送途中、絵を折り曲げて保存したためその折り目が残ったまま公開されている。今博物館は大規模改修工事。3月まで見ることができない。どんな展示になるか大幅な展示替えが行われるようで今から楽しみだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の日差しに誘われて青葉山逍遥

2022-10-30 04:56:41 | 日記

このところ、天気のいい日が続いている。かつては歩くことも億劫ではなかったが、ひざの痛みと本調子ではない体調面から、せいぜい昼食の場所を探す程度が続いていた。しかし、バスや地下鉄など公共交通機関を使えば、途中省略で結構遠出ができることが思い起こされ、お天気に誘われ青葉山に出かけてみた。

かつて仙台城の三の丸があったあたりは今では仙台市博物館が建って居る。この時期は大規模改修工事中で閉館中だが、久しぶりに紅葉の始まった青葉山の裾野あたりを歩いてみた。結構木々が生い茂り緑満杯といった感じの場所だ。その中に政宗の兜姿の銅像があるのを思い出した。政宗像、実は一時行方不明となり、塩釜の屑鉄置き場で発見され、この青葉山の場所に安置されるという数奇な運命をたどっている。三日月の兜姿、地震の際に三日月が折れて修復するという事もあったが今では、

凜とした姿を私たちに見せてくれている。結構精巧な作りで目はズンと前方を見据え世界を見通すような鋭さを持っている。支倉常長らのヨーロッパ派遣など広い世界観を持っていた政宗、家康との覇権争いに仮に勝っていたら、歴史は大きく変わっていたことだろうと、歴史にもしはないが、改めて感じた秋の一日であった。

       青葉山 眼光鋭く 政宗像 (駄作)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首相動静に政局を見る

2022-10-29 05:01:33 | 日記

昨夜も夕焼けがきれいだった。空全面が茜色に染まるというよりは、日没後の太陽がヤマの端に隠れ最後の力を振り絞るように輝きを増している。そんな感じに見えるから不思議だ。夕方5時ごろのことで、その瞬間は見逃せない。パチリと撮ったのが下の写真というわけだ。

さて、今日も4時前には新聞が玄関に届く。土曜日ということで紙の枚数が多く、ゆっくりと戸口から抜き出す。社会面から見始めるが、逆にたどるような形でページをめくる。政治面を開いて、いつもの習性で首相動静の欄を見る。その上には記事も載っていて今何が起きているのか想像がつく。

首相は公明党の山口代表以下と赤坂の日本料理店「赤坂しょう山」で食事だという。夜の7時53分に入り、退出は10時4分となっている。2時間余りの懇談というわけだ。総合経済対策を発表した直後だけに話題は政局、経済対策が中心だったろうと想像がつく。与党の意思疎通にやはりかイヤいちいちかはたまたこの際かすり合わせは必要ということだろう。かつてのような料亭政治は少なくなったのだろうが、追い込まれ政権とその伴走者、公明党、国民はどう判断し見ているだろうか。昨夜の赤坂の料理屋会談の行く末が気になるところだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスク生活いつまで続く

2022-10-28 05:33:18 | 日記

昨日の青空は澄んだ秋の空の代名詞のようで心そのものが「すがすがしく」邪念を払うような空だった。青空に神社の赤い鳥居が映え、映像的にも澄んだ気持ちにしてくれた一日だった。映像といえば、新聞は活字主体、テレビは映像が勝負ということを改めて思い出した。しかし新聞にも映像から訴える部分が多くある。その一つは活字。特に横見出しの太字のタイトルは読者を誘引する。また最近はカラー写真も掲載されることが多くなった。スポーツ紙などは写真や活字が画面の多くを占め、見た目の印象は内容よりも目に飛び込んできたものに吸い寄せられるようだ。

今朝の新聞では宗教2世の会見の模様が写真つきで紹介されている。世間からの批判などもあり人名は仮の名前になっている。それだけでも生きるのに大変だったろうなと想像し同情する。昨日の場合でいえば、会見に臨んだのが「小川さゆり」さん。整った澄んだ瞳が印象的で、一瞬惹きつけられる容貌だ。美人といってもいい。その表情の陰には多くの苦悩があったことなど中々判断がつきかねるが、想像以上に大変だったのだろうなと思う。神が与えてくれた人間の表情、その裏には多くの語れないものがあるのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大イチョウ大地に根を張りズンと立つ

2022-10-27 05:03:48 | 日記

時折散歩コースを変える。目に映る景色も当然変わるのだが、それとともに季節の移ろいも自然に代わっていることに気が付く。道にはいつのまにか落ち葉がたまり、時折風に葉っぱが飛ばされてカサコソと音を聞かせてくれる。秋の日のビオロンの・・という詩が自然に浮かんでくるから不思議だ。そんなことを頭に浮かべながらいつもと違うコースをたどる。少し離れたところに背の高い木が見えてくる。

苦竹のイチョウだ。宮城野区の原町、苦竹地区にある。神社が隣にありその神社のものかと思ったが、看板は個人宅の名が出ている。樹齢はわからないが、幹回りはかなり太く、4~5百年は・・・優に想像できる。イヤ千年単位かもしれない。そんなことを書いている朝、朝日新聞の投書欄に銀杏の話が載っていた。「銀杏」「公孫樹」などの表記があるが、ここは「垂乳」この乳房状の突起は」乳垂」や「垂乳根」「気根」だという。太いものが重さに耐えてぶら下がっている。大木の木の下に立つとこの時期、袋に包まれた実が帽子をかぶった頭に落ちてくる。これまた秋の風情か。何かこのイチョウの木に元気をもらったようでその場を後にした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする