820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

いしころ。

2010-04-19 | 生活の周辺。
あのころ、いしころみたいな気分だったから、『青葉繁れる』をくりかえし読んだ。
全身全霊をかけて女の子のことを考える男の子たちの話。すました顔で、うわの空で、鞄のなかに『青葉繁れる』を放り込んださ。
井上さん、あなたの生みだした男の子たちが、ど田舎のくそみたいな中学生を、嬉しいきもちにさせてくれたよ。あかるさもさみしさもひとのずるさも知らずにかたまっていたいしころをかんたんに蹴っ飛ばしてくれたよ。

二十代の内に書き終えたい戯曲の数をかぞえてみた。
あたためている構想が長短あわせて七つ(数日前ひとつ増えた)、改訂したくてうずうずしているやつが三つ。時間がない。ぜんぜん足りない。

土曜日に820ミーティング。7月の青い鳥のこと。抹茶パフェを食べながら。

ようやく頭が切りかわった。おれはいま劇作家である。戯曲を書いている。
心がけていることはひとつ、書けないことは書かない。それでいいじゃない。あとは適当に、な。

先週、同世代のある劇作家の方とお話をさせていただく機会があり、とてもおおきな刺激をうけたのは、こうして書くとばかみたいだが、そのひとが「作家」だったからだ。
あるとくべつなコードの上を言葉が流れていくようだった。

戯曲を書いたり、小説を書く友人は周りにもいるが、僕や彼らに足りなくて、そのひとに備わっているものがなんなのか、うまく言葉にできない。クールであること。世界との距離感、視線、対象を暴く視線、細部に分け入り、いまここを名づけなおすこと、その身体性。

いや、それはただ書くことを自らの仕事(生きること)として引き受けることへの覚悟の有無なのかもしれず、というかきっとそうで、わが身をふり返って、いしころのような気分だ。でもいいじゃない、どうせいしころだ。適当にやる。

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