弁理士の日々

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和田堀給水所

2014-01-22 23:25:00 | 杉並世田谷散歩
京王線の代田橋と明大前の間で、南側の車窓から和田堀給水所を見ることができます。いかにも古そうなコンクリート製の円筒形タンクと、四周を土手で囲まれた四角形の貯水槽らしき盛り上がりです。コンクリート円筒形タンクの中心とおぼしきところには、明治調の角塔が建っています。また四角形の貯水槽の土手の上には、ギリシャ神殿を思わせるような不思議な建物が建っています。

この和田堀給水所の構内でなにやら工事が始まっています。どうも貯水槽を撤去するらしき様相です。
そこで、散歩がてら和田堀給水所に出かけていきました。

柵に掲げられた掲示板を見ると、やはり新しい建造物が建つ模様です。「給水所」とあり、用途は給水所のままでリプレースするということでしょうか。鉄筋3階建てで、完成が平成34年とはまたずいぶん先です。

そこで、今までの由緒ありげな貯水槽が撤去される前に記念写真を撮っておくこととしました。

まずはコンクリート製円筒形タンクです。

ちょっと高いところから全景を取ったのが上の写真です。さらに上から撮ると、下の写真のように、たしかに天井を有するタンクであることがわかります。角塔はタンクの中心に配置されています。


次に四角形の貯水槽です。

四角く囲まれた土手のうち、南北の土手の中央頂上に、不思議なギリシャ風建物が建っています。上と左下は南側土手、右下は北側土手の建物です。
 

給水所に隣接する西側には、以前は何やら会館らしき建物がありました。ところが今回行ってみたら、私が知っている会館は跡形もなく、その代わりに巨大なテント倉庫が出現していました。下の写真です。標識には「東京都水道局大原緊急資材置場」とありました。



さて、和田堀給水所で一体何が起ころうとしているのか、ネット検索して以下のサイトを見つけました。
和田堀給水所 最後の見学会
昨年10月5日に和田堀給水所の最後の見学会があり、それに参加された方の記録です。

和田堀給水所 (2013年10月)
こちらのサイトにも詳しい記録があります。

土木学会附属土木図書館の土木建築工事画報の、1931年4月号には、1号配水池に関する記録(東京市水道局和田堀浄水池工事)が掲載されています。

ところで、北西は吉祥寺、南東は渋谷に至るまで、井の頭通りという道路があります。吉祥寺から明大前付近までは見事な一直線なのですが、明大前を過ぎたところで突然細いくねくね道になり、またその先は見事な直線となって原宿当たりまで続きます。くねくね道において、井の頭通りは文字通り分断されています。そのくねくね道のど真ん中が、今回の和田堀給水所です。
もともと井の頭通りは、水道管が設置された土地をそのまま道路にした「水道道路」としてスタートしました。だから、給水所から北西方向、南東方向に向かう水道管が設置された直線部分はまさに直線であり、中心となる給水所で両方の道路は分断されるのです。
この分断はとても不便です。今回、せっかく和田堀給水所をリプレースするのであれば、井の頭通りの分断を解消してくれたらいいのに、と思いました。
調べてみると、北沢総合支所街づくり課が発行している「和田堀給水所 街づくり誘導指針」の2ページに、井の頭通りの計画が記述されていました。2ページ最後の地図に「放射23号」という記述があります。現在和田堀給水所で分断されている井の頭通りは、将来、和田堀給水所の南端をかすめる新道の建設により、つながる計画になっているのですね。
しかしこの計画では、和田堀給水所に隣接する部分については現在の和田堀給水所敷地が供されますが、それ以外は現在住宅地になっている場所を買い上げて道路用地にするのですね。井の頭通りの環七交差点から和田堀給水所に至る部分は、航空写真で見ると大部分が更地になっており、買収は進んでいるようです。しかし、和田堀給水所の西端から甲州街道の松原交差点付近までについては、航空写真で見ても実際に歩いても、現在は道路予定地の建物が撤去されているような気配は全く感じません。
さて、いつ頃この道路は完成するのでしょうか。

ps 2014.10.19.「和田堀給水所(2)」を記事にしました。

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