弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

釜石再訪(2)

2012-09-01 09:53:49 | 歴史・社会
前回に続いて、釜石再訪の記録です。

町の中心街に桑畑書店の廃墟が建っています。小さな建物ながら印象に残りました。やはり町の文化の中心だったようです。周囲の建物が撤去される中、桑畑書店の建物のみが津波来襲時の姿のままでポツンと残っていました。
⑦の桑畑書店
 
      2012年8月                      2011年7月
 
      2012年8月                      2011年7月

去年の7月には、魚河岸の岸壁に大型船が乗り上げていました(右下写真)。その後この船はサルベージ会社によって撤去されました(左下写真)。
④の大型船乗り上げの跡地
 
      2012年8月                      2011年7月
左上写真、左下写真で道路脇のコンクリート壁の一部が破壊されています。この部分に、船首の船底部分が食いこんでいたと思われます(右下写真)。想像するに、まずコンクリート壁を破壊し、その後船底の破損部分を修復し、次いで船を吊り上げて海に浮かべたのでしょう。
 
      2012年8月                      2011年7月

魚河岸の岸壁に建っていた平屋のコンクリート建物(右下写真)は撤去済みでした。さらに西端に設けられた4階建てのビルを撤去している真っ最中でした(左下写真)。現在、釜石市内で一番活動している土木作業が、このビルの撤去作業でした。まだ復興にはほど遠いことがこれからも明らかです。
魚河岸
 
      2012年8月                      2011年7月

動画2012年 動画2011年 破壊された市街と魚河岸および鎮座した船
動画2011年 動画2011年 魚河岸付近の破壊された市街

下の写真は、その位置から、フラワー釜石只越ビルと思われます。何ら復旧の様子がありませんが、今後解体される予定なのでしょうか。
 
2012年8月

NSオカムラの工場は、1年前はその外壁と内部が完全に津波に蹂躙されていました。今回、工場東端の破壊部分には壁が設けられ、外壁部分も復旧が完了していました。
震災前にこの工場で行われていた家具の製造は、新日鐵釜石製鐵所構内に場所を移して再開されています。この旧工場は、倉庫などとして再利用されているようです。
⑧オ社旧工場
 
      2012年8月                      2011年7月

②薬師公園から

     2011年7月
1年前、②位置の薬師公園に登ると、市内全体を見渡すことができました(上写真)。そこで今回も登ってみたのですが、展望台の前に夏草が生い茂り、市内全体を見渡すことができませんでした(下写真)。
  
2012年8月                
なお、右上写真で白い煙を出しているのは、新日鐵釜石製鐵所構内の石炭火力発電所です。この工場も現量搬入経路が津波で損傷しましたが、懸命の努力で早期に復旧しました。東北電力に電気を供給しています。
現在では釜石の復興のシンボルになっているようです。
たまたま定期補修で煙突の白い煙が出ない日があると、市民の方から「どうしたのか」と心配の電話がかかってくるそうです。

⑨釜石駅前広場

2012年8月       
駅前広場には、復興の鐘が設置されていました。案内板には以下のように記されています。
『この復興の鐘は、2011年3月11日の東日本大震災の犠牲者を慰霊し、被災された多くの方々の希望の鐘となることを願いここに建立しました。
全国1万人もの方々に1枚300円の「釜石復興の風うちわ」を購入して戴きその支援資金と寄付金により完成しました。
鐘の測範には、4つの文字が刻まれています。
大震災でなくなった多くの方々への「鎮魂の鐘」被災した郷土の復興を願う「復興の鐘」この震災を忘れず後世に伝える「記憶の鐘」そしてだれもが持ち続けなければならない「希望の鐘」です。
鐘を囲むモニュメントは、合掌をデザインしています。
平成23年12月31日 釜石復興の風プロジェクト』
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 釜石再訪(1) | トップ | 従軍慰安婦~質問主意書と答弁書 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・社会」カテゴリの最新記事