銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

国画会・会員廣田成生が示した卑怯さから、演繹される、島田章三氏の、狭量さ△

2014-02-17 22:46:46 | Weblog

これは、2014-02-15 12:47:38にアップし、途中で何度も総タイトルを変更した前報

 

島田章三氏の、処世術については、脱帽だけど、それが、偉いと言う事と同義語ではない△

 

の続きです。そちらが、ブラウザから字数制限をオーヴァーしていると言われましたので、半分にわけました。そして、いま18日の1時ですが、推敲をおわりました。で、恒例の△印を総タイトルの横につけておきます。

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副題5、『廣田成生という人物が、ずっと、事務局担当なのは、島田章三さんが、実質トップであると言う事と、同義語だろう』

 ところで、国画会の事務局の担当者が、長期にわたって広田成生という画家だという事も問題にします。ただ、誤解のない様に、さらに丁寧に言え ば、ちゃんとした定款の元に、役員は、代わって行っているのですよ。会社で言えば、社長とか、重役に当たる人は、きちんと交代していっています。

 ただし、審査申込書などを郵送したり、金銭を管理したりする部門、(会社で言えば、総務課とか、経理課などに当たる部門)を、任じているのが、ずっと、同じ人物なのです。私は1991年に、国展に初入選をして、自分の作品が印刷されているカタログを買いました。その時から、いままでほぼ、25年間も同じ人 なのです。

 私が言いたいことは、彼がお金を、横領して居る可能性があるとか、そう言うことではありません。そう言うことではなくて、彼には、事務局を預かる人間としての適性が、別の意味で、ないのです。それが大問題だし、

 また、彼がずっと、同じ役目を引き受けていると言うことが、島田章三さんの推薦、および、任命で成り立っていると推察されるので、そこが、また、大問題なのです。

 島田章三が実質的なトップですよと、常に繰り返していることの証明が、この廣田成生という人物に象徴をされているのです。

  そして、この男性の、心模様が大問題なのです。とても卑怯なところがある人間です。だけど、上の人間には、へいこらして、絶対に逆らわないでしょう。そう言う人間を重用する、島田さんの心の中にあるものも、廣田氏を見ていると推察されるのです。幼稚園や、小学校時代の子供について、よく語られる言葉に、「その 子を見れば、その親がわかる」という言葉があります。それと同じ伝で語って行きたいと思います。

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副題7、『なぜ、廣田成正が、卑怯かと言うと、まず、私が実質的に、学問の世界の人間でもあると言うことを言わないと成らない』

  この間、2月10日に後注ににあげた、文章を書いています。その中で、小保方晴子さんの実験の内容が、どういう風に行われたかと言う推理を述べています。 そこで、使う細胞の、取得部位を変え、浸潤温度や、浸潤時間を変えて、何千回も実験を繰り返すのだろうと、述べています。これは、ほとんど、図星と言って よいほど、正しいでしょう。私は実は、国際キリスト教大学で、助手として残る予定でした。それが、違って東大に勤務することになったのは、突沸と言う厄介な現象が、原因だったのですが、それは、また、延々長くなるので、省略するとしても、大体が、学問の世界の人間なのです。

 このブログでも、まったく、自信を持って、断言をしていますが、字数にして、何万字、何十万字の準備段階を経て、ある現象に断言を用いるわけで、科学的に、論理を進めているつもりです。

 つまり、学者の本質とは、しつこいぐらいに、繰り返すと言うところにあるのです。それがひとつの、本分なのです。そして、東大に居た頃、上司の教授に「もし、(結婚や、出産によって、やめることが無ければ、将来、必ず、東大の教授になれる」とも言われました。私は、東大を卒業していないわけですから、怪訝な思いをして、それが顔に出たのだと思います。すると先生が「あんたには、統合する力があるからね。それが、現代の東大生には、失われている。分析するのは得意なのだけれどね。受験勉強が難しすぎるんだ。内容が多すぎるのも問題だ。・・・・・それに、あんたには、いささかの政治力もあるからね」と言ってくださったのです。この最後の言葉ですが、東大って、その分野の学問の中心なので、学会を運営する立場にあり、小さい山のトップではあるのです。

 その上、卒業生、五年から10年間分から次の教授、もしくは、次の次の教授を決めておかないといけません。大学教授になりたくて、博士号をとる人は、予定される席以上の人数が居るから、東大に残さない人を、全国の大学へ送り込むと言う仕事も有ります。そ憂いう部分の仕事もできるほどの政治力があると言っていただいています。

 しかし、何よりも、そう言う研究したり論文を書いたりする仕事に向いていると言うことがあるでしょう。大パーティでお歌を歌ったりするのは、いろいろ考えてそうしているわけであって、別に自己顕示欲が、特に、強いわけでもないし、ともかく、考えることが大好きなことは確かです。

  で、1999年は、プラットインスティチュートと言う美大の大学院へ入学して、美術の理論講座もとって帰ってきたわけですから、美術に関する論文を書こうと思いました。論文とは、材料がいります。小保方晴子さんの場合は、ねずみの体から採取した細胞でしたね。それが、原始的なレベルのものにいったん変化して、その次に各臓器へと、発達して行く、そう言う細胞を生み出すことが目的でした。

  で、私には、所属する研究所がすでに無いわけなので、理化学系実験は無理です。大型の顕微鏡とか、ベンチレーターとかバキュームボックスとかが無いわけですから。で、人文科学系の論文と、成るわけですが、そのためには、データをたくさん集めないと駄目です。そして、よく知っている課題でないと駄目です。で、私は国画会で、発 表をされている、ある作家の、絵画にテーマを絞って、論文を書きたいと願いました。

  私は、その時点で、9年分のデータは持っています。だが、プログラムは、2014年で、88冊になるほど、国展は続いているのです。他の年度のデータがほ しいと思いました。それを調査できるところ、それは、無論事務所でしょう。で、私は上野の桜木2丁目へ向かいました。なんと、日展の事務所があるところと 同じコーナー4番地にあるマンションの一室に、国画会の事務所もあったのでした。これは、芸大との連携のために、便利だからだと思います。廣田さん自身が、芸大大学院 出身と経歴に書いていますし。もしかすると彼はドクターコースまで出ています。

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副題8、『自分たちが、仕事をやっていないことを隠すために、ひどい冷遇を受けた。なんという卑怯者だ。廣田成生とは!』

 その日が、12月27日だったのは明瞭に覚えております。後で、1999年だったか、2000年だったかは、確かめられます。

  国画会の事務所は、建築設計上は、古いタイプの、1DKでした。入ったところが玄関込みの3畳程度の台所です。立錐の余地も無いほどの、荷物で埋まってい ます。ジュラルミン製の手つきボックスがあって、それが、各年度別の書類を入れるのだと推察されました。入選記録とか、審判結果とか、出品者名簿などの、書類を保持していると見えました。それが、その最初の部屋にも3つぐらいあって、さらに奥の部屋には、数十個のそれが、あったと思われます。そのボックスが売り出され始めてからは、段ボールの箱ではなくて、それ に、保存することが決定をされたのでしょう。そして無論のこと、段ボール箱も数十箱最初の部屋にも積み上げられており、しかも、大型のコピー機ほかがありました。で、台所の施設はまったく隠れていると言うほどです。あと、トイレが必要ですから、ユニットバスが、隠れたドアの向こうに、あるのだと思います。

 その次の部屋が、いわゆる押入れつき6畳だと思いますが、押入れは取っ払ってあり、棚が、壁一面に、天井までの高さでしつらえてあり、その中に、カタログが、数十冊突っ込まれているのも見えました。

  それが、最初の一瞥の時に、すべて見えたのです。それで、『ああ、あれを出してもらえばいいのだわ。それに、真ん中に白木でできた作業台があるので、あそこを借りれば、メモも取れますね』と思い至ったのです。

 この白木でできたテーブル(作業台)ですが、パリで、島田しづ先生のアパルトマンを借りた時にも置いてあったもので、手触りのよい感じのよいものです。カッターなどを、使っても、危なくないですしね。しかも気兼ねなく使えます。

 既成の食卓など置くよりは、ずっと、よいものです。その作業台の大きさですが、部屋が6畳で、押入れを取っ払っても、壁の厚さを、引けば、3.4mかける、3.4mぐらいなので、机は、1.5mかける1.5mぐらいでした。その真ん中に、おみかんが、山盛りになっていました。

 本当の、私は、そのおみかんを気にして、「彼らが給料をもらっているくせに、実は、遊んでいる」後日、と言いふらすほどの、小物ではありません。

 このブログの世界でも、「マルハニチロの農薬混入事件をはっきりと、諜略行為でしょう。これは、プロのブルーカラーとしてのアサッシンが、混入したもので、私がブログで取り上げたからこそ、会社内で、犯人が居たことにしないとならなく なって、阿部俊樹容疑者は、お金をもらう約束で、吊り上げられていますね」と、非常にスケールの大きな文章を書いていますでしょう。そんな私からみたら、 信じられないくらいの卑怯な小物振りを、彼はその後で、見せました。

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 ところで、ここで、挿入ですが、日曜日に外出をしました。すると、鬼の居ぬ間の洗濯で、また、阿部俊樹容疑者が、新たに逮捕をされたそうです。この前自供したのより、さらに7種類の商品に、農薬を入れたそうです。一文すると、いかにも私が間違っているみたいです。だが、土曜日にこの文章を書いて日曜日の午後いっぱい出かけた間に、こう言うニュースが出てくると言うことは、私はダメージを受けるどころか、かえって、自分が正しかったことの傍証としております。で、元へ戻ります。

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副題9、『備品のコピー機は使わせない上に、メモを、ひざの上に置いた紙で、書かざるを得なかった』

  おみかんが山盛りになっていて、他に何も無いのは、仕事が何も無いことを示しています。その日は何もやっていなかったのです。専従の女性は朝から、来ていたでしょう。でも、廣田成生と、もう一人の画家は、朝から来ていたかどうかも疑わしいです。

 どうして、そう言うかというと、応募用紙を、審査を受ける人々へ郵送するのが、この事務所の秋の仕事のメインなのです。前年までに出品した人の名簿に沿って、作り上げられ、加算されていったラベルを、封筒に貼ります。中には、印刷所から届いた応募用紙を入れます。それが、多くても三千通だと思われます。それが終わったら、3月まで、仕事は無いも同然なのです。それが、すでに、数週間前に終わっているのでした。私は自分が受け取ったので、知っているのです。少しずつ分けて発想すると不公平になるので、準備が、できたら、いっせいに郵送すると思われますので、すべて、仕事は終わっているわけです。だから、私は彼らが遊んでいようが居まいが、それを問題にするつもりはありませんでした。

 だから、机の真ん中にみかんを山盛りにしていて、雑談を交わしていても、そう言う世界だから、私は驚きません。そして、親切な扱いを受けたら、そういう裏側を外へは出さないでしょう。それは、自分に誇りを持つものの、自然なマナーです。

 ところが、あほな廣田成生は、自分たちが朝から、遊んでいたことを部屋に居れず、みかんを再び見せなかったら、隠しおおせると思ったらしくて、「いま仕事中だから、奥の部屋には入れられません」と言うのです。私が「カタログをすべて見せてください」と言ったことに対する答えがそれです。

 どうして、「全部見せてください」と言ったかというと、ある作家に注目して研究しているのですが、その作家が、どの辺で、どういう風に作風を変化させたかを知りたいわけです。角ばった形象を、緩やかな線に直したことが大問題なのです。緩やかな線と言うのは、セクシャルな意味を持つからです。ある作家が、セクシャルな形象の作品を国展に出品する勇気を何歳の頃から持ったのかと言うことを知りたいのです。

 作品は立派なものなのですよ。象徴的な意味でのセクシャルと言うことです。で、それを調べるためには、一冊ずつ、その作家の頁を開いて、どの年度で、それが、変化しているのか確かめないといけないので、数十冊は、広げて、次から次への視て確かめる必要があります。

 ところが、図書室になっている奥の部屋に入れないと言われたら、それができないでしょう。びっくりしました。

 それで、仕方がなくて、まず、10年ごとのカタログを出して来てもらうことにしました。そして、カラーコピー機で、コピーをとろうとすると、使わせないと言うのです。あっけにとられました。50円かける三枚分、150円をケチるのです。信じがたいです。後ほど、廣田成生が、もらった給料を推察しますが、9000万円ですよ。そう言う給料をもらっていて、12月27日だから、遊んでいたと言うほとんど、不可抗力の休息だから、私は問題にしません。

 何度も繰り返して言いますが、そんな幼稚園児みたいな発想は持っていません。

 この事務所は、週に、月、水、金の三日だけ開いています。廣田成生のお給料が、現在の貨幣価値に直して、25万円ぐらいであろうし、女性スタッフは、15万円ぐらいでしょう。もう一人居る画家は、月給が、15万円ぐらいな筈です。だって、週に三日勤務だといっても、他の仕事はできないわけですから、一応の生活費の保障程度のお給料はでるでしょう。もしかしたら、30万円を越しているかもも知れません。

 で、総勢3人で、60万円の人件費を、一月に 使っているのです。特に、12月に入ってしまえば、ほとんど仕事が無いのにです。しかも家賃を入れたら、一年で、一千万円をかけている事務所ですよ。どうして、図書室の機能を示してくれないのですか?

 国画会のお金の使い方ですが、しかも、トップクラスの人が会合をする時には、お車代とお食事代は、出すのでしょうね。それは、当たり前の習慣でしょう。で、一回の会合に、50万円ぐらい使うでしょう。そういう会が、三枚のカラーコピーをとるお金、高くて150円を惜しむのです。コピー機は国画会のものだから、コンビニより安くコピーが取れますね。三枚で100円もしないで しょう。

 私、自分が、思春期には裕福に育っていますでしょう。奨学金がもらえるほど、入試の成績はよかったのですが、父が当時、上位6%以内の高額納税者だから、奨学金を、上げられませんと、大学当局から言われている人だし、後日、父から5000万円、母から5000万円の遺産をもらった人です。

 だから、こう言うちまちました発想と、発言が信じられないのです。

 いえ、私は無論自分で払いますと言っています。それなのに、使わせません。狭量の狭量です。

 お金ついでに彼のお給料のことを推察してみましょう。週に三日と言っても、その束縛で、他の仕事はできないのですから、月給は30万円はもらえたと思いま す。桜木のマンションに、事務局があったのが、15年間と仮定をしましょう。すると、その期間だけでも4500万円です。そして、もし、あの美しい女性スタッフが彼のパートナーだったりしたら、二人で、45万円になります。これは、不確かな情報ですが、私自身が弁理士事務所に短期間つとめたことがあるのですが、男女一人ずつで、ひとつの部屋で仕事をするのは、余計な緊張感がかもし出されて、とてもつらいものです。25年間、二人で、仲良く安定して仕事を続けられるのは、奥さんなのかもしれません。

 デモね、さらに正確に言うと、その日、廣田成生以外のスタッフは事実上青ざめていました。自分たちがひどいことをしているのがわかっていたのです。しかし、2泰一でも、廣田成生を、けん制し、反省させられないとすると、国画会内部の上下関係って、ものすごく強いわけですね。

 そんなに古っぽい会だったのだろうか? 戦前に、官展に反旗を翻して設立された在野の団体とも思われません。

 ところで、そのマンションを、返したのは、私が、内々で、この件を、みかんおこた事件として、文章に書いたので、私の文章に表れたことは、一切消滅しておくと言う、私の敵方が、常に示す、例のルールにのっとって、行われた減少なのイかもしれません。鎌倉エージェントの中に、酒井忠康氏が居るわけですから、そこから誰やらを通じて、国画会へ入るのは、容易でしょう。

 ハッキングによって、私が非公開で書いている文章でも、そこに表れた地名、および、建物を、ないものとしてしまおうという乱暴な処置が、ここでもとられたのかもしれません。

 ところで、厳密に言えば、その作業台は、いすを使う形式であって、大量のみかんが乗っていたのは、コタツではありません。だが、12月の27日の午後に、おみかんを中心にくつろぐと言うと、まさに、日本のお正月直前の風景でしょう。お母さんやおばあちゃんが忙しくしていても、子供たちはのんびりと、コタツで過ごしたでしょう。その頃のイメージを思い及ばせる出来事だったので、私はそのエピソードに、みかんおこた事件となづけています。

 または、国展が、新国立へ移動して事をきっかけとして、出品者も、お客も少なくなった可能性もあります。で、すこし、渋ちんになったと言う可能性もあります。

 しかし、上野の桜木に、置いた時期以外は、すべて、彼のもち、マンションに、事務所は置かれています。すると、あれだけの荷物ですから、当然、国画会の方が、家賃も、支払うはずです。両方あわせて、彼には、この25年間、9000万円近いお金が支払われています。もし、あの専従スタッフ(=若い女性)が奥さんだったら、こちらからも、5000万円の収入があるので、二人で、1億4千万円の収入を国画会から得ているわけです。

 それでも、こんなに、公的なお願いに対して、みかんを食べていて遊んでいたことがばれると困るから、事務所を開放せず、私に・・・・・その狭い50cm四方の玄関の土間で・・・・・しゃがんだ、ひざの上でメモをとらせたのです。

 そんな、扱いを、事務所を訪ねたお客にするのです。無論、当時は、私は国展に出品をしていましたから、会員である廣田成生より、会員でない私は、目下でしょう。でも、図書館機能を、果たさないと言うのは廣田成生の義務放擲です。それは、結局のところ、給料のただどりです。特に、私は、今は、国展には、出品していない月日を、11年間の過ごしています。だから対等です。で、結論としていえば、あの日の廣田成生は、いじましく、うそつきで、そして、卑怯な人間でした。

 彼が、大切にする人は目上の人、島田章三さんだけなのでしょう。そちらには、絶対に粗相のない様に振舞う筈。だけど、それって、一般の会社で言ったら、とんでもないマナーです。身内を大切にして、お客の方に、失礼な、目に合わせる。お客にひざまづかせ、ひざの上で、メモを取らせるなんて。

 しかし、こんな男性でも、長瀬いずみにとっては目上の存在でしょう。しかし、長瀬いずみが、私に対して、画廊・るたん・で、その出会いの前には、何の因果関係もないのに、きわめて、攻撃的な軽蔑====名詞を返してください======をぶつけてきたから、

  「そんなことをするべきではないのですよ」と、説明をするために、三すくみの論の例として、このエピソードを書きました。

 私が、どれほど、国画会の実質的なトップである島田章三さんを、嫌がり、軽蔑しているかを、語りました。だって、廣田成生が、もし、高潔な精神を、模範に習う形で身につけていたら、みかんを食べて遊んでいたのが、 ばれちゃうといけないから、事務室を貸さず、データも渡さないと言う行動はとらなかったでしょう。

 もっと、普通の振る舞いをするはずです。大人として、頭でも掻きながら、『いや、ばれちゃったかしら。黙っていてね。その代わり、調査を手伝いますよ』と言って、次から次へとカタログを出してきて、五時過ぎまで、付き合ってくれる野が普通でしょう。そうしたら、絶対に黙ってあげたでしょう。

  しかし、実際に廣田の取った行動は、馬鹿そのものの、それでした。だって、みかんが山盛りで、そのほかのものが何も、乗っていなかったのは、最初に見つけてありますから、頭隠して、尻隠さずって、こう言うことをさすの典型です。本当にわらっちゃうほど、馬鹿みたいです。

 最後に今しみじみと思うのはやはり、神様はいらっしゃったのだと言うことです。画廊るたんのオーナーには、嫌がらせを受け続けていました。だけど、最後にこんなにすばらしい贈り物をくれました。私は流せいずみの失礼に出会ったときに、うわ、チャンスだ。と思いましたよ。30年の長きにわたって、杉本夫人の害悪には苦しめられてきました。それを語るチャンスだし、根岸小学校PTAを舞台に行われた数々の弊害も語りなおせるし、パンドラの箱がこちらでも開いたからです。上野、銀座、鎌倉、横須賀が、見事に結びついた日でした。長瀬いずみの個展の初日、2014年1月13日とは。

なお、このブログの2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、2050572です。

  15日に書き始め、17日に署名を入れる。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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