銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

NYのホテルで、引きこもっている日本人は、イザヤベンダサンの子どもだと、星野美智子が、ばらして来た△

2014-02-14 22:23:34 | Weblog

 これは、三つ前の文章(後注1)の続きです。いまは、15日(金)の午前4時ですが、加筆が終わりました。で、恒例の△印を総タイトル横につけておきます。

 なお、最初にお断りをさせていただきますが、私は時々、イザヤベンダサンの日本人名について、山本夏彦氏を当ててしまうことがあります。もし、そういうものをご発見なさったら、それは、間違いですので、お詫び申し励ます。イザヤベンダサンが誰であるかについては、山本七平氏が当たる模様です。

副題1、『引きこもりになる子の親について』

副題2、『鎌倉市立、おなり中学での、広報委員長選任の件と、辞任の件』

副題3、『前田夫人は、この件で、自分は、彼女(=私のこと)に、勝ったと思ったらしい・・・・・それがアジサイ畑欺もう事件につながって行く』

副題4、『時が解決する部分もある。』

副題5、『国画会の実質的トップである、島田章三さんって、ひどくずるくて、頭も悪い人だということを、準会員である長瀬いずみさんの言動を見ているうちに、突然に思い出した』

副題6、『猪熊弦一郎の、顔シリーズ』

副題7、『ニューヨークにホテルチェルシーと言う、築115年ぐらいのアールヌーボー様式のホテルがあって、そこに日本人で引きこもりの青年がいる』

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副題1、『引きこもりになる子の親について』

 今日は後ろのほうで、ニューヨークのホテル暮らしで、引きこもっている有名人の息子が出てきます。下の写真は、そのことを記録した私の本です。ただし、この本の中では、その青年の父親の名前は記載をしておりません。 それで、引きこもりが重要になってきます。で、今日は主に男の子の親について述べます。男の子は女の子より、基本的に弱いので、その面で、気をつけないといけないところがあります。

 私は親であることに対して結構厳しいものの言い方をしますが、それは、責任があるのに、その責任をきちんと果たしえていない親が多いから、それが、残念だから、語るのです。

 今、日本に引きこもりが40万人だかいるそうです。会社員になると言うのは一応成長したという証ですが、会社を辞めて、引きこもってしまう男性もいると聞いています。特に男の子が多い。で、そう言う風になる子の親ですが、母親に、高学歴が多いと思います。自分が通ってきた道だから、子供にもできるだろうと思いがちです。

 ところが、今、30歳から、40歳ぐらいの子供を育てている親は、自分たちの時代には大学進学する人が少なかったので、大学入学が容易でしたが、今は、違うので、受験が大変になっています。で、子供が異常なプレッシャーにつぶれかかったりしているのが、親の方に、よくわかっていません。

 でね、受験とはテクニックでも左右されるので、塾に入れたりして、中学から私学へ入れると、大学への入学がスムーズに行きます。

 ところが、大変に厄介なことに、そう言う子供が、会社へ入った後で、退社して引きこもったりするのです。純粋培養で、テストばかりやって、純粋培養で、友達と、遊んでいないからです。で、とても難しいのですが、両てんびんをかけないといけないので、遊ばせる事も非常に大切です。となると、小学校で、エリートコースに入学させるのはもってのほかですね。

 慶応の幼稚舎は、4クラスあって、中でも、二つ特別なエリート階級が通わせるクラスがあるそうですが、一般の人は、小学校は公立へ行かせて、3年生ぐらいまでは、十分に遊ばせた方がいいです。そう言う遊びの種類ですが、ボーイスカウトとか、ガールスカウトは、管理された遊びなので、駄目だと思います。小さなサラリーマンか、小さな軍人みたいな人間はできるが、そこでは、真実の意味で、人間性に対する学びは少ないです。

 さて、テクニック上の問題点が、もうひとつあって、中学時代には、親は目立たない方がいいという事です。大津のいじめによる自殺事件でも加害者側の少年の親は、PTAの会長だったとか? 最初は父親だと思っていましたが、後に母親らしいとも聞いて、さらに、自説が強化されました。

 母親は目立っては駄目なのです。3章前で、語っていた島田章三さんの妹君が、PTAの三役のうちで、最も働かなくてはいけない、広報委員長をやっていたのは、坊ちゃんが、小学校の時でしたが、後で、うわさを聞くと、やっぱり、お子さんが、普通には、育っていないと聞いています。他のケースでも軒並み聞いているのですが、母親が、中学期にPTA三役をやって、地域社会の中で目立ってしまうと、お子さんが、後日、まともでないと言う話をたくさん聞くので、統計的に言っても、相当にマイナスです。私学へ行って、地域社会と関係がない場合でも、母親が目立つのはマイナスです。ありとあらゆる意味でマイナスです。

 これは、中学のPTAで親が活躍すると、学校側は、お礼の意味で、内申書を良くするのですね。そうすると、いい高校に入れるわけですが、そこで、適応できないと言う事が起きて、突然に、引きこもったり、反対に、乱暴になったり、不良になったり、してしまうのです。

 親のせいで、地域社会で目立つ立場の子だった、わけですから、がんばらないといけないと思いながら、実際の生活で、友達より、上の成績では、進み続けられない事も起きるわけで、そういう時に、挫折が、親が目立たなかった子供より、より、大きいのです。

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副題2、『鎌倉市立、おなり中学での、広報委員長選任の件と、辞任の件』

 私は男の子と、女の子と二人育てているので、それが、よくわかるのですが、女の子の方が、早熟でもあり、しっかりしていて、頼もしいと言うか、安心できるところが多いのです。が、男の子は繊細です。

 で、鎌倉へ引っ越してきてから、たった、8ヵ月後に、私は広報委員長に選任されるのですが、女の子の方で、選ばれていたので、『大丈夫かなあ』と、思って、引き受けてしまったのです。

 しかし、第一回目の会合で、駄目だと感じました。一人のお母さん(仮名をCさんとしておきます)が、ことごとく、反対をしてくるのです。で、何も決められません。理由は、2つありました。その理由が改善できないことも、すぐわかったので、内心で、これは、『やめないと駄目だな』と思いました。が、本当にやめようと思ったら、ここで、それを議案として出しても、絶対にやめられないと思ったので、そ知らぬ顔をして、「今日はあまり、進行できないみたいなので、ここで、終わりとしておいて、次の週までに、何か、記事になりそうな話題を見つけておいてくださいませ」と言って、早めに解散をしてしまいました。

 二つの理由とは、まず、私は、選挙で選ばれたわけではなくて、会長の任命だったのですが、その理由が『僕の家内と同じ名前の千恵子さんだから、川崎さん、やってください』と言うふざけたものだったので、C夫人は納得ができなかったわけです。その上、私は引っ越してきたばかりで、鎌倉で、名前を売っていないわけですね。PTA役員としての活動歴がありません。

 これが、前の居住地北久里浜だったら、幼稚園の時に、PTAの会長をすでにやっていて、それに大体懲りてしまって、断って断ってきているのに、平役員は何度か頼まれていましたから、相当に顔を売っていたわけです。美人ではないので、目立たない方なのですが、会議で、質問をしたりすると、たちまちに、実力があることが知れ渡ってしまうのです。

 が、鎌倉では実績がないと、見なされているわけですから、それを覆すためには、自分が公の場で、音声で、自慢をしないと駄目です。たとえば、「私は横浜国大の付属中から、お茶大の付属へ行きまして、国際基督教大学を出た後で、東大の教務職・助手をしていました」とか、なにやらかにやらと言えば、通ったと思いますが、求められてもいないのに、その場で、そう言うことを言うなんて、おしゃれじゃあないです。(笑い)

 PTAの会長は、私のバックグラウンドなどを、多分ですが、事前に知っていらしたのです。どうしてかと言うと、こどもの塾が一緒でした。ものすごく小さな塾で、鎌倉でも、親は、『エリートですねえ』と言う様な人だけが、入っている塾で、うちの、こどもに、魅力があったので、別のママ友から、誘われたのです。

 その塾に父兄会があって、そこで、たちまちに、親の私の方が、頭脳レベルの面で、目立ってしまって、会長さんが、『広報委員長は、あの人にしよう』と事前に心積もりをしてくださったらしいのです。が、それは、24人ぐらいいる、他の広報委員には、わからない事ですから、「あなたなんかを、私の上には、置きたくないわ」という種類の、激しい反発を受けて、私の方が、『駄目だ。こりゃ』と判断をしたわけです。

 その数年前に、女の世界、特に広報委員長がどれほど、大変なのかを、大沼嘉津江さんと言う島田章三さんの妹の例で、見てきていますね。彼女が、自分を尊敬してくれない平役員の懐柔のために、毎週、直径24cmぐらいのおいしいケーキを焼いてきて、ご馳走してくれるのだけど、それを、たべても、他の平役員が、裏で悪口を言うわけでしょう。

 島田章三さんが横須賀市から大金をせしめていると言うことに、章三さんが、子供時代からご近所だった人々は、納得ができないから、そのとばっちりも、大沼嘉津江さんに向かうわけです。ただ一人、島田章三の一族と仲良くなることが、得になると判断をしている、夫が横須賀市の土木課長である杉本正子さん以外は。

 女の世界って、大変なのです。朝ドラ、ご馳走さんでも、とうとう、ご近所主婦の建前と本音が、出てきましたね。専業主婦だったら、女の戦いと言うのは、直面せざるを得ないことなのです。めい子さんは、水をぶっ掛けられた時に、やり返していましたが、私はそう言うタイプではないのです。絶対に喧嘩しない。やり返さないタイプです。

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副題3、『前田夫人は、この件で、自分は、彼女(=私のこと)に、勝ったと思ったらしい・・・・・それがアジサイ畑欺もう事件につながって行く』

 同じ頃に、ご近所住まいの前田清子さんが、何とか、委員長と言う三役の、他の一つを引き受けていたので、私が広報委員長をやめたと聞いて、私のことをよほど、馬鹿だとか、自分より下だと思ったらしいですよ。

 それは、彼女が非常に勝気であって、国際キリスト教大学卒の私をひどく意識していた事も、関係があるでしょう。大学のブランドをかけた優劣を確認したいと言うかの女側の意識があったと思われます。

 国立大学を出た人は、その地方での優等生であって、自信満々です。彼女は静岡大学出身ですが、プライドは非常に高いみたいです。だが、東京の大学へ通っていると、かつ、エリート校通っていると、友達が優秀な人ばかりだから、だれもが、謙虚になるのです。で、剥き出しのエリート意識が見えると、それだけで、その野暮天振りが、嫌いになるし、避け様としますね。

 で、自分が、勝ったことを確認したいからでしょうが、私が絶対に参加をしない・・・・(そして、ご近所迷惑のきわみである)・・・・井戸端会議というのを、ずんずん続けることとなります。前田夫人の声の大きさと言ったらないのですよ。窓を閉めていても、彼女が話していることは内容が通々に聞こえてきます。そして、『主婦なんて、この程度の筈よね』と言う思い上がりがあるので、テーマが極めて低劣なのです。

 それを自分で言ってはおしまいですが、藤本夫人も、横浜国大卒付属卒だし、私も同じだから、結構な、ハイソ人間であって、前田夫人たちの井戸端会議の低劣な、内容が聞こえてしまうと、本当にいらいらします。すでに、何回も書いていますが、初めてここを訪れる方がいるといけないので、ひとつ例を語れば、

 「○○子(娘さんのこと)がさあ、湘南高校の子と付き合っているのよ。結構、イケメンなの。だから、さっさと決めればーって言っているのだけれど、ぐずぐずしてさあー。ちっとも決めないのよー」と言う具合です。話の趣旨が、『娘の恋愛を語るのは、その行方を本当に心配しているから』というよりも、『娘が、湘南高校へ通っているのですよと言うことを自慢したいだけ』だから、ご本人の心情が、単純すぎて、それもまた、すぐわかるから、・・・・・・どういう方向から考えても、・・・・・聞いちゃあいられないほど、恥ずかしい話題です。

 そして、その井戸端会議に最も近い場所に住んでいる藤本統子さんという人が、音を上げて、前田夫人をやっつけるために、彼女の家が格段に、不正をし ている私道部分の道路幅を持ち出してきたのです。その問題を解決するためには、まず、井戸端会議をやめること。その次に、藤本夫人に、怒りを生じさせた前 田夫人と安野夫人が謝罪をすること。・・・・それが、必要で、それを、当時の会長中谷家に呼ばれた私が、中谷家の応接まで言うと、中谷夫人は、「あなた、川崎さんのおっしゃるとおりですよ。この工事はやめたほうがいいです」とおっしゃったのに、電話の盗聴を利用して、この小さな谷戸に、争いがあることを知った、瀬島龍三は、私が苦しみ、損をする方向で、事がまとまる様に、中谷氏を追い込んだのだと思います。

 中谷さんは、帰米二世であるし、頭がいいので、戦時中は、一種のインテリジェンスとして行動した可能性がありますね。そうすると、人的コネとして、瀬島隆三の意思をつげに来る種類の友達はいる可能性が強いです。で、アジサイ畑欺もう事件が北久里浜の地籍変更届を利用した大規模な、詐欺事件の真相を知っている私への弾圧的、復讐と言うか、弾圧的いじめとして行われた可能性は強いのです。

 と、その様に、この山でも最も品のよかった、中谷夫人さえ賛成してくれた、案・・・・前田夫人たち、大騒ぎ主婦が、藤本夫人へ謝罪する・・・・・

と言うのが、最大の解決策だったのですが、前田夫人は、絶対に謝罪をしません。そして、とうとう、とんでもないとばっちりで、たまたま、藤本夫人の対面に住んでいた、私が、自分の土地を無許可で、侵害され、コンクリートうちをされると言う羽目に陥ってしまいます。それがアジサイ畑欺もう事件と私が呼ぶものの、概略ですが、そういうとんでもない無理が通ってしまったのは、

 ひとつには、前田夫人の、そのPTA三役を、降りた私に対して、自分は降りないで、続けているわけだから、絶対に自分が上だという判断が加算していたのは、確かでしょう。自分が上田から、違法なことでも何でも通ると思い込んでいるのです。

 おや、まあ、ですが、その25年後に、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊すると言う天のみしるしが現れます。彼女が自分が、上だと思い込んだのは、PTAの三役の件もありますが、鶴岡八幡宮様のお世話で、國學院大學の講師になっていた事も大きいからです。

 この太字・アンダーラインの部分だけは、本日初めて語るところです。

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副題4、『時が解決する部分もある。』

 2013年の秋のことです。鎌倉で家族宴会をしていました。で、終わって、別れの挨拶を交わしていたのです。すると、どこからか、飛んでくる視線を感じます。不思議なものです。5mぐらい離れていたが、こっちを見ている人がいる場合、こちらもちゃんと感じ取るのです。で、その方向を見てみると、大変目力の強いご婦人が、こっちを見ていました。で、年齢が自分と、会い等しいと視たので、どこかで、知り合ったのだろうと、思って、にっこり笑ったのです。鎌倉で、私が知り合うとしたら、PTAや、画廊で同席した画家たち、コーラスなどの、サークルでご一緒した人たち、塾のママ友たち、と、あるわけですが、たとえば、覚園寺さんの講演会の、後での打ち上げで、ご一緒にケーキを食べた人かもしれないし、パソコン教室で、同じ時間帯にいた人かもしれませんし・・・・・

 で、もちろん私はにっこり笑いました。すると、相手もにっこりしてくれたのです。それだけのことなんですが、不思議と印象が濃くてね。『いったいあれは、誰なんだろう?』と、不思議に思いました。すっかり忘れている人ですが、思い出した方が、アルツハイマー病に自分がかかっていないと言う証明になるだろうと思って、必死に努力して思い出してみたのです。

 すると、なんと、例の、広報委員会の、C夫人だったのです。戦闘機って、いちいち逆らってきて、「あなたなんか、絶対に認めてやる門ですか」と言う影の意思を示した女性だったのです。私の方はたまたま、一切に気が付かず、ただ、一般的な知り合い同士の礼儀を尽くしただけです。でも、こちらが先に微笑んだことが、彼女の方に悪い連鎖を引き起こさなかったのです。

 こう言う事も天がお見方をしてくださるとよく言う例の一つです。ね、私たちは死んで行くものなのです。だから、死の前に、いろいろなことを整理しておいた方がいいではないですか?

 片付いたと言う、感じですね。片付いた問題は、忘れていく事ができます。問題が片付くと言うことは、どっちにも不利がないという形で、バランスが取れると言うことです。

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副題5、『国画会の実質的トップである、島田章三さんって、ひどくずるくて、頭も悪い人だということを、準会員である長瀬いずみさんの言動を見ているうちに、突然に思い出した』

 しかし、国画会で味わった数々の嫌なことは、時が解決していなかったのです。すでに、やめて、12年も経っていて、私の方では忘れてあげたかったのに、忘れられない問題となったのが、2014年1月13日、画廊・るたん・の芳名帖用デスクの前での、長瀬いずみがとった失礼な態度が原因でした。

 彼女は、私が「国画会を、すでにやめている」と聞いたとたん、『自分がひどく上の人間だ』と考えたらしくて、目の前で、音声を伴って、「さっき、私があげた名詞を返して頂戴」と言ったのです。それって、他人を人間扱いをしないと言う措置です。その時以前に、一回もであったことがなくて、プラスもマイナスも何の因果関係もないので、相手のことを、何も知らないのに、人間扱いしないで、犬以下に扱ったという事です。

 いいんですよ。人間は自由な存在だから、何をやったって。だけど、長瀬いずみに自由が許されているのなら、私にも基本的な人権として、同じ自由が許されているでしょう。だから、私が何を書くのも自由です。

 もう、長瀬いずみの頭の悪さ(何度も言う様に、理不尽な理由で他人をいじめると、吐いたつばは、自分に落ちてくるものなのです。彼女の無礼には、あきれ返って、その場ですぐ、これは、実質的なトップの島田章三さんの威令が効かないから、こうなると考えました。

 ところで、ここで、次に問題となるのが、島田章三さんに、本当の権威があるだろうか?と言うことです。 いまのところ、銀座に出没するみんなが、「島田章三さんには、それがある」と信じています。しかし、私に言わせれば、島田章三さんの権威って、国画会というシステムの中では通じるが、本当の意味では、どこにも通じない種類の権威だとなります。私がここで、問題としたいのは、聖書の中で、キリストが、示したと言う類の権威です。

 まず、画題の面で、誠実ではないです。現代アートって、オリジナリティが大切です。奥様の中に自然に生まれた、モチーフを、章三さんが、使っていると言うのは、ちょっと絵が描ける人ならすぐわかることです。

 その上、島田章三さんって、狭量です。それは、後ほど、鵠展(国画会神奈川支部展のなまえの話)と言う具体的な話に入って、証明されます。今日、特にこの副題4では、そこら辺は、さらっと流して先へ進みます。組織上の大きな論点は後回しにして、先へ進みましょう。威令が聞かないために、不道徳なことが蔓延をしていると言うことを語りたいです。

 トップがそうだから、Wという芸大出身の画家にして、大学教授でもあった、男性が、イタリアの某画家の絵をそっくり真似して、国展に出していたと言うのが、新聞沙汰にまで、なりましたよね。私は、それについて、どこかに、長文を書いていますが、今は探せないので、ほうっておきましょう。

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副題6、『猪熊弦一郎の、顔シリーズ』

 ところで、三報前(後注一)で、私は980年代のランク付けとして、新制作を100点とするならば、国画会は、95点で、日展などは、申し訳ございませんが、玄人筋からは、低く見られているのですよと、書いています。

 で、私が新制作に応募しなかった理由は、『新制作って、白っぽい作品が多くて、それは、なにか、上からの不文律の、抑圧があるせいだろう』と考えたからでした。その点では、国画会主催の国展では、色の統一などないので、制作上の不文律と言うのはありません。独立と言う団体は、これまた、茶色っぽい色の作品が多いところです。それは、私の好みとは、違うので、そこに出品をすることは考えられませんでした。

 もうひとつ、新制作にはタッチしたくない理由がありました。それは、小関利雄と言う芸大出身にして、横浜国大教授でもあり、新制作協会の会員でもある方からの愛顧をめぐって、湘南地方の新制作所属の女流画家と、バッティングをしていたからです。

 私ね、学校時代の友達から、嫉妬されたことはないのです。むしろ、もてない方で、馬鹿にされてきた方です。(笑い) 主人とも、やっと結婚できましたねと言うところでしょう。

 胸は洗濯板だし、お化粧はしないし、目は小さいです。女性としては何のとりえもないです。だから、どうして、美術界で、女性から目の仇にされるかが、わからなかったのですが、日傘雅水さんに、『あなたには、金星帯があるので、芸術家でよかったです。これが、専業主婦だけだったら、事件を起こしています』と言われて、それ以来、女性からの嫉妬に曝されるのも仕方がないかなと思っているのです。

 その女性代表として、山寺重子さんには、いじめられました。だが、不思議なんです。だって、美人度といえば圧倒的に、山寺さんの方が上です。ただ、絵の才能の方では、上回っているかもしれないです。(笑い) 国画会のか委員でもないのに、国画会会員の山寺重子より、自分の方が、才能があるらしいなんていったら、袋叩きに会うでしょう。 でも、もうすぐ死すべき人間としては、そこまで、言っておきます。

 あ、その視すべき人間としてさらに言えば、70をこしたし、公募団体展もやめているので、政治的な弾圧用のいじめ以外は、ほとんど、出会わなくなりました。

 余談が続いてしまいました。元へ戻ります。新制作だって、内部に入れば、公募団体展特有の嫌なことがあるかもしれません。だが、そのトップとして、長らく象徴的に語られてきた稲生熊弦一郎さんって、発する言葉が、素敵ですよね。

 思想や、哲学がある。そして、何よりも発想が横溢する人です。猪熊さんの存在が、内部を浄化し続けたから、1980年代まで、新制作が公募団体展の中で、トップの位置を占めていたと、私は感じています。比較して、あちら様は?と、これから先は、口にチャックとしておきましょう。

 ところで、その新制作が、神奈川支部展をやっているのです。今も続いているはずです。それにならって、国画会、神奈川支部展が、開かれた事があったのです。ところが一回でつぶれた。その影に、山寺さんの動きもあったでしょうし、島田章三先生が、山寺さんにくっついて、国展の国と言う字を使わせなかったことがあるのです。惟は、大きなポイントなので、後日、丁寧に語り直します。実質的なトップが狭量なので、と言うのは、こう言う経験も含めています。国画会は、表層的なトップ役員は、きちんと、移動をしていきますよ。だが、事務局が場所と人として、移動をしない。

 そこにも大きな問題が隠されている。だけど、それも後日に語ります。

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副題7、『ニューヨークにホテルチェルシーと言う、築115年ぐらいのアールヌーボー様式のホテルがあって、そこに日本人で引きこもりの青年がいる』

 私は、1999年の秋、三ヶ月ニューヨークで版画制作三昧の暮らしをしたのです。その次に、2000年にも同じ事をしました。そして、2001年の夏に、11日間滞在をして個展をします。

 その際に、ホテルチェルシーと言う、芸術家専門みたいなホテルに泊まりました。当時のレートで、ほぼ、2万円でしたが、台所が付いているのと、階段ホールが2階から9階まで、ほとんど美術館と化していることと、版画の先生が長らく投宿なさっていて、過去の二回の滞在時に、版画について批評をしてもらっているので、そう言う意味で、部屋の構造とか、ホテル全体の構造がよくわかっているので、ここを使ったのでした。それと、チェルシー地区は、映画祭も行われていますが、それとともに、何よりも美術の一大中心地なのです。15分ほど、西へ向かって歩けば、大画廊街へ到達しますし。ソーホーはすでに観光地化していて、地代も高いので、画廊が移動していて、チェルシーの方が巨大だからです。

 そこで、ニューヨークの知人たちにメルマガで、個展の案内状を送ろうとすると、送れません。今思うと、それがすでに妨害のひとつだったのですが、その時まで、個人的なIT攻撃は鎌倉の自宅では受けていなかったので、これは、ホテル側に問題があると考えました。

 で、ホテルのフロントに電話をかけて、お願いするのですが、ぜんぜん来ないのです。このホテルは、従業員も、夜間は、芸術家がアルバイトに来ているらしくて、50代の大変頭のよさそうな男性です。で、年頃が私と近いでしょう。それで、いわゆるお誘いをしていると誤解をされたらしいのです。

 それが解ったので、わざわざノートパソコンをフロントへ持って行って、実情を説明して、やっとこさっとこ、彼が、部屋へ来てくれました。で、二人で、様子を確かめながら、メルマガの送信をしようとしているのですが、相変わらず、埒が明きません。それで、待っているうちに、四方山話へ入っていったのです。

 で、それは、彼の私への信頼によるリップサービスだったと思うのですが、「お隣に、日本人の男性が引きこもりをしているのを知っているか?」と、彼が聞いてきます。私は無論、驚きましたが、ふっと、お友達の子供ではないかなと、感じてしまいました。私のお友達にも引きこもりの子供がいるのです。そして、私の友達は、みんな英語が自由自在です。かっこ悪い息子が自宅へ一緒にいると困るという判断で、ここに入れてしまう。それは、便利ですね。

 私は、そう言うことを考え始めたので、自分自身の中に入り込んでしまうのです。隣にいるホテルのスタッフさんのことを忘れてしまうのです。すると、その人がアレッという感じを持ったのか、それとも、それが、普通のことなのか?・・・・・いや、後ほど、いろいろな人から同じ情報を聞かされるので、ニューヨークでは知らない人もいないと言うほど、有名な話らしいのですが、・・・・・・

  「その男性の父親って、日本では、超が付くほどの有名人なんですよ」と、言います。私は、自分の手のひらであわててさえぎりました。聞きたくなかったのです。特に友達のお子さんだったら、ショックですから。友達のご主人の方は、会社勤めですが、エリートです。もし、私の想像通りだったら、29歳のはずですが、年も聞きたくなかったです。

 私は興味本位の人ではないのです。非常に好奇心が旺盛ですが、心の中の、大切な部分は、大切にしています。誠実であること。それから、よわいものを、守るのも大切なことです。

 その時の思い出を、本に直していて、それが、上の方で、写真を載せている本です。

 中の本文については、この下にスクロールすると出てくる、

NYの名門ホテルで、引きこもる日本人青年の事を語る、原データ

2014-02-14 21:38:08 | Weblog 

 の中に書いてあります。

 それを、私は、知り合いに献呈をするのですが、星野美智子さんは読んでくださったらしいのです。それはありがたいのですが、その結果、星野美智子さんは、私に嫉妬してくるのですね。そして、とんでもない発言を、大パーティの中で、やってしまうのです。

 星野美智子さんは、わたくしに、その引きこもりの青年の、父親の名前を教えたのでした。

 その有名人とは、イザヤベダサン(=山本夏彦さん)だそうです。あたりはハイボールや、ワインなどの酒盃を手にした人で、立錐の余地もないほどの、混雑振りです。壁に耳あり、障子に目ありと言うことわざを思い出すのなら、まさしく劇場に等しいほどの他人の目と耳のある場所です。そんなところで、弱い人の弱点を曝すとは? 星野美智子さんってお子さんがあるそうですが何故に、そう言う発言をしたのか? そうしたいという本当の、望みがどこにあるのか?

 星野美智子さんは、気が付いてもいない模様ですが、彼女がやりたかったことは、私に勝ちたいと言う、その一点だけでしょう。さらに続けて、かの女は、「小林ひさ子さんの、ご主人だったのよ」ともいいました。私は、さらにあっけにとられました。

 星野美智子さんは、ニューヨークへ行く際に、小林ひさ子さんにお世話になっています。彼女の自宅に泊めてもらってもいます。それから、個展をしたりグループ展をしたりする際にも、あれこれ、たくさんお世話になっているでしょう。

 小林ひさ子さんと言う方は、AFSでアメリカへ渡ったそうです。背が高くて、お顔もモダンな面立ちです。1960年代の高校生としたら、エリート中のエリートと言う感じです。そして、AFSの留学が終わった後に、アメリカの美大、プラットインスティチュートに進学して、卒業をしました。で、そこを卒業後、ニューヨークを中心として、活躍をしている女流画家です。

 彼女は、一度アメリカ人と結婚をしていて、その相手との間に、適切な年齢のお子さんが二人、あります。私はひさ子さんのご自宅にお招きを受けて、二時間ぐらい語り合い、子育てのことなど、いろいろ、共感することも多かったのです。

 ひさ子さんは、ソーホーに居宅を定め、そこは、元倉庫街なので、天井高が、4mあり、アメリカの画廊などで、よく見かける、本棚があり、教養の高さをしのばせる多数の蔵書があります。その自宅もアメリカなので、十分に広いでしょうが、そこに付属して、5かける6mぐらいに見える広さのアトリエがあります。

 アトリエの方には秘書さんが常駐しています。また、歩いて五分以内のところに、彼女は、ご五自分が経営するホテルを持っています。不動産の取得に関しては、ご実家からの援助がったかもしれませんが・・・・・たとえ稼働率が50%と低く設定をして、従業員の給料を多めに設定をしたとしても、毎月、100万円の収入は生み出されるはずで、

 したがって、彼女は鷹揚な、生活態度の人であり、誰かの紹介で、星野美智子さんの世話をしてあげてくださいと頼まれれば、御の字で、引き受けてあげたでしょう。

 だから、星野さんにとっては、ニューヨークで何かをする時に欠かせない恩人です。

 だが、この際、小林ひさ子さんを裏切ることは、何も問題がないらしいです。

 ただ、一点、彼女が望んでいるのは、私に勝つことだけです。

 と言うわけで、確信を持って語るのですが、『ほら、国画会の会員って、こんなに、道徳的な部分で駄目なんですよ』と。長瀬いずみさんが、ひどい人間だったので、似た例として、ここにあげるのですが、星野美智子さんもひどい人間なのです。

 東京女子大を卒業した後で、芸大に入り直し、ボルヘスを題材にしているそうです。嫌だわ。インテリであることを誇示して、鑑賞者を煙に巻いている。・・・・・と、思って。と言うのも、ボルヘスを知らない人は、その版画を見ても正しく判断できない気持ちになるでしょう。何らかの劣等感を抱かさせられて。とん女時代の卒論か何かと関係があるのだと思いますけれど、鑑賞者に、引け目を感じさせたりするのって、アーチストとして、まっとうではないと思います。

 これが、2004年の5月27日の火曜日だったと思いますが、その瞬間に、「国画会を捨てる。今年限りだ」とはっきり決意ができました。驚くべきレベルで、人間が低劣化する場所です。その低劣化は、国画会内部が、厳然たる、階級を作っているので、その階級が上であれば何をしても批判をされないと言うばかげたルールが支配しているからでしょう。星野美智子さんは、トン女の教養課程で、何を学んだのだろう。教養が高いという事は、知識がたくさんあることではないです。

 それほど、勝気なところを見せるなんて、すこぶる原始的(=動物的)です。教養のかけらも感じられない。長瀬いずみとそっくりです。

 ところで、美術界以外の方は、星野美智子さんを、ググってください。有名な版画家なので、たくさん事象が出てくるでしょう。

 と、書いておきましたが、wikipedia が、見当たりませんでした。東京女子大を卒業後、芸大を卒業した人です。リトグラフの専門家で、国画会の会員です。

 (後注1)

  島田章三さんは妻鮎子さんのモチーフを応用しているけれど、そこにオリジナリティの問題はないのですか? 2014-02-11 02:32:40 Weblo

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2042454です。

     未完成ですが、署名を入れておきます。2月13日に書き始め、15日まで、推敲を続ける。  雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

 

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