この文章は、総タイトルは第一回目が、『ボスを目指す人たちの、心理的・内面の分析・・・・・(山寺重子、島田鮎子、今関一馬)』でしたが、今は二回目のものとなっています。
副題1、『力が弱いから、ボスになるのだろう』
副題2、『今関一馬先生は、ボス的に振舞われたが、本当は繊細だったのではないかな?』
副題3、『島田鮎子さんが、事実上、果たしている、困った役割』
副題4、『10人程度のパーティなら、笑いで牛耳ってしまう私だった』
副第5『どこにでも、救ってくださる人は居るのだった』
副題6、『あれ、若手が全員、居なく成っちゃったぞ』
副題7、『都美館では、精養軒経営で、横浜市民ギャラリーでは、末広が、パーティ会場となる』
副題8、『今関先生の、奥様は、嫉妬深い人だった。これは、足かせになるぞ』
副題9、『サプリメント会社の見事な支店長の話』
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副題1、『力が弱いから、ボスになるのだろう』
国画会に所属する男性画家で、ボスになりたいという意思を示す人物は、珍しい方です。島田章三先生は大ボスですが、表向きはそれを目立たせない様にして生きている人です。
女性では見え見えのボス・山寺重子さんと、もう一人、いましたが、 それは、『立場が弱いから、グループの力を利用いたします』という向きがありました。だが、男性は、自分に誇りがあるので、ボス的な立場をとることは、忌わしいと思っていたでしょう。そこが、また、国画会がアーチストの集団としては一流であるゆえんです。
ここですが、電車の中で、美しい顔をした紳士に知り合ったことがあります。猫を救う運動をしているそうです。で、一人で、やるよりも、仲間が居た方が効率が上がるということで、猫好きの人が、集まり始めたのですが、そんな美しい目的を持っている団体でも「すぐ、党派性が始まるのですよ」と、おっしゃっていました。数人または、数十人が集まると、その中で、「上に立ちたい。上に立つことで、利益を得たい」と思う人が出てくるのです。上に立つことで得られる利益とは、まず、自己承認の欲求が満足されることです。人間とは、一人で生きていてもなかなか、精神が安定しません。だけど、あるグループに所属していると、それだけで安定するし、その仲間から、『あなたは、こう言う人ですね」と承認をされると、さらに安定します。その上、『あなたの方が、私より上の人間ですね』と言う立場で、周囲から承認されると、さらに、うれしさを味わえます。その心理的機序を利用するのが、PTAや町内会の役員任命などです。
だから、そう言う組織では、その人が優れた能力を持っているかどうかは問題ではなくて、その人が、自己承認の欲求を強く持っているかどうかで、決まります。で、そう言う人はボス的気質を持っているケースが多くて、そう言う人をいったん上の位置においてしまうと、そのグループ全体の内部が、精神的におかしくなるのですが、なかなか、改良はできません。
でも、その電車の中で出会った紳士は、外柔内剛の典型で、「だから、分派して、私たちが独立しました」とおっしゃいました。
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副題2、『今関一馬先生は、ボス的に振舞われたが、本当は繊細だったのではないかな?』
ただ、今関一馬先生は、山寺重子さんの性格をひどく嫌っていらして、彼女をやっつけるための運動を起こし、そのボスを気取っていらっしゃいました。で、強がるために、無頼派をも気取っていらして、しかも、親が春陽会の創設者のひとりであり、日動画廊が、作品を売っている画家ですから、自他ともに認められていたボスです。だが、内面は繊細で、他人の世話など、本当はしたくないという人です。安藤れい子さんが、山寺さんにいじめられて、それがあまりにも目に余るので、動き始めただけというのが、本当のところでしょう。安藤れい子さんと、山寺さんは、美大受験塾が同じ所だったそうです。その後、安藤さんは芸大に入学し、山寺さんはだめで、女子美に入学したので、それを恨んで、しつこく復讐をしたのだそうです。つまり、会員になるのを阻止したと聞いています。
今関先生についても、私は、いろいろな、エピソードを書く事のできる立場ですが、ボス風に装っていらしても、そういう立場には、たえきれなかった人でしょう。それが分かったのは、初入選後数か月の時期でした。
横浜で、国画会神奈川支部展を開こうとなさったのですが、本部から、国という字を使わせないというお達しが来て、その当時から、みなさん、重要メンバー は、島田先生の陰湿なる横暴を嫌っておられました。島田章三先生というのは、従来語っている様に、真綿で、首を絞める様に、周到に、周りを固め、それに よって、自分の立場を強化する人ですから、自分からは、表に立たない人なのです。一見するとボスとも見えません。
国という字を使わせないのですから、代わりに、鵠沼の鵠を使いました。これは、『燕雀、いずくんぞ、こう鵠の志を知らずんや』ということわざもある様に、大型の鳥です。
しかしですね。今関先生の面目は丸つぶれです。他の団体、特に新制作は、神奈川支部展というのをずっと、連続して開いています。上野では、国画会は、新制作に匹敵する団体なのですから、国展、神奈川支部展を、1991年から開催するのは、会そのものの、目的や趣旨にかなうことでした。それに国と言う事を使わせないと言うのは、本部が本当に横暴なのですが、それもこれも、山寺重子VS安藤れい子の19歳の頃からの対立から、始まっていて、この頃は、山寺さんが、島田鮎子さんに取り入って、篭絡しているから、こうなっていると思います。
だから、つまらない、つまらない、小さな事が原因なのです。内部事情を、外へ向けた礼儀より優先するのは、前報で、書いた廣田成生にも見事に現れている国画会の問題点なのでした。会社などだったら、すぐ外部からたたかれると思いますが、美術の世界、特に団体展は、きれいに言って、一種の家元制度、汚く言えばやくざ組織ですから、改善することが容易でないのです。
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副題3、『島田鮎子さんが、事実上、果たしている、困った役割』
ところで、島田鮎子さんですが、彼女はボスになりたがっている人ではありません。子供時代も、恵まれていただろうし、結婚後は、下にも置かぬ待遇で、ご主人にかわいがられていると思います。欠乏感がなくて、飢餓感もないひとでしょう。
島田鮎子の実物を知らない人に、芸能人でたとえて言えば、・・・・・若き日の八千草薫を80%とり、そこに、残間理恵子を20%分ほど足せば、似ている像ができるかな?・・・・・・と成ります。ともかく、そんじょそこらには見当たらないタイプの美女です。だけど、彼女が、本当の意味で、幸せであろうかというと、私の様な他人から見ては、『どうだか、わからないなあ』となります。
そして何よりも、考えることを放擲してしまっているとは、見えます。そういう人っているのです。なにか要請されていることは考える。だけど、深く、かつ、自発的に、人生の諸所、諸事を考えることはしない。 もしかすると鮎子さんは、自分を取り巻く暗雲に、潜在意識の中では気が付いています。だけど、考えると頭がいたくなると思って、考えない様にしているのではないかな? ただ、問題は、彼女が、周りから、利用をされていることです。もっと、はっきり言えば、悪用をされています。
よく、ミステリードラマで、無作為の殺意とか、未必の故意という言葉が出てきます。あれと似ています。彼女自身に悪意はないし、たくらみもしません。だけど、悪意あるたくらみをする人々の言うままに、彼ら、彼女らと付き合い、そういう人々の、表面だけの浄化に、役立っています。しかし、だれも、それを注意してあげないのです。
さて、1991年ごろの私に戻ります。その頃は下っ端のぺいぺいですから、何も発言はしませんでした。が、横須賀で、PTAの広報委員として、島田章三さんの実妹と長時間接触していて、その結果、島田章三さんが、とても、汚い性格の人だということがわかっていた(後注1)ので、困った現象だなあと、内心で思っていました。それが、今回、長瀬いずみから、廣田成生までの、種々さまざまな悪辣さを、パーっと書いた行動の主たるダイナモです。35年以上にわたって、『これは、まずいでしょう』と、思っていた事ですから、さらさらさらっと、書けました。今日から先は、長瀬いずみからは、離れます。彼女に、「日本では、三すくみの論理というのがあって、必ず誰もが、平等に立たないと、いけないのですよ」と、教える事を目的とした文章ではなくなります。一種の慨嘆風エッセイになります。ただ、国画会が、通低の、題材であることには変わりありません。
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副題3、『10人程度のパーティなら、笑いで牛耳ってしまう私だった』
で、 その1991年の神奈川支部展の打ち上げが、横浜市民ギャラリーのすぐ裏にある中華料理店で行われました。ここは、画家たちに多数回使われているレストランです。二つの円卓が用意され、一つには、今関先生などの、御大たち。そして、一つ には、私を含む若手が座りました。畳に正座する形です。
その時、自分が何を話したか、具体的なエピソードは一切覚えていません。無論、最近書いている様なことではありません。こう言う事は文章にして初めて表現できる事で、パーティで話す話ではありません。
で、この横浜での体験以外でも、1時間半ぐらい、パーティの参加者を笑わせ続けた思い出は数々あります。私が相手を信頼して、しゃべる事は、すべて、まじめな事なのですよ。だけど、それを、二人だけの会話ではなくて、10人ぐらいの集まりで、10人全員が私に集中していて聞くと、すこぶる面白い話となる模様でした。
私としては、心外な風景でもありました。自分では、別に、芸人風なジョークをしゃべって居るつもりはないのですから。ただ、ただ美術界における不思議だと、感じていることを、次から次へと、まじめに語っただけなのです。が、みんなが抱腹絶倒という形で、笑うのです。で、後から思えば、美術界って、信じられないレベルで、古かったのですね。私は元アメリカ大使館勤務の先輩から、「あなたは、大陸的ですね。やはり、お父様が満鉄勤務だったのは大きいわね」と、いわれているほど、日本人離れしていた上に、大学も国際キりスト教大学であり、そのあとの東大でも、実質的には、国際会議の補助事務をしていたわけで、常に海外に接しているから、とことんのレベルで、民主主義の人なのです。それは歴史的にみれば後から出てきた概念だから、進みすぎているのかな?
公募団体展の世界では、知的にモダンであろう、国画会だって、私に言わせれば『なんて古臭い世界なんだ』となってしまうのでした。で、若手のテーブルを笑わせきっているのですが、お隣の御大たちのテーブルに居た、逗子在住の大画家が、このとき、私の純真さを認めてくださったみたいなのです。それが後日、大きな恵みをもたらします。
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副題4、『どこにでも、救ってくださる人は居るのだった』
で、私が山寺重子さんに、いじめられきっていて、本当に悩んでいた時に、この方に、電話で相談したら、山寺さんがなぜ、威張っているかについて、手持ち票の受け渡しの話しやら、いろいろを教えてくださったのでした。さすがでした。会の中では目立たない方で、ボス的にも振舞われない方でした。しかし、すべては、わかっていらっしゃるのでした。それほど、山寺重子さんのあくどさって、すさまじいのです。
だが、このときに教えてくださったことを踏まえていたからこそ、ギャラリーオカベで、指原いく子さんが、山寺さんそっくりな連作を展示していて、しかも、私を後ろで、手を振って、犬みたいに、追い出した時にも、平静で居られたのです。(後注2)
穏やかにユーモアを持って、山寺さんの悪どさの裏側にあるものを教えてくださるその御大に(すでに逝去されている)感謝したので、二度と、その先生に相談することはありませんでした。だけど、本当に困った時に、救ってもらえたのは、感謝しています。ただ、山寺重子さんは、二重人格の極地の人だから、島田鮎子さんには、そう言う側面は絶対に見せないでしょう。だから、鮎子さんは、気が付きません。
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副題5、『あれ、若手が全員、居なく成っちゃったぞ』
中華レストランの二階の畳の部屋で、大円卓を二つ囲んだわけです。その時、私が笑わせまくった、若手の、新人たちは、どうしてか、さっさと、国展に、出品するのをやめてしまいました。国展神奈川支部と銘打って、募集をされたのに、実際には、鵠展となったわけで、その10日間か、2週間の会期中、どことなく、今関先生たちが苦渋に満ちていらっしゃるのを感じて、『駄目だ。ここ』と思った可能性は、大きいのです。
が、さらに、丁寧に言えば、二つ別の理由が推察できます。私が語った現在の美術界が抱えている矛盾を、他の人が全員そうだと、肯定したと言うことがあり、
もうひとつは、この中華レストランの打ち上げ会の直後に開かれた、今関夫妻主催のパーティがすこぶるつまらなかったので、さらに、現在の美術界が、抱えている古さが、みんなに、わかってしまったということがあるでしょう。
何が、ここから先は、今関夫妻主催のパーティがいかにつまらなかったかを語りたいと思います。先生がフレンチのランチコースをご馳走してくださったのですが、会話もつまらないし、議事進行もつまらなかったのです。
物事が、想定したとおりの効果を挙げないというときに、その原因を追究しておくことは大切です。それが、人間の学びにつながるから。
今関一馬さんは、画家としては、非常に立派な方です。だが、国画会を、改良しようと言う試みは、挫折を、なさったと、思います。その原因を追究しないといけません。そこが解ると、島田章三さんがなぜ、隠然たる勢力を誇り続けられるのかもわかってきます。これからは、組織論です。組織が生き生きとするためには、何が必要かを語って行きたいと思います。
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副題6、『都美館では、精養軒経営で、横浜市民ギャラリーでは、末広が、パーティ会場となる』
国立西洋美術館内にある、レストラン『すいれん』は、デザートがおいしいです。ただ、狭い。それは、この館内では、公募団体展が開かれず、大人数のパーティが必要ないからです。
都立美術館内部には、大きなレストランがあって、昼間は来館者にランチや、お茶を提供し、夕方からは、オープニングと言う立食パーティを開いていました。国画会などの様に、組織が大きいと、5分ぐらい歩いて、精養軒ビル内、三階の大ホールへ移動したものです。(これは、2004年までの話)
同じ形式で、横浜市民ギャラリーでは、二階にあるレストラン、『すえひろ』が使われていました。インテリアは、重厚です。ここも昼間は、ランチコースからデザートを提供するシステムです。
電話連絡で、招待があったのですが、今関先生夫妻が、ランチをご馳走してくださるので集まる様にと。行ってみると、過日、私側のテーブルにいた若い連中すべてと、御大側のテーブルに居た数人、および、今関夫妻が着席方で、長いテーブルを囲む形式で、セッティングをされていました。いわゆる最後の晩餐風設定です。隣の人との間は、過日は、10センチもない形で、今度は、30cm、そして、長いテーブルの端までは、はるかに遠いかなと言う設定。
事前に司会者が決められており、彼の音頭とりで、会が進行しました。その人は大柄で、私より年上で、入選回数も多く、勤務先も大・大企業であって、安定した国画会生活を続けるはずで、この日の今関夫妻との関係を思えば、国画会内で、今関グループの実質的な、番頭役を務めるぐらいの大物になるはずでした。しかし、数年のうちに去ってしまいました。どうしてかと、その原因を推理すると、今関先生に、私がその後、何度も感じるようになる隔靴掻痒の思いを、彼も感じたのだと思われます。
で、それが、本当は、どういう事かを、これから、語りたいと思います。
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副題7、『今関先生の、奥様は、嫉妬深い人だった。これは、足かせになるぞ』
で、司会者の提言の下で、今関先生が、どういう経歴の方かを、みんなに知らせるために、一問、一答形式で、活躍の詳細が、示されました。だが、それを拝聴するのは、たとえ、フレンチのランチコースを、ただで、ご馳走になっていても、別に楽しい事ではないのです。だって、画風も違い画題も違う若手が、日動画廊扱いの作家になれるかなれないかは、皆目わからないことだから、今関先生と日動画廊の関係を聞かされても、何の役にも立ちません。今関先生の威令を、部下(または、私兵)となるかもしれない若手に広めるためには、こう言う形式は、何にも役に立たないのです。
そこに今関先生の親子二代、画家であったことの、社会経験の少なさを感じてしまうのです。つまり、戦国時代の大名の興亡を考える時、信長、秀吉、家康、そのほか、光秀、光成、利家と、いろいろ、性格の違いがあるわけですが、結局のところ、勝っていったのは、人心掌握術に優れている人間ですね。その人心掌握術ですが、たくさんの人に触れていないと、身につかないものであって、今関先生は親子二代で、画家だそうですから、付き合う人が限られていたのです。だから、解っていらっしゃらない。その上、このパーティがどうも奥様のアイデアで行われた模様も感じられ、それゆえに、そう言う会でも、生き生きとさせ得るのが、私なのですが、私が金縛りにあってしまっていたからです。
今関夫人が、鋭い目つきで、会の間中、ずっと、私を見つめているからそのことが解りました。そして、すぐに、奥様が非常に嫉妬深い人であることがわかりました。この会は、今関先生の活躍ぶりと、大物振りを知らない人に知らせると言う役目があるのですが、そのターゲットが私がメインではないだろうかと言うほどに、奥様は、私を一点、見つめ続けていました。どうしてそうなるかの、大体の理由は想像できました。今関先生は、中華レストランの私の大活躍を聞いて、面白い話として、ご自宅で語られたのでしょう。
すると、奥様がすぐ、私について知りたがったのです。なぜ、そうなのかというと奥様は魅力的な女性(私は性格美人であって、顔は駄目なのですよ。だから、今関先生と、不倫関係に陥るはずもないのです)が周辺に居たら、すぐチェックして、防衛に走らないと、たまらないほど、心配なのでしょう。
見かけは大人です。それから、家事運営は上手でしょう。だけど、性格の一部に、深いレベルで、子供っぽいところがあるのです。未成熟なところがあるのです。で、ほんのちょっとでも、ご主人が他の女性をほめたら、その女性を確認せずには居られないタイプなのでした。
参ったなあと言う感じでした。15人ぐらいの人を動員して、私を見るための会を、奥様は設定なさったのでした。駄目です。こう言うタイプの奥様がそばに居ては、だんなは活躍できません。特に戦いに出ることはできません。私は、『女房の、妬くほど、亭主、もてもせず』と言う川柳を思い出して居ました。
もう一人国画会の会員の奥様に異常に嫉妬深い人が居ました。本など郵送しても、奥様が、郵便受けから玄関に入るまでに握りつぶしてしまいそうで、訪問して献呈しようと考えました。普通画家は昼間も家に居るものだからです。しかし、玄関に出てきた奥様を見たとたんに、彼女が嫉妬深くなった理由がわかりました。
ある遺伝的な欠陥のある人だったのです。それでも、立派なご主人と結婚をすることができて、ご主人には、深く、感謝しているひとでしょう。ご主人は不倫などする可能性がない立派な方なのですが、奥様の方に、深居劣等感があるために、過剰に警戒してしまうのでした。この切なさを癒すことなど、私には到底できないと、悟って、それ以降、一切の連絡をしていません。
ところが、その後も、不思議な縁で、そちら様の情報は手に入り、ご立派な夫婦であることは、引き続きわかりました。奥様も80歳を過ぎたら、何も心配しないでもよくなると思います。
比較すると今関先生の奥様は、外見的には何も問題がない方でした。美人ではないです。だけど、欠点もない人です。どうしてあれほど、他の女性を気にするのかがわかりません。もっと、修行をなさらないといけませんね。だんなに自由な活躍を保障するためには。
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副題8、『サプリメント会社の見事な支店長の話』
で、今関さんの主催するパーティが、いかにつまらなかったと言う事を説明するために、比較例を語りたいと思います。それは、『すえひろ』より、ずっと、後にビルが建設された上大岡の京急デパート内のビュッフェ形式のレストラン内で、私が本の編集の仕事をしていた時に見た光景です。
費用対効果を、考えた設計で、インテリアは、ちまちまとしていて、同じ長いテーブルに同じぐらいの人数が、着席する形式でも、全体で、4m以内に収まり、かつ、後ろが壁、前に手すりがあるので、落ち着いた閉鎖空間が演出できる場所でした。反対に、『すえひろ』では、ほぼ、真ん中にそのテーブルが設定されており落ち着かない事おびただしかったのです。
ところで、最初はブラック企業の宴会かと誤解しました。それほど、トップの気風がよすぎて、やくざっぽかったのです。だが、一流の会社の筈です。営業成績が、一人、毎月、数千万円に上る商品を扱っているのでした。サプリメントです。だから、ヤクルト、サントリー、その他の一部上場企業だと思われます。大企業の社員の筈です。
ただ、サプリメントを毎月、100万円以上買う家庭の話が、個人名で、次から次へと登場するので、はじめは『この会社は、お客をだましているのではないか?』と、私の方が誤解をしたのでした。だけど、「フェリスの教授が、資産家で、給料以上の出費を、平気でできるのだ」とか、聞いていると、ばかげたタイプの商品ではなくて、相当に、信用のある商品だろうとわかって来ました。
この間、日経新聞の広告頁で、30億円以上の資産を持っている人が、日本全体で、4000人弱居るとしりました。神奈川県には、そのうち、1000人が住んでいると私は、思います。で、横浜市店内には、500人ぐらいの、30億円以上の資産を持っている人が居るのです。まあ、資産が、10億円だとしても、月収が、二千万円ぐらいあれば、月に、100万円のサプリメントを買うのを懸念なしにできる階層となるのでしょう。ともかく、その宴会は、一種の情報交換と、教育の場なのですが、しかし、堅苦しくはなくて、みんなが、十分に、自分を解放していて、活発でした。
最初は、庶民をだますブラック企業だと思っておりました。あまりに話しがけたたましくて、また、支店長の声もで大きくて、張りがあるので、芸能人が、職種がえをしたのかと思いました。だが、若い社員が、次から次へと、ビュッフェ形式のお料理をとりに行く姿を見ていると、イケメンばかりなのです。女性も居るのですが美形ばかり。リクルートスーツがよく似合う清潔さがある子、ばっかりです。で、非常に難しい入社試験を受けて入ってきた子達だろうと思い直しました。大金持ちを、たらしこんで(?)営業をするのです。一応の礼儀や教養がないと、説得力がないでしょう。
私はサプリメントなど、買う余裕もないし、買うつもりもないのです。だけど、その集団の生き生きしていることは疑いもないほど確かでした。そして、トップは人心掌握術もあるし、かつ、民主主義と言うものもはっきり理解している人材でした。会社としても、コーチングの技術や、カウンセリングの技術を店長や社員に、与えていると推察されました。
今、最も高度で新しいものは、企業に存在するのです。それに、比べれば「公募団体展の中では、最も、品がよくて知的な方です」と言いたい、国画会も、古いこと、古いこと、信じられないくらいに、古いシステムなのでした。『そんなところで、我慢ができるなんて、あなた、現代アートの作家としてはおかしいでしょう』と、内心で思うのですが、それを、音声で、語ったことはいまだありません。
この項は、無論続きます。が、字数制限が、起き始めているので、ここで、次へと渡します。なお、このブログの、2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、2052653です。2014年2月19日 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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