中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

福建省 漳州市南靖県 福建土楼 回螺坑土楼群と塔下村の俗昌楼

2024-02-01 00:02:01 | <福建省>

土楼王とも呼ばれる承啓楼のある永定の土楼群に行くか回螺坑土楼群を見るか、

悩んだ末に初志貫徹ということで、回螺坑土楼群を見に行くことに決めました。

 

 

厦門から出発する日帰りバスツアーの行先の多くは、

南靖の和貴楼、懐遠楼、雲水謡古鎮と、永定の土楼群がセットになっており、

回螺坑土楼群と塔下村に行くのは数えるほどしかありません。

 

 

回螺坑土楼群に行くためには、景区の入り口で専用周回バスに乗り換える必要があります。

バスの本数はあまり多くないのか、人が集まるまで動いてくれないのか、出発まで結構待ちました。

 

 

バスに乗って山道を30分ほど走ると展望台に着きます。

ここから見える回螺坑土楼群の景色は、土楼の紹介に必ず登場するほど有名です。

中央にある方形の土楼は歩雲楼、3つの円形の土楼が、和昌楼、振昌楼、瑞雲楼、楕円の土楼が文昌楼です。

料理皿が並んでいるように見えることから、四菜一湯(4つの料理と1つのスープ)と呼ばれています。

 

 

5つの土楼はすべて3階建てで住民の姓は全員”黄”さんです。

歩雲楼が清代の1796年に建てられた最初の土楼で、続いて和昌楼が建てられました。

歩雲楼は1936年に盗賊による火事で焼失し、1953年に再建されています。

振昌楼は1930年、瑞雲楼は1963年、文昌楼は1966年建築と比較的新しい土楼です。

 

 

塔下村も客家の集落で、裕昌楼は元代末期から明代初期の1368年に、

劉、羅、張、唐、範の5つの一族によって建築された現存する最も古い円形の土楼です。

 

 

5階建てで高さは約18m、直径が36mある大きな土楼です。

建築当初は、さらに高層の土楼を造ろうとしていたという説もあります。

 

 

もともと、内側にも祠を囲むように1階建ての円形の建物がありましたが、

おそらくもう修復できないほど劣化したのでしょう、今は取り壊されています。

 

 

5つの一族が暮らすために、5つの区画に分けられており夫々に階段が設けられています。

一般的に、土楼の中で家族は縦1列の部屋に住みます。

4階建ての土楼なら、1階から4階が割り当てられており、1階は炊事場、2階が倉庫、3階以上が住居となります。

今でもここで暮らしているのは劉姓の人だけだそうです。

 

 

土楼の井戸は共用なのが一般的ですが、裕昌楼の炊事場は半円部分に集められており、各々の炊事場に井戸があります。

ガイドは塔下村の人のようで、裕昌楼の中で親族が営んでいるお茶屋さんの井戸を覗かせてくれました。

(もちろん、親切だけではなく売り上げに協力する意味もあります)

 

 

1階部分の多くは、売店や土産物屋さんになっています。

上の階に上がることはできないようです。

懐遠楼とは違って、観光客で身動きが取れないようなことはありません。

 

 

1日に何回やってくれるのか分かりませんが、

観光客向けに人形を使った出し物を見ることができます。

 

 

裕昌楼は”東倒西歪”と呼ばれるように、支柱が真っすぐではなく最大で15度傾いており、

内側から建物を眺めると、支柱が左右でジグザグになっています。

設計ミスで建ててすぐに柱が傾き始めたとか。。だとすると傾いたまま600年以上倒れていないことになります。

上手く写真は撮れていませんが、何となく分かるかと。

 

 

もちろん塔下村には裕昌楼以外の土楼もあります。

裕昌楼の隣にある、もう人が住んでいない土楼にも連れて行ってもらえました。

今ではいくつかの部屋を物置として使っているそうです。

 

 

井戸もまだ使っているようです。洗った野菜やヘチマなどがおいてありました。

もう誰も手入れをしないのなら、このまま朽ち果てていくのでしょうか。

そういえば、以前、上海で借りた古いアパートが土楼と同じように、

下の階から上の階への縦一列に一家で住むと思われる構成になっていました。

だって階段の途中に風呂がありましたから。。縦一列に住むのは中国では珍しいことではないのかもです。

 

 

中国の田舎でも昔とは生活様式も変わり、日本と同じように若い人達が都会へ出て戻らなくなり、

一族が一緒に暮らすという習慣も少なくなって、土楼で暮らす人は減っています。

土楼によってはホテルとして再利用されているものもあります。

 

 

同じツアーバスに乗っていた人たちは、みなさん永定に向かいました。

おかげで、専属ガイドに連れられた個人ツアーのような感じで見学ができました。

土楼のガイドには外国人であることも伝えてあった(伝えてなくても分かりますけど)ので、

ゆっくり喋ってもらえました。

 

 

今回見学したのは、客家の人々が建て、暮らしている土楼ですが、

土楼は客家のものだけでなく、もともとこの地で暮らしていた人々の土楼もあり、

一般公開されているものや世界遺産に登録されているものはごく一部にすぎません。

機会があれば永定や他の地区の土楼も見に行ってみたいと思います。

 

回螺坑土楼群や俗昌楼と塔下村に向かう道自体は、しっかり舗装されているのですが、

ヘアピンカーブが連続しますし、運転も荒いので車酔いしやすい人は対策が必要です。

 

 


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