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昭和のプロレス:力道山が二度負けた

2022-04-08 06:29:09 | 日記
3社が中継

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り上げた脇役達を振り
返っています。
今週登場するのは「赤いサソリ、タム・ライス」、プロレスの創世記に力道山
と戦った強豪です。

 そもそも「金曜8時」とは1960年代の後半から71年に掛け、馬場や猪木
が登場して驚異的な視聴率を稼いだテレビ中継を懐かしんで付けたフレーズ。
あの頃は個性豊かな外人選手との熱戦に日本中が熱くなっていました。
 でも遡ること10数年、もっと日本中が熱狂した試合がありました。
なんと3社のテレビ局が競って生中継をしたのです。
それが1956年7月23日に行われた蔵前国技館大会です。
 日本テレビが夜の8時15分から、KRテレビが8時30分から、更に8時
40分からはNHKまでもがそれぞれ1時間以上の生中継を行ったのです。
 注目の一戦は力道山対タム・ライスでした。

二度目の来日は

 日本相撲協会を引退した力道山は、52年の1月6日にプロレス武者修行の
ためアメリカに向け出発しました。
翌53年の3月6日に凱旋帰国すると記者会見に臨み「260戦をこなしたが、
シングルで負けたのはアトキンスとノメリー、そして」と口にしたのがライス
の名前でした。
 アメリカ本土に向かう前に立ち寄ったハワイで力道山は18戦しましたが、
ここでライスに屈辱の2敗を記録しています。
その雪辱を果たさんとばかりに、プロレス経営が軌道に乗った56年に日本に
招聘したのでした。

 力道山に勝った相手との戦いは日本中を興奮の渦に巻き込みました。
テレビ局が3社も同時中継をした7月23日の蔵前決戦は、1対1の60分時間
切れ引き分け。
 勝負の行方は9月1日に行われるライスの日本での最終戦に持ち越されました。
会場の田園コロシアムには15000人が押し寄せて異常な盛り上がりを見せます。
 注目の1本目は25分39秒の熱戦の末にライスが逆エビで先取。
2本目は力道山が逆エビを決めて取り返します。
決勝の3本目は強烈な空手チョップを浴び続けてライスの戦意が薄れていきます。

 この試合を報じた専門誌には7枚の写真が掲載されていますガいずれのライス
も弱々しい姿。
5枚の写真ではチョップを浴びてのけ反り、1枚ではタオルを被りコーナーに
蹲っています。(プロレス爆裂地帯!! より)
 力道山の猛攻を何とか耐えますが最終的には戦意を喪失、試合放棄をして帰国
の途に就いています。
 <「脚を痛めて棄権するような意気地のない相手からベルトをとっても無意味」
と力道山はこの試合に賭けられた太平洋沿岸ヘビー級選手権の受け取りを拒否。>
(日本プロレス70年史 より)
 屈辱を晴らした以上、もはやライスに用はありません。
力道山は二度とライスを招聘しませんでした。

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