たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

母が亡くなった年-2012年2月~3月

2024年01月15日 16時22分59秒 | 祈り

 突然訪れた母とのお別れの直後の手帳日記、東日本大震災から11か月後、一部上場の大会社で働きつづけていました。日本が相当おかしくなっていることにうすうす気づいてはいました。その後労働紛争となり、行政の仕組みは私たちを守るためにあるのではないのだと思い知らされることになりました。でもここまでおかしい国だとは思いませんでした。どこかに希望があると信じたい気持ちがありました。衰退途上国、失われた30年間、この頃はまだ20年でした。このあと10年で日本はさらに坂を転がるように自ら首をしめあげて衰退してきていたのだということをコロナ騒動が知らしめてくれたのでした。東日本大震災で生まれ変わることができなかった日本、今が生まれ変わるほんとうに最後のチャンス。もう後はありません。

自分なりにがんばってきたつもりでしたがなにもできなかった人生、たどりついたのは「損益分岐点は80歳です」、生まれる前からの股関節脱臼による変形性膝関節症末期。与えられた役割があるとかきれいな話は幻想にすぎませんでした。

 

「2012年2月19日(日)晴・寒い

 がんばってフォーウインズ(乳幼児精神保健学会)のセミナーに行った。半分ぼうっとしていて、なぜだか最初(信濃町の隣の)千駄ヶ谷駅で降りてしまった。何度もきている(セミナー会場の)信濃町駅のはずなのに・・・。やはり、どこか普通ではないのだろう。ぼうっと行ったが内容は深くて情動的に揺さぶられ、感慨深いものがあった。

あらためて自分はしなくていい苦労をし、無理を重ね続けてきたんだと思う。自分が普通に生きることとに目が向かず、母と妹のことを受け容れたい、理解したい、その一心で葛藤し続けてきた。もう何年もそういう時間が続くのだと思っていたのが突然幕が降りた。今はどうすればいいのかわからない。きっとこれから3人分生きることが自分の役割なんだろうが今はよくわからない。気づいたら子供は産めない年齢になってしまった。でも、ここまでやっていなかったら、自分を責め、悔やむことになっていたように思う。母に病気の症状が出始めた頃は、くそばばあとののしり、この人から産まれたことをどれほどのろわしく思ってきたかしれない。20年以上かけて、お別れの時には78年間よくがんばったね、産んでくれてありがとう、と言うことができた。
父と同じ週末、同じぐらいの時間、タイミングと状況があまりにも似ていて、これ以上子供に苦労させるな、と父が迎えにきたのか、母が淋しくて父のそばに行きたかったのか、その両方なのか。

母との最後の会話は11月、フォーウインズの大会のために帰省した時だ。「お母ちゃん、人に迷惑かけんようにがんばっとるけど、最後はたのむね」。
母に何か予感があったのだろうか。この不思議なめぐり合わせは言葉では説明がつかない。科学では解明できない、神様が決められた“縁”のようなものがある。

結婚と出産には縁遠かったが、母と妹はたくさんのことを教えてくれた。それらを受けとめつないでいくことが私に与えられた役割なのだろうが今はわからない。母がいなくなって涙がでるなんで思わなかった。こんなに空虚感を味わうなんて思わなかった。幼い頃のことなどやたらとフラッシュバックしたり、色々にどよめいている。がんばってきた自分をほめてあげながら、今は思いの中にどっぷりつかっていよう。

きっとこれから新しい人生の始まりなんだろう。何ヶ月か先、気持ちが落ち着いたら自分にできることを見つけていこう。利潤追求とは違うところで、ボランティアなど、やれることをやっていこう。今はPEIにいくこと、『赤毛のアン』を原文で読むことが心の支えだ。これ以上のことはやれない。精神世界への扉を開いてくれた。そのことをどうやって受け取めればいいのか今はわからない。

今はPEIに行くこと。アンの原文を読むことが心の支えだ。これ以上のことはやれない。精神世界への扉を開いてくれた。そのことをどうやって受けとめればいいのか、今はわからない。

                ドトールにて、

 

W先生は心があつい。すごい方なんだとあらためて思う。」

 

「2012年3月3日(土)晴、時々くもり

少しあたたかくなった。

久しぶりに5日間フルにはたらいたのでかなりへばっている。職場の空気はすごく悪い。上のバカなオヤジたちの思い付きで行き当たりばったりに動かしたり切ったりするからだ。こんなに変ちくりんなのに気づかないなんて、組織の上に立つ者たちの考えることは全くわからない。これまでのやり方、考え方ではもう組織も日本もやっていけない。震災と原発事故をきっかけにみんなで考え変わっていく時なのに、もっと本を読んで話し合って方向性を見つけていかなければならない時なのに、そのことにどれだけの人が気づいているのだろう。なぜ上に立つ者たちは自分を守ることしか考えていないのか。日本に希望を感じられないのでできれば逃げ出したいがどこに向かって何を目指してこれから生きていくべきなのか今はわからず、相変わらず悶々としている。私は何をすべきなのだろうと。神様はどんな役割を与えてくださっているのだろう。社会に目がむいていない小さい人とは話できないなあ。

組織のつまらないことはどうでもいい。

哲学書と文学書を読みふけって”怒り”について考えていきたい。先ずは今背負っているものを全部おろしたい。それだけでもまだまだ時間がかかりそうだなあ。あせることないか。

私に残された時間は30年か40年か。どれだけのことができるだろう。仕事でへばっている場合ではない。PEIにもイタリアにも行きたい。負けるもんか!!」

 

手帳に書き留めていた『赤毛のアン』の原文、

Anne permitted herself to be led down and comforted,reflecting that it was really providential that Mrs.Allan was a kindred spirit.Nothing more was said about liniment cake and whe the guests went away.Anne found that she had enjoyed the evening more than could have been expected,considering~

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