「2013年1月5日(土)
長い休みが明日で終わろうとしている。断捨離をがんばったがそれほど大量にはやれなかった。読んだり振り返ったりして、これは必要か、過去にはこんな自分がいたんだ、考えながらやるのでけっこう疲れた。それでも愚かだった自分とサヨナラするために、母がいなくなった今ひと区切りつけて、本当に自分のために生きていきたくて、今年もがんばろうと思う。まだ無理が効く今のうちだと思う。もう少し年をとれば今抱えているものを管理できなくなる。その前に捨ててしまいたい。捨てようとしているものをみると、これだけのモノを一人で抱えてきて本当に苦しかったなあと思う。よくがんばってきた、えらいよなあ。もう少し進んで落ち着いてきたらまた東北に行きたいし、放送大学で学ぶなどしたい。私がやるべきことはあるはずだ。自分自身の体験を少しずつ発信していきたい。
このまま埋もれてしまってはいけない。ドロドロのきついことに耐え切れなくなったら逃げればいい。そんな立ち位置でやれることからやっていきたい。もう自分を責めてもせんない。私の命にも限りがある。色々思い始めれば切りがないがもうやめよう。ただ、母と妹がおしえてくれたことをつないでいきたい。それだけだ。
夜になると、家を出ようとすると不安がおそってくる。今年も不安神経症との闘いは続く。」
「2013年1月13日(日)
休み明け、狂騒曲は終わって日常に戻る。仕事がたまって忙しいせいもあるが、マニュアル通りのあいさつ、心のこもっていない、頭を使っていない店員や色々な問い合わせのコールセンターの対応はやっぱり気持ち悪い。ご本人様様確認っていちいち言われるの面倒だし、なんか変な世の中になったね。人と人との関係はドロドロとしたものでマニュアル通りなんてあり得ない。理屈では説明し切れないことばかりだ。直感が働く、感性ってすごく大事だと思う。あんまりマニュアル通りばっかりやってると応用がきかない、頭でちゃんと考えられない人があふれかえった世の中になっちゃうよ。人はいつかみんな死ぬんだ。そう考えたら何が大事か自ずとみえてくると思う。死の自覚、こわいが大事だと思う。
初めての一人旅、昭和59年2月14日~16日倉敷・宮島。今でもおぼえている、父に許してもらうのにドキドキして途中で母に電話したりした。カナダまで一人で行く私が笑っちゃうよね。その旅の記録をすてる。父も母も妹も、もういない。新しく踏み出して行くために、思い切って捨てていく。さよなら、若き日のわたし。歳月は流れた。」
「2013年1月15日(火)
人が生きていく営み-それは先に逝った命、今生きている命、これから生まれてくる命をひっくるめた命なんだと思う。
河合隼雄さんと小川洋子さんの対談集を読んであらためてそう思った。日本の祭りには、そうした命への鎮魂がこめられている。
日航機墜落から25年以上が過ぎた。9歳、はじめての一人旅で事故に巻き込まれた男の子のいたことがでてくる。お母さんは行かせなければよかった、その悔いをずっと背負っていかなければならない。
なぜそうなったのか、答えはない。理屈では説明し切れない。宇宙の中で理屈で説明できることなんてほんのぽっちりだ。だから、理屈を一生懸命語ろうとする人たちに違和感を感じている。きちんと理論立てて言えるなんてまとまりすぎだ。現実は混沌としたもので偶然の重なり合いで幸運だったり不運だったりする。それは人間の力ではどうすることもできない。9歳で逝ってしまった男の子の命は次の命へと、どこかでつながっていっていると信じたい。
私は家族の命をつないで行きたいと思う。」
「2013年1月19日(土)
晴。昨夜はすごく寒かったが今日はわりと暖かい。布団をほしたらふっかふか。生きていることを実感する。
インターネットで日航ジャンボ機墜落を検索したら、亡くなったスチュワーデスさんとその遺族の物語に出会った。事故現場の生々しい記述もあって頭の中に残ってしまう。夏休みで子供たちもずいぶんいたのが痛ましい。現場近くの自衛隊が拠点とした小学校に通っていた子供たちは亡くなった子供たちの分まで一生懸命生きているそうだ。助かった当時中学生だった女の子は亡くなったお母さんと同じナースになって、阪神淡路大震災の時不眠不休で働いたそうだ。なぜそういう巡り合わせになったのか、答えはどこにもない。全ては神さまが決めた偶然の重なり合いだ。理屈ではない。
人が亡くなるということは、事故でも病気でも自殺でも、遺族、つながりのあった人はみんなきつい。受けいれて生きていかなければならない。
私にできることがあるのではないか。発信していくべきことがあるのではないか。具体的になにをどうすればいいのかわからないが、気持ちだけ熱くなっている。現実にはそんなにドロドロに耐えられないと思うが・・・。
命はつながっている。母の命も妹の命も父の命もムダではなかったはずだ。残った者は一生懸命生きるしかないと思う。」
「2013年1月20日(月)
とりつかれてしまっているのだろうか、はたまた勝手に思いだけが空回り?突然人がいなくなる。理由はいかにせよ、残った人がどんなに大変か、共鳴してしまう。ノンフィクションを読めば追体験して自分に引き寄せて深く心に沈殿し疲れてしまう。私にできることがあるのではないか、どこに行けばいいのかわからないが手伝えることもあるのではないか。ドロドロの現実にどこまで耐えられるのか・・・。
愚かだった頃の私を忘れたい。過去は消えないが忘れていくことはできる。昨日は1991年2月の北海道の旅日記を処分。立風書房を辞めた後、バブル崩壊の前でハケンでテキト‐に気楽に働ける所をみつけられるだろうぐらいにしか考えていなかった。なんて愚かだったんだろう。断捨離の実感がようやくもててきた。まだまだあるが少しずつやっていくしかない。
人のウワサをしたり、悪口を言ったりするその黄色い声は赤の他人であってもすごく疲れるね‐。」
「2013年1月23日(水)
日航機墜落事故、関連本を読み始める。9歳の男の子を亡くしたお母さんが書かれた本。事故をすごい自分のエネルギーに変えて強く生きておられる。旦那さんのお兄さんは統合失調症だったそうだ。50歳を過ぎてPSWの資格をとり、今は施設を運営されているそうだ。本を出す後押しをされたのは柳田邦男さんだとあとがきにある。自死をした息子さんの臓器提供するまでを綴られた『犠牲』とつながってくる。私の中で色々な思いが湧きあがってきていて今ここでは書き切れない。ただ今自分が感じていることをちゃんと言葉にして外に出していかなければならないような気がする。
誘われてしまっているのだろうか。私にはこういう本を読むのはすごくきついはずだ。でも何かしら湧きあがってくるものがある。身近な人間との突然の別れを経験しないかぎり、死に対する意識を持ちながら生きている人はそれほどいないだろう。だが、私たちは東日本大震災を経験した。日本的な弔いにちゃんと向き合うべき時にきているのではないだろうか。
悲しみは乗り越えていくものではなく、同化しながら生きていく‐もう一度だけと思っても逝ってしまった者は二度とは帰ってこないからだ。でもいつも見守られている。空から見ていてくれるのだ。
私のこの命があるうちに何かやるべきことがあるのではないか、それは何か・・・現実には誰も私を必要としていない。思いだけが空回りし続けている。」
「2013年1月25日(金)
心が揺さぶられ言葉がオリのように沈殿していて書かずにはいられない。私にできることが、やるべきことがあるのではないか、でもそれが何かわからない。発信できることがあるのではないか、何をどうやって・・・、思いは空を舞い空回りし続ける。
心が揺り動かされてどうしようもなく、Y先生に電話して話をきいてもらった。物事には出会うべくして出会うタイミングというものがある。本との出会いもそうだ。
断捨離を続けて母の一周忌を機にあらたに生き直していきたいと思い続けている今、亡き人と共に生きていく、そのことがようやく自分の中にストンとおりてきた。自分を責め始めればキリがない。真っ白な時間を体が忘れることはない。その事実を引き受けて生きていかなければならない。引き受けられる自分でいるためにはピアカウンセリングも必要かな。私の話は普通に喋るにはとりとめもなく、内容もきついようだ。のたうち回るような思いの日々を糧に生きていくしかないんだ。どうしてなのかはわからないが、それが私に与えられた役目なんだ。
アルジェリアの人質事件、80歳を過ぎて我が子に先立たれた母がいる。こんな地獄のような時が何故訪れるのか、その答えはどこにもない。思いは空をさまよってどこにもたどり着くことができない。心がいたい。どんなに大変だろうと思うと言葉にならない。
1985年5月3日から一週間の北海道旅行の日記を間もなく棄てようとしている。Mちゃんのbirhdayじゃないか。それから6年後に自死する日が訪れようとは、こんな思いの日々が訪れることになろうとは夢にも思わなかった私がいる。家にTELしたら母の様子が変だった、と私は書いている。発症の予兆はあったのだろうか。今となっては、もう何をどうすることもできない。愚かだった私、若かった私とサヨナラするために断捨離を続ける。
サヨナラ、若かりし頃の私・・・ひとつひとつ別れを告げていく。新しい一歩のために・・・。」