たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

シルクロードへの旅-北京

2023年03月13日 15時21分02秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-ウルムチ⇒北京
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ca4ddcf2e1586f80e0a5bd5dbf3457ba


「1991年5月7日(火)

 万里の長城、明の十三陵、観光ツアー。
 バスで片道2時間ほど、
 かなりの急こう配を歩いたので疲れた。

 5時ごろ北京市内の中心部に戻る。
 デパートで買い物、バスにも乗った。
 ふらふらと通りを歩きながら、屋台で夕食。
 もしかしたら中国でいちばんおいしかったかもしれない。」

「1991年5月8日(水)

 朝の便で北京⇒成田フライト、
 14時頃成田空港着、お茶して解散」





明の十三陵、残念ながら何も思い出すことができません。

明王朝は『ラスト・エンペラー』『蒼穹の昴』で末期が描かれている清王朝の前の王朝、
生きて自ずと知ることになった知識が深ければもっと心に刻まれたのかもしれません。


北京旅人より-【世界遺産・明の十三陵】明代の皇帝13代が眠る地
https://beijing-tabibito.com/sightseeing/ming-tombs/

「世界遺産だから行きたいけど、そもそも明の十三陵って何?という人も多いかと思います。知っているのとそうでないのとでは、観光に行っても見えてくるものが違いますので、ここでは明の十三陵が何なのかについて、簡単にご紹介します。

明は1368年から1644年まで続いた漢民族の王朝です。1644年に清に滅ぼされたと思っている人も多いようですが、正確には李自成によって滅ぼされ、その直後に清が李自成に勝ち、明に続く清王朝が始まります。

明の皇帝は17代続きましたが、北京が都になったのが3代目皇帝の永楽帝から。永楽帝から最後の皇帝である崇禎帝までの15代のうち14代の陵墓が北京の西北部に集まっており、これを明の十三陵と呼んでいます。

14代なら十四陵じゃないかと思うかもしれませんが、第8代皇帝の英宗天順帝は第6代皇帝の復位であるので14代ですが13人分のお墓というわけです。そして、その間の7代皇帝である代宗景泰帝のお墓だけ明の十三陵にはありません。

代宗景泰帝は頤和園西部の玉泉山の北方にある、金山の貴族陵墓地に埋葬されています。これには復位も含めていろいろあるのですが、説明すると長くなるのでここでの説明は割愛します。

陵墓はそれぞれが、かなりの大きさになるため、明の十三陵は広大な範囲に及びます。コンパクトなエリアにお墓が集まっていると思っているかもしれませんが、13ヶ所にお墓が点在しています。」

シルクロードへの旅-ウルムチ⇒北京

2023年03月11日 17時10分34秒 | シルクロードへの旅
「1991年5月6日(月)

5時頃ウルムチに到着、ホテルで仮眠。

朝食後再びフライト、9時40分発。

12時30分頃北京着。

昼食後、北京の街を歩く。
公園、路地、屋台等ふらふら歩く。

昨夜は一睡もできなかったので11時には就寝。国際飯店泊。」


シルクロードへの旅-カシュガル⇒ウルムチ

2023年03月09日 01時09分18秒 | シルクロードへの旅
「1991年5月5日(日)

カシュガルの街を歩く。
ホテルから広場、バザール、街並、人の並。
歩いてささやかながら、カシュガルの街を確認。

お腹の調子が悪いため昼食をパス。
新家書店で本を3冊購入。
かなり大きな書店だった。
3時半ごろホテルに戻ってツアーに合流。
バスにて観光。香妃墓、エイテガール寺院。
再びバザールへ。バッグを購入。値切りのかけひきが面白い。

今日はトルファン以来の青空が広がっている。
シルクロードとはこれでお別れ。
異国のこの雑多な街の大きさに圧倒されて、なにを書いていいのやらよくわからないが、シルクロードの街ではどこも子供がたくましく生きているのが印象的である。
異国の街カシュガルで出会った10歳の少女ポアイシェンヤースン、彼女もたくましく生きている子どもの一人であろう。
西洋的で幼いが目は鋭い。頭の回転がはやく利発そうだ。
悪い意味ではなくずるく生きる術をおぼえているのだろうか。昨日出会った私の顔をおぼえていて、目ざとくみつけくっついてくる。
トットちゃんの本を買いたくて書店をさがしていると、彼女がそでをひっぱる。
書店はどこかとたずねると、人にきいては案内してくれた。30分ほど歩いただろうか。
書店は見つかり、めでたく本を購入。
途中の彼女のすすめる指輪を買って彼女にも買ってあげて、広場に戻るとしきりになにかを言っている。ぼんやりしているものだから、なかなかなにを言おうとしているのかこちらはよくわからない。その時の彼女のチェッという舌打ちが忘れられない。わからなくてごめんねと言って去ろうとしても話してくれない。結局どうやらお金か物をよこせと言っているらしい。一元を渡すと彼女はバイバイと去っていった。
 
午後の観光で再び広場に行くと、やはり彼女はいた。わたしにくっついてくる。
物をもらえると思っているのだろうか。案内すると言っている。ガイドをしているのだ。
そうしてお金や物をもらっているのだろう。
そしらぬ顔を彼女のそばをすりぬけて、わたしは買い物に出た。
彼女は今もあの広場に立って、目ざとく観光客をみつけては彼らのカメラにしっかりとおさまっていることだろう。

シルクロードの街では子供は大人以上にたくましく、自分で生きている。
今はこれぐらいしか書けないなあ・・・。
ちなみにバザールで売られている華やかなスカーフは、Made in Japanだった。
今の日本とはあまりに違うシルクロードの街に今いて、東京の生活に戻れるだろうか。
世界は広い、大きい。
ぼやぼやしてはいられない。
今度は一人で、自分の足で歩いて、異国の街を垣間見てみたい。

夜半3時30分の飛行機でウルムチへ飛ぶ。
あっ気なく一時間半ほどで到着。」





東洋と西洋の間、これまでのオアシスと違って、バザールにいる子どもたちは白人の血がはいっているであろうと思われる顔立ちが多く見受けられました。
10歳の少女、平和ボケの日本から出たことのなかった当時のわたしには衝撃でした。
この日購入したウィグル語の「窓ぎわのトットちゃん」もバッグも、断捨離してしまいました。いつかお別れしなければならないのだから仕方なかったと思います。あの世で再会できることを楽しみにしています。

この旅で出会った子供たちは、無事に生き延びることができているでしょうか・・・。

シルクロードへの旅-アスク⇒カシュガル

2023年03月05日 15時00分18秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-クチャ⇒アスク
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c16682a45ec706ae182354469b9f3d62


「1991年5月4日(土)

朝からずっとバスに揺られてカシュガルへ到着。
シルクロードの終着点、パキスタンまで40Km余り。

東洋と西洋の間、イスラム教徒の街。
ここはもう中国というイメージではない。
女性は布をかぶっている人が多い。
バザールの規模もかなりのもの。
日本人は好奇の目でみられているな、という感じ。
こわいものがある。
観光客ずれしているのは残念だ。
でも、いろんな人がいて、いろんなものがあって、面白そうではある。」









シルクロードへの旅-クチャ⇒アスク

2023年03月04日 15時54分40秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-コルラ⇒クチャ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d3f7f66807af309090d2bf736dc8897c

「1991年5月3日(金)

キジル千仏洞見学、バスで片道一時間ほどかかる。
途中の景色がけっこうおもしろかった。
飛天図などみるが、勉強不足でよくわからなかった。
内部は探検隊、イスラム教徒、泥棒などに荒らされていて、涅槃図の顔などもわからず残念だった。
 
昼食後バスで一路アスクへ。
人口180万人、ほとんどがウィグル族。
かなりの都会である。

朝から雨で寒かった一日。
シルクロードに来て、ずっと天気が今ひとつよくない。」


今さらですが懐中電灯をもっていくべきだったという反省。

-キジル千仏洞-

https://www.arachina.com/attrations/silkroad/yizhi/kyajiru.htm

「古代シルクロードの真珠と言われたキジル千仏洞は、中国で最も早く開かれた新疆随一の石窟で、西域、亀茲石窟群の中で最大規模のものである。

新疆ウィグル自治区拝城県キジル郷から70キロ離れたミンウダク山の岩壁上に、3.2キロにわたって開削され、現在、236窟が確認されているが、そのうちほぼ完全な型で保存されているものは135窟ある。
キジル千仏洞は、3世紀頃から作られ始めたが、8世紀末ごろ放棄されたと言われている。

石窟の大多数は、僧侶たちが礼拝などを行う中心柱窟と方形窟で、ほかには僧侶の住居の僧房もある。
壁画の題材は、二種類あり、一つ目は、釈迦の誕生から涅槃までのいくつかの代表的段階である入胎、誕生、宮中生活、出家苦行、山家苦行、降魔成道、説法度衆、涅槃などである。

二つ目は、本生物語で、釈尊が生前において何度も生まれ変わり、そのたびに善根を重ねて仏になるという物語である。

また、宗教に関する題材以外に、古代西域の各民族の人々の暮らしを反映しているものも多い。」






キジル千仏洞への道中、面白いと思った風景、おそらくこちらの写真たち。
バスを止めてもらって写真を撮った記憶がよみがえってきました。









シルクロードへの旅-コルラ⇒クチャ

2022年09月16日 00時55分29秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-トルファン⇒コルラ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c8e125e2ab343982ea7b4c29c645f48f

「1991年5月2日(木)

午前9時、朝食後中国で最も西にあるコルラ駅へ。

その後一路バスにてクチャへ280km、

午後4時頃クチャに到着、昼食。
5時から観光、スバシ古城・ナイフ工場・イスラム寺院。

8時10分、夕食後街へでる。
そぞろ歩き、ここでも珍し気にみられる、ウイグル族が多いようだ。

路地裏に入って民家のひとつに招待される。
おそるおそるヨーグルトをご馳走になる。
固いパンをわざわざ買ってきてくれたり、写真をみせてくれたり、
カメラにおさまるのがとても嬉しそうである。
人なつっこい、いい人達だったとは思うけどお腹が心配。

かなり疲れているんだろうなという気はする。
明日はどんな招待所が待っていることか。
今日のシルクロードはずっと緑が続いていて、たいした変化もなく今ひとつだった。
ちょっときつかったかな。
空は今日もくもっていた。」

西域遊
http://www.shinkyou.com/midokoro/Kuqa/55.htmlより、

「-スバシ古城-

スバシはウイグル語で水源地という意味で、チェルターグ山の南麓に広がる仏教遺跡で、玄奘三蔵法師様が記した「大唐西域記」に登場するアーシュチェリア寺だと考えられている、それが正しければ、魏晋時期に創建された、唐代には亀茲国最大の寺院であった所だ。
 
 寺院はクチャ河を挟んで東寺院区と西寺院区に分かれている、東寺院区は山麓に沿った東西146m、南北535mに位置する。その西部を中心に寺院、僧坊、北塔、石窟などが点在している。西寺院区は東西170m南北685mの範囲に南塔や石窟を中心に、かなり多くの建築物が残り、陶器、鉄器,経典などが出土された。」



コルラ駅だったかもしれません。



クチャの路地裏の風景だったか。






シルクロードへの旅-トルファン⇒コルラ

2022年08月05日 16時04分28秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-トルファン-その2
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b23ed4f45584697beffd6c176ffba7fd

「1991年5月1日(水)

朝食後、バスにてシルクロードをコルラに向かって走る。

途中の休憩所で昼食、ガイドさんが作ってくれた煮込みうどんのようなものがおいしかった。
席さん一家、子供たちのかわいかったこと。
2番目の女の子が、わたしのポシェットのチッチのキーホルダーが気に入った様子だったのでプレゼン
トした。握手してサヨナラ。とてもうれしそう。

午後、再び走り続けて6時半頃コルラ着。
夜食まで少し街を歩く。
外国人が来ることはほとんどないのか、誰もが珍しそうに我々をみていた。
人口24万人、ほとんどが漢族。
26の少数民族が住む。
年間の降雨量300mm。
トルファンよりも都会的。
水が豊かで潤っている。

シルクロードの風景もいろいろと変化があって面白い。
オアシスの緑、はげ山、湿地帯、岩山、草原、菜の花畑、ポプラ並木、放牧された羊、ただの砂地、
休憩所もけっこう目につく。
荒涼としたなにもない所を想像していたけれど、かなり違う。」


席さん一家の子供たち、休憩所で働いている方のお子さんたちだったかな。
ガイドさんは漢民族の男性でした。通訳してくれたと思います。
あとは漢字を紙に書いてやりとりだったかな。漢字は読み方がわからなくても通じ合えたり。

ほんとにいい子たちでした。無事に生き延びているでしょうか、どんな大人になっているでしょうか。
この子供たちたちのことも時折ふと思い出します。
こうしてデジタル化していても、この写真もまだ捨てられそうにありません。





トルファンからコルラへ移動した時の風景だったか定かではありませんが・・・。





コルラの風景だったかもしれません、残念ながらもう記憶をたどり切れません。




シルクロードへの旅-トルファン-その2

2022年08月05日 01時30分42秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-トルファン
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/181682741044385e38a30901a206b248


トルファン(吐魯番)の観光ポイントまとめ!遺跡巡りなど見どころ満載!
https://travel-star.jp/posts/6874より、

-高昌故城-

まず最初にご紹介するトルファンの観光スポットは「高昌故城」。トルファン市から東へ45km進んだ地点にあるこの巨大な遺跡は、紀元前1世紀から13世紀までトルファンの政治、経済の中心となっていた都市跡です。

東西1.6km、南北1.5kmという広大な敷地の中に、大きく分けて宮城、内城、外城の三つの遺跡が並んでいます。かつて玄奘法師が旅したと言われるシルクロードの時代を彷彿とさせる歴史スポットです。

トルファンの絵葉書の表紙になっている高昌故城、




-アスターナ古墳-

中国トルファンで、5世紀頃に作られたと推定されているこの古墳群は、墓室から、多くの漢語文献などが出土しています。

この遺跡では、中国のトルファンで6世紀から7世紀に栄えた漢族が家族ごとに埋葬されています。

カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれるこの遺跡は、トルファン市街地から36kmほどの距離にあり、観光する場合は、路線バスかタクシーを使った行き方がおすすめです。

この遺跡からは、「樹下美人図」という有名な壁画も発掘されており、貴重な歴史資料としてニューヨークのMOA美術館に収蔵されています。

歴史好きな方におすすめの観光スポットです。


-交河故城-

トルファン市内から西へ16kmほど離れたところに残された紀元前2世紀に建築された都市遺跡は、中国の世界遺産の一つにも登録されています。

中国の漢の時代から残る都市遺跡は、この交河故城のみで、多くの人々が暮らした遺跡跡には、軍事施設も見ることができます。

中国の壮大な歴史ロマンを感じられる世界遺産「交河故城」は、前漢時代の屯田地として辺境防衛の拠点とされていました。

現存する遺跡は、高さ30mの断崖絶壁の台地にあり、南北1km、東西300mの敷地の中に、たくさんの建物が残されています。遺跡エリアは、日陰もあまりなく非常に暑いですので、日焼け対策や水分補給を忘れないように気をつけて観光してください。



絵葉書になっている「カレーズ」という治水設備、トルファンは水辺が豊かな街だったことを、こうして振り返りながらなんとなく思い出しました。



交河故城で撮った写真か、定かではありませんが・・・。



こちらも場所はもはやどこだったかわかりませんが、オアシスの街の風景、トルファンではなかったかな。





シルクロードへの旅-トルファン

2022年08月04日 00時25分14秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-ウルムチ⇒トルファン
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/45145e7f790a29a271a1afad5c6d9f02


「1991年4月30日(木)

午前9時朝食

トルファン市内観光、高昌故城・アスターナ古墳、くもり空、風が強い、外は砂嵐。

午後2時ホテルにて昼食。

トルファンの街中をそぞろ歩きながら、ムスクへ。

午後5時、再び観光、交河故城・博物館。

午後9時、夜食。民族舞踊をみる。
                       緑洲賓館(オアシスホテル)泊。」


緑洲賓館(オアシスホテル)のKEY CARD、




絵葉書を購入しました。

トルファンの葡萄、



火焔山、



高昌故城、



民族舞踊、



日常の風景、







残念ながら、もはやどこで撮った写真かわかりませんが、オアシスの土壁の家。


シルクロードへの旅-ウルムチ⇒トルファン

2022年07月31日 00時32分53秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-故宮博物館⇒ウルムチ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cfde97239492bb32c871edbe08afbffb


「1991年4月29日(月)

午前中ウルムチ市内観光
(新彊博物館・紅山公園・じゅうたん工場)

昼食後バスにてトルファンへ。
85%はウイグル族。緑洲賓館(オアシスホテル)泊。バザールを少し歩く。

ウルムチ市内はさしてゆっくりできず、あわただしく観光名所めぐりをすませて、
午後はひたすらバスで走ること3時間半ほど、シルクロードの入口トルファンへ。

なにもないはげ山、石ころだらけのだだっ広い所。
地平線がはるか向こうに見える。
所々に人が住んでいるらしき家。
天山山脈の雪解け水が緑豊かな河原。
梅か、桃か、桜かわからないが、ピンク色の花をつけた木もちょくちょくある。
電線がずっと通っていて、貨物列車も走っていて、車はものすごい勢いで走り抜け、
シルクロードは生きている。

砂漠のオアシス、トルファン。
かわいた所を走り抜けてきただけに、緑がやけにしみる。

入口で出会った子供たちが、ちょっとはにかみやで、人なつっこくてかわいかった。
男の子はみんな坊主頭。
それぞれに学校帰りか、鞄を抱えている。
カメラやビデオを珍しそうにのぞく。

さすがに今11時を回っているというのに、まだ暑い。
空気がかわききっている。はっきり言ってきたない。
ものすごい所に来ているんだなあと、バザールを歩いて思う。
日本人を見る街の人の目はちょっとこわいかなという気もする。
日本語の話せる商売人もいて、こんな所まで日本人は来ているんだあと驚く。
ホテルがあることそのものが不思議なのに・・・
これからどんな行程が待っているのか、
わくわく楽しみだ。」



中国だけどイスラム世界!ウルムチのおすすめ観光スポット5選
https://skyticket.jp/guide/115375?page_number=3
より、


「新疆ウイグル自治区博物館

新疆ウイグル自治区博物館は、ウルムチの人気観光スポットの一つで、5万点以上もの歴史的な文物が収蔵された総合博物館です。シルクロードの交易で栄えた時代の絹織物や毛織物、土器や木製品、様々な西域の文字で書かれた手紙などを見ることができます。

この博物館最大の目玉は、1980年にタクラマカン砂漠で発見された「楼蘭の美女」です!なんと今から3800年前の女性のミイラで、保存状態が極めてよく、端正な顔立ちをしているんですよ。この美女のミイラを見つめていると、心は古代のシルクロードへタイムトリップできちゃいます!」


「92年 楼蘭王国と悠久の美女/西新井大師」
https://www.youtube.com/watch?v=JZQoEwtMslI
 
 新疆ウイグル自治区博物館、最大の目玉である「楼蘭の美女」を思い出すことができません。どこかに貸出中だったのかな、それともわたしがオオボケ? 残念ながらまだら記憶になりつつあるようです。上野の国立科学博物館に来日したときには会いにいったことをおぼえています。振り返ってみると1992年のことだったようです。

 ミイラが何体も安置されていたと思いますが記憶にあるのは夫婦のミイラ。男性がおだやかな表情をしているのに対して、隣の女性は口元が歯を食いしばっていました。夫が病気で亡くなり妻は殉死させられて一緒に埋葬されたのではないかと、一緒だった方々と話したことを思い出します。







ウルムチで出会った子供たちかな。

中国といっても新彊ウイグル自治区はほぼイスラム教の世界。

当局からの弾圧が報じられています。30年の歳月が流れましたが、この子供たちは無事に生き延びているのだろうか、どんな大人になっているだろうかと時々ふと思い出します。

子供たちの写真、こうしてデジタル化していますがまだしばらく捨てられそうにありません。






旅の思い出写真_シルクロードの子供たち
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/402d720bfc7318e9058f414d6226012d

どこの風景か、もはやたどることはできませんが、オアシスにはこんなふうに水辺があったり、緑豊かだったり。