たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小林製薬「ヨウ素による新型コロナに対する抗ウイルス効果の研究をしていた!」&紅麹の健康被害を疑った医師がアストラゼネカなどから多額の報酬を受け取っていた!

2024年04月02日 17時06分27秒 | 気になるニュースあれこれ

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ヒルティ『眠られぬ夜のために(第一部)』より-2月1日~2月28日

2024年04月02日 12時23分22秒 | 本あれこれ

「2月1日

 神との関係は、なによりも先ず、われわれの側において徹底的に誠実でなければならない。信仰の大きな動揺や、そればかりか背信があっても、そのあとに悔い改めが行われるならば、まだしもゆるされるが、冷たい無関心や、ただ義務を果すだけの形式主義は決してゆるされない。

 これは人間同士の真の友情においても同じであって、ただ義務感だけでは維持されないのである。」

 

「2月2日

 「神の怒り」は、ただキリストの受難と死によって、いわばその血によってのみ鎮められたという教会の教理は、私には十分納得できないものであった。神がそのような怒りをわれわれに対して抱いていたとすれば、この救い主を決して送ってよこされなかったであろう。神がこれを送られたということに、すでにゆるしがふくまれている。実際キリストはこの世でただ急いで苦しみをうけ、そして死なねばならなかったばかりでなく、なおその前に生活をされて、サドカイ人の現世的信仰やパリサイ人の教会主義では行えないような良い生活ができることを、またどうすればそれができるかを教えなければならなかった。この点を、すなわち、このような生活を、われわれはキリストにならうべきであり、また同時に、われわれの負うべき苦難と試練の分け前を忍耐をもって受けとり、彼に従ってそれにうち勝たねばならない。

 実際にわれらの主の生涯がそうであったし、また、人間生活のあらゆる時と場所においてまさにそうあるべき、このような模範的生涯も、あのような死と復活という終幕がなかったならば、たしかに完全なものではなかったであろう。これは、教理論をまつまでもなく、健全な常識と心理学でも分かることである。キリストがあの最大のわざを行い、最大の苦難に堪えねばならなかったのは、われわれが出会うはるかに小さな事柄にわれわれも同じように行いかつ堪えることができること、そしてどうすればそれができるかを、教えまた実行させるためであった。まして、今やわれわれは、自分自身の力のほかに、多くの人びとを助けて苦難や死にうち勝たせ給うたキリストの力と約束とが与えられているのだから、それは一層容易になしとげられる。しかしながら、キリストの犠牲の死がひとりでにわれわれを浄めるわけではない。それは洗礼の水と同様である。われわれのためになされた犠牲を感謝をもってお受けすること、そしてその当然の結果として、キリストと神とを愛するようになることがわれわれを浄化するのである。」

「2月3日

 キリストみずからは、神を怒りの父などと言い表したことは一度もない。それが最も言われそうな、あの放蕩息子の喩え話(ルカによる福音書15ノ11)においても、そうではなかった。また旧約聖書もその最も美しい個所には、そのような見解は見あたらない。イザヤ書43ノ18‐25,48ノ9‐11。

 ところが、人間がのちになって、このような「神に対する怖れ」を述べたてて、きわめて多くの人たちに、神への信仰をいとわしいものにしてしまった。神の怒りとは、実は、神がわれわれの生活から遠ざかったあめに、地上のどんな財宝があろうとも、また学問、芸術、交通のあらゆる進歩があろうとも、われわれの生活は、現代のように内的に荒廃し、慰めのないものになったということ、主としてこの点に存する。この大地は昔のままであり、おそらく前よりよく耕されているであろう。しかし太陽が欠けている。人間の行いのなかにあるべき、また、ありうる祝福がないのである。

 このような罰は全くひとりでに現われる。それは、人間によて不遜にも蔑視される神の不変の世界秩序のなかに含まれているからだ。しかし人間が誠実に悔い改めて、神の秩序に帰ってゆくならば、ゆるしが与えられることもまた確実である。」

 

「2月5日

 こころみに、しばらく批判することをすっかりやめてみなさい。そして、いたるところで力のかぎり、すべて善きものをはげまし、かつ支持するようにし、卑俗なものや悪いものを下らぬものかつほろび去るものとして無視しなさい。そうすれば、前よりも満足な生活に入ることができよう。実にしばしば、まさにこの点に一切がかかっているのである。」

 

「2月7日

 ある文筆家は正当にもこう言っている。本当に大切なのは、正しい道にあることだけである。そうすれば、ほかのすべてのものはおのずから与えられる、と。」

 

「2月8日

 大多数の人間は働くことをたえず避け、自分の労働の結果の代りに、資本の蓄積や縁故関係や気楽な社会的地位など、つまり自分のためになされる他人の努力によって、その埋め合せをしようとする。しかしその場合、彼らは、自分で働くよりも仕合せになるわけではなく、むしろはるかに人に従属することになる。いちはやくこの道理を十分にさとって、みずからすすんで働く生活を選び、それによってこの世における唯一の自由な人間となるものは、きわめて憂くない。」

 

「2月9日

 人生の幸福は、困難に出会うことが少ないとか、全くないとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。

 力というものは、弱点にうち勝つ習練から生じるのである。」

 

「2月10日

 個人にとっても、民族にとっても、試練が必要以上に長くつづくことは決してない。しかしどちらにおいても、ある時期に達すれば、それ以後は溶かし*試練)がすべて無意味になり、従ってそれも止んでしまうことは、大いにありうることである。そうなれば、あとはただ神のさばきが行われるだけである。そして今や多くの人がこの道をすすんでいるのである。

 エレミヤ書2ノ19・20・25,4ノ22、6ノ14・27‐30。」

 

「2月11日

 内的な進歩が行われるには二つのものが必要である。それは、われわれに話しかける声と、それを聞くことのできる耳とである。」

 

「2月12日

 どんなに反対の実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢にも知らない。

 貧しい人たちは、たえそのみじめさにばかりこだわっており、身近な憂いの雲にとざされて大空を仰ぎ見ようとしない。富める人たちは、真に幸福になるためには、ぜひとも通らねばならぬ針の穴をくぐり抜けようとしない。信仰ぎらいな人たちは、彼らにいろいろな非難のきっかけを与える教会好きの信心家たちのふるまいに、たえず顔をしかめている。

 すべての人が幸福と喜びとを、もともとそれがありもしないところに、求めようとしている。しかし、この世のあらゆることを切り抜けてきた人びとはみな、それでも地上が「なみだの谷」では決してないことを、最後には証言っするだろう。」

 

「2月14日

 つねに真実を語るということは、真剣にそうしようと欲するときでさえ、決してなまやさしいことではない。嘘はわれわれの生活に深くからみついているので、たいていの人は嘘をいうことがなんの目的もきき目もないような、独り言や祈りのなかでさえ、やはりひと知れずいつわりがちである。

 ところが、人間は他人の嘘にはたやすく気づくものであって、ただその嘘が自分におもねるときか、あるいはちょうど都合のよいときだけ、それを信じるのである。」

 

「2月15日

 見えない世界を「信じる」ことによって歩くか、それとも日常の世界を「見ること」によって歩くかにしたがって(コリント人への第二の手紙5ノ7)、人生は非常にちがった相貌を呈することになる。われわれは同一の外的状況のもとで、絶望することもあれば、また実に平安に、それどころか幸福でいることもできる。

 信仰によって歩む場合、それにいくらか「想像」があずかることもあろう。しかし、目に見える事物は、本当に、それが見えているとおりのものであるだろうか。いわゆる「現実の」世界に関しても、われわれは、実は全くの謎と仮定の前に立っているのではなかろうか。」

 

「2月16日

 神への信仰を持たず、ただ自分の不確かな力と人びとの当てにならぬ助けを頼りにし、また、世間で人生の楽しみとされていることだけを楽しみと心得て、その結果、生活が半ば恐怖から半ば気晴しと自己欺瞞から成りたつというような人は、いわゆる恵まれた境遇にあっても、特に年老いて、体力も衰えはじめたならば、一体どうやって生きることができるのか、私にはよくわからなかった。

 私ならば、全く神を信じないよりは、せめて偶像をでもおがみたいと思うだろう。」

 

「2月17日

 ひとから受けた不正をいつまでも思いつづけることはつねに有害であり、そのうえたいていは無益でもある。そういう考えをいそいで払いのけて、そのために元気を失わないようにするのが、一番よいことである。」

 

「2月20日

 多くの人たち、ことに女性たちは、その天職を見失っている。今日ではそれを見失うこともやむをえないとさえ思われる。なぜなら、現在の与えられた状況の中では、彼女たちの活動する余裕がまだないからである。この場合、天職にかわるどんな代用物、たとえば、ある種の享楽、芸術や芸術家に対するむやみな熱狂、クラブ生活、そほか現代的教養のどんな種類も、この欠陥を補うことに役立たない」

 

「2月24日

 急速な内的進歩は、激しい魂の震撼によってのみ行われる。だから内的進歩を願うならば、魂の震撼をあまりに恐れてはならない。」

 

「2月26日

 人間のあらゆる性質のなかで、最良のものは誠実である。この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠けてりうとき、それをほかのもので補うわけにはいかない。

(略)

 また感謝するということでも、一般的にいって、人間は他の高等動物よりもかえって劣っている。だから、他人の感謝を当てにしないがよい。しかし、あなた自身はつねにその名誉ある例外であるように努めなさい。」

 

 

 

 

 

 


【景気悪化】4月から国民生活はさらに苦しくなる

2024年04月02日 00時46分24秒 | 気になるニュースあれこれ

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