たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

なんとか終わった木曜日

2018年05月31日 21時13分58秒 | 日記
 昨夜はホットワインを飲んでからの5時間半ほどぶっとおしの睡眠。途中お手洗いで目がさめても起き上がるいとまもなくまた眠ってしまったようです。一晩中温度設定をあげて除湿をつけていたせいか、つけていないとほかの部屋の音が丸聞こえになるのいやなのでつけいたせいか起きたとき体がすごく冷えていました。それでもって今日は涼しかったですね。でも就労場所は暑いので夏用のブラウスで出勤したら午前中会議があった部屋は冷房が効きすぎていて、上着をもたないまま出席してしまったので体が冷えて冷えてなんかいもお手洗いに行ってしまいました。午後はまた訪問予定があったのでバスの乗車時間わりと長いのにもつかと心配でしたが幸い下痢状態はおさまりました。はあっ、こんなところに人が住んでいるんかっていうところだったり普通の部屋なんだけどすごい坂をのぼらないといけないところだったりに行って疲れました。逃げ場所はコンビニしかないし誰とすれ違うかわからないし個人情報を持ち歩いている緊張があるので疲れました。夕方は午前中の終わらなかった会議の続き。心情としては誰も認めたくないけれど制度として認めざるを得ないという結果となり腹立たしいやら溜息やらという感じになっています。自分も含めた一般人はすごい苦労して出すものを出しているところを出さざるを得ない。どんだけ苦労しているのか、こんだけ出すのがどれだけ大変なことなのかわかっているのかっていう気持ち。向こうの言い分もわかるけどさ、自分で出せるならいいなよ、普通はみんな自分で出しているんだからさって怒りさえわいてくる。なんだかやってられません。苦労してわずかな給料をもらっている人よりもさ・・・。いやいや自分で苦労して出せることの方がとうといんやって思うことにします。こうして普通に過ごせることが大事なんやっていいきかせます。月末なので悔しいですがクソ大家に家賃振り込みました。ああ悔しい。

 明日はようやく金曜日。また晴れて気温があがるのか。どう調整したら体の具合が悪くならないかわからない毎日。朝のラッシュ時具合の悪くなったお客様の救護のために電車が遅れましたって時々あるけど蒸し暑くなってくると増えてきそう。自分もいつ救護される人になるかわかりません。あと5カ月と12日。無事に過ぎていきますように。無事に過ぎてもそのあとどうすればいいのかわかりませんが・・・。

 今夜も眠れますように。天真みちるさん退団か。ずっと宝塚にいて専科にいく人だと勝手に思ってた。蘭ちゃんと同期なのかな。さみしいね。みんないつかは訪れる退団の時。いっちゃんの時も、ずんこさんの時も退団していく一瞬がほんとにさみしかった。それがタカラヅカ。

 

時間はあっという間なれど、一週間は長い

2018年05月30日 22時09分45秒 | 日記
 昨夜はまたちっそくしそうなこの部屋のせまい風呂に入ると幻覚。疲れているんだろうなあ。ホットワインからのなんとか5時間半睡眠。アラームで起きるのがつらい朝でした。今日もあれやこれやの一日、夕方明日は金曜日の感覚になりましたが、まだ明日は木曜日でした。気づいたときのがっくり感ったら。一円も残業代出ないし代休もとれませんが少し残業してから一息の寄り道。仕方なく帰ってきてごはん食べていたらあっという間。でも一週間は長いです。明日はまた午後訪問の予定いれたし。ずっとちっそくしそうな就労場所にいるよりも外に出ていた方がいいのか。でも相手はメンタルだらけでこくってこくってはあっ・・。病院との関わり方ってむずかしいんだなとわかってきたこの頃。ほんとぼやぼやしていると時間はあっという間。いろいろと書きたいことはあれど今日はこれぐらいで。

 明日は月末。悔しいですがまたクソ大家に家賃を振り込まねばなりません。ああ悔しい。今度無職になったら、こんな部屋いられんがな。どうしましょうかね。今は考えるのやめましょう。決められないことは思考停止。そんなこといってられんのですが思考停止。今月はなぜかWifiの容量があまっています。あと一日。動画流しています。

 とにもかくにもあと二日、明日は木曜日、無事に出勤できますように、無事に過ぎていきますように・・・。

昨夜、またもや眠れず

2018年05月29日 18時59分52秒 | 日記
 昨日は午前中から訪問でいっぱい歩き足痛いし、体が疲労していたはずなのにまたもや寝つけず、1時半ごろあきらめて眠剤をのんでからの火曜日、なんとか4時間ほど眠れたかな。ほろ酔いで眠れるかなと思ったのですがだめですよ、歯を磨いた後の夜ふけ、さて布団に入ろうかとほっとひといきついたら、斜め向かいの引きこもりのオッサンのゴエッ、ゲホッ、みたいな(言語化不可能)な喉を鳴らす音が聞こえてきてしまいました。このワンルーム、台所スペースと居室の間に間仕切りがないので、居室スペースにいても音が聞こえてきてしまうのですが、それにしても気持ち悪い、なんでこんなに聞こえてきてしまうんや、かんべんしてくれー、あんたはどこにも行かないから何時に寝て何時に起きても関係ないけどこちとら緊張感はんぱない仕事をしとるんや、やめてくれー、ってなんて気持ち落ち着かず寝つけませんでした。足が疲れたのでとにかく本当はいれる必要のない冷房を30度でつけながら、耳栓して横になっていてもゴエって聞こえてきてしまってほんといややー。カップルや小さい子育てている若夫婦も住んでいるみたいですが、家賃と住人のクオリティは比例するやなってわかったこの頃。アパート生活始めたって、安い部屋は壁も薄いし住人のクオリテも低いだろうからすぐまたダメになりそうなって思う件で今日は午後生まれてはじめて病院へ。母も病気だったし偏見もっているつもりはないですが現実はきびしくって、わたしはこういう所で働くの無理やなーっていう場所でした。Dr.にNoって言うことはできないみたいで考えてしまいました。負のエネルギーを振り払いたくってめっちゃ冷房がきついカフェでひといき中。まだ明るいうちにちっそくしそうな部屋に帰りたくないしね。

 電車とバスで移動中、上司から「たんぽぽさん、宝塚が好きなんですね」って話しかけられました。机の上にみりおさんの舞台写真とカレンダーを飾っているし、金色の砂漠と神々の土地のクリアフォルダーを使っているのでわかっていただけていました。この仕事を始めたら美しいものをみて心を清らかにしないともたないので飢えを満たすように通っていますと話しました。前の職場にも同じような人がいたそうです。美しいものをみないともたないって。麗しの宝塚、ありがたや。非日常的な空間へといざなってくれるミュージカルの舞台、ありがたや。明日の午前中は今日とうってかわってお別れの時まで数カ月と思われる親子さんのために関係者はなにができるのか話し合います。優しい人ばっかりのはず、すごくきびしくすごくむずかしいこと。どうしたら気持ちに寄り添いながら最善のことができるのか、みんなで一生懸命に考えます。優しい人たちが集まるはず。気持ち入りこみすぎないようにしないと、でも入らないと考えられない。むずかしいです、むずかしいです。

 今夜は眠れますように、今夜眠れて明日の朝は無事に起きられますように・・・。

アマデかわいい

2018年05月28日 21時46分03秒 | 日記
 昨夜はまた眠剤にたよって5時間半ほどの睡眠からの月曜日、なかなかできていなかった訪問を消化すべく午前中から約束なしに出向きました。会ったことのないメンタルのおじさんとか、どういうリスクが潜んでいるのかわからないで緊張しました。場所が場所だけでメンタルが多いし気持ちあがらない場所で緊張ばかりで疲れました。坂が足にきています。老眼加速中につきコンタクトレンズを弱めているので遠くをみようとして無理しているのかくらくらしながら頭痛がひどいし、疲れました。夏至にむけてどんどん陽が長くなっているのでまだ明るいうちにちっそくしそうなこの部屋に帰ってくるのいやでたまりませんが足を休めるためには買い物したらさっさと帰ってくるしかありませんでした。

 帰ってきたらさっそく気になって仕方がなかった憲ちゃんアマデの画像をチェック。いました、いました、初日を迎えた憲ちゃんアマデ。アンサンブルさんのツィッターにはアマデの紛争をした憲ちゃんのお写真。ものすごく純な感じでかわいいこと、かわいいこと。子ルドでは会えなかった舞台の憲ちゃん、あと二回の観劇で会えるかな、会えるといいな、会いたいな。おにいちゃんに似て、可愛いだけでなく芝居力にも期待大。初日のそうすけくんアマデ、すごかった。オペラグラスで育三郎さんヴォルフガングと同じぐらい追ってしまいました。育三郎さんヴォルフガングの天才モーツァルトぶりもすごかったけど、ヴォルツブルクに怒りの表情をあらわし、戒めるそうすけくんの神童アマデぶりもすごかった。ヴォルフガングとアマデは一心同体だからカーテンコールも最後に二人一緒に登場。最後は育三郎さんヴォルフガングがそうすけくんアマデを抱っこしてはけていきました。そうすけくん、緊張感から解き放たれた普通の子どもの表情に戻って、ほっとしているのがすごくつたわってきました。4年前の舞台ではアマデは三人とも女の子が演じていました。わたしは二人と会いましたが、それぞれあっぱれな芝居力で感心しました。台詞は全くないのでマイクつけていませんが舞台全体を左右する重要な役どころ。女の子と男のでは子どもとはいえなんとなく違いはある感じで、どちらもよきかな。すごいですね、子役って。6年前のルドルフから歳月を経てきた雄大ヴォルフガングも楽しみ。帝国劇場に宝塚みたいな銀橋がつくられていて、オーケストラピットは視界に入らなくなった今回の舞台。小池先生はすごいなあ。再来週の土曜日が待ち遠しい。それまでなんとか生き延びねば・・。

 明日は午後病院に出向て会議。上司と一緒です。アルバイトの身でここまでやらねばならないとは思いませんでした。いろいろと勉強になるし、中にいると電話番になってしまうので外に出ないとちっそくしそうになるのでまあいいかな。口の中が気持ち悪いし、無事に起き上がれるようにこのちっそくしそうな部屋で休まねばです。電車の中は朝から冷房がんがん、就労場所はあついので昼間は外の方が涼しい。夜になると涼しいので冷房なんていらないですが空調の音がないとほかの部屋の音がきこえるのはつらい。舞台を心の糧に生き延びるべし。

 そうすけくんと憲ちゃんのお写真は劇団ひまわりの公式ツィッターよりお借りしました。


日比谷な一日、舞台はやっぱり生がいい

2018年05月27日 22時14分22秒 | 宝塚
 明日に備えて時間があまりなくなってきてしまったし、部屋の中ではちっそくしそうだし、でも店の中は寒すぎるし心がこもっていない「ありがとうございます」を言われても全く嬉しくないしの日曜日の夜、一週間は長いので少しだけ思い出し。5月26日は11時から東京宝塚劇場で宙組観劇、17時45分から帝国劇場で『モーツァルト』初日観劇、どちらも気持ちがあがって舞台はやっぱり生がいいなとしみじみ思いました。あらためてゆっくり書きたいですが断片的に。

 宙組『天は赤い河のほとり』、花組から組替えになったキキちゃん(芹香斗亜さん)、二番手スタートとトップ娘役との相性って大切なんだなと。『ハンナのお花屋さん』の印象が深いだけになんか複雑なものがありましたがのびのびやっている姿をみることができてこれでよかったんだなと。ユーリに迫っていく場面、まどかちゃんとすごく合っているし、ラムセスの出番が少なかったですが登場するとカッコよさと可愛さマックス、カタカナだらけの人名と地名がたくさん出てくる場面があったのですがひとつも澱むことなく全部聴き取りやすかったのは花組で培ってきた力なんだとわかりました。たぶんものすごく言いにくいはずですが全くにごりがありませんでした。原作知りませんがプログラムに掲載されているイラストなどをみるとたぶん再現度がすごく高いんだろうなと。風のごとく滅び去って行った古代ヒッタイトのつかの間の繁栄を描いた物語、舞台の上には赤い土の渇いた風景がひろがっていて素敵でした。真風さん、まどかちゃんを軽々?お姫様だっこ、身長差もあるし、まどかちゃん色白で細くって可愛くって、でも芯のあるところが素敵、漫画の中からそのまま抜け出してきたような王子様とお姫さま感、半端ない。キキちゃんも背高いし、大型の男役がそろった宙組ならではの楽しみなトライアングルの誕生だと思いました。カイルが最後ラムセスに言う「おまえはおまえのなすべきことをなせ」ってどこかできいたことがあるセリフに似ています。邪馬台国の風のインパクト、ある意味強すぎます。クコチヒコのキキちゃん、かっこよかったー。

 帝国劇場『モーツァルト』初日、すごい楽曲の連続が続くのにまとまっていてよくできている作品なんだとあらためて実感。まず曲がいいし、出演者が豪華。一幕最後、「影を逃れて」を出演者全員が歌う中、自分の腕に羽ぺんを刺した血で狂ったように譜面を書き続けるヴォルフガングと幼い頃の自分の影アマデとが対決して幕が下りるシーン、とりはだ。二幕最後、「おれが死ねばお前も死ぬんだ」というヴォルフガングの命尽きるとアマデはヴォルフガングの膝の上に崩れ落ちて命尽きる様が壮絶。「神がつかわした奇跡の人~♪」、沁みました。心が揺さぶれました。初日にして育三郎さんの歌唱力がすごくって、芝居力がすごくってとりはだでした。和音美桜さんのナンネール、すごく可愛くって、女性があるがゆえに音楽家の道を歩めなかった悔しさが切なかった。弟のために自分を犠牲にした感が切なかった。市村正親さんの父レオポルト。2014年のプログラムに書かれている人物像を読むと体現度がすごく高いんだなと。ウィーンで成功したヴォルフガングに危さを感じて認めることができなかったところがなんとも切なくって、人生ってむずかしんだなと。ヴォルフガングにレクイエムを依頼する仮面の人物も市村さん、オペラ座の怪人みたいで市村さんの本領発揮といったところ、この役市村さんにしかできないなって思いました。他にいろいろと書きたいですが時間切れとなりました。明日起きられん。おしまい、おしまい、明日を無事に生き延びねばです。

 連投失礼しました。

カウンセリングスクールのレポートより_精神分析入門

2018年05月27日 19時08分57秒 | 祈り
 昨夜は昼も夜も観劇で生の舞台のよさに圧倒されて就寝が久しぶりに2時を回りました。なんとか7時間眠ったもののひどく眠い日曜日。足が疲れていますがやっぱりちっそくしそうな部屋は限界。いや斜め向かいの引きこもりのオッサンはずっといるのでね、朝も昼も夜も、平日も土曜日も日曜日も。家賃はどこからでているのかと考えると答えはひとつしかなく、家賃と住民のクオリティは比例するのだと思い知りました。金曜日の夜、なかなか入居者が決まらない部屋の不動産会社らしき人たちと出くわし、家賃安いですよって売っていくっていう会話をしていましたが安いのにはちゃんとわけがあるわけで安いのはそれなりで、稼ぎが悪くてこんな部屋にしか住めない自分にはそれだけの力しかないということ、一日も早く逃げ出さねばと思いますが、仕事つらすぎるし次にどうしたらいいのかわからないので身動きできずの日々。向かい側の部屋から掃除機かけている音がきこえてくるなんていややがな。それだけで緊張するがな、っていうぐちはいい加減にして、断捨離で再会した妹とお別れの翌年の自分。もがきにもがきながら、土曜日にカウントダウンを受けたNPO法人のカウンセリングスクールの講座を最初に受講したのが精神分析入門。平成7年1月から3月にかけてのことでした。レポートはまだ卒論を書く前でレポートの体裁としてはなんとも稚拙でひどいものですが、必死でした。なんで自分の家族なんだろうって知りたくって必死でした。かつえるように答えを求めていました。心を病むとはどういうことが知りたくって必死でした。今も休日にそんなことを考えたくないし、そんな日々が遠いことのように思えててきているこの頃でもういいかなっていう気がしています。これからは自分のために生きたいです、できるだけ楽しいことを考えながら生きていきたいです。レポートはここに書いたらお別れ。一応全部デジタル化していますが、レジメやら手書きメモやらお別れ中です。観劇続きでプログラムが増えてきてしまい、いざという時に持ち出すことはできないので気持ち焦り気味ですがまずは過去のものからお別れ中。


「「フロイトーその自我の軌跡」を読んで                 

 フロイトの精神分析への歩みは、ノイローゼ状態の自分を分析することから始まった。父ヤコブの死を契機とした精神的危機を、フリースに対して自らが患者の立場になった自己分析によって乗り越え、自己自身の無意識に潜むエディプス・コンプレックスを発見するに至った。「人間フロイトは、私たちと少しも変わらない人間的な弱さに苦しみながら、しかも、自我への道を、その生涯をかけて辿った」その精神力の強さに、感嘆しないではいられない。それこそが、フロイトに与えられた天分だったのではないだろうか。

 自我の目ざめー自分自身の内なる声に耳を傾けて、無意識の扉を開いていくことは、とても苦しいことであるはずだ。しかも、そうしないではいられない。自分の弱さを認められることこそ、本当に強いことなのかもしれない。わたしの中に、このような自我の強さはあるのだろうか?

 昨年9月、わたしより一年二か月おくれてこの世に生を受けた妹が、自ら人生にピリオドを打ってしまった、ことをきっかけに、カウンセリングを学ぼうとし始めている。そうして気づいた、わたし自身に、まずカウンセリングが必要なんだと、ということに。訃報をきいた瞬間から葬儀まで、一連の出来事は、まだまだ生々しく脳裏に焼き付いてはなれない。その後もまだ続いていた両親の不調和、ノイローゼ気味の母、そしてこの父と母の血がつながっていることをいとわしく思うわたし、何故こんなことがおこってしまったのか、どう受け取めて進んでいけばいいのかわからないことばかりだ。

 事実をきちんと受け取めたいと思った。妹が残してくれたものはなにかさがして行きたい。生前あまり心を通わせることなく永遠に別れてしまった妹への、せめてものつぐないにカウンセリングを学びたい。しかし、結局は、自分が楽になっていきたいからであることを認めざるをえない。しかも、進んでいけば、なお苦しくなっていきそうである。幼い時から、そりが合わなかった、その妹が、数年前ゴタゴタを起こしてから始まった母のノイローゼ、以来、わたしの中に妹への恨みがずっとあった。いなくなってしまえばいいのに・・・と思ったことが、一度ならずなかったか? あったのだ。急逝の一週間前、妹が電話をかけてきた時、わたしはうっとおしく思った。「死にたいと思ったこと、何度もある」と口にしたのに対して、わたしは(・・・)」と言った。こんな事実は、認めたくない。口に出したくない。家族・友人にはとても言えない。しかし、消えない事実だ。突き放してしまった、という思いが、今もわたしを責め続けている。逃れられるものならば逃れたい。だが、逃げることはできない、いや、逃げてはいけないのだと思う。そう思えば思うほど、苦しくなってくる。弱い自分との葛藤の日々だ。

「自分自身の犯す罪は、自己自身の衝動に、ひいては自己自身の人格にその責めを負わせねばならない。」自分をただ一個の人間として客観的に見つめ、まづ自分の愚かしさ、弱さを認めていく。その過程では、鏡となる第三者の存在が必要だ。そこから新たな自分との出会いが生まれ、よりよく歩もうとする強さが生れてくる。自覚することが、オトナになることだ。

 自分を知りたい。父と母の子である自分を知りたい。今まで、わたしはこうなんだと思い続けてきたわたしとは違うわたしがいるかもしれない。精神分析を今後も学んでいくことは、新しいわたしと出会っていくためのひとつの道しるべになるだろう。まだ入口にたったばかりだ。

 夫婦・親子・家族ーお互いを結びつけるお互いのエロス(性愛)があるから、対立し、敵対しあっているはずの個々人が社会集団を形成し、その中で生きている、というエロス論について、深めていきたと思っている。「各集団メンバーはお互いが共有しあう自我理想を介して、お互いに自己愛的に同一視しあい、一体感をわかちあうのである」なら、その「集団幻想に対する個としての自我を確立する」のには、「並外れた自我の強さが必要である。」迷いや過ちを繰り返しながら、それらをも成長の糧として、自我の目ざめへの歩みを辿った人間フロイトは、人間の奥底に潜む無意識への意識の扉を開けてくれた。その姿は、時代を超えて生き生きとわたしたちに語りかけてくるエネルギーをもっている。学ぶべきことは多い。

 いつのことになるかわからないが、わたし自身も、一個の人間たる自分の弱さを乗り越えていきたいと思う。本当の意味でのオトナになりたい。長い、葛藤の日々の歩みは、これからも続いていくだろう。カウンセリングは、始まったばかりだ。

 参考文献:「フロイトーその自我の軌跡」小此木圭吾著(NHKブックス)」


 講師評は、

1、テーマに近づけて書く。

2、鉛筆では書かない。(原稿用紙に鉛筆書きで提出したので・・・)

3、個人の体験も一部は良いが一般論抽象論として考え、書くこと。フロイトの理論が然り。

4、自分用の言葉は使わない。

 提出しただけで合格でした。のたうちまわるような苦しみもこんなもんかって感じでした。自分の体験を言葉にして昇華できるまでにはまだまだ時間が必要でした。

 ぼやぼやしていると休日は終わりゆき、地獄のような日々のはじまり、また一週間の海。五日間は長いのよ、ほんとに。あー、長い・・・。

日比谷な一日、終わりました

2018年05月26日 23時43分45秒 | ミュージカル・舞台・映画
 なんとなくどんよりな空のもと、11時から東京宝塚劇場で宙組『天は赤い河のほとり』『シトラスの風』、17時45分から帝国劇場で『モーツァルト』の初日観劇という人生初のマチソワ、無事終わりました。どっかで軽くいっぱいやりたい気分でしたが知っている人もいないし12時過ぎてから洗濯機の音を出すわけにはいかないのでかんねんしてちっそくしそうなこの部屋に帰ってきています。長い一日でしたがたまにはこういう疲れもいいよね。現実に戻れば痛ましいニュース、心配なニュースばかりで心が痛いなあと思いながらの夜更け。

 どちらも書き始めればきりがないですが、『天は赤い河のほとり』は原作全く知りませんが長い物語を必死に詰め込んだ感は否めなかったものの、漫画の世界からそのまま抜け出たような世界が舞台に広がっていて、これぞ宝塚という感じの幸せ感。キキちゃんの出番が少ないの残念でしたが登場するたびに素敵でまどかちゃんとのツーショットがすごく似合っていて、まどかちゃん、歌上手いし演技は発展途上の青葉のような瑞々しさが素敵でした。宙組を生で観劇したの10何年ぶりだろう。これはまたゆっくり思い出していければと。

『モーツァルト』は初日観劇という幸運。舞台装置も演出もかわって出演者は豪華だし、歌いこなすのが難しいであろう壮大な曲の連続だし芝居力がすごくって、なんだかすごかったです。アマデは爽介くん。可愛くって目力としぐさでほぼ出ずっぱりなのに集中力を切らすことなく演技を続けていてすごいなと思いました。あと二回観劇予定、憲ちゃんアマデにも会えるかな。会えるといいな。こんなに観劇しているのに初めてカーテンコールで小池先生とリーヴァイさんが登場する場面に遭遇。2002年にスタートした初演から507回の公演だったそうで、506回出演してきた市村正親さんミュージカル界の人間国宝、山口祐一郎さんキング、阿知波悟美さんにはお世話になっていますと小池先生からの紹介。いずれも他の人が演じることは考えられないほどに役を生きられています。「山崎育三郎がこれからの日本ミュージカル界をけん引していくということが証明されたでしょう」という話とか、育三郎さんの「小池先生は舞台稽古の初日に赤いジャケットを着てきた。赤には生まれ変わるという意味があるとか」っていう話とか。育三郎さんヴォルフガング、涼風さんヴァルトシュテッテン男爵夫人は私には初日にして千穐楽。初日から安定の歌唱力の素晴らしいこと、素晴らしいこと。なんか宝塚も、帝国劇場の重厚なミュージカルもどちらもいいなあと思った一日でした。利便性だけでこの部屋に住んでいます。色々と書きたいことはありますが日付が変わってしまったのでこれにて失礼、また明日。


花組博多座ライブビューイング『あかねさす紫の花』『Sante!!』

2018年05月25日 22時55分08秒 | 宝塚
 花組博多座『あかねさす紫の花』と『Sante!!』のライブビューイング、みてきました。映画館のいちばんうしろの席でしたが一組だけだしてもらった一段階上のコンタクトレンズにつけかえたおかげでよくみえました。二週間前もつければよかった。そうしたら表情の細かいところまでちゃんとみえたのに、お正月明けにレンズをかえてからほんとにみえていなかった。近くをみるためには仕方ないけどぼやけていることが多かった。

『あかねさす紫の花』は明日海りおさんが中大兄皇子を演じるBパターン。大海人皇子は柚香光さん、天比古は鳳月杏さん。大海人皇子が主役のAパターン、ヅカの番手方式にのっとるとこうなるのかっていう感じで、わたしが知っている大海人皇子が主役の物語とは別物でした。Aパターンとはちょこちょこ演出が違っていました。エピローグは鏡大王と額田大王の歌で始まり、中大兄皇子と鏡大王との逢瀬の場面で長いデュエットがあったり、蘇我入鹿暗殺の場面に大海人皇子は登場しなかったり、いちばん有名な相聞歌が歌われる蒲生野の狩での大海人皇子と額田大王が再会したあとの場面、額田大王の歌詠みは短く、大海人皇子が「君を恋い君をしたい~♪」と歌っているとせり上がりで中大兄皇子が登場し、それぞれの感情を歌ってハモリ。大海人皇子は舞台からはけてそのまま天智天皇即位を祝う宴の場面へと転換。最後の大海人皇子が高笑いする場面は、中大兄皇子の眉間にしわを寄せた表情アップと大海人皇子は崩れおちるさまが映し出されて幕がおりました。私的な好みはAパターンかな。どちらがどうとか言えないですが、運命に翻弄されてもがき苦しむ役がみりおさんには似合う気が・・・。

 みりおさんの中大兄皇子は自信満々で強引なちなつさんの中大兄皇子とはまたちがって政のためには手段を選ばない、終始冷徹な印象でした。表情がアップになることが多かったのですが感情の揺れ動きを表情にはあまり出さない、うちに秘めたる熱を感じさせるような役作りだったように思います。対する柚香さんの大海人皇子は、16歳で額田大王と出会ったとき、5年の時がすぎ額田大王と結婚して子供が生まれ幸せな時を過ごしているときの表情が本当に嬉しそうで、兄を慕っている時の表情が心の底から慕っている感がよくあらわれていて、後半中大兄皇子に額田大王を奪われたあとのだんだんとこわれていく表情との違いがよく出ていたように思います。柚香さんはまだ上手くない、最初は物足りない感じがしましたが、蒲生野の狩で額田大王と再会したあと涙を流しながら演じているのをみて、だからいいのかもと思いました。若さを感じました。若くて危い感じが、大海人皇子の内に秘めたる危うさを感じさせるところとかさなってよかったと思います。久しぶりに会った十市皇女を抱きしめる場面、切な過ぎました。中大兄皇子が主役になると大海人皇子の悲惨さと悔しさがより際立ってくるんだなと感じました。なんかちょっと今ならパワハラレベルのひどい仕打ちかも。のちに出家するものの、天智天皇が没すると挙兵して、中大兄皇子の遺児である大友皇子を死へと追い詰める史実を予見させる表情でした。痛ましいのは親を選べなかった子どもらで、史実は大海人皇子と額田大王との間に生まれ、大友皇子のもとに嫁いだ十市皇女は、自分の父親に夫である大友皇子を殺されると自害。先の天皇の子どもに生まれた有間皇子の痛ましさもこの作品をみると感じないではいられなくって、ついつい史実に思いを馳せながら観劇する物語です。額田大王がAパターンでは大海人皇子への気持ちを強く残しながらも中大兄皇子に惹かれていく揺れ惑い、Bパターンでは大海人皇子よりも年上にみえてしまって、終始中大兄皇子に惹かれている感じが強かったのは、主役が違うことによる意図的な演じ分けなのかな。仙名彩世さん、歌も演技も踊りも完璧にうまかったです。音くり寿さんの、白雉の賀での影ソロが冴えわたっていました。なんとも美しい声。十市皇女はすごく可愛らしくって史実を思うと胸が痛みました。

 2015年4月5日のこちらの記事もよろしかったらお読みください。いわさきちひろさんの絵本から有間皇子について書きました。https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1739d33ce4cf599bd5a4afc2ee649e0a

『Sante!!』は今日もやっぱりあっという間。体感スピードの速いこと、速いこと。そしてやっぱり、安寿ミラさんふりつけのジゴロと大階段の黒燕尾、「乾杯」にのって薔薇の花を胸に躍るみりおさんの姿に大浦みずきさんDNAを感じてむねあつなのでした。博多座版でしかみられない鳳月杏さんと桜咲彩花さんのアダルト過ぎない大人カップルは今日も素敵。鳳月さんが薔薇の花束を手にエディット・ピアフのもとを訪れ、エディット・ピアフの桜咲さんは恋人が亡くなるときれいな涙を流しながら歌っていて、『ポーの一族』ではクリフォードとジェインのカップル、素敵でした。みりおさんのKIZZAのアドリブ、「今日はライブビューイングやけんばり緊張しとる、二回目やのに・・・」みたいな感じだったかな。言葉はニュアンス。九州に行ったことありません。客席おりの場面では、ライブビューイングのカメラにウィンクしてくれたりノリノリ、カーテンコールでは、映画館でご覧のみなさまって言った時に博多座の客席から拍手が起きると、「会場のみなさんじゃないですよ」っていうのがなんともみりおさんらしくてかわいかったです。KIZZAの場面で、天真みちるさんとみりおさんが事故チューになりそうになったとき、天真さん、素の女の子に戻って焦っている表情がめっちゃかわいかったり、レクイエムの場面では瀬戸かずやさんが天使の華優希さんをすっごいリフトしているところをカメラが大きく映してくれてグッドジョブ。そうだったのかと今さらのように知りました。

 今日の博多座は『1789~』のプロモーションで昼間徹平君のトークショーがあったみたいだし、盛り上がっていましたね。色々ときりがありません。明日は昼間東京宝塚劇場、夜帝国劇場。無事に行けるかしらね。気になることは多々あれど帰ってくるとさっそく引きこもりのオッサンのゴエーみたいなが聞こえてきてしまったちっそくしそうなこの部屋で休まねばです。思い出し日記はまたゆっくりと・・・。

 ヅカネタ、舞台ネタ、続いていきます。

 
 
 

星組『ブーケドタカラヅカ』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング_思い出し日記

2018年05月25日 14時16分42秒 | 宝塚
 昨夜は一円も残業代でないですが残業したので時間をおしてからのスパでたっぷり汗を流しました。自律神経がやられると汗をかけないみたいなのでよかったです。少しのホットワインでなんとか7時間睡眠からの金曜日、部屋でしかできないことがたくさんあるのですが平日の昼間から風呂に入る様子の音が聞こえる部屋にとてもじゃないけどいられず少し断捨離しただけで逃げ出してきました。このあと花組博多座ライブビューイング。思い出し日記、どこまで書けるかな。

 『ブーケド タカラヅカ』タカラヅカレビュー誕生から90周年を迎えた記念の舞台。作演出は酒井澄夫先生。久しぶりに宝塚の王道らしいレビューをみた感でした。プログラムに「宝塚の名曲といわれている曲の中にも著作権により上演できないものがたくさんあることがわかって驚いた、これも時代なのかな」と酒井先生がプログラムに書かれています。どの曲なのか、すごく気になります。22日のタカラヅカスペシャルに続いて、宝塚レビューといえばパリといった感じの、タイトル知らなくっても自ずと耳に馴染んでいる曲が盛りだくさんで気持ちが上がりました。

 プロローグ、

 恋の花咲く道、

 シャンソン・ド・パリ
  「モン・パリ/吾が巴里よ」、
  「楽し我がパリ」、
  「パリの屋根の下」、
  「オーシャンゼリゼ」、
  「ブギウギ・パリ」、
  「夜霧のモンマルトル」、
  「セ・マニフィーク」、

 サ・セ・ラムール

 赤い薔薇(スパニッシュ・ファンタジー)

 フィナーレ
  (すみれの花のロケット)、
  「花夢幻」
  (パレード)

 クリスマスイブだったので、紅ゆずるさんが「セ・マニフィーク」を歌いながら、シカのかぶりものをして銀橋をパレード。「これシカです」って言って客席はみんな「いやいやトナカイですよね」って思った楽しい雰囲気がLVの画面からも伝わってきたのを今も思い出します。紅さんのお隣で綺咲愛里さんがにこにこにこにこ、にこにこ微笑んでいるのが印象的でした。


プロローグ、花束をひろげたような衣装が素敵で舞台にお花畑が広がっているようでした。




スパニッシュの場面、綺咲さんのドレス姿とダンスと表情が印象的でした。一人の女性をめぐって男同士が対決。ナイフも登場して緊迫感のある場面だったと思います。




舞台せましと花があふれている感でした。



宝塚レビューといえばパリ、パリといえばモンマルトル。
パリにいったとき、そこにいくまでが女性一人では危ないと言われたので行けませんでしたけど、レビューはどこまでも美しく夢世界。




パリの街角で悪ガキみたいな若者が集まっている場面もあったり。
この公演で退団された壱城あずささん、インスタ始めてショーやライブのお仕事をすでにされていますが、眼鏡男子の姿で星組を頼むよって礼真琴さんに託す場面もあってむねあつでした。ずっと星組で育ってきた役者さんたちの組への愛が伝わってきました。



 最後の挨拶で学年一つ下の壱城さんを送り出す紅さん、今回の退団は感慨もひとしおと話されて。星組ひとすじ、十数年苦楽を共にしてきた仲間とのお別れはつらそうでしたが、カーテンコールで壱城あずささんを抱きしめたい思いにかられているようにみえましたがトップスターさんが一人だけ特別扱いにすることはできないのでなおさらつらくみえました。組み替えなくずっと一緒にやってきた仲間同士のあたたかさ、なんだかじいんといいなあって思いました。


 全く言葉足らずですが花と夢と笑顔にあふれた舞台はなんどでもみたい、ずうっとみていたい。こうして90年という伝統を紡ぎながら新しい作品を生みだし続けている唯一無二の夢の世界、宝塚。この世界がずっと続いていきますようにと祈ります、平和でありますようにと祈ります。宝塚があれば残りの人生バラ色。


 これから花組LV、後方席なのでみえなくって頭ガンガンいたくなりますけどね・・・。星組さん、ちょうどいい前方席だったのでありがたかった。





一足早く一週間の終わり

2018年05月24日 19時42分36秒 | 日記
 昨夜はほろ酔いとホットワインから5時間半ほどぶっとおしの睡眠。あたまくらくらしていますがなんとか一日もちこたえました。あれもこれもできていないことだらけですがどうしても今日までにやらなければならないことはなんとか終わり、一足早く一週間が終わりました。明日はまだチケットを引き換えていませんが花組博多座ライブビューイングを観るために残り少ない有給休暇を取得。そのあとは6月末の星組公演前にまた有給休暇をとるまで長い長い地獄の一か月。考えるまい、先のことは考えるまい。一日一日でしか考えられませんがな。ちっそくしそうな部屋に帰りたくなくてまた寄り道。ほんとはこんなのダメなんですけど、寄り道して汗を流さないと心身がもたないし、あの斜め前に引きこもりのオッサンが24時間いる部屋はだめ、ほんとにだめ。前の部屋もその前の部屋も台所としてちゃんと部屋がある感覚だったのでワンルームとしては広い方なんでしょうがせまくってせまくって仕方ないし、廊下せまくって向かい側の音がこんなにきこえてくるなんてだめね。引っ越しにそなえていよいよ小さなチェストを捨てる決意をしました。一人暮らしをはじめて間もなく購入したもの。たしか一万円だったと思うのでおつりはとっくに何十倍にもなって返ってきています。長らくお世話になりましたがお別れしようと思います。いろいろとお別れ。未練残しても仕方ないと思いながらまだまだお別れしきれないものがたくさんあります。少しずつ、少しずつ・・・。

 明日は花組博多座ライブビューイング。明後日はお昼が東京宝塚劇場で宙組公演。夜が帝国劇場で『モーツァルト』。宙組公演、当選できると思わなかったのでこういう結果となりました。嬉しい悲鳴ですがおなかいっぱいになりすぎちゃうかな。どうなんでしょう。老眼加速中の目がものすごく疲れます。それでも観たい。健康な心身があってこその観劇。せまい部屋の狭いお風呂に入っていると幻覚がみえるの、あぶないです。現実逃避は必要、劇場のシートに坐っている時は日常とエネルギーを使うところが違うので心のお休み時間。現実を忘れる時間。三連休じゃ。明日の朝外階段の足音に起こされないといいですがどうなんでしょうか。今朝音が聞こえた時にカーテン越しにのぞいたらやはり管理組合のじいさんの朝の散歩みたいでした、なんにも荷物をもっていなかったのでね。いい迷惑じゃ。こういう大型マンションもうこりごりですわ。

 とにもかくにも一足早く一週間、お疲れ様でしたね、わたし。


 行方不明の親子のことがずっと気になっているのはわたしだけではないですよね、毎日お昼休みと夕方と夜タブレット端末からニュースを検索しています。わたしが祈ってもどうにもなりませんが祈りたいです、奇跡を祈りたいです、悲しいことはもう起こってほしくありません。