たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

母が亡くなった年‐2012年5月~7月

2023年10月31日 00時34分57秒 | 祈り

無印良品の手帳に書きつけないではいられなかった、いまだ成仏できないでいる思いの数々。結局なにもできませんでした、どこにも辿り着くことができませんでした。

残念ながらこの頃おかしいと感じていたことは間違っていなかったとコロナ騒動を通して確認することになりました。コロナ騒動を通してみえてきた日本の姿は肌で感じていたよりも絶望的。東日本大震災の翌年、生まれ変わる最後のチャンスだったのに全てを「絆」で覆い尽くした日本はさらに後退しました。なにも変わらないどころかさらに悪くなりました。30年間衰退への道を歩んできた日本の先は人口動態みれば真っ暗。

 

「2012年5月22日(火)雨、寒い

場所によって、日によって、すごく冷房がきいていたり、寒かったりですごく体が冷えている。

変な天気が続いていて、夜になるとたまらなく不安になって落ち着かない。隣のオジサンのいびきやドスンというでかい音が聞こえるたびにびくっとして恐ろしくなる。家を出るとき火事で部屋がなくなってしまうのではないかと不安になる。何度も何度もコンセントや鍵を確認してしまう。出かけるのはすごく疲れる。

古い日記はスキャンしたら現物は捨てていこうと思う。いつか捨てねばならぬものだ。荷物を減らしてすっきりしたい。身軽になりたい。そしてあらたな人生を歩き始めたい。まだまだかかるなあ。

 

2012年5月26日(土)晴

急に夏になった。電車の中と会社の中がつらくって仕方ない。着れば汗だくになってくるし、でも風があたるとひやっとして気持ち悪い。火曜日まで寒かったし、すごく体が冷えている。突然、一年半ぶりぐらいかなあ、生理がきて軽いが一週間ちょっと続いた。

変な天候が続いているし、夜一人で部屋にいるとすごく不安になる。自然の猛威の前に私たちは無力だ。原発もまだわからない。国外避難勧告が出る時、あるいは自ら国外に出ようと決める時のために身軽になりたい。

母がいなくなって私は自由になった。もう縛られるものはなにもない。これからどう生きていくべきか、何をすべきか、わからない。NKは内向きすぎる。いやNKだではない。上の世代が下の世代を食いつぶす。年金を払わされてもそれは戻ってこない。そんなことはとっくにわかっているのに、今組織の上にいる年寄りたちは自分さえよければいいのだ。それはNKにとどまらない。若い世代がツケを払わされる。そんな社会のありようは少しは改善されていくのだろうか。なんでみんなそんなに何も見えないフリをしているのだろうか。それとも本当に見えていないのか。

久しぶりに何もない休日、スキャンと読書を進めたい。『赤毛のアン』を日本語で読み返し、さらには原書もあたってみたい。シェイクスピアの朗読CDも購入したい。今はそんなことに夢をふくらませている。あんまり病気のことや自殺のことを考えているのはきつい。忘れて楽しむんだ、時には。

古い日記ノートを一冊捨てた。忘れたい若かりし頃の私。それなりに一生懸命生きていたが愚か過ぎた。少しは荷物が軽くなっただろうか。

 

2012年5月28日(月)

機械的なマニュアルどおりのことが多すぎて気持ち悪くって仕方ない。アメリカ式のマクドナルド化がますます増えてきている。コンビニ、ファーストフード、色々なモノはあるが、何かが大きく違っているような気がする。なにか大切なものが欠けているような違和感。

心のこもっていない「ありがとうございます」「また起こしくださいませ」の繰り返し。それを心地いいろ感じている人はあまりいないのだろう。無言で立ち去っていく人が多い。

自然がいつまた牙をむくかわからないし、すごく不安で落ち着かないこの頃。荷物を軽くして海外に逃げたいなあ。このまま日本で暮らし続けるのは不安で仕方ない。まだまだ時間がかかりそうだ。あー、落ち着かない。

2012年6月2日(土)

くもり、変テコな天気が続いている。昨日も大きな地震があった。なんか不気味だなあ。こわいなあ。3.11を思い出してしまった。風化しつつある震災、原発事故。なにかがおかしい。

思いのこもっていないオウム返しのような言葉の繰り返しの気持ち悪さ。それを本にしている作家がいることを知ったのでさっそくアマゾンで買ってみた。マニュアル通り、機械的ね、なんか気持ち悪い。社会の仕組みがおかしい。もう限界だ。私にはこの変テコな世の中を上手く切り抜けていく力はこれ以上ないと思う。これ以上無理だ。明らかに変テコなのに、現実と合わないのに梅が決めてしまったタテマエに合わせなければならない組織。

人はなんと愚かなのだろう。わたしの感性ではもう無理だ。私には自分にウソをつきながらテキトーに上手くやっていくこともエライ人達にいい顔することもできない。だってそのせまい世界の中だけのことだぜ。つまらねぇ話じゃないか。第一私は自分の思いがなければことばとして発することはできない。こんな変テコな状況を我慢するだけで必死なんだ。もうやめてほしい、こんな気持ちの悪い、自分が何のためにいるのか、自分の役割が何なのかわからないような状況は私にはもう無理だ。真面目に働くのがばからしくなってきた。なんかやってられない。色々気づいてしまう分だけ損している感じがする。気づかなければいいし、もう少しいい加減に、テキトーにやっていればいいんだよな。なんか変テコな世の中。一生懸命、真面目に働いていればいつか報われるという社会ではなくなった。上の奴らがちゃんとみえていない。どうして権力をもつと人はみえなくなってしまうのか・・・。

もうすぐ〇〇才、私はこれからどうやって生きていけばいいのか・・・。

Mちゃん、おしえてほしい。

私はこれから何をすべきなのか。限りある人生の時間。あんまり無駄にストレスためてもしょうがないや。

2012年6月28日(木)

なんか変なの、すごく変なの。この怒りをこらえなければ勤め続けることはできないのだがこの気持ち悪いイヤーな気持ち、もう限界だ。なんだかなあ、だっておかしいよ。株主様のために立派なじゅうたんが敷かれているのをみて、シュルシュルとやる気がうせている。株主様の利益のために私らは働いているのか、株主様からの数字の追及のためにさんざんリスクを背負わされてきた。複雑な気持ちだ。数字のためにいちばん底の一生懸命働いている人に灯りがともらないなんてすごくおかしいよ。私は今怒りでいっぱいだ。こらえるしかないのだが、おかしいよ。会社って誰のもの?だ?

2012年6月17日(日)

言葉は記号化し魂がなく、のっぺらぼう、発する人々に個(主体)がない。同じ言葉の繰り返し。集団化。デジタルが進んだ一方言葉に対する関心が薄くなった。3.11を表現し得ている言葉がない。私たちはそれに耐えるだけの言葉をもっていない。やっと自分が感じ続けている気持ち悪さの理由の一端がみえてきたような気がする。一言一言、真実味のない言葉を機械的に発せられることに、いつの間にか私たちは慣れ過ぎてしまっていた。今の社会のシステムの中では、ひとつひとつの言葉のもつ重みが希釈されすぎている。

U田さんに言われた「不安の先取り」という言葉がずっと残っている。彼が批評しようとして言ったわけではないことはよくわかっている。だが、私にはこう聞こえてしまった。

相次ぐ両親との別れ、しかも突然に、妹は自殺している。震災・原発自己。事故は終わっていないのに再稼働。自分の中でどう消化したらいいのかわからない。人の命が関わることでどう受けいれていけばいいのかわからないことが続いている。こういう私の全体の中から、仕事用の顔だけを切り取って仕事用に合わせていくなんて器用なことは私にはできない。気持ち悪い。おかしい。変てこりんだ。神経症な面はたしかにあるがおかしいではないか。実態の伴わないタテマエにこれ以上ついていくことができない。二者択一の選択肢しかないドライなシステムの中で決めるしかないのだが、なんとも気持ち悪く言葉に言い表しようながない。実態とタテマエの乖離に私はこれ以上ついていくことができない。私はこれから何をすべきなのか、どこに向かえばいいのかわからない。わからない、みえてこない。私はこれからどう生きていきたいのか。

日本を逃げ出したいなと思う。このままがんばっても行きつくところがみえてこないのだ。地震と原発もあるし、いつ今の生活をあきらめて難民にならなければならないのだろう、と不安でどうしようもなくなる。荷物減らしを必死でやっている。人に読まれたくない日記はデジタル化して捨てている。ただのデータいなってしまうが仕方ない。

過去の会いたくない自分に出会うのは疲れる。だが今ここを超えなければ次はみえてこない気がする。今しばらく辛抱して進めていこう。1994年9月21日以降のものはどうするんだろう。もう少し考えてもいい。

モンゴメリさんの魂の中から紡ぎ出された言葉が『AnneofGreenGables』にはある。だから難しくても読むことができる。真実を見極められる感性をこれからも磨き続けていきたいと思う。魂のない、のっぺらぼうな言葉たちにはうんざりだ。残念ながらそういう言葉をたくさん我慢しないと現実には生きていけないのだが、現実にまみれた中からみえてくるものでなければうすっぺらなものになってしまうと思う。

 

2012年6月24日(日)

昨日最寄り駅で人身事故、それでもこうして何事もなかったかのように時は過ぎていく。人が一人いなくなっても何も変わらない日常。インターネットで検索したところでは、女性が下りの特急に飛び込んでしまったらいい。停車しないからスピードでてたよね。運転士は、乗客は、ホームにいた人は・・・、考えるだけでぞっとする。私は幸いなことに救急車、消防車、パトカーをみただけだ。搬送されるのもみていない。自分が毎日利用している駅できついよな。駅ビルの中で爪の手入れをして少しすっきりしてほっとしたあとだったのに、ずっといやな気持が続言え要る。あんまりきついことに私は耐えられないなあ。きついことを仕事としてやっている人はたくさんいる。普段仏さんと対面することのない人たちがたくさん震災で死と対面してPTSDになっている。どれほど地獄のような有り様だったのか、私たちは目をそむけてはならない。きつい話だが、むごい話だが、人がモノ化する。いつ、いかなる時にそれは起こるかわからない。私もその一人だ。やめよう、今はきつい。母が亡くなったばかりで受けとめられない。私に何ができるのか、なにをすべきなのか。人が人のためにできることなんてたいしたことない。これから何をすべきなのかわからない。ただ明白なのは妹の死という事実とおりあいながら生きていかなければならない。親がいなくなってなんとも足元がおぼつかない。ほんとに一人なんだと思う。夜半すごく不安におそわれてこわくてたまらない。落ち着かなくなって眠れない。PEIを写真をみてなんとか平常心を取り戻せる。いつも身構えていてすごく疲れる。本を読みたくて予定のない休日はすごく嬉しい。寺田寅彦の『天災と国防』、震災の記述を集めた本を本屋で見つけて読み始めた。生きた言葉は80年たった今もエネルギーを放つ。エネルギーにあふれた言葉をたくさん読みたい。今そういう言葉にかつえている。何かひとつ自分の中にストンと落ちないとただ楽しむなんてもうできない。それがいつ来るのかはわからない。とにかく今本を読みたい。本物に触れたいのだ。上っ面だけはもういい。私の感性ではこれ以上無理だと思う。

『AnneofGreenGables』はエネルギーに満ちあふれている。モンゴメリさんは楽しんで書いた。ゆっくりと長く付き合っていこう。時間はたぶんまだある。

 

2012年7月1日(日)

砂をかむような思いで契約更新を伝える。なにかがおかしい。仕組みがおかしい。私の感性には耐えかねる。それでも、もっと悔しい思いをしている人がたくさんいると思えば、生活を守っていかなければならないことを考えれば、ぜいたくは言えない。他に選択肢はない、今は。

26日(火)は休みをとって「そよ風」のスタッフ養成研修に行ってきた。しかも前日残業しているし、早寝早起きができなくって・・。ほんとうによかったのかはわからない。ただ被災地で自死へと追い込まれるというニュースをきくと、自殺という文字が目に入ると、いわき市を訪問したという話をきくと、仙台で息子を自死で亡くした人が震災で子供を亡くした人も呼んで集いをひらいているという話をきくと、救急車のサイレンの音をきくと、自分に手伝えることがあるのではないかと思ってしまう。心がざわめく。そんな私がいる。正解も不正解もない。それが事実だ。現実にはリアルなきつい話には耐えられないし、自分のことも精一杯でへたっていてなにもできない。怒りでいっぱいでイライラしながら日々を過ごしている。ただ本当は自分にはやるべきことがあるんじゃないか、そう思ってしまう。

早く身辺をすっきりさせて次へと進みない。

こうして次の災害がくるまで何事もなかったかのように時は過ぎていくのだろうか。なんにも考えていない、あるいは考えないようにしている人の方が多いのだろうか。本を読んで色々と考えたい。真意のある言葉を欲している。ずっと不安と孤独んで緊張しながら生きているのですごく疲れる。

妹が自殺した。

その事実を背負いながら普通の生活者でいるってけっこう大変なことなんだ。がんばれ、自分。どこに行けばいいのか、どこに行き着けばいいのかわからないが、がんばるしかないのだ。」

 

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