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●《住民の命を守るのが、自治体の責務である》…世田谷モデル《…周辺自治体、もちろん東京から日本全体に広がっていかなければならない》

2020年08月19日 00時00分24秒 | Weblog

[※ 【1都3県の新規感染者数の推移】(東京新聞 2020年7月17日)↑]



水島さつき氏による、マガジン9のコラム【こちら編集部/世田谷発「誰でも いつでも 何度でも」受けられるPCR検査は、日本のスタンダードになるのか?(水島さつき)】(https://maga9.jp/200805-6/)。

 《そんなところに「誰でも いつでも 何度でも」PCR検査を受けられる仕組み、「世田谷モデル」を自治体独自で作ろうとする世田谷区の取り組みが、今大きなニュースになっている。はたして、一体どういうものなのか》。

 狂気な「日本モデル」… #世田谷モデル に舵を切れ!

 《世界標準》な世田谷モデル…《「誰でも いつでも 何度でも」検査できる「世田谷モデル」として早期発見や治療につなげ、感染の広がりを抑える狙いだ》。《保坂展人区長…「最大の経済対策は誰でも、いつでも、何度でもPCR検査をできる体制づくりだ。問題提起しながら走り出していく」》。
 第1波以降緩めてしまった網の目を狭め、《細かい網の目で》捉える。検査検査検査…・追跡・保護、それをやらなければ、何も始まらない。傍観、無能無為無策なアベ様らにこのまま任せていたのでは、破滅、《難破》。《防遏》(ぼうあつ)するのには、《まず感染者を見つけること》。

 正直言って、ブログ主の住む地域も《震源地》化しており、無為無策無能な首長の能力の違い、保坂展人区長との彼我の差を痛感。世田谷区が羨ましい。
 予算を検査にこそ、回してほしい。このままでは経済も回らない。

   『●《コロナの死者数が欧米に比べて相対的に少ないのは東アジアに
     共通した現象…アジアの中では日本の死亡者数はむしろ群を抜いて多い》
   『●すぐさま公選法違反な河井克行元法相夫妻を逮捕…《憲法53条は
     「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は…」》
   『●小池百合子「ト」政の下、《震源地》化。一方、閣議決定を受け、
      なぜ「アベ様、アベノカビマスクを有難う」の声が巷に溢れない?
   『●閉会中審査に出席することもなく、国会を開くこともないアベ様は
      自ら「GoTo」に積極的にご参加…#GoToJail、#GoTo刑務所の臭い飯
   『●《厚生労働省が…さらに8000万枚、送り付ける予定》…「アベ様、
         アベノカビマスクを有難う」の声が巷に溢れてはいないのに?
   『●アベ様は《5月25日…「わずか1カ月半で今回の流行はほぼ収束させる
         ことができた。日本モデルは世界の模範だ」と語っていたが…》
   『●【政界地獄耳/国会軽視も甚だしい責任政党自民党】…国会も開かず、
          何もしない、というアベ様の《日本モデル》、〝ニッポンスタイル〟
   『●狂気な「日本モデル」…《安倍首相は8月後半にも夏休みをしっかりとる
           予定で、いまは〈別荘に赴くかどうかも慎重に見極めている〉…》

   『●《世界標準》…《「誰でも いつでも 何度でも」検査できる
     「世田谷モデル」として早期発見や治療につなげ、感染の広がりを抑える狙い》
   『●《専門家会議が当初「PCR検査を増やすべきはない」という方針…
      が過ちを生んだ…検査拡大の議論が出てこない》(保坂展人さん)

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https://maga9.jp/200805-6/

こちら編集部
世田谷発「誰でも いつでも 何度でも」受けられるPCR検査は、日本のスタンダードになるのか?水島さつき
By マガジン9編集部 2020年8月5日

 新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査を巡っては、テレビのニュース、ワイドショーなどでも、日々、様々な見解が示されている。専門家の間でも「どんどん検査をするべきだ」という意見と「やみくもに検査をしても、現場が混乱し非効率なだけである。ピンポイントに絞るべきだ」という意見とに大きく二分されているようだ。

 国や東京都の方針は、これまでは「ピンポイント」だったのが、徐々には検査数を増やしてきている。それでも世界の他の国々と比べると、検査数は圧倒的に少ない。この少ない検査数を不安視する意見も多く、これでは実態がわからないのではないか、とする専門家の意見などもよく耳にするようになった。

 そんなところに「誰でも いつでも 何度でも」PCR検査を受けられる仕組み、「世田谷モデル」を自治体独自で作ろうとする世田谷区の取り組みが、今大きなニュースになっている。はたして、一体どういうものなのか。

 この取り組みについて、マガ9でもおなじみの鈴木耕氏が、インターネットTV「デモクラシータイムス」の番組でいち早く保坂展人世田谷区長に聞いている。約40分にわたるインタビューの要旨と印象に残ったことは、概ね次のようなことである。


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●現在、区で1日300件程度行っているPCR検査数をひと桁上げる。来月には3000件くらいに増やすくらいのスピード感を目指す。

●一度に大量の検査を自動でできる機器を導入する。また、一人を1検体として調べるのではなく、たとえば5人まとめて1検体として調べる「プーリング方式」で、検査効率を高める。

●「社会的検査」の必要性がある。医療従事者、介護関係者、学校関係者など「人との接触が避けられない重要な仕事」は、定期的に無料で受けられるようにする。

検査を徹底的にやり、陽性者は隔離、治療をするそしてまた検査をやる。そこへ人員、予算をかけること、これこそが住民の安心感にもつながる最大の経済対策だ

●財源については、国や都にも働きかける。ふるさと納税制度の一部や区民からの寄付も当てる。

●国や東京都が手を差し伸べてくれるのを、じっと待っているだけでははじまらない。住民の命を守るのが、自治体の責務である。ただ世田谷区だけがやって、収束する問題というわけではないので、周辺自治体、もちろん東京から日本全体に広がっていかなければならない。

●こうしたことに取り組んだ背景には、このところ陽性者数が増加していること、区民からの心配の声などがある。またニューヨークで、検査拡大によって、無症状の陽性者をすくい上げ、早めに隔離することで、感染者数を激少させて来た実例をみて、やらなければと考えた。

●まず問題提起をすることで、世論を喚起し、東京都や国をも動かしていこうという姿勢を見せることが大事である。
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 世田谷モデルについてのニュースの反響は、私のまわりでも大きく、ぜひうちの自治体でもやってほしいという声も多く聞く。

 ちなみに私の住む地域で最近聞いた話だと、「木曜日夜に発熱した場合、金曜日に医師会経由で病院を紹介してもらい、月曜日にPCR検査、結果が出るのは中二日だけど、病院が休診日だったりすると本人への連絡は翌日になるので、発熱してから検査結果を受け取れるまで1週間を要することもある」とのこと。陰性だったら病院からの連絡は来ないこともあるそう。その間、家族はハラハラしながら、家庭内で隔離を行って過ごしているというし、さらに症状が悪くなっていく場合もないとは言えない。やはりあまりにも時間がかかりすぎではないか……。

 その一方で、ある夫婦からは、「検査数を増やす必要性はあまり感じていない」という話も聞いた。年代によっても考え方に差があるようだ。ともあれ今の状況が感染拡大の第二波なのか、気温が下がる秋から冬にかけて、さらに大きな波がくるのか。それもはっきりしない中、今の行き当たりばったり的なコロナ対応では、やはり不安が大きい。

 保坂区長のインタビューを聞いていて「困っていれば、国がいつかは手をさしのべてくれるだろうと、その手をじっと待っているだけでは、どうにもなりませんよ市民一人ひとりが、連携して声をあげていかないと」と言っているようにも聞こえた。世田谷の独自検査方針が、国や都の方針を変えることになるのか。自治体の長から国への働きかけについて、注目したい。

水島さつき

                *

●インターネットTV「デモクラシータイムス」
「緊急インタビュー:政治が動く時だ PCR検査『世田谷モデル』 世田谷区長保坂展人さんにきく20200802」


https://youtu.be/bDq61Dd_WqA
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●ニッポンの様に核の傘に頼る国々は「共犯者」…「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」(サーロー節子さん)

2017年12月22日 00時00分17秒 | Weblog


東京新聞の二つの記事【核兵器は絶対悪 「ICAN」ノーベル平和賞 サーローさん演説】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000067.html)と、
【ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000059.html)。

 《「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」と強調。「世界の全ての国の大統領と首相に懇願する。条約に参加し、核による滅亡の脅威を永久に絶ってほしい」と訴えた…核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、条約に署名しない日本政府を暗に批判した》。

   『●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: 
        アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚
   『●「核兵器禁止条約」…「核なき世界」への 
     その先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
   『●「核保有国とみられる一部の加盟国が、
      高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた…」
   『●「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使
        「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」

 「核なき世界」へのその先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
 「「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」と仰るけれども、「日本への核拡散」「核保有」を思い描くアベ様や石破茂氏には全くその気はないようだ。《核爆弾を神とあがめ》ているような人たちですもの」…。
 ニッポンの様に核の傘に頼る国々は「共犯者」との指摘…そして、感動を呼んだサーロー節子さんのスピーチ《核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ》、それを直接聞きに来ることもなかった核保有国と「共犯者」たち。

 東京新聞の社説【週のはじめに考える 「核には核」ではなくて】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017121002000153.html)には、《各国の大使も授賞式に参加しますが、今年は、異例にも世界の核兵器保有国の大使の大半が欠席するのだそうです。なぜ、そんな大人げない振る舞いをするのでしょう。外交官はマナーを重んじる人たちですよね。欠席の理由は簡単。核保有国が一貫して唱えてきた「核を持つ理由」を、この条約が真っ向から否定したからです》。

 また、同紙の別の記事【傘に頼る国へ「共犯者となるのか」 ICAN 平和賞授賞式演説】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121202000117.html)によると、《しかし「世界の安定は核の均衡でのみ保たれる」(ロシアのペスコフ大統領報道官)と主張する核保有国が姿勢を軟化させる気配はない。十日の授賞式には、世界に約一万五千個あるとされる核弾頭の九割以上を保有する米、英、仏、中国、ロシアの五大国が恒例だった駐ノルウェー大使の出席を見送った。事実上のボイコットで、条約を「核不拡散や核軍縮の害悪」(ロバート・ウッド米軍縮大使)と批判する米国は、条約に署名や批准をしないよう呼び掛けている。日本には、国際社会に「世界で唯一の被爆国としての特別な役割がある」(オーストリアのトーマス・ハイノツィ前軍縮大使)と、条約参加を期待する声が強いが、菅義偉(すがよしひで)官房長官は十日、「条約の署名、批准は行わない言い切った》。 

 一方、リテラの記事【ICANノーベル賞授賞式でサーロー節子さん感動のスピーチも日本マスコミは無視! 普段は“日本スゴイ”が好物なのに】(http://lite-ra.com/2017/12/post-3650.html)によると、《NHKは『ニュース7』も『ニュースウオッチ9』も授賞式を取り上げず…マスコミの消極報道の裏に反・核廃絶・安倍政権への忖度》…だそうです。
 「核なき世界」へのその先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?…その責任の一旦は、この国のマスコミの情けなさにもある。

 最後にマガジン9の記事【こちら編集部/「あきらめるな、押しつづけろ、光の方へ」〜ノーベル平和賞受賞講演を聞いて〜(水島さつき)】(http://maga9.jp/171213-4/)によると、《ICAN…のベアトリス・フィン事務局長と13歳の時に広島で被爆をしたカナダ在住のサーロー節子さんの講演…50歳も年の離れた二人の女性が世界の核廃絶を目指す同志となり、奮闘をしてきたわけですが、授賞式のこの日、手を取り合い互いの健闘をたたえ合う姿には、純粋に感動しました》。
 …なのに、このニッポンという国は…。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000067.html

核兵器は絶対悪 「ICAN」ノーベル平和賞 サーローさん演説
2017年12月11日 夕刊

     (10日、オスロで、ノーベル平和賞の授賞式でメダルと賞状を
      授与されたサーロー節子さん(中)とICANの
      ベアトリス・フィン事務局長(右)=共同)

 【オスロ=沢田千秋】広島、長崎の被爆者らと連携し、核兵器禁止条約の採択に尽力した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))に対するノーベル平和賞の授賞式が十日、ノルウェー・オスロの市庁舎で行われた。ICANの一員として英語で被爆体験を語り続けて来たカナダ在住のサーロー節子さん(85)が、被爆者として初めて授賞式で演説し「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」と強調。「世界の全ての国の大統領と首相に懇願する。条約に参加し、核による滅亡の脅威を永久に絶ってほしい」と訴えた。

 サーローさんは演説で、十三歳で被爆した体験を証言。「肉や皮が垂れ下がり、眼球が飛び出て、裂けた腹から内臓を出している人々が幽霊のように列をなして歩いていた」「四歳だったおいは、溶けた肉の塊となり、死ぬまで水を求め続けた」と生々しく語った。

 核保有国と「核の傘」に頼る国々に「私たちの証言を聞き、警告に従いなさい。あなたたちは人類を危険にさらす暴力を構成する不可欠な要素だ」と忠告。核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、条約に署名しない日本政府を暗に批判した。

 ICANのベアトリス・フィン事務局長(35)も演説し、「私たちは偽りの(核の)傘の下にいる。他者を支配するために造った核兵器に、実際は私たちが支配されている」と強調した。

 北朝鮮の核開発を例に「核兵器は私たちを安全にするどころか、紛争を生み出している」と述べ、核抑止力による安全保障政策を重ねて批判。「全ての国に、私たちの終わりではなく、核兵器の終わりを選ぶよう呼び掛ける」と、核兵器禁止条約への参加を訴えた。

 二人は演説に先立ち、賞状と記念メダルを受け取った。授賞式にはICAN国際運営委員の川崎哲(あきら)さん、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳(てるみ)代表委員(85)、藤森俊希事務局次長(73)も出席した。

サーロー節子さん> 32年広島市生まれ。トロント大大学院修了。13歳のとき広島で被爆し、姉やおいを失う。55年にカナダ人と結婚し、同国に移住して核廃絶運動に尽力。これまで国連総会の委員会など世界中で開かれる国際会議で、被爆証言を重ねてきた。カナダ政府が民間人に贈る最高位勲章オーダー・オブ・カナダを受章した。 (共同)

核兵器廃絶国際キャンペーンICAN=International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)> 核兵器廃絶を目指し、2007年にオーストラリアで設立された非政府組織(NGO)の連合体。100カ国超からの約470団体で構成し、平和や軍縮、人権といったテーマに取り組む。啓発イベントの開催のほか、国連や各国議会での演説が主な活動内容。日本のNGOピースボートは主要運営団体の一つ。事務局はスイス・ジュネーブ。 (共同)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000059.html

ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文
2017年12月11日 夕刊

     (ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん
      =10日、オスロで(共同))

 十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。 

      ◇

 両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。


▼座視しない

 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。


▼叫び声聞こえた

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

 このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。


▼愚行を許さない

 その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。


▼終わりの始まり

 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。


▼光に向かって

 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 (オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる
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●肥田舜太郎さん「せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう…努力」を

2017年04月01日 00時00分36秒 | Weblog


先ごろ亡くなられた肥田舜太郎さんについて、マガジン9の水島さつき氏によるコラム【今週の「マガジン9」2017年3月22日号 vol.592 肥田舜太郎先生の教え】(http://www.magazine9.jp/tips/thisweek/32733/)。

 《先生は「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない。現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃり、…。この時、私ははじめて低線量被曝についても知り、原爆と原発は両方とも「核」であり放射線による「ヒバク」は同じ、という今思えば当たり前のことに、気がついた瞬間でもありました》。

 東京新聞の記事【核禁止条約交渉が開幕 日本、不参加を表明】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017032801001032.html)によると、《オーストリアなど条約推進国は7月までに条約案の作成を目指す。条約に反対の立場の日本の高見沢将林軍縮大使は演説で「建設的な方法での参加は難しい」と述べ交渉不参加を表明した。米英仏中ロの核保有五大国は参加を見送った。核戦力拡大に意欲を示すトランプ米政権が、オバマ前政権が掲げた「核兵器なき世界」の目標の見直しを示唆するなど逆風が強まる中、禁止条約を核保有国による実質的な核軍縮につなげられるかが焦点だ》…だそうです。
 「核兵器なき世界」ですら、デンデン王国「裸の王様」アベ様はヤル気がないということが明白。ましてや、核発電「麻薬」中毒であり、「原発は『プルトニウムをつくる装置』」な訳で、「核なき世界」など全く眼中になし。

   『●核の軍事利用と原子力の平和利用
   『●烏賀陽弘道さん
     『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了
    《核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人を
     「いないこと」にしてしまった。原発と核兵器の「血のつながり」を
     論ずることはタブーになった》

   『●「核兵器廃絶」に対するニッポンの歯切れの悪さ…
      原発は『プルトニウムをつくる装置』、双子の兄弟の一人
   『●「核兵器のない世界」か?、「核廃絶」「核なき世界」か?
   『●室井佑月さん「金をバラまくだけの日本…
     米国の手下ですよ、という世界中へのアピール」…恥ずかしい
   『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
      自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない
    《日本政府、つまり安倍首相の考えは、“核の保有や核兵器の使用は
     認められるべき”なのだ。…安倍首相は官房副長官時代の2002年に、
     早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との対話のなかで
     「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。
     小型であればですね」と語っている》

   『●オバマ大統領の米国、「核なき世界」にはほど遠く、 
          「核兵器のない世界」を唱えつつその現実は?
   『●《…death fell from the sky…》
       …「落ちたのではない。米国が、落としたんだ」
   『●「核なき世界」無き国…「日本や韓国など
     米国の「核の傘」の下にある国々は「勧告に同意しなかった」」
   『●日印原発輸出・輸入の狂気: 「安倍政権は
      インドが核実験した場合は協定を破棄する」という「空手形」
   『●「ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか」? 
                そして、ナガサキは? フクシマは?
   『●東電核発電人災から6年が経過し、全て廃炉へ…
       な訳がない:高速炉「アベシンゾウ」がゴジラに変身する日

 要は、アベ様らは「核」を御所望な訳です…世界に向けての恥さらし

 肥田舜太郎さんは《「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない。現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃ》ったそうです。また、《せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ》とも。東電核発電人災を引き起こしたニッポンが、核発電再稼働・輸出を進める狂気。かつで、アベ様は…《官房副長官時代の2002年に…「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と語っている》…そういう思想の持ち主です。

   『●「津田敏秀教授が「甲状腺がん多発は
     原発被曝と関係ない」派に反論」…ヒトデナシな核発電「麻薬」中毒者


 アベ様らにとって、《内部被爆》《内部被ばく》なんて、どうでも良いこと。2011年の『X年後』に何の慄きも感じていません。

   『●内部被爆: 何の対応も取らなくて本当に大丈夫なのか?
    《マル激トーク・オン・ディマンド 第556回(2011年12月10日)
     内部被曝を避けるために今こそ広島・長崎の教訓を活かそう
     ゲスト:肥田舜太郎氏(医師、全日本民医連顧問)…
      …自身も広島で被爆した経験を持つ医師の肥田舜太郎氏は、
     原爆投下直後から広島の被爆者の治療・救援にあたった経験から、
     福島原発事故でわれわれは内部被曝にもっとも気を付けなければ
     ならないと警鐘を鳴らす
      肥田氏は、広島に原爆が投下された直後こそ、原爆の熱と放射線の
     直射によって火傷や急性放射線障害を受けた患者の治療に
     追われたがその後しばらくして、原爆投下後に救援や親類の
     捜索のために広島や長崎に入ったいわゆる入市者たちの間で、
     鼻血、下痢、内臓系慢性疾患などの症状を訴える人が続出している
     ことに気がついた。…
      しかし、肥田氏はどんなに微量であっても放射性物質は病気を
     誘発する可能性がゼロではない以上、食品の規制値にこれ以下なら安全
     という数値は存在しないことを常に念頭に置かなければならない
     としたうえで、今の政府の基準や検査体制では内部被曝から子供を
     守れないと主張する》

   『●内部被ばくについての鎌仲ひとみ監督新作
    《ドキュメンタリー映画「内部被ばくを生き抜く」は、東京電力
     福島第一原発事故による放射能汚染に、どう対処すべきかを説く。
     劣化ウラン弾の影響で白血病やがんになったイラクの子どもたちら、
     内部被ばくがもたらす深刻な被害を取材してきた鎌仲ひとみ監督の
     最新作。…「広島、長崎の被爆者と違うことが起きるとは考えられない
     放射線が漏れ、人体に影響が出るのは早くて半年かかる」。被爆者を
     長年治療してきた肥田舜太郎医師は作品冒頭で、こう語る》。

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http://www.magazine9.jp/tips/thisweek/32733/

2017年3月22日
今週の「マガジン9」
vol.592
肥田舜太郎先生の教え

 肥田先生の訃報に際し、今、様々なことが思い出されています。私が被爆医師・肥田舜太郎さんのお話を初めて聞いたのは、2006年に行われた伊藤塾の講演会でのことです。広島・長崎での被爆者の方々が被爆者援護法に基づく原爆症認定を求めた集団訴訟で、大阪地裁も広島地裁も、原告全員を原爆症と認め、国が認定を却下したのは違法だとする画期的判決が出されました。いわゆる入市被爆者の原爆症認定を認めた初の判決です。その弁護団の証言者のお一人として、お話をされたのが肥田先生だったのです。

 原爆投下のその時も、広島で軍医をされていた肥田先生は、虹色に輝くきのこ雲の下で繰り広げられる地獄図を、本当にその場で見た人にしか語れない描写で語ってくれたのでした。漫画「はだしのゲン」のシーンがそのまま目の前に浮かぶような様に、とにかく圧倒されました。

 私は「ヒロシマ」でのお話をさらにお聞きしたいと、先生のご自宅まで伺いインタビューをしました。しかし先生は「過去の悲惨な体験だけでは解決にはならない現代の核の恐ろしさを伝えないと」とおっしゃり、ご自分の体験だけでなく、様々な文献やデータを示しながら教えていただきました。この時、私ははじめて低線量被曝についても知り、原爆と原発は両方とも「核」であり放射線による「ヒバク」は同じ、という今思えば当たり前のことに、気がついた瞬間でもありました。

 そして3・11がおこりました。私はまっさきに、肥田先生はこの状況をどう考えてらっしゃるのだろうか、内部被爆が逃れるためにはどうしたらいいか教えてもらいたい、そんな気持ちで私は先生がお話をされるという場所を探し行きました。会場は先生の一言一言を聞き逃すまいとする人たちで満員でした。若いお母さんから「子どもがいます、これからどこに逃げたらいいんですか?」その問いかけに先生は「もう全員内部被曝をしているんです。覚悟をしなさい。落ち着いて、その上で何をするべきかを考えましょう」と強い口調でおっしゃったことをはっきりと覚えています。

 2012年に再び肥田先生にインタビューさせていただきました。

 「世界中探しても、あなたの細胞はあなただけしか持っていないもの。大事なかけがえのない命なのだから、他人任せにはしない。一番大事なことは、自分自身の価値に目覚めること。強い意志を持って乗り越えなさい。そして、せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ」。先生はやさしい笑顔で最後におっしゃいました。

 肥田先生、ありがとうございました。生きている限り、先生の教えを守ります。

(水島さつき)



肥田先生は、医師として被爆者を診察しずっと寄り添ってきただけでなく、核廃絶のために、また広島の語り部として国内外においてずっと活動をしてきた方です。著書やドキュメンタリー映画も残されていますし、youtube上でも講演会の模様など見ることができます。マガジン9にも語ってくださったインタビューも是非、お読みください。

 ●肥田舜太郎さん「マガ9インタビュー」
   →「ヒロシマ・ナガサキ」だけでは核抑止論を乗り越えられない
                         (2006年8月30日)
   →「今も世界中で、生み出される“ヒバクシャ”たち」(2006年9月)
   →「内部被曝を乗りこえて生きるために」(2012年4月)
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