阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

亀戸の創作中華という看板を上げた「秀荘」は確かに旨い店だった

2024年03月21日 | 食べる飲む

2403亀戸中華「秀荘」

図書館を出て寿司の「銚子丸」へ歩いてランチに出かけた。京葉道路にかかる中川新橋の上から撮影。

銚子丸は1時間待ちと言うので 京葉道路を亀戸のインドカレー店まで歩くことにしたがさすがに遠くてバス停のベンチで時々座りながら行った。

 ショッピングモールの「亀戸クロック」の近くまで来ると中華料理店があるのに気が付いた。二人とももうだいぶ草臥れてきていたので ここに入ることに一決した。

店内は結構広かった。私は担々麺を頼んだ。本格的な造りの内容で汁も鉢の底まで掬ったほどだ。

相方は餡かけ焼きそばを頼んだ。たっぷりの量だったが残さず食べていた。麺も良かったそうだ。

 実に当たりの店だった。創作中華 秀荘  店は結果的にオーナーシェフの店だった。聞くとやりだしてから15年ほどになるとシェフがにっこりして言った。

亀戸駅からも10数分のロケーションの駐車場もないロードサイド店がよく持っているのは近所の固定客が付いているからだろうと思った。

 店を出てから亀戸クロックに入り、地下にあるスーパーのパントリーやライフなどを見て歩いて亀戸駅から電車で帰宅した。

 歩行数 7982歩   歩行距離 4.8km   合わせると157歳の二人には結果的にちょっと長すぎる距離のウォーキングだったかも(笑)。

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 これこそが中国人の本質だ   「好 死 不 如 懶 活」     服部悦雄   元トヨタ中国事務所総代表

2024年03月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

  「好 死 不 如 懶 活」

”きれいに死ぬよりも、惨めでも生きたほうがまし”

という意味で、服部によれば、これこそが中国人の本質だという。

    潔く切腹するとか、桜のように散るといった発想は中国人にはない。

 27歳まで中国にいたからこそ見抜ける本質である。

服部は生きることが当たり前ではなかった時代の中国を生き延びてきた人間である。

自らを「中国人になりきれない中国人で、日本人になりきれない日本人」と評するその言葉には孤独が滲む。

 下の画像クリックで引用先全文にリンク

『トヨタ 中国の怪物』トヨタの中国進出と創業家世襲に秘められた歴史 - HONZ

『トヨタ 中国の怪物』トヨタの中国進出と創業家世襲に秘められた歴史 - HONZ

『トヨタ 中国の怪物』トヨタの中国進出と創業家世襲に秘められた歴史 HONZ

HONZ

 

 

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03月20日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年03月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年02月19日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年03月21日 | 東日本大震災ブログ
2012年02月19日(日)
 
小沢公判で証拠却下について郷原弁護士と落合弁護士の分析
 
☆二人の元特捜検事が書いた。

郷原信郎弁護士

 小沢氏公判での証拠却下決定、注目すべきは、虚偽公文書作成の範囲と偽証の認定、特捜部の組織的な不当取調べの認定

本日の小沢氏の公判で、東京地裁大善文男裁判長は石川知裕衆議院議員ら元秘書3人の供述調書の多くについて証拠採用を却下した。元代表の関与を認めた石川氏の調書についても、任意性、特信性を否定して請求を却下した。

 決定書全文を入手して読んだが、石川氏らの供述調書の請求を却下したという結論もさることながら、重要なことは、その理由の中で、取調検察官の田代検事の法廷証言の信用性についても踏み込んだ判断をしたことである。特に、田代検事が市民団体から虚偽公文書作成罪で告発されている石川氏の取調べ状況についての捜査報告書の問題に関して「記憶の混同が生じたとの説明はにわかに信用できない」と述べているのは、事実上、田代検事の偽証と虚偽公文書作成の犯意を認めたものと言え、東京地検の告発事件の捜査に決定的な影響を与えるものと思われる。

 しかも、決定書では、その田代検事の後に石川氏の取調べを担当した吉田副部長も取調べで石川氏に圧力をかける行為を行っていたことを認め、田代検事の不当な取調べが、個人的なものではなく、組織的なものであったことまで認定している。

 今回の証拠決定は、検察、とりわけ特捜検察にとって衝撃的なものであろう。

 市民団体の告発事件は、最高検から東京地検刑事部に回付されたとのことだが、東京地検刑事部は、今回の東京地裁の決定を受けて、早急に、捜査に着手することになるだろう。

落合洋司弁護士

ネット記事全文

決定理由の朗読内容が一気に厳しさを増したのは、石川被告を担当した田代政弘検事(45)の取り調べ手法に対する評価に入った時だ。小沢元代表の起訴を示唆しながら供述を求めたことについて、「強力な利益誘導で、虚偽供述に導く可能性の高い取り調べ方法だ」と非難した。

田代検事が証人出廷した際に、「より真実に近い供述を維持するために行った」と釈明したことにも、「真相解明の熱意からだとしても、検察官の職責を考えれば違法性、不当性が減じるものではない」と、厳しい言葉を連ねた。

従来の裁判所は、検察官の取調べ、特に特捜部の取調べは、「聖域」視して、取調べの在り方が問題になっても調書は採用する、という傾向が強かったものですが、かなり変わったな、「丸特」の事件でも、普通に判断してくれるようになりつつあるな、というのが率直な感想ですね。

刑事訴訟法の立法者は、検察官が、単なる当事者ではなく、かつての予審判事に代替するような、真相を解明する取調べを行う存在として想定し、作成された調書に強い証拠能力を認めたものと推測されますが、上記のような取調べが横行している以上、その前提は完全に崩れていると言っても過言ではないでしょう。

 検察官作成の調書の証拠能力を、警察官作成のそれと同等にして、将来の公判に備えて供述を証拠化しておく必要があれば、裁判所における証人尋問で手当てする、という法制度に、とりあえず、いち早く移行しておく必要を感じます。そうなれば、調書をとればこっちのもの的な、ひどい、酷い検察官による取調べは、やっても意味が乏しいので激減するでしょう。

法務省が、検察庁のためにあるのではなく、国民のためにあるのであれば、一刻も早く、刑事訴訟法をそのように改正する方向で動くべきでしょう、と言っても絶対に動かないと思いますが。
 
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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津波で流された車中にあったビデオカメラが復元された
 
 
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第五福竜丸の乗組員の思い インタビュー
 
. ザ・特集:福島第1原発事故11カ月 「死の灰」の教訓、どこへ 大石又七さんに聞く 
毎日新聞 2012年2月16日 東京朝刊

ビキニ環礁水爆実験で被ばく、第五福竜丸乗組員

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故から、11カ月が過ぎた。広くまき散らされた放射性物質の影響が懸念される中、58年前の被ばく経験を語り続ける人に会いたくなった。米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験で、放射能を含む「死の灰」を浴びた第五福竜丸の乗組員の一人、大石又七さん(78)。今、何を思い、何を訴えるのか。【宍戸護】

 ◇国の対応や差別、偏見…何も変わっていない

 「広島、長崎の原爆では多くの人が爆風や熱線を浴びましたが、私たちは空から落ちてきた白い粉に放射線が含まれていて、内部被ばくしたのです」。11日、西東京市であった市民団体と市共催の学習会で、大石さんは約60人の聴衆に自らの経験を語った。東京都内で長年営んでいたクリーニング店は10年末に閉じた。がっちりとした体格に海の男の面影が残る。

 「これまで自分の体験を言葉や文章にしてきたが、元漁師の洗濯屋が言うことには振り向いてもらえなかった。しかし、福島の事故が起こってからは『他人の哀れな話』ではなくなったのです……」。「他人の哀れな話」。日本の反核運動のきっかけともなった壮絶な体験をそう表現するところに、歩んできた道のりの険しさがにじむ。

 第五福竜丸の母港がある静岡県焼津市の隣、吉田町に6人きょうだいの長男として生まれ、14歳でカツオ船に乗った。二十歳になったばかりの1954年1月、マグロはえ縄漁船の第五福竜丸で出港。3月1日の夜明け前、爆心地から約160キロの太平洋上で水爆実験に遭遇した。直後の模様を、自著「死の灰を背負って」に書いている。<閃光(せんこう)が見えてから2時間くらい、ふと気がつくと雨の中に白い粉のようなものがまじっている。(略)唇のまわりについた粉を、口に含んでかんでみるとジャリジャリして固い>

 この粉は後に、水爆で焼けたサンゴ礁が灰になって上空に飛び散ったものと分かる。「船のデッキの上に、足跡が残るくらい積もった。ただ、体に触れても熱くなく、臭いもないので怖さは感じなかったね」。コードネーム「ブラボー(万歳)」と呼ばれた水爆の威力は広島型原爆の1000倍と言われた。

 帰港するまでの2週間、食事や呼吸を通して内部被ばくを受けた。乗組員の正確な被ばく量は分かっていない。都立第五福竜丸展示館(東京都江東区)を運営する公益財団法人第五福竜丸平和協会によると、白血球減少などさまざまな状況から2000~3000ミリシーベルトと推測される。一度に4000ミリシーベルトを浴びると半数が死に至ると言われている。乗組員23人のうち、最高齢の久保山愛吉さん(当時40歳)は急性放射能症で半年後に死亡。大石さんは頭髪が抜け、白血球も減少したが、1年2カ月の入院生活を経て退院できた。

 日米政府は55年、法律的な責任を伴わない「見舞金」7億2000万円を米国が日本に支払うことで合意。ビキニ事件は政治的には「完全決着」した。だが、帰郷した大石さんを待っていたのは、被ばく者への差別や偏見、受け取った見舞金190万円へのねたみのような感情だった。返済のあてのない借金の肩代わりを求められたりした。耐えきれず、その年に東京へ移住。クリーニング店で働き始めた。「被ばくの過去を知られていないところで、人混みに紛れて暮らしたいと思ったのです」

 やがて結婚。最初の子は死産だったが、子ども2人を授かった大石さんは、差別や偏見が家族に及ぶことを恐れ事件について沈黙を貫いた。だが--「娘の結婚は2回破談になりました。世の中に女性はたくさんいるのに、何も……と。被ばく者やその家族というだけで、世間は『人間から外れたもの』と見た」。今も無念そうな表情を浮かべる。

 この間、仲間の乗組員らはがんなどで相次いで亡くなった。「このまま黙っていていいのか」。心が揺れ始めた大石さんは事故から29年後の83年、都内の中学生にビキニ事件について話したのをきっかけに、自らの体験を伝える覚悟を決めた。

 「悔しいじゃないですか。差別や偏見でこれだけつらい思いをしながら、多くの仲間は40代、50代で病死し、残された家族は苦労している。当事者である私がしゃべらなければ事件は闇の中に消えていく。声を上げるしかない。そう思ったのです」

 以後、全国各地で講演し、放射線や内部被ばくの恐ろしさを訴え続けてきた。

 「他人の哀れな話」は震災後、放射能の影響を受ける全ての人たちにとって「自らの深刻な話」となった。

 「ビキニ事件と今回の原発事故は、内部被ばくを引き起こすという意味で本質的には全く同じです。ただ、私が吸ったり浴びたりしたのは約2週間だが、福島の人たちはまだその中で生活している。とんでもない話だ。目には見えないし、古里を離れたくもない。でも、測定器を当てれば反応が出る……本当に戸惑っていると思います」

 そして、語気を強めてこう語った。「放射線、原発をどうするか。国際競争で負けたくない指導者たちには、被ばくの健康影響を重く見ることに抵抗するから任せられない。一般の人たちがもっとレベルを上げて考えないと、この問題はいつまでたっても解決しませんよ」

 「狭心症や心筋梗塞(こうそく)などの症状を改善」「ぜんそく発作を予防」「感染症を治療」……。都内にある大石さんの自宅。たくさんの薬が入った袋を見せてくれた。1日に約30種類の薬を飲む。「正直、薬で体が持っているところがある。これがなければもうダメです」

 92年には肝臓がんが見つかり摘出手術をした。今は肺に腫瘍を抱え、ぜんそくのようなせきは薬がないと止まらない。不整脈、白内障もある。いずれも被ばくとの因果関係は明らかではないが、自著「矛盾」で<これらは持病ではない。アメリカの核実験によって加えられた病気>と書いている。

 被ばくの後遺症を気にした大石さんは、ビキニ事件をきっかけに57年に設立された放射線医学総合研究所(千葉市稲毛区、放医研)で年1回、健康診断を受け続けた。しかし、それも92年を最後にやめた。結果を問い合わせても、詳細なデータを示してくれないからだという。「肝臓がんも他の病院で見つけた。放医研にとって私たちは研究材料に過ぎないのではないかと感じたのです。福島の人たちに対する国の対応の鈍さを見聞きすると、変わっていないという印象を受ける。過去の被ばく者から得た教訓を生かそうとしない限り、私たちが歩んできた苦難の道が繰り返されるのではないか」

 乗組員23人のうち既に14人が亡くなった。だが国は、久保山さんを除き、被ばくと病気の因果関係についての判断を示していない。被爆者健康手帳も交付されず、大石さんは今も通常の健康保険で治療を受けている。

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 「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想は t.yukan@mainichi.co.jp ファクス03・3212・0279 まで
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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20120216 あぜん発言 原発の安全守る2人のトップ
 
去年3月の原発事故発生当時、原発の安全を担当していた原子力安全・保安院の院長が「私は事務系の人間なので、専門知識がない」と驚きの発言をしていた。
きのう国会で、原発事故の国会版事故調査委員会が開かれた。これは一般傍聴も可能で、「斑目さんがどのくらい責任を感じているのか聞きに来た」という傍聴者。
質問するのは、国会議員ではなく学者や弁護士などの事故調査委員。 冒頭、原子力安全委員会の斑目春樹委員長は「今までの安全審査指針に瑕疵があったことは認めざるを得ない」と陳謝した。その後、安全審査基準について自ら認めた欠点を棚に上げ、東電などを批判。また質問に対して、「覚えていない」という言葉を繰り返した。責任は逃れつつも専門家としての自負を見せつけた斑目委員長。一方、原子力安全・保安院の前のトップ、寺坂前院長は、震災発生後、官邸に部下を残して立ち去ったことを追及されると、「私は事務系で専門的な知識がないので‥」と驚きの発言をした。 保安院は3日前に大飯原発の再稼働について、ストレステストは妥当と報告したばかりだが、ストレステストを導入した経緯については心許ない。事故調委員の田中三彦氏の「今のストレステストをやっていれば、3.11の事故を防ぐことができたか?」という質問に対し、寺坂前院長はしばらく考え込んだあと「私自身、正直言ってよくわからない」と答えた。
約3時間で閉会したあと、傍聴者の感想は「あんな人たちに私たちは命を預けていたんだとがっかりです」と。
 
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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福島現地レポート 離れるか残るか
 
20120217 離れるか残るか 住民たちの選択
スーパーニュースアンカー「雨ニモマケズをさがして」より。 山本キャスターの福島現地レポート7日目。放射性物質に囲まれながらもここで暮らさざるをえない人たちや商売を廃業してでも避難しようとする人たちなど、市民の独自の取り組みを取材。
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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東電国有化を巡る非常識な主張
 
なぜ東電・経団連・財務省は反対するのか
東電国有化を巡る非常識な主張

一時国有化は当たり前

東電社長、経団連会長、そして財務省の自分勝手

本当に“りそな型”でよいか?

政府はこれまでの失敗の経験を生かせ
 
一部引用・・

過去の2つの失敗から明らかになる教訓は、短期間で思い切った対応を政府が率先して行い、すべての膿を一気に出し切ることに尽きます。

 その意味では、現在経産省が描いている東電一時国有化と発送電分離など電力改革の方向性は正しいものの、それを命がけでやり抜こうとしている官僚や政治家が見当たらないことは気になります。小泉政権が不良債権処理を行ったとき、当時の金融担当大臣だった竹中平蔵とその補佐官だった私は、失敗したら辞表を出す前提で取り組んでいましたが、そういう人がいません。

 既に述べたように、東電の政治/行政/財界への影響力はまだ大きいことを考えると、逆襲に合って官僚や政治家が妥協するリスクは未だ大きいと言わざるを得ません。まずは3月にしっかりと東電の一時国有化が行われるかをしっかりと監視しましょう。

全文はこちら
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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海外の飲食関係者が諏訪市の酒蔵を見学
 
日本酒でビジネスを 
2012年2月16日 信濃毎日新聞

精米した酒米に触れる日本酒セミナー参加者。左端がゴントナーさん
 
諏訪市元町の酒造会社、宮坂醸造で15日、日本酒をビジネスに生かしたい外国人を対象にした酒蔵見学会が開かれた。米国出身の日本酒ジャーナリスト、ジョン・ゴントナーさん(49)=神奈川県鎌倉市=が主催する日本酒セミナーの一環で、米国などの飲食・流通関係者約20人が参加。利き酒も楽しみながら日本酒の魅力に触れた。

 日本酒に関する著書もあるゴントナーさんは、海外への「日本酒伝道師」としても活動している。同社の見学をセミナーの日程に組み込むのは昨年に続き2回目。今回は全体で5日間の日程で、本格的なビジネス展開を目指す「上級者」向けだ。同社の杜氏(とうじ)が蔵の中を案内しながら製造工程を説明すると、参加者は熱心にカメラに収めていた。

 米東部から参加した男性(42)はことし中にも地元で蔵元として起業する計画といい、日本酒の魅力を「いろいろな香りと味が口の中を通り抜けていく感じが素晴らしい」と表現。ラスベガスのホテルの女性従業員(33)は「米国は日本食ブーム。日本酒の需要はまだまだ伸びる」と期待していた。

 日本市場の縮小を受け、輸出に力を入れる宮坂醸造の宮坂直孝社長(55)は「業界にとってゴントナーさんは貴重な『日本酒大使』。最大限に協力し、海外市場を開拓したい」と話していた。
2012年2月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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