阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

大晦日の夕食は亀戸の「升本」のお弁当

2021年12月31日 | ある日の肴/夕食

やはり明治時代創業の店の味は親しんできた“和”の味を維持していてぬる燗によく合った。

店のサイトの文言を引用:

創業明治38年。老舗料理「亀戸升本」が作る和食のお弁当です。
保存料・合成着色料を使わず、原材料の時点から全て職人の手作り。朝一番に焼く玉子焼きに魚のすり身を蒸して作った蒲鉾、一から作る鶏つくね。
あさりの出汁でふっくらと炊き込んだ伝統あさり飯は一番人気の「すみだ川」で。江戸野菜亀戸大根のたまり漬けは箸休めに。
お好みでお使い頂ける秘伝の辛味、亀辛麹が全てのお弁当についています。

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ほぼ40年の付き合いの「マルタイの棒ラーメン」に魚肉ソーセージは欠かせない

2021年12月31日 | ある日のランチ

寒くなると常備品である ほぼ40年の付き合いの「マルタイ棒ラーメン」clickを食べることが多くなる。

その時は、酒のツマミの常備品でもあるギョニソ(魚肉ソーセージ)の出番でもある。

マルタイラーメンを食べるのは我が家では自分だけなので調理も自分でやるしかない(笑)。

 あいかたがダンナが好きなマルタイラーメンのラインナップをいろいろ揃えてくれた。

 阿智胡地亭は 旧・福岡県若松市立島郷第2小学校 (現・北九州市立花房小学校)に小学一年生として入学したからだけやのうて 

もうせんから なんがなし九州の味ば好いとるもんね。

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12月30日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで全文に飛びます。

 

 

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ほぼ30年の付き合いの「辛ラーメン」に魚肉ソーセージは欠かせない

2021年12月30日 | ある日のランチ

寒くなると常備品である ほぼ30年の付き合いの「辛ラーメン」を食べることが多くなる。

その時は、酒のツマミの常備品でもあるギョニソ(魚肉ソーセージ)の出番でもある。

辛ラーメンを食べるのは我が家では自分だけなので調理も自分でやるしかない(笑)。

 

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2時間だけの上高地           2008年9月9日掲載    過去のブログのエントリーから

2021年12月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

諏訪で花火を見たあと、ゲリラ豪雨に襲われた神戸からのツアー客を乗せた神姫バスの大型観光バスは一路白馬村のホテルへ走り、

日付が変わった時間にようやく部屋に入ることが出来ました。翌朝、ホテルのしっかりした朝食を食べ、バスは10時に出発して上高地に向かいました。

車窓からは取り入れ間近い黄金色の田んぼがえんえんと続き、安曇野は想像した以上に豊かな土地だなあと思いました。白い花が満開のソバ畑も多くきれいでした。


ついこの間、古代この地に北九州の海洋民族、安曇族が移住した史実をテーマにした小説「
失われた弥勒の手を読み、

地図を広げて“海ノ口”などの地名を見たばかりなのに、その「海ノ口駅」の真横を、自分が乗ったバスが走っていく!

 本を読んだ頃にはまさか間もなく自分が小説の舞台に行くとは思ってもいなかっただけに、我ながら心が弾んで窓の外を見続けました。

 実際に上高地に滞在したのは2時間に過ぎませんが、大正池から河童橋まで歩いたりして、いいところだなあと感じました。

次回はここだけに数日来たいと思いました。
   大正池。


2008年06月15日(日) 阿智胡地亭の非日乗に掲載。

九州の安曇族は信州穂高に住み着いた。「失われた弥勒の手 安曇野伝説」を読みました。

中学生になると社会科という科目があり、その中の地理の時間に日本各県の地名を地図で習う時間があった。

長野県の地図の時に、上高地の箇所を見ると「島々」と言う地名があるのに気がついた。そこから目の範囲を広げていくと「海ノ口」や「有明」という地名もあった。

海のない山の中なのにどうして海に関係する地名があるのだろうと単純に不思議に思った。今思うとそれが地名と人の移動の関連に関心を持つきっかけだった。

今回知ったのだが上高地は元々は「神垣内」と書かれ、「穂高神社」の神域にあり、“綿津見神”も祭神の一つである穂高神社は大きな船の形をした山車が出る「お船祭り」で有名だ。

「失われた弥勒の手 安曇野伝説」松本猛・菊池恩恵/共著 という本を読んだ。

共著者の一人、松本猛は画家の“いわさきちひろ”の息子で父親の里である安曇野で祖父母に育てられた。安曇野にある「ちひろ美術館」の館長でもある。

この本は日本列島に来た海洋民族(海人族)の一つであった「安曇族」の移住の歴史を探る事がテーマになっている。中国の江南の地から北九州に移住し、

「志賀島(しかのしま)」を本拠地として栄え、対馬を交差点にして百済の国とも強い人的な交流があったという安曇族。

彼らの一派が何故志賀島を出て信州の松本周辺にまで来て住み着いたのか?。

同じ海人族である「宗像族」はヤマト族に仕えて大和朝廷の九州海軍として生き延びたが、ヤマト族と抗争した「安曇族」は戦いに敗れて各地に散ったと見る松本は、

友人の菊池と共に韓国、対馬、北九州を歩いた。

新安曇族と称する松本にとってはルーツ探しの旅でもあった。この小説は学術書では書けない推理の部分を、安曇野の松川村にある観松院の弥勒菩薩を狂言回しに使って書いた面白い試みだ。

九州の玄界灘に臨む志賀島(しかのしま)にある「志賀海神社」の神主は代々阿曇姓の人が継いで本拠地を今も守っている。

安曇川、渥美半島など安曇、阿曇、安津見、渥美、渥見などの文字がつく安曇族の後裔が住む土地は日本列島に数多い。

神社へのお供え物には太古からの膨大な量の「鹿の角」が奉納されていて、海人族にとって釣り針に使った「鹿の角」は

漁獲量の多寡という生存に直結する貴重な財産であったことが想像できる。

海彦・山彦の神話が記紀にあるが、日本列島に於ける海人系民族と山人系民族の抗争・交流を記録した史話と読めば、世界各地に移動、移住した人類共通のテーマでもある。

そしてその具体例の一つが安曇族の北九州から信州への移動・定住の物語だろう。

残念ながら肝腎の移住の原因や定住に伴う歴史は、いまや残された神話から推測することしか出来ないが、毎年、安曇野の地では安曇族の後裔たちがお船祭りを続け、

先祖に感謝し先祖の神を守っていることだけは確かなようだ。

出版社名 講談社
出版年月 2008年4月
ISBNコード 978-4-06-214645-6
(4-06-214645-2)
税込価格 1,890円

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12月29日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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旧中川の水鳥たち  続き

2021年12月29日 | 身辺あれこれ

撮影帰りには途中の商店街のちょっと外れあるパン製造販売「デユパル」で六人分のパンを買って帰った。

 

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「いろは亭」のうな丼  草津(滋賀)駅で途中下車       2008年3月23日掲載  過去のブログのエントリーから

2021年12月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

四日市市立港中学の同窓会に出るため、神戸から三重県の四日市までJRの在来線だけで往復しました。

ルートは六甲道☞草津(神戸線・京都線)☞柘植(草津線)☞四日市(関西線)

(神戸から四日市へのルートはコストは2倍になるが新幹線で新神戸から名古屋経由、大阪に出て近鉄電車の難波経由四日市など三ルートあるが、

乗り変え回数と所要時間を気にしなければ、神戸からの最小コストは新快速で東海道線の滋賀県草津へ行き、

草津線で関西本線の柘植に出て亀山経由四日市というJR普通電車乗り継ぎルートになる)。

このルートは 寂びれきった関西本線を走るワンマンデイゼルカーが風情があって良い。

 無人化自動倉庫など物流設備の売込みの仕事(営業)で15年ほど前、草津近辺にある多数の工場を訪問していた時期がありました。

草津には商社の人に教えてもらった旨い鰻屋があり、そのころ昼飯時に時々寄っていました。

今回もたまたま四日市からの帰りの昼時分に柘植からの電車が草津についたので、草津駅で途中下車して“いろは亭”に行ってみました。

 幸いこの老舗の店は変わらず営業していて、前と同じように美味しい味をキープしていました。

大きなのが三つ乗ったうな丼、肝吸い付き、1200円。ぬる燗一本頼んだので〆て1650円也。 

この質と量からすると、合掌しながら「ナマステ(ありがとう)」とインド人のように言いたくなる気分でした。

これからも草津を通る時に時間があれば、また間違いなく途中下車してでも、この“いろは亭”に寄るでしょう。

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だから政治屋稼業はやめられない。身内親戚で守る「おいしくて譲れない」政治屋家業。日本の国政を担う方々の出身分野。

2021年12月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

12月27日付東京新聞朝刊

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★就いてはいけない職業


職業には適職と不適職がある。「人間に触りたくない医者」「受験だけは得意な研究者」「子どもを嫌いな教師」

「自分たちが国を動かしていると考える高級官僚」「記者会見の一方通行に疑問を持たない記者」「住民、国民を嫌いな政治家」。

   向いていない事をがんばってやると、自分にも周囲にも害が大きい。    山本スイカ 

メールマガジン「少数異見  聞いても聞かない、見えても見ない  No.190(2021.12.29)」から一部引用。

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12月28日に目に留まったSNS・メディアの記事

2021年12月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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派遣先にすれば、

・「交通費ナシ」
・「賞与ナシ」
・「退職金ナシ」
・「福利厚生ナシ」
・「社会保険ナシ(今は派遣会社で制度導入した)」

といった労働者ですから、戦前のタコ部屋奴隷労働に先祖返りさせた制度といえるのです。

戦後は「労働基準法・第16条」で、労働者の「中間搾取(ピンハネ)」は禁じられたはずでした。「何人も法律に基づいて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」となっていたはずなのです。

この規定に従えば、明らかに労働者派遣業は、「中間搾取」に該当するように思えますが、現実には「派遣元会社は派遣労働者との間で雇用契約を結んでおり、派遣先企業との間では派遣契約を結んでいるので、派遣元会社は、労働基準法・第16条が指す第三者には当たらない」という法解釈なのだそうです。

コジツケもよいところでしょう。収入の原資は、派遣労働者がもたらしているのですから。

要するに、「法律に基づいて許される場合の外」とあるように、労働者派遣法を成立させたことで、中間搾取が認められるようになったという解釈のほうが、妥当のように思えるのです。

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近い将来「生活保護受給世帯」は激増する

労働者が現役時代に十分に稼げなければ、蓄えもないまま老後を迎えることになります。厚生年金の支給額も低くなり、それだけ暮らしは苦しくなります。

2018年度の生活保護受給世帯は164万世帯(総額3.6兆円)ですが、半数は65歳以上の高齢者です。

したがって、このまま賃金の低い現役世代が多いままだと、将来の生活保護受給者は、激増間違いないことになるでしょう。

2030年には生活保護費総額が6兆円に及び、2040年には9兆円に及ぶという試算もあるのです。

こうした老後破綻する人の予備軍といえるのが、現在の非正規雇用の現役の人たちであり、派遣労働者たちといえるのです。

日本の賃金は、下がり続けています。ここ20年間に他の先進国が軒並み2割~3割上昇しているのに日本だけが1割弱も下がっているのです。

おまけに消費税率アップで、可処分所得(自由に使えるお金)も減る一方です。

賃金アップを図るためにも、こうした中間搾取を許す労働者派遣業は禁止すべきなのです。

そして、競争原理で賃金のアップが期待できるように、すべての労働者は一般企業による直接雇用体系にすべきでしょう。

労働者派遣の会社など要らないのです。諸悪の根源だからです。

 50年以上続くニッポン放送のご長寿ラジオ番組「テレフォン人生相談」。番組はいつも、パーソナリティを務める加藤諦三氏(83)のこんなメッセージから始まる。

《変えられる事は変える努力をしましょう。変えられない事は、そのまま受け入れましょう。起きてしまった事を嘆いているよりも、これから出来る事をみんなで一緒に考えましょう》

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