阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

世界14カ国語で翻訳が進行中の小説「空芯手帳」は優れモノの面白い本だった。

2023年06月30日 | 乱読は楽しい

{「だから私は嘘を持つことにしたの」―日々押し付けられる雑務にキレてつい「妊娠してます」と口走った柴田が送る奇妙な妊婦ライフ。第36回太宰治賞受賞作。

世界14カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げる}。

  (ネットから引用)

作者の八木詠美さんの二作目の小説が世界各国で翻訳されると知って、どんな小説なのか興味をもったので図書館に申し込んだら、すぐ借り出せた。

 一言で言うとトンデモナイ・妊娠噓つきの話だった。女性の身体に全く現実の妊娠と同じ状況が進行し、

その間の職場の人間や周囲とのやりとりが何の不自然さもなく描かれていて可笑しい。

    最後まで作者に騙されてるのかもと半分思いながら読んでいった。

作者は私も好きな津村記久子さんの著作をずっと読んできたそうだが、にじみ出てくるユーモアや、底の浅い男を「平べったい人間」と表現するなど

具体的な細部の表現に津村さんと通底する資質を感じる。この人の言葉の使い方はユニークで豊かでこまやかだ。

 今の日本の働く女性が受けている扱いの前線のありのままを 視聴率が欲しいテレビ報道の大仰さや、購読者の受けを狙う大手新聞社のフェイクか詐欺のような記事と違い

こんな風に余裕を持って会社や職場での男女差別の現実を書ける筆力に驚いた。

ヒヤヒヤもあり次の展開にドキドキもあり、借り出して読んだ甲斐のある本だった。面白い本だった。

   作家インタビュー

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説家「野坂昭如」が6年間通い、落語家「桂枝雀」が入学するはずだった神戸市灘区の「成徳小学校」      10年前の今日2013年6月30日の本ブログに掲載

2023年06月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

1930年に鎌倉で生まれた野坂昭如は生後すぐ母を亡くし、母の妹の嫁ぎ先である神戸の「張満谷家」の養子になって、神戸市灘区中郷町で育った。

1939年生まれの桂枝雀、本名「前田達」は中郷町のブリキ屋の子として生まれた。

同じ町内の二人は1945年6月の米軍焼夷弾絨毯爆撃市民無差別攻撃を受けてそれぞれの運命が変わった。

枝雀は戦災後、父親の出身地である鳥取県倉吉市に疎開し、小学校1年入学間もなく兵庫県伊丹市に移りすみ中郷町に戻ることはなかった。

同じ町内に住んだ二人が道ですれ違ったことがあるかもと想像すると面白い。彼ら二人は戦災を受けなければ、「火垂るの墓」はなかったし、

前田達は「成徳小学校」に入り、野坂昭如の後輩になっていた。桂枝雀は1960年に神戸大学文学部に入学(一年後退学して桂米朝に入門)しているから

5歳まで育った大学に近い中郷町を訪ねて懐かしく歩いたことが一度くらいあったかもしれない。

 しかし町は地形も変わるほどの爆撃を受けたので、桂枝雀が幼時住んだ家がどこにあったか特定はできなかったはずだ。

野坂昭如によると、焼夷弾の直撃を体に受けた養父はついに遺体すら見つからなかった。
 

昨夜は「成徳小学校」の前を通り、インドネパール料理の「インドラマハール」へ行った。

2013.06.23 ~ 2013.06.29
閲覧記事数:  8706 PV
訪問者数:   2026 IP
ランキング:    2382 位 /1,894,176ブログ(gooブログ)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

6月5日 中郷町(ナダタマアーカイブス)
投稿日時: 2013年8月15日
昭和20年6月5日。神戸、そして灘区が猛火に包まれた日。

8月5日の空襲と合わせて灘区の被害は、死者808人、全焼・全壊家屋18068戸、罹災者74102人とされているが、届け出のあったものだけに限られているので、

実数はさらにこれを上回る凄惨なものだった。

当時、中郷町3丁目に住んでいた野坂昭如はこの時の空襲体験をもとに戦争文学の名作『火垂の墓』を書いたのは、灘クミンならよくご存知のことと思う。
この時、同じ中郷町にもう一人の少年がいた。
野坂の家(養父張満谷家)から目と鼻の先の中郷町2丁目に住んでいた少年が、後の桂枝雀となる前田達少年だった。
神戸空襲のとき、野坂は15歳でが前田少年は5歳。その時の記憶を野坂は小説にしたが、枝雀師匠は落語の枕にした。「貧乏神」という気の弱い神様の話の枕が『上方
落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく』(ちくま文庫)に収録されている。

エー、昭和20年に大空襲がございます。
神戸は6月でございました。大阪は、エー6月ではなかったのかと思いますが、えらい空襲でございました。
ご承知の方はご承知でしょうが、親父がブリキ職でございまして、まあ、職人でございますから、仕事場にでございますね。神棚がしつらえてございまして…

前田家は灘区中郷町2丁目でブリキ店を営んでいた。
仕事場には神棚があり、朝に夕べに祈りをささげていたという。
近所の徳井神社の氏子だったのかもしれない。
6月5日、中郷町にも空襲警報が鳴り響く。
いつもは警戒警報だったのが、この日は違った。
「今日も大丈夫やろう」言うてましたら、その日に限って
「空襲警報ォ!」
ダルゥドゥズバババババババババァー…
「えらいこっちゃー!お母ちゃん、空襲やー」
言うたらね、そのね、朝晩拝み上げていた神棚の
神さんね、一番にドタッ。
落ちてこられたんでございますねえ。
嘘でもねえ、朝晩拝み上げている神さんでございますから、もーちょっと頑張ってもらいたかたんですが、ねえ…
神様が先に落ちてきて、その後に実の姉が落ちてきて、「姉はようがんばったのに、神様は…」というオチ。

灘区を焦土と化した空襲だから、もっと緊迫感があったに違いないが、枝雀師匠は「頼んない神さんでございましてね。」とおどけてみせる。
悲惨な状況を笑いへと転化するという、彼の落語理論だった「緊張と緩和」の実践。
そして戦時下の「神への妄信」を、軽やかに揶揄する批評精神。
同じ神戸大空襲を描きながら、方や悲劇的な物語を、方や喜劇的な噺を。
灘区中郷町という小さな街の小さな奇跡だ。

桂枝雀の生家があった中郷町2丁目から野坂昭如が暮らしていた中郷町3丁目を望む
(ナダタマ 灘文化堂「6月5日 中郷町」2011.6.6より)

引用元

フェリシモ > 神戸学校 > 野坂 昭如さん(作家)レポート

僕自身はいつも緊張して生きてるわけなんですけど、その基本のところには55年前に受けた空襲っが根っこのところにあると思うんです。

一部引用・・

野坂さん:
『火垂るの墓』、あれはいかにも僕自身が主人公みたいだけれども、僕自身が主人公だったら、あの主人公は死んじゃうわけですから、そのままじゃないわけで……。当時1歳4ヵ月だった僕の妹は確かに飢え死にしましたけども、1歳4ヵ月じゃ話にならないっていうか、会話が成り立たないから4歳って設定にしちゃったけど、ほぼあんなふうな経験に近いことを僕はやりました。ひとつだけ違うのは僕は、主人公のお兄さんみたいにやさしくはなかったですね。配給のとき1歳4ヵ月のこどもの口にはとても合わないようなものしかないんです。だし大豆のとかなんとかね。だし大豆ってのは煎って食べるんですけれども、とても1歳ちょっとのこどもの食べられるもんじゃないわけで、大人が食べたって下痢しちゃうわけですから。例えばそれを口の中で柔らかくしてやろうと思って口の中に入れて妹にやろうと思うんだけど、僕はやっぱり腹が減っているときはひゅっと飲み込んじゃうんですよ。結局は妹の食い物を僕自身が食ったという結果になっちゃったってところは、僕自身ずいぶん一種の負い目みたいな格好でいまも残っていますけどね。

それを話の上で穴埋めするみたいな格好で妙にお兄さんをやさしい兄に書いたんです。でも、本当に飢えに追い込まれてしまうと親とこどもでも親はこどもの食い物を食べますよ。つまりこどものためなら親は命はいらないっていうのは瞬間的にはぱっと思う。だけど恒常的になると、親とこどもの間において言うならば親はこどもの食べ物を食べて自分は生きぬくっていうのは、これは生物の理にかなっているわけです。親がもしも飢え死にしちゃったらこどもも飢え死にしますからね。親が生き残れば親はまた新しく生殖行為をしてこどもを産めばいいんです。だから親が生き抜く方が大事なんですね。弱い者と強い者がいて、どっちをなんとかするっていったら強い者が生き残ることがいちばんなんです。

例えば飢えてる国へ援助しますね。あの援助ってのもなかなかむずかしいんだけれども、3人飢えてるこどもがいると。そこにふたり分の食料しかないときにふたり分の食料はあくまでふたり分の食料であって、3人で分けたら3分の2ずつになるわけでしょ。3分の2ずつだったら3人とも栄養失調で死んじゃうわけですよ。だから3人の中でもってふたりを選ばなきゃしょうがない。そういう時、現実に木登りさせて、ちゃんと木が登れたスピードの順に食物を与えて、最後のひとりには食物を与えないっていう……、それくらいにきびしいもんなんです。

だから飢えというものについて言うならば、質問してくださった方には想像もできないだろうし、まったくマリー アントワネットみたいなもんで、パリ革命が起こったときに「パンが食べられないならお菓子を召し上がればいいのに」と言ったというそんな世間知らずのひとつの例として言われますが、いまの皆さんも多分米がなくなればラーメン食えばいいだろうとか簡単にそう思っちゃうかもわかんない。だけどなくなるときには1発で全部なくなりますから。アメリカがいくらこっちに輸出しているといったってアメリカがもしも取れなかったら輸出のしようがないわけで、自分の国の国民が飢えているときに日本を助けるわけがない。日本がいくら金持ちだってね。

そういう状態といったものは、当然次の世紀には来るわけで、そのためにどういう覚悟を持っておかないといけないかっていうと、結局はやっぱり自分のことは自分で考えるってこと。ほんとに食い物がなくなったら自分だけ食えればいいっていうふうに、そりゃ世の中いろいろ人がいますから、そんなふうに極端に言っちゃいけないかもわかんないけど、基本的には自分だけ食えりゃいいと。それくらいに飢えってものはすさまじいもんで、だから人間てのはこうやって生き延びてきたんですね。そんなみんなが慈悲深く自分が食わなくても他人が食ってもいいみたいな格好でもってお互いが融通し合っていたら、人類なんてこんなふうにはたくさん生き延びられなかったわけで、弱肉強食の世の中になってしまうのが飢えの時代です。

僕は、その中に放り込まれたわけで、現実問題としてこうやって生き延びています。でも、豊かな世の中になってくると僕はいわゆるご馳走っていうものを食べられないです。対談とか座談とかっていうとよく料理屋に行くんですけれどね。料理屋に行ってこれ見よがしな料理が出てくると食べられないですね。それから僕のこどもが小さいときに、クッキーをもらって、半分だけ食べてポッと捨ててるのを見ると、ものすごい憎しみを覚えましたね。あの世っていうものがあるんだったら自分の妹にこのクッキーを持っていってやりたいって気持ちは痛切にあったんですね。
そういう気持ちが『火垂るの墓』であのお兄さんをやさしくしちゃって、あれが戦争によってもたらされた悲しいお話かもしれないけれど、一方において兄弟愛みたいな形で受け取られています。
引用元

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06月29日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月27日(金)のブログ ]

2023年06月30日 | 東日本大震災ブログ
2011年05月27日(金)
已むに已まれず福島の教師たちが動く
 

福島の教師 東電訪れ補償要望
5月25日 16時33分  NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、避難地域にある学校が使えず別の学校での授業を余儀なくされている福島県内の高校の教師らが、

25日、東京電力を訪れ、仮設校舎の整備や学校の再開に必要な財政措置などを要望しました。

福島第一原子力発電所の事故で、福島県内では避難地域にある8つの県立高校などが別の学校を間借りしての授業を余儀なくされていて、

25日はこうした高校の教師ら合わせて12人が東京電力を訪れました。

教師らは「生徒たちは心から笑えない状態で、自分たちの学校がなくなるのではないかという不安を抱えている」と高校生が置かれている深刻な現状を訴えました。

そのうえで、仮設校舎の整備や避難所からの通学費の補償、原発事故が収束したあと学校の再開に必要な財政措置を行うことなどを要望しました。

要望を行った福島県立安達高校の杉内清吉教諭は「東京電力からは国や自治体と相談するという回答しか得られず残念だ。

困っている福島の子どもたちに対して、東京電力が責任を持って補償を行うというメッセージを発してほしい」と話しています。

一方、東京電力の担当者は「福島県の高校生の実態を伺い、非常に重く受け止めている。

補償に関しては国の制度や指針に沿って進めていきたい」と話しています。

 
 
福島原発暴発阻止行動隊に事務所も出来た

☆現場に入る希望者には技術者のキャリアを求めていますが、もう一つの枠に「賛同・応援者」があります。☆

こちらから登録ができます。

一部引用・・

「負の遺産は残さない」
原発暴発阻止に立ち上がった60歳以上の元技術者達
2011年05月24日16時00分 BLOGOS

「技術が生んだ事故は、技術で修復する。それが責任。」発起人の1人、塩谷教授は言う。

1号機に続き、2号機、3号機もメルトダウンが起こっていたことが判明した福島第一原発事故。「言った言わない」で責任を擦り付け合う政府のトップとは対照的に、

「福島原発暴発阻止プロジェクト」を立ち上げ、何とか原子炉を冷温停止に収束させようと、自らが原発に入り、ボランティアで収束作業に当たる「行動隊」の結成を呼びかける人たちがいる。

行動隊の参加資格は原則60歳以上で現場作業に耐える体力・経験を有すること。

募集を始めて約1ヵ月半、参加者は160名を超えた。日本の高度成長を支えてきた技術者達が、再び立ち上がろうとしている。【取材・構成:田野幸伸(BLOGOS編集部)】

この日開かれたばかりの事務局を訪ねた。

インタビューに応じてくれたのは、プロジェクトの発起人の1人で東京海洋大学名誉教授の塩谷亘弘氏。

「放射線に関しては、普通の人より少しだけ詳しいかな」という教授だが、理化学研究所で陽電子を使い金属材料の研究をし、筑波の高エネルギー加速研究所でX線を使用し研究を行っていた経歴を持つ。

プロジェクト立ち上げの経緯

塩谷:プロジェクトの代表の山田恭暉とは、中学から東大工学部まで一緒で、その後山田は技術畑、私は研究畑に進んだ。4月のはじめ、原発の状況がおかしいと山田から電話があり、会って分析をしてみた。どうもリスクマネジメントのセンスがない。

原発が今の状況で、何が必要なのか、誰も判ってないんだろうなと。東電、東芝の技術者の方は優秀だが、

既存の組織、既存の利害関係の中では「ここは触られたくない」という、はめられた条件の中で考えでは対応策がとれない可能性がある。

2人とも、原発で作業した経験はない。だが、お互いの経験の中で、どうしたら良いか、立ち止まって考えた。我々には40年近い経験がある。

現場で全ての状況を見て、サジェスチョンしたいと思った。

新聞発表のデータしかない中で、東電の方針はすでに組み込まれている冷却装置を何が何でも復旧させて冷やしたいというものだった。

我々は、アレだけの水素爆発が起こっている中で、鉄骨の状況などを見て、原発内部もかなりのダメージと推察をした。

ビルトインされた冷却装置を直そうというのは、作った者の発想。上手く行かないだろうと判断した。外付けの冷却装置を至急設計して設置する体制を作らねばと。

60歳を過ぎた者の被曝は、子供や妊婦や若い女性の被曝とは違う。瞬間的な強い被曝は別だが、

放射線の影響で)20年、30年後にガンの発生率が上がったとしても、影響は少ない。

経験豊かで一度引退した人間を集める必要があると思い、Webで呼びかけを開始した。

作業に参加すれば、現地にはデータがあるはず。データがあれば、どういう知識をどこに投入すればいいか考えられる。

しかし、東電に受け入れてもらわなければればどうにもならない。現地は立ち入り禁止。行ったところで相手にされてもらえない。

そこで、政府関係者、国会議員、東電へのアプローチを開始した。実際に東電の方にも沢山会った。国会議員にも何人か会えた。

全文はこちら

 
 
審査機関に御咎めはなかった 世田谷のマンション耐震偽装
 

☆新規建築の確認申請審査をする役所や官の代行をする民間機関が、偽装を見逃したケースが各地で多くあった。

住民らは検査機関の見逃しで多大な損害を受けたとして検査機関や市町村を訴えたが、見逃した側には御咎めはなかった。

この判決を見ると、確認申請と言う法律に基づいた業務は、内容のない形式的なものようにも思えるが、

反面、意図的に違法建築をやろうとする輩を法で阻止するのは難しいということでもある。

それにしても建築確認が下りていると言われても強度が信用できないとなると、普通のくにたみは何を頼りに家やマンションを買えばいいのか、裁判所は教えてくれない。

いままで調べた範囲では、自分で費用を払って第三者的な設計事務所に図面と施工をチエックしてもらうか、近所で長年やっている工務店に頼むか、

あるいは大手と言っても、面談して信頼できると判断した営業部員がいる会社を選ぶか、そんなところのようだ。

確認申請制度のない昔は、近所の大工さんが地域のコミュニテイの中で稼業をやっていたから、信用を守ってへんなことはしなかった。

しかし、近所に大工さんがいない今の時代は残念ながら、そうはいかない。

「官の無謬性」つまり、役所のやったことに間違いはなかったと、裁判所という別の役所が太鼓判を押したこの判決は、くにたみの身からは何となく納得できない。

世田谷のマンション耐震偽装 住民らの損賠請求棄却 
検査機関過失など認めず
2011年5月26日 東京新聞

 元一級建築士の姉歯秀次受刑者の耐震偽装事件をめぐり、世田谷区のマンション「グランドステージ(GS)千歳烏山」の住民ら五十八人が、

民間の指定確認検査機関「イーホームズ」(廃業)や国、同区などに建て替え費用など九億円余りの損害賠償を求めた訴訟の判決で、

東京地裁(河野清孝裁判長)は二十五日、住民側の請求を棄却した。

 河野裁判長は判決で「設計図などに構造計算書の偽装を疑わせる明らかな特徴はなく、イーホームズの確認検査員の過失は認められない」と判断。

住民側は「区が建築確認の責任を負う」と訴えたが、「検査に過失がない以上、区に損害賠償責任は成立しない」と退けた。

 また、住民側が監督責任を追及した国についても「当時、構造計算書の偽装が横行していることを想起させる事情はなく、

構造審査の基準や指針が策定されていなくても違法ではない」と判断した。

 GS千歳烏山は耐震偽装発覚後、入居各世帯がそれぞれ約二千万円を負担して解体し、新たなマンションを新築した。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

居酒屋E❝e❞の女将の川柳と俳句   「神戸新聞文芸」シリーズ14/全24回

2023年06月29日 | 居酒屋“e”の女将の俳句と川柳

○俳句二句    伊丹 公子 選

  蝉時雨 法師を連れてやってきた     09年09月14日 入選 

  ひと息を見つめ合うまま秋あかね      09年10月12日 入選

川柳一句    渡辺 美輪 選

    兼題 “本”      

  思い出をひとつ挟んで本棚へ       09年11月11日 入選


居酒屋E❝e❞ の女将が「神戸新聞文芸」に投稿した句の中で入選し掲載された句です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「危険」にまつわる名言・格言

2023年06月29日 | にんまり話

「世界が危険なのは、邪悪な人間のせいではなく、それに対して何もしない人間のせいである」
―アルベルト・アインシュタイン(物理学者)

「世界をより良い場所にしたいと願う人間ほど危険なものはない」
―バンクシー(素性不明のアーティスト)

「危険な武器を愚か者の手に渡さないことに賛成だ。まずタイプライターから始めよう」
―デイヴィッド・ジェロルド(アメリカのSF作家) " A Matter for Men"より

「最も危険な皮肉は、人間は自らの無能さのために他人に腹を立てることである」
―アミット・カラントリ(インドの実業家)

「ファッションは儚く、危険で、不公平だ」
―カール・ラガーフェルド(ドイツ出身のファッションデザイナー)

「期待値が高すぎたり、形がなかったりすると危険である」
―ライオネル・シュライヴァー(イギリスの小説家)~「少年は残酷な弓を射る」より

「これまでに担当した電気設備の中で最も危険だったのは、アメリカ最大手の電力会社だった」
―スティーブン・マギー(イギリスの著者)

「幼い頃から『危険だと思われるから』と言う理由で、人生のチャンスを逃したくないと思っていた」
―ニコール・キッドマン(ハリウッド女優)

引用元。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

06月28日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年06月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年05月26日(木)のブログ ]

2023年06月29日 | 東日本大震災ブログ
 
再びもし吉田所長がいなかったらと思うと心底恐ろしい 注水中断はなかった!
 

☆注水を中断させたと首相を糾弾していた政治家や評論家や新聞社は今晩は苦い酒を飲んでいるだろう。

まさか身内と思っていた東京電力に背後からばっさり切りつけられるとは思ってもみなかったはずだ。

とっくに吉田所長は東電の社長以下に注水は途切れず続けたと報告していた。 しかし東電本社は、それを意図的に隠していた。

  なぜ? 原子力ムラの村長つまり司令官の指示があったのだろう。

今回の注水の中断はなかったという公表は、国際原子力機関(IAEA)が調査のため日本に到着して、もはや国内抗争の論理でウソを重ねることは出来ないということになったのだろう。

   物を作っている生産現場や、建物の建設現場など現場にいた人間にはわかるが、いったん動き出したラインや作業を止めて、

それをまた再開する段取りは、とてつもないエネルギーと手間がいる。

また理由によってはリーダーの信頼感を一挙に失わせる。

吉田さんはそのことを熟知しているプロの棒心(親方・棟梁・組長)だと思う。

 それにしても、この2か月間、谷垣自民党総裁や産経などの新聞社、数えきれない御用評論家を操ってきた東電という会社は大したタマだ。

嵩にかかって与党を攻めたてていた評論家やコメンテーターの名前は控えているが、彼らの仕事はなんか虚しい稼業としか言いようがない。

そしてまた、首相の許可なしに注水を開始したなんてとても言える空気ではないと、官邸から東電本社に伝えた東電の副社長の言動は、

開戦の御前会議の模様を思い起こさせる。日本人の肝腎な時の行動指針は70年後も全く変わっていない。

70年経っても「空気で動く」我々日本列島人・・。  人には責任はなく、空気に責任がある。

 今回も、もし吉田所長が東電本社の言いなりに注水を中断していたら、今頃は東京全域も強制退避指示地区になる水素爆発が起こっていたかも知れない。

一人の現場の人間の判断が1000万人の日本人の生活を左右する・・。

 東京電力さん、ここまで来たら腹を据えて、日本を壊さないように本気でやるべきことをやってください。☆


福島第1原発:注水「中断なかった」…所長判断で 東電
2011年5月26日 21時27分 毎日新聞

 東京電力福島第1原発事故で1号機への海水注入が55分間中断していたとされる問題で、東電は26日、実際には中断せず注入を継続していたと発表した

同原発の吉田昌郎所長が東電本店と合意した中断の決定を見送り、注入したほうが事故悪化防止になると判断して継続したという。

しかし、海水注入を停止したと記載した東電の初期データや、政府・東京電力統合対策室の説明が一転否定されたことになる。

情報の信ぴょう性が疑われるほか、情報把握ができていない政府の姿勢も問われそうだ。

 24日から25日にかけて、同原発で吉田所長から事情を聴いて判明した。東電は、報告の遅れた吉田所長の処分を検討する。

 東電によると、東日本大震災で緊急停止した福島第1原発の1号機では、3月12日午後2時53分に原子炉圧力容器への淡水の注水が停止したため、海水注入の準備を始めた。

同7時4分ごろ、海水の注入を開始。同25分ごろ、官邸に派遣された武黒一郎元副社長から東電本店や発電所に状況判断として

「官邸では海水注入について首相の了解が得られていない」と連絡があり、本店と同原発を結んだテレビ会議で注入停止を合意した。

だが、吉田所長は「事故の進展防止には原子炉への注水継続が何よりも重要」と判断。本店に知らせず、海水注入を続けたという。

 この問題を巡っては、統合対策室が5月21日、東電が3月12日午後7時4分に海水注入を始め、同25分にいったん停止したと発表していた。

班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員長から「再臨界の危険性がある」との意見が出たためと説明した。

しかしその後、統合対策室は「原子力安全委員長の発言は『(再臨界の)可能性はゼロではない』だった」と訂正している。また、東電は同日午後8時20分に海水注入再開とした。

 今回、事実関係の確認に時間がかかったことについて、武藤栄・東電副社長は5月26日の会見で「海水注入に向けて努力していたが、

官邸の中の(首相の了解が得られていないという)空気が伝えられたので中断を決めた。I

AEA(国際原子力機関)の調査団が来ており、事実関係を明らかにするため、聞き取り調査し、所長から報告があった」と釈明した。

所長の説明について、松本純一原子力・立地本部長代理は「本人の記憶の中にある」と応じ、裏付けがないことを認めた。

 統合対策室事務局長の細野豪志・首相補佐官は「所長として(注水が停止した1号機の)困難を乗り越えるため(海水の注入継続という)決断をしたのはやむを得ないことだった。

ただ、結果として、発表内容に訂正が入ったのは、正確に国民に情報を伝えられなかった点で大変残念だ」と話した。

経済産業省原子力安全・保安院は注水が再開されたと記録されていることについて、「遺憾だ」と述べた。【河内敏康、岡田英、比嘉洋】

班目委員長“私は何だったのか”
5月26日 17時55分 NHKニュース
 
 東京電力が福島第一原子力発電所の1号機への海水注入について「中断しておらず、継続していた」と明らかにしたことについて、

原子力安全委員会の班目春樹委員長は、原子力安全委員会の会議後の記者会見で「海水注入の中断がなかったのなら、私は一体何だったのか。

何がどうなっているのか教えて下さいというのが、正直な気持ちだ。3月12日の時点においては、官邸と東京電力とのパイプはそんなに太いものではなかったので、

もう少しやり方があったかもしれないと思うが、やむをえなかった点もあるとは思う」と述べました。

この問題を巡っては、政府と東京電力でつくる統合対策室が21日に開いた記者会見で、事実関係を記した文書を公表し、

班目委員長が総理大臣官邸で再臨界の危険性を指摘したとしていました。その後、班目委員長は「そのような発言はしていない」と

統合対策室の事務局長を務める細野総理大臣補佐官らに訂正を申し入れ、文書は「総理から再臨界の可能性について問われた原子力安全委員長が

『可能性はゼロではない』と回答した」という内容に訂正されました。

 
 
 
スイス“原発廃止”閣議決定

5月26日 9時39分 NHKニュース

スイス政府は、福島第一原子力発電所の事故を受けて、国内にある5基の原子炉を順次、廃止にする方針を閣議決定し、

ドイツに続いて「脱原発」に向けて大きくかじを切ることになりました。

この方針は、スイス政府が25日、閣議決定したものです。それによりますと、スイス国内の電力需要の40%を賄う5基の原子炉について、

今後は、古くなったものから順次、運転を停止し、2034年までには、すべての原発を廃止にします。これについて、スイス政府は「原発の安全対策を次々に強化していこうとすると費用が非常に割高になる」と指摘し、代わりに太陽光や風力などの再生可能エネルギーを大幅に増やしていく方針を示しています。

スイスでは、今月22日におよそ2万人の市民が参加して大規模な反原発デモが行われるなど、東京電力福島第一原発の事故を受けて、

市民の間で原発への不安が広がっています。順次廃止の方針は、来月開かれるスイスの議会で審議されることになっており、正式に決まれば、

ドイツに続いてスイスも「脱原発」に向けて大きくかじを切ることになります。

スイス 大規模な反原発デモ5月23日 4時11分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、スイス北部で大規模な反原発デモが行われ、およそ2万人の市民が、

運転開始から40年を超える国内の古い原発の即時閉鎖などを訴えました。

デモが行われたのは、ドイツとの国境に近いスイス北部の町ベツナウにある原子力発電所の周辺で、22日、スイス各地に加え、

ドイツやフランスなど周辺の国々からおよそ2万人の市民が参加しました。ベツナウ原発は、運転開始から42年を迎えたスイスで最も古い原発で、

老朽化が指摘されており、集まった市民は、原発の危険性などを訴える旗やボードを掲げながら行進しました。

そして近くの広場で集会を開き、スイス政府や電力会社に対して、古い原発の即時閉鎖や新たな原発建設の凍結、そ

れに再生可能エネルギーの促進を訴えていくことを確認しました。

スイスでは、原子力発電所の導入を1960年代の終わりから進め、現在は5基の原発が稼働し、国内の総発電量のおよそ40%を占めています。

しかし、福島第一原発の事故以来、国民の間には老朽化した原発への不安や、原発推進国である隣国フランスの原発の安全性を疑問視する声も広がっており、

スイス政府はこうした動きを受けてエネルギー政策の見直しを検討しています。

 
 
被災地から 女性記者のレポート

町から子供が消える

一部引用・・

「洗濯するのに1回千円もかかる。義援金はこないし、手持ちのお金はどんどんなくなる...」。ボランティアをしていて南三陸町の避難所で出会った女性の言葉に、私は耳を疑いました。

女性によると、避難所に水道がないため、車に乗り合わせて隣の登米市のコインランドリーまで週1回、洗濯に行っているというのです。

娘たちや孫、総勢5人で避難所生活を送っており、5人分の洗濯をして乾燥機にかけたら、軽く千円はかかるということでした。

他の避難住民とも話したところ、女性と同様に、多くの人が洗濯のために隣町まで出掛け、1回千円程度を払っているとのことでした。

何よりもっと深刻な問題は、小さい子どもを抱える家族の中には、そうした不自由に耐えられず、隣町などに出て行ってしまう人が多いということです。

津波被害を受けた地域のほとんどで水道は普及しておらず、よく考えれば洗濯もできなくて当然ですが、ペットボトルの配給や自衛隊が給水する様子をテレビで見て、

何となく洗濯もどうにかなっているのではないかと思い込んでいました。これから暑くなることを考えると、何とか手を打たなければなりません。

援金についても女性は、怒りを込めて「まったく何も伝わってこない。一部だけでもいいのでとりあえずのお金を配ってほしい」と話していました

あれだけの金額を集めておきながら、これだけの被害者がいながら、役所は「有資格者に平等に配らなければならない」と思っているのでしょうか。

義援金を贈った人も、まだ配られていない人のこうした様子を知ったら、驚くことでしょう。

 全文はこちら

 
 
今何を優先すべきか

☆日本開国以来、最大の国難を受けているいま、何を最優先にしないといけないかの基本的な考え方で、同じ思いの論考がありました。☆

一部引用・・

しかしながら、目下の震災対策の本質的な課題は、「海水注入」の官邸と政府、統合本部(現統合対策室)のゴタゴタをあばくことではなく、

復興ビジョンとそれにリンクした予算を、早急に決定することである。

これは、永田町全体の責任であり、マスメディアの責任でもある。学校の校庭や農地の汚染対策、風評被害の補償範囲や額の算定方法などは、

復興のグランドデザインが決まれば自ずと一部は解決する問題だ。

どうやら、菅首相が原子炉工学の知見不足からパニックに陥り、大声をあげたかどうかは別として、斑目春樹・原子力安全委員長や武黒一郎・東電フェローら、

学者、官僚、そしてコントロール役の側近政治家までを巻き込み、がたつかせてしまったことは事実のようであり、それは率直に認め、謝ればいい。

野党だか、マスメディアだか、評論家だか知らないが、こんなことでいま“菅の首”を取ったところで、国益にはつながらないはずだ。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2011/5/25 No.584  週刊メールジャーナル  読者数10594(前回)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

◆東日本大震災によリ罹災された皆さまに対し心からお見舞い申し上げます。また、ご家族、職場、地域で、お身内、お知り合いを亡くされた皆さまに衷心よりお悔やみを申し上げます。

大震災避難民の緊急選別救済と本格復興を両立させよ!


国の最高権力者の言動は、日常であれ緊急時であれ大きな影響力を持つ。それゆえ、有能な側近があらゆる場面で素早くシナリオを書き、

権力者は一挙手一投足その通りに演じることが求められる。それが帝王学である。

まれに、本人の哲学的な思考や政治的な目的がそれに反映されることもあるが、それは、国民の安心・安全を含む、国益の範囲内で認められる。

現状、米国大統領は、グローバルな最高権力者である。ゆえに彼の言動は側近によって高度にコントロールされていることが、日常の報道を通じても、素人筋にも分かる。

ひるがえって、菅直人首相のそれは、時にコントロールされたり、されなかったり、ブレが大きいようにみえる。

帝王学などという学問は、そもそも菅首相の肌に合わないのか、それとも、最高権力者たる自覚が足りないのであろうか。

おそらく、首相就任以来、報道されたりされなかったりのさまざまな言動が、永田町での「菅降ろし」の要因の一つになっているのではないか。

あるいは、有能な側近がいないか極端に少ないことも考えられるが、「類は友を呼ぶ」で「内閣府参与」のいささか多すぎる任命も、

帝王学と異なる言動につながっているのかもしれない。

東電福島第一原発1号機の「海水注入の一時停止・再注入」も、そうしたことと連動しているのではないか。

立場をいささか忘れたような発言が、役人や学者、東電ボードを、必要以上に“ビビ”らせた可能性が高い。

しかしながら、目下の震災対策の本質的な課題は、「海水注入」の官邸と政府、統合本部(現統合対策室)のゴタゴタをあばくことではなく、

復興ビジョンとそれにリンクした予算を、早急に決定することである。

これは、永田町全体の責任であり、マスメディアの責任でもある。学校の校庭や農地の汚染対策、風評被害の補償範囲や額の算定方法などは、

復興のグランドデザインが決まれば自ずと一部は解決する問題だ。

どうやら、菅首相が原子炉工学の知見不足からパニックに陥り、大声をあげたかどうかは別として、斑目春樹・原子力安全委員長や武黒一郎・東電フェローら、

学者、官僚、そしてコントロール役の側近政治家までを巻き込み、がたつかせてしまったことは事実のようであり、それは率直に認め、謝ればいい。

野党だか、マスメディアだか、評論家だか知らないが、こんなことでいま“菅の首”を取ったところで、国益にはつながらないはずだ。

そもそも「海水注入」自体、時すでにタイミングを逸しており、このことによってすごく被害が拡大したわけではない。これは、永田町の埒外にいる、原子炉工学専門家の知見である。

それどころか、実はいまでも、毎日毎日、原発事故を含めた未曾有の大震災の被害は、どんどん広がっている。一日たりとも放置できない。

この影響で、全国の企業の3分の1が、2011年度の業績は10年度より減収減益になると予想していることが、帝国データバンクが9日発表した調査で分かった。

(『読売新聞』5月10日付朝刊)

業種別でみると、「減収減益」と答えた割合が大きかったのは津波の浸水被害や風評被害の影響を受けた「農・林・水産」(42・1%)で、「金融」が39・2%、

「建設」が38・6%と続いた。地域別では、被災地の「東北」(45・1%)、「北関東」(39・4%)が多かった。

業績悪化の要因としては、仕入れ先の被災や風評被害など「東日本大震災による間接被害」が54・1%で最も多かった。

さらに、東京商工リサーチが12日まとめた全国企業倒産状況によると、この震災が影響した経営破綻が震災発生から2カ月となる11日現在で86件にのぼっていることが分かった。

このうち倒産は46件、「弁護士一任」や「破産準備中」など現時点で倒産として集計できない「実質破綻」も40件あるという。(20日現在、破綻は100件を越えたことが判明)

大震災が、全国的に企業経営に多大な影響を及ぼしている実態がわかる。(阪神・淡路大震災時の2倍のペースだという)

減収減益予想の企業の中には、経営破綻予備軍と見られる企業が多数含まれているであろうことは、容易に察しがつく。

このことは、4・6期決算を経て一層ハッキリするだろう。サプライチェーン崩壊の影響が長引き、正常な生産体制が復興しなければ、減収減益はより深刻化する。

反面、激甚被災地域の復興需要が大きくなれば、土木建設業を始め、関連のインフラ資材製造・販売業種の収益は、短期的にせよ向上する。

つまり、わが国経済への震災による影響は、プラス・マイナス両面があることを忘れてはならない。

マイナス面の影響を抑え、震災を奇禍とするような復興計画が動き出すならば、今年度の経済成長をプラスに転じることも不可能ではない。

そのためには、広大な被災地域に対する、政府による、単なる復旧計画にとどまらない、大掛かりな復興計画が待たれるということであり、もとより、その財源論議も必要だ。

その意味では、国民的な理解と合意による、新しい国づくりともいえる復興計画が欲しいものだ。

この国民的な理解と合意を形成するためには、具体的な財政計画に裏付けられた復興計画とその前提となる農林水産業はもとより、エネルギーなど基幹産業のビジョンが提示される必要がある。

要は、しっかりしたビジョンにもとづく計画的な復興に着手しなければ、補正予算によって執行される貴重な財源がムダになるということだ。

これに連動して、前述の「減収減益」予想企業が、できれば今年度、遅くとも来年度収支予想で、「増収増益」に転じることを期待したい。

それにしては、「菅降ろし」があたかも「目的化」している永田町の現状に、多くの国民、ことに直接被災地の避難民は腹立ちさえ禁じえないだろう。

避難所生活に疲れた高齢者や要介護者、財産のすべてと職場や仕事を失った家族、入院中の病弱者などは、いままさに死へと、追い込まれようとしているのではないか。

こうした人たちを、地域コミュニティーや自治体などでピックアップして緊急に「選別救済」することは、超法規的にやらなければならない。どうして、その指示やメッセージが出せないのか。

マクロな被災に気をとられているうちに、たくさんの弱者がこぼれ落ちてしまってはならない。緊急「選別救済」にいますぐ取り組まなければならないゆえんである。

一方、マクロに必要なのは復旧ではなく本格的な復興である。例えば、遠洋漁業基地と沿岸漁業基地とを仕分けた復興、養殖漁業基地と水産加工基地の効率的な再整備が不可欠である。

農業では水田と畑作地の整理統合、商工業では精密工業団地や鉄鋼造船地域の再整備、燃料・貨物港と漁港の仕分け整備など、

これまで東北地方が担ってきた全国的なサプライヤー立地としての大規模な再編復興計画を直ぐにまとめるべきではないか。

この大震災は、これまでの行政や経済の古びた仕組みをつくりかえる好機になるかもしれないという、前向きな見方も広がっている。

古だぬき政治家が関与し、これまでのような利権に結びつく予算配分は絶対に避けなければならない。

震災を奇禍とした新しい国づくりには、若くて真面目で情熱的な、政治家、官僚、学者、企業家の協働プロジェクトが必要であり、それが動き出すまでは、

くだらない足の引っ張り合いはやめたいものだ。

その端緒が拓くまでは、必ずしも、強い最高権力者が必要とはいえない。有能な側近が書くシナリオで総理役を演じてくれればそれだけでいいだろう。

 
 
検察を取材してきた記者の思い

☆この山口氏はフリージャーナリストの上杉隆さんなどと組んで、村木冤罪事件を検察側と違う見方で報道してきて、朝日新聞の傘下の週刊誌がここまでやる?と思っていた。

 昔なら職を辞しても企業や業界のシバリが強くて、墓に持っていってしまっていた業界の内部事情や改革のタネを、こうして社会を一歩良くするために公にする傾向はありがたい。

 それでも彼らは業界で村八分に会うリスクを覚悟の上で話していると思う。捨てる神あれば拾う神あり。

こんな連中がいなければ戦前の「物言えば唇寒し」の日本がそのまま永久に続いてしまう。☆

「検察に都合がよいストーリーを書いてしまう」 
週刊朝日前編集長、「メディアの罪」を批判

5月25日(水)20時26分配信 ニコニコニュース

 週刊朝日前編集長の山口一臣氏が2011年5月23日、東京都内で開かれたシンポジウムに出演し、昨今、取りざたされている検察をめぐる問題の原因は、

権力監視を怠ってきたメディアにあるとの見解を示した。その理由については、メディア内に「検察は間違いを犯さない」と信じている人間が多いことにあると指摘。

また、検察批判を続けたことで同じ社内の社会部記者との関係が悪くなったエピソードを紹介した。

 山口氏は明治大学大学院情報コミュニケーション研究科が主催する「検察、世論、冤罪」と題するシンポジウムにパネリストの一人として登壇。

メディアと検察の関わりについて「検察の問題の大半はメディアの責任」と述べた。

さらに、山口氏は「ジャーナリズムの本来の存在意義は権力監視であるが、そこの部分がきちんと機能していないのが日本の現状」と指摘した。

続きを読む...

 
 
 
中央官僚が外国が贈ってくれた放射線線量計を倉庫で止めている?

射性物質:安全、頼りは線量計 無料貸し出しに父母殺到(毎日、5/24) 東京電力福島第1原発事故によって放射線量が比較的高い福島市で、住宅地から外で遊ぶ子供の姿が消えた。

暑い中、長袖に手袋の重装備で通学する児童もいる。市民グループが線量計の無料貸し出しを始めたところ、申し込みが殺到し途中で受け付けを打ち切った。

‥‥市内の市民グループ「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」は、原発事故後に数人で結成された。メーリングリストの登録者は既に300人。

15日に線量計の無料貸与を始めたところ、申し込みの電話が鳴りっ放しの状態となった。2週間先までの予約が2時間で埋まり、受け付けを打ち切った。

グループのメンバーは「驚きました。子供を避難させられない親が今、本当に苦しんでいる」と話す。←毎日新聞から引用。

下の動画の内容メモ: 福島議員:外国から送られた放射線計量計が何台が、どこで使われているのか、教えて下さい。外務大臣官房審議官:放射線計量計は、

米、英、仏、カナダなどから計39,400台が届いており、それらは原子力災害対策本部、東京電力、福島県などにすべて配布済みです。

福島議員:東京電力は今のところ61台しか受け取っていないということでした。まだ配っていないんじゃないですか。

外務大臣官房審議官:少なくとも受け入れは決まっていると聞いてます。福島議員:「送る予定」と、「送った」では話が違います。

先ほど「全部配布した」って言ったじゃないですか。一番必要なものが行き渡っていないんですよ。フランスからきた310個、もう1ヶ月もほったらかしになってるじゃないですか。

外務大臣官房審議官:先ほど「全部配布済み」と申し上げたのは、訂正します。すべて配布されたという趣旨ではありませんでした。

福島議員:成田に1万9000台が留め置かれているというのは事実ですか。原子力安全保安院:その点についても現在確認しておりませんので、ムニャムニャ。

福島議員:事前に質問通告しているのに、確認していない事自体が問題です。

普通だったら、どれだけの個数が届いて、こう配りましたという報告が国会でされるべきなんですよ。詳細を大至急報告してください。

☆このやりとりを聞いていると意図的に放射線の線量を福島県民に計測させないように画策しているのでは?と思ってしまう。

この高級官僚たちは誰の為に仕事をしているのか?国民のためではないのか☆。内容メモはこちらから引用。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館への道すがらにある丸い葉の木やパンジー

2023年06月28日 | 花・草・木・生き物

図書館に行く道の路傍ではいろんな木や花を楽しめる。

この日図書館で一冊返し 予約本のNHKの放送大学の「方丈記と徒然草」に関する番組で知った「島内裕子」さんの本「響映する日本文学史」を借りた。

『古今和歌集』から夏目漱石まで、つながりを知れば文学はもっと楽しい!

古典から近代に至るまで、ひとつの文学作品はまた別の作家を産み、作家たちはまた新たな作品を作り続けてきた。

たとえば、『源氏物語』に引用される古歌は在原行平が須磨を訪れたときに詠んだ和歌を踏まえているのは有名な話だが、

さらに、謡曲を愛した夏目漱石は「涼しさの闇を来るなり須磨の浦」という俳句を残している。

またその夏目漱石が執筆した『草枕』は、刊行から六十年近い歳月が経ってから翻訳され、カナダのピアニスト、グレン・グールドの座右の書となったという。

その後、日本では、グールドと『草枕』の研究が進展している。

それぞれの関連性を軸に、「響映」=「響き合い、映じ合う」という視点から史実をひもとくことで、新たな日本文学の姿を明らかにする。

まるで物語のように読み進められる、ドラマティックな文学史入門。

私は、これまで自分の著作の中で、しばしば「響映」という言葉を用いて、日本文学を研究してきた。

「響映」という熟語は、ある時、ふと、心に浮かんだ言葉だった。意味は、読んで字の如く、「響き合い、映じ合う」ことである。

今のところ辞書などにも出ていないようで、見馴れない熟語かもしれないが、本書を執筆しながら、この「響映」という言葉を書名に出して、

響き合い、映じ合う文学史の姿を明らかにしたいと思った。本書の各章それぞれが、日本文学の新たな読み方への扉となれば、幸いである。(「はじめに」より)

❖目次
はじめに
第一章『古今和歌集』の影響力
第二章『源氏物語』と日本文化
第三章『和泉式部日記』と『更級日記』の近代性
第四章批評文学の源流、『枕草子』と『徒然草』
第五章謡曲というスタイル
第六章松尾芭蕉の旅と人生
第七章本居宣長の学問
第八章和漢洋の体現者・森鷗外
第九章夏目漱石と、近代文学のゆくえ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和50年代の海外あちこち記   その24  台湾/高雄篇      向田邦子さんの飛行機事故から一週間後のフライト。 高雄港のタクシー事故で死にかけた。

2023年06月28日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1、台北ー高雄

台北から台湾南部の工業・港湾都市の高雄には汽車(中国語では火車)もありますが、時間がかかるので高雄の「中国鋼鉄公司」へ行くときは飛行機に乗って移動しました。

離陸しすぐ上昇し、水平飛行なしですぐに下降するくらいの感じの飛行です。

 ある出張の一週間前、好きな小説家の向田邦子さんがこのルートで飛び、飛行機の空中分解で満員の乗客とともに亡くなりました。

後で上昇、下降のくり返しから来る機体の金属疲労が原因ではないかと新聞に出ました。一緒に行った人が今回は汽車で行こうと言いましたが、

今まで一週間後に同じ飛行機事故は統計的に起こってないから、飛行機で大丈夫と言いましたが彼は汽車、僕は飛行機と別れて乗りました。

当時日ごろは、どのフライトもチケットが取れるかどうかいつも満席で大変な頃でしたが、乗ったDC10は乗客が全部で5人か6人でした。

大丈夫とは思うものの着陸するまではさすがに落ち着きませんでした。

                           「父の詫び状」や「あ、うん」など、毎年恒例の正月の向田さん原作のテレビドラマは欠かさず見ます。

2、もう一つ高雄で。

港湾クレーンの件で高雄港に行った帰りに乗ったタクシーが、この国のいつものように飛ばしていました。  小雨がパラついてきて嫌な予感がしました。

向こうから鋼材を積んだ大型トラックがこれまた、飛ばしてくるのが見え、ウインカーを出さずに、タクシーの前で急に曲がりました。

ウンチャンが「アイヤー」と言って、ブレーキを踏みましたが、港への引込線なのか、車輪が濡れたレールの上を走っていたので、

タクシーはスリップしてゆっくりと回転しながらトラックの後ろにはみ出た鋼材の方に近寄りました。ああこれでオシマイと目をつぶったとき、

鼻の先をトラックが走り抜けました。 反対方向を向いて停まったタクシーのウンチャンはさすがに青い顔をして荒い息をしていましたが、

暫くして車をまわしてホテルに向かいました。ああいう時は床に伏せることも出来ず、ただ迫ってくる激突の瞬間をスローモーションのように待っているだけでした。

今は台湾でも車があんなスピードで走っていないと思いますが日本でも神風タクシーと言われた時代があったように、

モータリゼーションの初期の国はどこも交通ルールはあってないみたいなもので、結構交通事故にあった日本人も多かったです。

  2002年ごろ記す。画像はいずれもネットから引用。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする