5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

伊勢湾台風60年

2019-09-26 21:36:46 | 行政

9月26日、満75歳になった。晴れて後期高齢者の仲間入りである。誰も祝ってくれないのでスーパーで「シャインマスカット」を一房買って、ゆっくりとその高貴なる甘さを堪能した。種なしで皮ごと食べられるのは年寄向きでもある。

我が誕生日は覚えやすい。台風の特異日だからだ。この地方に影響を及ぼしたのはやはり昭和34年(1959年)の伊勢湾台風だろう。今年で60年になる。潮岬から伊勢湾に入り愛知県西部を袈裟懸けにして走り抜けた秋台風だった。夜間の高潮、台風のスピードによる烈風だったことなどが災いして、浸水被害は30万棟、全壊流失家屋は4万棟に及び、死者行方不明者は5098人と明治以降で最大の犠牲を出した。

1954年に死者行方不明者1761名を出した洞爺丸台風、1958年に同1269名を出した狩野川台風も9月26日に来襲したものだ。今日の中日夕刊「夕歩道」にはこうある。

『「人災」は地質学者の小出博の造語だという。風水害のほんとうの原因は、自然の猛威より、むしろ対策を怠った人間にあるということを世間に訴えたのである。

伊勢湾台風後の1961年、災害対策基本法が制定されて、それ以後は犠牲者が千人を超す台風被害は出ていない。理由があってのこと。人災という造語に込められた先人の警鐘をわすれてはなるまい』

このコラムを書いた夕歩道氏の頭には、9月9日に千葉県を中心にした関東一円を襲った台風15号と、それが通過した後の政府自治体の初動の悪さによって被災者支援が滞り、市民生活の根幹たるインフラが今もって完全復旧をしていない事実の認識があってのことだろう。

「未曽有の」とか「経験したことのない」とかいう自然現象の規模を表す形容句はくりかえし使われるのに「人災」という当事者責任を問う厳しいことばはまるで聞かれない。「ハウデアユウ」という耳に痛いことばを使う勇気は、日本の為政者やエスタブリッシュメントの中から消えて、相手の顔色を窺う卑屈さが表に出てきた。平成30年間の経年劣化である。

20日の名古屋市議会の都市消防委員会で、68歳の女性議員が「伊勢湾台風のせいすごく街がきれいになった」という発言をしたが謝罪がないと大手新聞が書いている。事の是非は別にして、68歳といえば、台風当時は小学校3~4年生の子ども。しかも高潮の経験のない山側に居住していたということなら、この発言、さもありなんだ。60年前には、名古屋市長も小学生だったはず。市民に向かって「大型災害に対する準備を怠るな」という市長や市議の「人災意識」がどの辺にあるのか。

それが判るのが大ごとが起きてしまってからというのでは遅すぎるのだが。



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