ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

今年も完走 胎内市ロード大会20km

2014-11-03 17:24:35 | RUN

胎内市ロード大会。
RUNNETでも公開されたから、参加者が少しだけど増加。
駐車場に車を止めようとしたら、スペースはあるのに、おバカな車が後ろに行けないように通路をふさいでいた。
その車の横を無理やりぎりぎりで通って車を止めた。
受付を終え、今年は、参加者がどのくらい増えるかなと思いながら、要項を開くと、「おお、30人余りいるじゃないか!」と、ちょっぴり感激。
ところが、ここから健康診断に並ぶと列がなかなか進まない。
それもそのはず、血圧を測る機械が手動で、おまけに2人がかりでやっている1台が故障中。
私のデータもいつになく高血圧!?
それでいて、2回も行った上に、「本当はもう少し低いのでしょう?」などと聞くようでは、何のための健診?
まあ、医師から聴診器を当てられても、心音の異常はなかったのでよかったのですが。

心配していた天気は、スタートするとトラックを2周余りする間、横なぐりの雨とバックストレートコースでの強い向かい風。
5kmの途中までは、10kmと20kmはコースが同じである。
そして競技場を出てからの向かい風と雨。誰か風を防ぐ人になってくれればいいのだが…と思うのだが、みんな結構速いランナーばかりで、次々と追い越されていく。
4kmに届かない地点で、もう5km過ぎの折り返し地点を回ってきた10kmのランナーたちが次々と反対車線を駆けてくる。
あれが、今年開校した開志国際高校の外国人留学生、そして同級生のランナーたちが。
その後ろから次々と重川材木店の青年ランナーたちが、行く。
4kmを過ぎたところで最初の給水点。
新潟シティマラソンと違って、このレースは水だけ3か所。
新潟シティマラソンでは、水のほかにアミノバリュー
南魚沼グルメマラソンの手厚い給水が懐かしくうらやましい。
上り坂があったので、4kmまでは5分10秒台で行けたのだが、5kmでの1kmは初めて5分20秒台であった。
その後は正直なもので、上り坂が入るとタイムが落ちる。
風は相変わらず強いが、雨は上がった。
風に負けないようにと体を前に傾けながら走っていた。

いつもより無理のないペースで走っているので、気持ちはいい。
沿道の人々の声援に、いちいち「ありがとうございます。」と声を出しつつ走っていた。
途中で反対方向から来た車が止まり、窓から顔を出した知り合いが叫んだ。
「ふるさとを、颯爽と走れ!」
うれしかった。「ありがと~す。」と拳を突き上げて応えた。


中間地点の手前で、小さい頃から「お姉ちゃん」と呼んでいた従姉が待っていてくれた。
中間地点、折返点を過ぎた。

目は自然と向こうの墓場に行く。

両親が眠る墓がある。
再び従姉に会い、ハイタッチして元気をもらう。
残りはあと半分、10km弱だ。

今年は、帰路が追い風だった。
そのおかげで、ペースが落ちても、5分20秒台から30秒台で走り続けることができた。
今年の15kmの関門は、2時間であった。
去年までは1時間20分だった。
今年は、1時間19分59秒でそこを通り過ぎた。
去年までと同じでも、今年も突破できたじゃないか!!?…と自賛した。

今回の最大の驚きは、前半途中で追い越して行ったSさんである。
よく似ているのでてっきり彼の弟かと思ったのだが、本人であった。
高校時代は、運動はからっきしだめだったはずである。
その彼が、淡々と20kmを走り終えて、私の600~700mくらい前でゴールしていたのである。
人は変わるんだなあ、と改めて思った。
ゴール地点で再会し、彼がカメラで何枚か撮ってくれた。

今年の私は、参加者が増えたので、去年のように最下位ではなかった。
記録も、1時間43分台の一昨年ほどよくなかったが、去年の1時間52分台を大きく上回る1時間47分台であった。
やはり後半はスピードが上がらなかったが、最後まで気持ちよく走り切ることができた。

これで、今年の大会出場は、終わり。
4月の笹川流れマラソンは欠場したものの、1月の村上市元旦マラソン10km、6月の関川マラソン12km、10月新潟シティマラソン21km余、11月胎内市ロード20kmと走り切ることができたことを喜ぼう。
年々走るスピードは遅くなるけれども、可能な限り走り続けていきたいものだ。


コメント
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