3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

カツオ

2010-03-31 20:25:20 | 徒然
今日、仕事から自宅へ帰ると、
俺が大学生時代5年間(1年多いけど気にするな)働き続けた塾の、
初めて卒業させた中3の生徒から大学受験の結果や、高校時代の報告等の手紙が届いた。

仕事が忙しくても、
やるべきことが山積みでも、
どんなに単調な毎日でも、
こんな嬉しい日があればまた明日も余裕で生きていける。


最近メールが趣味と書いたが、勢い余ってFacrbookに登録してみた。
基本は日本人以外とコンタクトを取るつもりだ。
日本人ならmixiで十分だし、そもそもmixiだって全然友達の数少ないし。

何よりあの繋がりを簡単に切りたくないってことが主な動機。

何かしら英語の勉強になるかと思い、言語は英語で設定し、友人にメッセージ送るのは当然のこと、
各種の設定や、管理なども全て英語で行っている。


ひどく個人的な日記で読む人は全然面白くないと思うが、そもそも人のために書いているものじゃないので全然オッケーだ。

韓国の仲良くなったキム君にもこれから連絡取ってみよう。




今日もこれから飯食ってファミレスに勉強しに行く。






〇I〇I

2010-03-29 21:02:08 | 徒然
これで「マルイ」って読ませるのは今となっちゃ当たり前に感じるけど、
最初に実行した時はかなり実験的な試みだと思いませんか?

って事を考えながら先週の土曜日に新調したスーツを受け取りに行った。

昔はスーツは高いものばかり来ていた。
しかも原宿まで買いに行ったりしていた。
なぜかバーバーリーのブラックレーベルづくしになったりしていた。
シャツ、ネクタイ、ベルトまで全てバーバーリー。
まあ、体めっちゃ細いんで、似合っていたとは思いますよ。

最近は原宿まで行くことはなくなったが、それでもスーツはいい物を着たい。
前に塾で働いていたとき、仕事のときは常にスーツだった。
俺にとっては勝負服ってか戦闘服なわけだ。
そこだけはこだわって頑張っていた。今回買ったのも結構いいやつよ。


前回の日記を読み直してみると少し怖い。
何か必要以上に自分が切羽詰っている感じがあるのも確かに怖いんだけど、
実際に俺が書いた事がその通りで怖い。
肝に銘じておこう。

俺のブログなんて読んでる奇特な人は時間がないなら日記なんぞ書いてるなと思うかもしれないが、
俺から言わせて貰えば、お話にならんよって話だ。
時間がとてつもなく速く過ぎていくからこそ、日々の考えたことや日常を記しておくことに意味があるんだ。
こんなものもしかしたらもう二度と読み返すことはないかもしれない。
ただ、その余りに速い日常をほんの少しでも忘れないように、その貴重な時間を文字として残しておくことに意味があるんだ。

そんなことすら判らない様じゃ人生を反省したほうがいい。

あ~俺この1年何したっけなーなんて反吐が出そうな台詞吐くような人生は生きたくないし、生きているつもりもない。
何か嬉しかったことも、どうしようもなくダメダメだった日も、ただつらつらと考えたことを垂れ流した日記も何かしら俺の今を反映している。
その今を切り取って文字として取っておくって事が将来、俺にとって何かしらの財産になると今のところ信じている。
財産なんて大げさな言葉じゃなくていい。蓄えでも、思い出でも何でもいい。

もしかしたらこんなものただのメモリの無駄遣いかもしれない。
だったらだったで別にいい。
だからどうした。

そんなこと後10年は気付かないでいい。



そんなこんなで今日キーボードを打ちつけ、書きなぐる。






No Time

2010-03-27 18:20:02 | 徒然
おっす。

いきなりだが、書いておこう。

俺には時間がないことに気付いた。

なんか最近とても焦っている。とにかく俺には時間がないという意識が抜けない。

何に対して時間がないのかというと、自分のやりたいことが腐るほどあるくせに、日常に追われ全く手が付けられていないという状況もさることながら、一日、いや一週間に対する時間の無さを痛感している。

実際に時間は探すものと言うよりも作るものっていう言い分は存分に理解している。
けど、実際には絶対に外すことの出来ない時間ってのがある。
その外せない時間を差し引いて、残った自分で自由に使える時間よりもやりたいことが増えてしまったらそれは物理的に不可能だ。単純な話で。
一日の中で10時間働いている人間が、毎日10時間スタジオ入るのはむりでしょ、だって。

こうなったら絶対外せない環境の方を変えるか、もしくは自分のやりたいことを削減するしかない。
まあ、こんな時間に日記を書いている俺が書いても全く説得力が無いか…
一週間が長いって思うときもあるが、それは単純に仕事で疲れているだけだし。逆に一週間が速いって感じる時はそれはそれですっかすかな気がして怖い。
取り返しのつかないものがとてつもない勢いで過ぎ去っているような恐怖感を覚える。

プライベートを言い訳にして仕事に支障をきたす人間がいるが、俺はそのような人間を断固拒否し、俺は絶対そのようにはなりたくない。
プライベートで大いに楽しむのは結構なことだが、それが膨張して仕事に支障をきたすような人間、自分のキャパも踏まえていない、身の程を知らない人間だ。

しかし、普段日常的に働いている人間が何かほかの事を充実させようと思ったらかなりの犠牲というか覚悟が伴うものだ。
それを両立させている人間の話を聞きたい。

今年も速かったなーなんていってる場合じゃないことに気付いた。

しかもつい最近、誕生日を迎えた事もあり、またひとつ歳をとってしまった。
もう四捨五入したら30歳になってしまう。
それまでにやっておきたいことが腐るほどある。
そしてそのタイムリミットも刻々と迫っており、その時間の流れは最近異常に速く感じる。
これは非常に怖い。
何て言ったって取り返せないからね、一生。

焦ってばかりなのはよくないな。
余りに悲観的に感じるのはよくない。

けどそんな事すら気付かず全く焦る気持ちが無いような人間は一番問題だと思う。

もしもこの日記を将来の俺が見て、羨ましいなと感じたとしても、
お前の時間は二度と戻らない。


だから、俺には時間が無い。
本当に時間が無いんだ。







夢・侵入。

2010-03-25 21:27:16 | 映画
昨日は久しぶりに自分でも納得できるほどに勉強ができた。
このまま軌道に乗り、今日も颯爽と新宿に向かう。

そして精算機で乗り越しの金を入れようとして、会社に財布を置いてきたことに気付く。
仕方なく家まで帰る。
なんて無駄な時間だったんだ、あの20分は。

そんなこんなでモチベーションが下がり、合理化も甚だしく日記なんぞを書いている。

ケンブリッジ時代のTAとの英語の文通(メールで)が楽しい。
とても勉強になる。彼から送られてくるものは“本物”の表現に違いないので、
パクってしまえば、これ正しい表現なのかな?とか、これ本当にこういう時に使うのかな、なんていう心配が不要。だって実際のネイティブの表現だからね。
何の迷いもなく、堂々と使うことができる。

教育に関係することの勉強はちょくちょく進み出したが、国連英検の勉強が滞ってしまっている。そろそろ本格的にやらなければ…

あ、上野の「大哺乳類展」に行きたくてしょうがない。
ちょうど一年前には全く同じ場所で催されていた「大恐竜展」に行っている。
この渇望を早い内にどうにかしないと禁断症状が出ると思うので、今週末くらいに行こう。
そこまで遠い場所じゃないしねって気分で行くと結構遠いんだよな、上野は。


三連休だったが、俺はほとんど勉強はせず、映画を5本見た。
映画って言ったら正確ではないか。DVDを5本見た。

「連休にDVDを5本見た」

なぜ、DVDと書いた瞬間、こんなにも暗く響くのだろう…

俺のチョイスが俺の中の深層心理を表象したものであったかは知る由もないが、
何か無意識の訴えが表出したかのようにメチャクチャなチョイスであった。
よく考えて、これらのチョイスから自分の中の何かを見つけようと思う。


①「8mm」

→ニコラス・ケイジのやつ。
題材はもっとサスペンス的要素が強いかと思って借りた。
スナッフフィルムが題材なんだけど、題材が題材だけに貴志祐介の「クリムゾンの迷宮」を思い出した。あの本は面白かった。
題材はとてもいいのに、もうちょっと面白く出来たんじゃないかって感が強かった。


②「天空の城ラピュタ」

→俺の利用するレンタルビデオ店は余りに品揃えが悪く、どれほど悪いかというと、俺が足を運ぶと絶対に「ラピュタ」がレンタルされているという程だ。
これがもしも偶然だったとしたら天文学的数字だと思う。
そしてついに借りることができた!

家に帰って再生してみると、読み込めず…

大したもんだよ、あんたのバカも(幻海風に心を込めて読んで頂きたい)

俺は「ラピュタ」をいつ見ればいいんですか?


③「パプリカ」

→これは面白かった。一番自分的によかった。
まず描写がいい。混沌としていてぐちゃぐちゃしてて、ごちゃごちゃしてて、夢の中の何でもあり感がとてもいい。非現実的なのがとてもよかった。
あと、精神をやられた人の目が、顔がいっちゃってるのもよかった。
大槻ケンヂの「オモイデ教」っぽくて、サイコな感じでね。
最初のオープニングのパプリカが出てくるところの映像がとってもかっこよかった。
あと平沢進の音楽もいい曲だったな。


④「少年メリケンサック」

→いまさら感が強いが気にしない。
元(今でも?)バンドマンなので、その分楽しめるところが多かった。
あの主人公の彼氏の人は演技上手いのかもね。本気でムカついたもん。
工藤カンクロウの脚本だけど、あの人は一体何に興味があって何を考えてるんだろう。
常に面白いことを考えてそうなイメージはあるけど。
銀杏ボーイズの峯田がクソダセーダンス踊ってたロケ地は何げに地元で俺も何回も行った事がある場所。あの峯田があそこであんなダセー踊りしてたのを見れて感激だ。

キャスティングは豪華だよなー。田口トモロヲとか、銀杏とか、ピエール瀧とか。
ちなみに俺はGOAの曲のイントロが一番よかったw


⑤「エスター」

これは俺の先輩が飛行機の中で見て放心状態になったっていうレビューを見て、ぜひとも見てみたいと思ったもの。これも面白かった。
特にあの設定は秀逸だね。してやられた感がある。
原題はThe Orphan(孤児)。こっちのタイトルのほうがいいかも。孤児って言葉がまた皮肉っぽく響く気がする。終盤のサールンインスティトゥートとの連絡が始まるくらいからのゾクゾク感は最高に面白かった。
ただ、唯一、ラストはちょっと微妙だったかな。
俺ならもっとドろっとした歪な形で終わらせるのにって思った。



とんでもないチョイスだ、改めて見ても。

疲れたからちょっとは勉強して12時くらいに寝るとしますか。
最近、3冊目の単行本の編集業務がめっちゃ忙しい。

頑張れ、俺。


日本語講座

2010-03-14 17:41:54 | 英語
こんんな時間に更新してみる。
昨日見た世界弾丸トラベラーはあまり面白くはなかった。

こないだ韓国に行ったときの追記を書こうと思う。

新羅大学校の日語日文科の生徒とすごく仲良くなったという話を書いたんだけれど移動中のバスの中や、夕飯時など彼とずっと話をしていた。

俺自身が言語にとても興味があり、加えて全く未知の言語を第二言語として生徒に教えようとしている立場に就こうとしているのもあり、さらに俺は編集者と言う立場で、さらに国語を担当しているので日本語の知識は絶対に欠かせない立場にいるのである。

彼との話は本当に勉強となった。
なぜなら彼が話しているのは当然、第二外国語としての中間言語であり、彼の話す日本語から日本語の特に難しい部分を知ることができ、改めて日本語を見直すきっかけとなったからである。

大変失礼とは知りながら、彼の話す日本語で間違った部分をメモっておいた。
あ、断っておくがその場でメモった訳ではない。
それは本当に失礼になっちゃうから。
語学検定の面接官じゃあるまいし…

後で寮で思い返して持っていったメモ帳に記しておいたってことね。

全て書くとまた膨大な量になっちゃうので、俺が特に印象的だったいくつかを書こうと思う。

まず、一番多かったのが、

「頑張るしたい」
「寝るしたい」
「行くしたい」

という表現だ。

確かにこれはよくよく考えてみると難しいような気がする。

「頑張る」は普通に現在形の終止形で正しい表現。
そこに英語で言うwantの「~したい」って表現をつけることによって、
「頑張る」の「る」が「り」に活用し(この場合活用って言葉で正しいのか?)
「~したい」の「し」が同化してくっつくわけだ。
で、「頑張りたい」という訳だ。

「行く」という終止形と「~したい」をくっつけると、当然「行きたい」となるわけだが「く」が「き」に活用し、「~したい」という「し」は脱落する。

確かにこの活用は難しいと思うな~。
英語とかwantの後ろにtoで繋いで後は動詞の原型をぶち込むだけだもんな。
上記の様に「行くしたい」って終止形に全部「~したい」をつければいいというものだったなら楽でよかったのにね。
それを俺たちは何の考えもなしに不自由なく脊髄反射で使ってるんだ。
言語直感、要は母語の賜物ですね。

次に似たようなものでは、
「~するですので」って表現。「行ったですので」

これも難しいよな。
「~する」+「~ですので」=「~しますので」
俺も説明ができません。

まず、「する」が「します」になっちゃうのが、彼にとって見たらなぜ?っ感じだろう。
俺もここに改めて書いてみて、なぜって思った。
敬語ってよく考えたらとてつもなく複雑だ。俺もぜんぜん完全には使いこなしていない。
てか初学者のレベルでは敬語とか意味不明だろうな。
しかも相手を敬う場合と自分が謙る場合とでまた表現が異なってくる。
め、めんどくせぇ…

しかも敬語の話になったときに、どんな人に対して使うのかって聞かれて、少々困ってしまった。目上の人って言ってその言葉を理解してもらえるとも思えなかったし、年齢が上の人に使うっていってもそれは果たして本当の定義なのか怪しかったし、どのような人に使うのかってズバッと説明するのは結構難しいなと。

で、俺が言った的外れな説明が、

「高い人に使う」

本当に意味不明だ。日本語を使用する日本人失格レベルのこの説明。

年齢的にも「高い」人、身分(この単語がまた面倒くさいけど)も「高い」人って事でこれが判りやすいかなって思ったんだけど全く意味不明だね。
で、今よく見たら、「背の高い人」、要はa tall man に使うように誤解されるきらいがある。ぜんぜん説明になっとらんですね…


この流れで、

「安い」の反対は「高い」
「低い」の反対も「高い」

これとかもめんどくさいよね。俺らは全然問題ないけど(問題あったらまずいけど)
普通に「高いね」って言ったときに彼は文脈で判断しなきゃならないんだから。

あと、説明に困ったのがこれ。

「雨が降ります」と「雨が降っています」の違い。

これは難しいよ。

ある雨の日にバスの中で彼が「雨が降りますね」って言った。
俺はこういう状況のときは「雨が降っている」だよって言った。

これは実際に現在降っているのだから、「雨が降っている」でOKだ。
それはいいんだけど、

じゃあ、「雨が降ります」ってどのようなときに使うのかを説明しようとして、暫し悩んだ。

よくよく思い返して「雨が降ります」という言葉を使う状況を浮かべようとするが、
思いつくのはひとつしかない。

それは、今は降っていないが、これから雨が降る事を知っている状況下で使うって事。

これ以外に何かありますか?

「雨が降ります」って表現は未来に雨が降るだろうという時にしか使わないような気がするのですが。気のせいでしょうか。

で、何でこの表現が未来のことを表すの?ってことを考えてみる。

丁寧語をとってみたら「雨が降る」だ。
これで終止形なんだから、「降る」だけで未来のことを表すのは不思議だ。
だが、実際に窓の外に雨が降っている状況で、
「雨が降る」とは言わない。「雨が降っている」となる。

なんででしょう。

「雨が降る」って言う動作(?)自体が進行形しかあり得ないからかな。
終止形は確かに「雨がふる」だけど実際に俺らが体感できる状況は「雨が降っている」時しかありえないからね。

英語でも普通に現在形で未来のことを表すことをする。
しかしこの場合、じゃあ、純粋に「雨が降っている」という表現を進行形と取って単純な現在形にしたら「雨が降る」となるが、この表現は現在で使うと未来のことを表現してしまうというおかしな状況が生まれる。

けど、よくよく考えてみたら、日本語の一動作動詞の終止形は全て未来を表現しているよな。
本当に純粋に現在を表す表現は進行形になっちゃうわけだ。

「私は日記を書く」ってのもこれから書くことだし。
「俺はお前を殺す」って言ったら現在のその瞬間には殺してないもんな。これから殺すわけであって。

英語みたいに現在形には日常の習慣的動作や進行形の代用、未来の代用といった意味が存在しているのでしょう。単純ではないわけだ。


難しい。

似たような感じでは
「おなかが空く」と「おなかが空いた」

これも一緒。

現在おなかが空いたときに「おなかが空く」とは絶対に言わない。
「おなかが空いた」となるわけだが、
じゃあ、「おなかが空く」ってどういう表現なのかというとまた未来じゃないか?

「朝飯抜くと、おなか空くよ」みたいな。

逆に「おなかが空いた」は現在で使う。

この表現は過去のことを表しているのではなく、英語で言う現在完了形として使われているのだろう。現在完了形が表現するのは一定の幅を持った終着点が現在のことだからね。

「(今現在、)おなかが空いてしまった」ってついにおなかが空くという状況に至ってしまった(完了した)とことなんだろうと思う。

ちなみに「おなかが空いている」といえば進行形で当然現在に使える。

難しいね。言葉って。本当に。

「覚えますか?」と「覚えていますか?」の区別も同様に難しい。

「覚えます」の場合は、これから何かを覚えようとしているのかどうかを現在の段階で聞くときに使う。
あんまり使う状況ないけど…
「これから何かを覚えようとしますか?」ってこと。
「ここはテストに出ないけど、お前、この部分覚える?」みたいな感じか。

逆に「覚えてますか」って「て」が入ると、過去のことを現在の段階で覚えているかどうかを聞く表現だ。
「ここはテストに出たけど、覚えてる?」とか。

疲れた…


しかもそのように中間言語を話す人と話すときには、彼の言わんとしていることを汲む能力が非常に必要とされるなってことを実感した。

彼は「最近」という言葉を言いたかったらしく、
何度も「今日の周り」のことを何て言うのでしたっけって聞いてきた。

最初は何言ってるんだ?と判らなかったが、
おととい、きのう、今日というこの辺の今日の周りは何ですかって聞かれてようやく理解した。

「今日の周り」=「最近」か… なるほどね。







10000キロの距離

2010-03-09 18:58:53 | 英語
最近の趣味はメールである。
最近メールを送るのが楽しくて堪らない。
俺は携帯を買って貰ったばかりの中学生か。

と言っても素晴らしさに気付いたのは携帯ではない。
PCのメールだ。

もともとPCのメールはあまり開かない。専らデータ保存用。
USBメモリを持っているのにも関わらずすぐに紛失するため、
何か家のPCで作ったデータ等を持ち歩く際には、ホットメールで添付して自分宛に飛ばすということをしている。
で向こうでまたログインして受信箱に入っているデータを引っ張り出すって訳だ。
これはとても便利である。ネット使える環境であるならば。

しかし難点としては、受信箱がとても寂しくなるということだろうか。

当然、受信箱には友人からの楽しいメールなんぞはほとんど無く、
自分のアドレスからの受信メールがバーっと表示される。


で、なぜ俺がメーリスト(今ここで俺が作った)になってしまったのかと言うと、
きっかけは先週の金曜日。決戦はいつも金曜日だ。
きちんと筋道がある。そして長くなった。

ず~っと前にも日記で書いたんだけど、
通称「太陽」と呼ばれている素晴らしい後輩がいる。
彼のモチベーションの高さ、行動力、興味、人生設計…
何をとっても真剣で、見惚れてしまう。本当に見習うことが多い。

そんな彼がこの度大学を卒業することとなり、地方勤務なので、
行く前に一度語ろうかということになった。
まあ、俺が彼からモチベーションを貰いたかったというのが大きい。

そこではとても有意義な話をし、充実した時間を過ごすことが出来た。
企業のこと、日本のこと、政治のこと、留学のこと、海外の文化のこと、旅行のこと、
以前は同僚だった塾のこと、英語のこと、中国語のこと…
まあ、ここでは割愛。

そして最後に彼がオクスフォードに留学していたときに取っていた国際政治論の授業のFinal examであるプレゼンのパワポを見せて貰った。
本当に努力をしていたのがそのパワポから見て取れた。
彼は何があってもこのデータだけは捨てないって言っていた。
それだけ自分で言えるようなものを努力して作ったこと自体がそもそも感嘆する。

で、俺も実はケンブリッジで受けた“Laughing matters”と“Contemporary Blitish Society”の授業のパワポも自分のプレゼンのパワポも、ついでにICレコーダーで録音した俺のプレゼンの音声まで取っていてある。

で、当然、交換しようってことになる。

お互いに興味がある分野、しかも海外の授業のパワポを入手できるなんて非常に嬉しい。


そんなこんなで家に帰ってPCのメールを開いてみる。
相変わらず自分からのメールばっかりなのだが、ごみ捨てがてら少し遡ってみると、俺がケンブリッジにいたときのメールに行き着いた。
そこで普通にTAとか授業の先生とかとメールしてるのを見ちゃって、
イギリスで授業を受けていた時の記憶とかが一気に巡ってきた。

気付いたら、急に一番お世話になったTAと授業の先生にメールを送ってしまっていた。
向こうから帰ってきてすぐの頃はメールを送ったりもしていた。
しかし、この一年間すっかり忘れてしまっていた。
なんかあともう少しで、俺は本当に貴重な繋がりを断ってしまうところだったのではなかろうか。

まず、TAの方だが、アドレスに“cam”って文字が入っていたので、
もしかしたらと思ったのだが案の定、繋がらなかった。
そう、彼はすでに大学を卒業してしまっていたのである。

しかし、まだ望みはある。
授業のレヂュメを引っ張り出し、先生のアドレスを確認する。
思いを託し、送信する。








返信が来た。
このときは本当に嬉しかったね。

そしてそのメールの内容も本当に嬉しかった。

お互い近況報告をする。たかが近況報告なのにとても楽しい。
向こうもハイテンションな文面が非常に嬉しい。
何より俺のこと覚えててくれたのが本当に嬉しい。

今度イギリスに来たときには連絡してくれって言っていた。
そしてTAのアドレスも聞くことが出来た。

今は英語でメールを作るのが楽しみで堪らない。


なんて素晴らしいんだろう、メールって。
10000キロの距離を一瞬にして埋めやがった。

何より、貴重な繋がりが切れなくてよかった。




ってわけです。