創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

粘土調整

2019年04月30日 | 日記

調整用にと乾燥させていた粘土、

水分も飛び、ようやく溶かす時が来た。

外流しで道具など準備し、

時間をかけて慎重に粘土の調整を行った。

幸いにも雨に降られることなく、

順調に作業を進めることが出来た。

磁石で細かい鉄粉などを取り除き、

ドベ鉢(素焼製)に移し替えて水分が飛ぶのを待つ、

繰り返し繰り返し、地味な作業を続けた。

ある程度の水分が飛んだところで、

やわらかい粘土を重ねて盛っていく作業開始。

手で揉める頃合いで、ナイロン袋に保存して寝かす。

 

いまなお土練機が使えない現状、

大量生産の作品作りではないので、

これくらいが丁度いいと言い聞かせての作業続行。

 

 

 

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夏野菜の植え付け前に。

2019年04月25日 | 日記

急いで夏野菜の準備を始めなくては、

その前に、もう一か所の畑の準備を作業を行った。

前の畑の草も勢いを増して大きくなってきた。

今回は更に深く大きな穴を掘った。

穴の準備が出来たところで、

庭木の枯れ葉を集めて小枝などを取り除く作業を。

小枝も埋めていいのだが、葉っぱだけを埋めることにした。

意外に時間が掛かった選別作業。

でもやり始めたら途中で止められなくなってしまった。

枯葉を選別し、 穴に入れはしたが、中々埋まらない。

草も入れる予定だが、それでも埋まらない。

さて、どうする?

考えても仕方ないことなので、

せっせと作業を続けるしかない。

というところで夕方になり、 裏の畑のサラダ菜を収穫。

 

このミックスサラダ菜、見た目はキレイでおいしそう。

しかし、レタスほどの味が無いのが惜しい。

これからどんどん大きく成長する。

どうやって食べようか?

 

 

 

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刈り取った雑草

2019年04月20日 | 日記

敷地の横を流れる用水、

そのわきの土地も我が家の物。

一気に春めいてきて、草も茂りだした。

春祭りの後、 天気の良い日に草刈機で刈りこんだ。

まずまずの天気が続き、刈り取った草も乾燥した。

このまま放っておいてもいいのだが、

思い切って燃やすことにした。

 

かなりの量が残っている伐採した枝と共に、

乾燥した草を集めて燃やし始めた。

薪をくべ、火をつけ始めたら、トラが近づいてきた。

トラは甘えて、体をすり寄せて来た。

「トラ、火は怖くないのかな?」

 

気温はそれほど高くはなく、

焚き火に当たっているとホンワカ暖かい。

トラも私に寄り添って、たき火に当たっていた。

午後6時15分頃、

 西の空が妙に赤く染まって来た。

赤い夕陽、フッと郷愁を感じてしまった。

 

 

 

  

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春祭り

2019年04月15日 | 日記

13日土曜日、町内の春祭りが催された。

気温は思ったよりも低く、肌寒かった。

太平洋側あたりでは満開の桜、

あるいは散り始めている桜と報じられているが、

小松の桜はようやく咲き始めたというところか。

神社の桜を近くから、と見たら、 7分咲き位になっていた。

神社は我が家から直線で150メートルくらい。

朝9時過ぎ、 獅子舞の子供たちが回って来た。

???,,,笛と太鼓だけ,,,???

獅子舞をする子供がいないのか、 笛と太鼓だけの今年の春祭り。

この町内も少子化だから仕方ないことかも。

 

朝早く神社に行って奉納金を納め、お米代金も納めて来た。

獅子舞には御礼金を渡し、無病息災をお願いした。

天気が良かったので、外仕事をしていたら、

近くに住まわれているKさんからメールが届いた。

赤飯を炊いたから来て、と。

 

私自身、お祭りだからと言って、

何か特別なことをするわけでもなく、 いつも通りに過ごしている。

 

夕方、隣町のKさん宅に出かけ、 ひと月ぶりに手話で話をしてきた。

Kさんご夫妻から手話を教えて頂いたのは20歳のころ。

あれから48年も経過してしまった。

 

普段、手話を使うことは無く、

時折Kさんから夕食に誘われて出かける時だけ手話を使っている。

 

Kさんご夫妻は私より10歳年上。

残念ながら、ご主人は20年ほど前に亡くなられた。

今度また、夕食に出かけましょうと約束をしてきた。

 

 

 

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クリストフォロ・カヴァルザン神父

2019年04月10日 | 日記

 

            犀川にかかる桜橋

4月9日、クリストフォロ神父の葬儀が行われた。

桜満開の金沢、良い天気のもと彼は旅立った。

クリストフォロ神父には、いつもお世話になり、

本当にお心の温かいお人柄の人だった。

 

友・アルマンド神父が面会謝絶の時、

どなたにも分からないよう、病院に連れて行って下さった。

末期の膵臓がん、長くないと言われていたアルマンド、

クリストフォロ神父は最期の別れにと、 連れて行って下さった。

 

その時の様子は、2011年12月10日の日記、

心の中の住所録、にしたためてあります。

 

                桜橋

クリストフォロ神父、イタリア・トレヴィーゾご出身。享年89歳。

日本に来られたのは1957年、今から62年も前の事。

戦後間もない日本、27歳の時に来られ、

どのような思いだったろうか。

 

            医王山・いおうぜん

強面・こわおもて、のクリストフォロ神父、

それでも心の中はとても温かい神父。

また一人、やさしい人が旅立って逝った。

信者でもない私、

それでも若い時からカトリック教会とは縁があった。

神父の方々には本当に良くして頂いた。

 

自分が歳を重ねると同時に、彼らもご高齢となっていく。

いつの日には別れの時が来るが、さみしい。

 

彼らが教えて下さった「あたたかい心」。

これからも、やさしく、あたたかい心でと、

クリストフォロ神父とのお別れに誓った。

      金沢の帰りに。白山 4月9日・午後5時

 

 

 

 

 

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