創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

今年をふり返り

2011年12月30日 | 日記

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   青磁壷



   山茶花


アッと言う間に過ぎてしまった今年、
様々なことがあり過ぎて、一日一日が短く感じてしまった。

3月1日~7日、千葉三越個展、
大変な経済状況にもかかわらず、多くの方々にご支援頂き無事終了。
久しぶりの上京で、8、9日と東京で情報収集を行い、9日最終便で帰宅。

3月10日、ご成約いただいた作品達の桐箱を取り寄せ、箱書き。
3月11日、午前中に桐箱すべてを千葉三越に発送。

午後ラジオを聴きつつ、久しぶりに歩きの運動に出かけ、
一時間の歩きを終え、我が家の敷地に入ろうとしたその時、
「 東日本大地震発生 」のニュースがイヤホンから聴こえてきた。

家に飛び込んでNHKテレビをつけた、ラジオと同時放送と言っている。
けれど何かが変。 ラジオもNHKを聴いているのにテレビとかみ合わない。
もどかしさを覚えつつ、耳をそばだてて聴いているとテレビの音声が2~3秒遅い。

いち早く、災害やその他の情報を提供するデジタル放送と銘打って、
これまでのアナログ放送を一方的に取りやめてしまった政府の方針、
それなのに、何故デジタル放送のテレビ音声がラジオ音声よりも遅いのだ?
それも2秒も3秒も。 いまもなお、デジタル放送が遅く届く説明は無い。

いずれにしてもその日はテレビに釘付けになってしまった。
個展を終えたばかりの千葉三越、昨年秋にお世話になった仙台藤崎、
どちらにも連絡が取れなくなってしまった。

被災された方々のことを思い、何とかご無事でと祈っていた。
夜、千葉三越から電話が入り状況を知らせていただいた。
そのあと、仙台藤崎からもメールが入り状況を知らせていただいた。
あまりにもむごすぎる地震災害、言葉を失った。

日に日に地震災害の大きさに恐れおののき、
被災地の方々がご無事であるよう、ひたすら祈った。

不謹慎ではあるが、千葉三越でご成約いただいた作品達、
すべてが無傷との事で一安心。

震災から八ヶ月も過ぎ、忌まわしい今年も明日だけとなった。
一日も早い復旧、復興を、そして普通の生活が取り戻せるよう切に祈っています。

来年晩秋、11月22日から28日は仙台・藤崎デパートでの個展。
私の作品で、少しでもお心和んでいただけるならば、と個展をさせていただきます。
来る年は穏やかな良き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。


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クリスマスに寄せて

2011年12月25日 | 日記

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   カトリック金沢教会


     午後・4時


天気予報は大荒れ、積雪20センチはあるだろうとのこと。
クリスマスイヴの日、山沿いの加賀産業道路で金沢に向かうには早目が得策、
そう思って午後3時に家を出た。 ミゾレ混じりの雪が降ってはいたが、大したことなし。

加賀産業道路は2、3センチの積雪で、運転はスムーズに行き、
午後3時40分、金沢の中心にあるカトリック金沢教会に着いてしまった。
まだ訪れる人もなく、さっそく教会の中へ。

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   馬小屋・プレゼビオ


12月7日に亡くなったアルマンド神父の遺志を継いで、
三人の方々が心込められて馬小屋を作られ、聖堂の中に再現された。
アルマンド神父が、母国イタリアから取り寄せていた幼子イエスや羊、
種々の人形達を素晴らしく、見事に配置されてあった。

薄暗い聖堂の中、ご高齢のクリストフォロ神父(82歳)が一人、
午後8時からのミサの準備を黙々とされていた。
幼子イエスを安置する高所、脚立を使いながらの作業、
危なく思い、お手伝いをした。

「 私はこれを済ませたらミサを執り行う為に七尾教会に、」とクリストフォロ神父。
「 雪も強く降り始めてきたので、気をつけてゆっくりと運転して、」と進言した。

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   午後7時半


あと30分ほどでクリスマス・イヴのミサが執り行われる。
クリストフォロ神父は無事に七尾に着かれたことを願い、私もミサ曲の準備を。

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   パイプオルガン


雪降りのイヴにもかかわらず、善男善女の方々が多く訪れてきた。
パイプオルガンは聖堂入り口の真上、そこからお御堂全体を見渡せる。
例年より少ないかな、と思っていたが、8時に近づくにつれ一杯の人々が集った。

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   式次第


式次第に基づき、「 Odie 」からクリスマスミサが始まった。
3月、東日本の大震災、福島の原発爆発、余りにも悲惨な事故がありすぎた。
被災された方々、避難生活を余儀なくされている多くの方々、
一日も早く、もとの生活に戻られるようにと願い、私達は心合わせてミサ曲を歌った。

いつもならアルマンド神父がミサ曲の指導をされるのだが、彼は遠くに旅立っていない。
アルマンドの遺志を継がれ、馬小屋の制作に携われた「 H 」さんが指揮をされた。
毎週土曜夜、ミサ曲の練習を重ねてきた甲斐もあり、無事終えることが出来、安堵。
アルマンド神父も、「 ありがとう 」と言ってくれているだろう。

午後8時からのミサも終了し、25日零時からのミサに備える為、
別館で信徒の方々が用意してくださったご馳走をいただきながら、
今年一年を振り返り、話しが弾んだ。

そして日付が変わる、25日零時丁度、クリスマスのミサが始まった。
イヴのミサと同じく、約1時間半ほどで無事終了。
深夜のミサは、七尾から帰られたクリストフォロ神父により執り行われた。

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   25日・午前1時45分


   金沢香林坊


皆さんと共に平和を願い、来る年は良い年となるよう挨拶を交わし、
カトリック金沢教会を後にした。

教会の門を一歩出れば、そこは金沢の中心地、香林坊、片町。
深夜にもかかわらず、大勢の人々が雪の中を行きかっていた。

それにしてもいつも思うことだが、教会で執り行われるすべての行事、ミサ。
進行が口語体で、子供もお年寄りにも本当に分かりやすい。

私の実家は浄土真宗だが、坊さんが称えているお経、全く分からない。
法事などで何となく聞いているが、意味の分からないお経って必要なのか?

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   25日・朝


深夜の加賀産業道路、雪が間断なく降り続いていた。
運転を誤ったのか、数台が路肩に乗り上げていたり、ひっくり返っていた。
運転手には怪我が無いようにと祈りながらゆっくりと運転し、
家には午前2時半に到着。

暖かいコーヒーを飲みつつ昨晩からのことを振り返った。
無事に終えたことを有難く思い、3時に就寝。
ゆっくり眠れるかと思ったが、目覚めたのは8時。
カーテンを開けると、真っ白のクリスマスの朝。


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雪の季節へと

2011年12月20日 | 日記

いよいよ天気図は西高東低に移行。
平野でも積雪があるかも、との予報で冬用のタイヤに交換してきた。
平日の朝一番だった為か、すぐに交換してもらえた。
待っているあいだ次々とお客がきて、「 いよいよ雪だねぇ 」、と皆さん。

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   スノータイヤ交換


本当に積もるのかな?と疑問をいだきながらも、万一のことを考えて、
とにかく早めにタイヤ交換し、雪の季節へと備えた。

普通タイヤは昨年交換したばかりだし、少しくらいの積雪でも十分に走れるが、
雪道だけは、自分が注意していても相手がタイヤを交換していなかったり、
運転が未熟だったりすると、当方に被害が出てしまう。

まず怖いのは、雪道でやたらにブレーキを踏んでいるドライバー。
スノータイヤに交換済みならば、ある程度の制御力はあるが、
雪道走行で、普通タイヤのままブレーキを踏まれたら大変。

ちょっとした積雪でもスリップし、危ないこと、この上ないのである。
実際、雪の季節に入ったばかりの時は、何台も路肩に乗り上げているのが現実。

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   積雪


タイヤ交換を終えた翌日、天気予報は見事に的中。
車の上には4、5センチあまりの新雪が積もっていた。
本格的な冬ではないので、すぐにとけてしまうが、
雪を見ると憂鬱になってしまう。

今年初めの大雪、車がスッポリと埋まってしまい、雪除けだけで時間がとられ、
3月の千葉三越個展の準備も重なって、焦りに焦ってしまった。
交通機関が整備されていないこの地域、外出には車は必需品。
雪は大敵である。

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   ミニバラ


   青磁鉢


先日採取してきた野水仙。
今回の雪で群生地がどうなっているか心配になって見に行ってきた。
案の定、強い風と吹雪で殆どの水仙が折れていた。
せっかく復活し咲いたのに、雪と風で惨めな姿に変わり果てていた。
まだ蕾の水仙もあるので、何とか元気に育って欲しいと願いながら帰路に着いた。

玄関に入ると水仙の芳醇な香りと、シャコバサボテンのあざやかな花。
けれど部屋には生花は無い。 何か花が欲しい、そう思って花屋へ行ってみた。
真っ先に目に飛び込んできた花はミニバラ。店先に置かれていたが元気に咲いていた。

黄色は私の好きな色、うすいピンクのミニバラもあり、二鉢購入。
指先くらいの小さい花だが、シッカリと自己を主張している。
青磁鉢に移し替えて、部屋に彩を与えてみました。

日記を書いている最中、ニュースでは週末は大荒れと。
24日土曜夜、クリスマスにはミサ曲を歌いにカトリック金沢教会へ出かける。
友、アルマンド神父のためにも心込めて歌わなくては。
大雪にならないことを祈るのみである。


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復活した、八重水仙

2011年12月15日 | 日記

今年の水仙はどうなっているだろう。 例年ならまだ蕾だが、暑かった今年の夏、
野菜など、すべてが早く成長したように、きっと水仙も花をつけているに違いない、
そう思って、私だけが知っている八重野水仙の群生地に行ってみた。

群生地と言っても、こんなところに、という場所である。
まさかと思う場所に、八重、一重の水仙が群生しているのである。
近づくにつれ、鼻をくすぐる芳醇な香りが漂ってきた。

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   わずかの晴れ間に


      野水仙


いまにも雨が降り出しそうな気配の中、
水仙は柔らかな日差しを受けて、生き生きと花を開いていた。
温暖化と猛烈な暑さの夏を耐えてきた野水仙、やはり成長が早く進んでいた。


どういう訳か、一重の水仙は香りがうすい。
八重の水仙は一重の水仙に比べて可憐な姿ではないが、
水仙独特の芳醇な香りを、周り一面に漂わせていた。

数年前、ブルドーザーなどで踏み荒らされて球根が散らばっていた。
あまりにも悲しい姿に、一つ一つ拾ってきて、我が家の庭に植えた。
でも、元々植わっていたようには育たなかった。

諦めていた野水仙、
自然の復活力は想像を超えたもので、再び群生していた。

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   窯変鉄耀壷 (天目)


さて肝心な仕事、土練機を修理しなければならないが、
ちょっとした中古軽四自動車を買うくらいの費用が必要。
どうしよう、どうしようと思いつつ、時間だけが無意味に過ぎ去ってしまう。

青磁作家として皆様にご支援いただいているし、何とかしなければと思うが、
余りにも修理代が掛かりすぎて、二の足を踏んでいる始末。
それでも作品を作らなくてはと、粘土を手で揉んでいるが、
体の負担と相談しながら、そろそろと行っている。
でも何とかしなくては・・・ため息が出てしまう。

先日旅立った、アルマンド神父。
9月に入院する前に会ったとき、互いに体のことを話し合い、
アルマンド神父には絶対無理してはいけないよ、と言った私。
アルマンド神父からは粘土を揉むときは絶対に無理しちゃあダメだよ、と言われた私。

金澤画廊個展には知り合いを連れて行くからね、と言って頂いた。
でも叶わず、12月4日の面会にはご自身の具合より私を気遣って頂いた。
私の事はどうでもいいから、何とかするから、とアルマンドに言い続けた。

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   野水仙と壷


全滅したと思っていた、野水仙、
友の供養にもなるかと、窯変鉄耀壷に生けてみた。
丁度良い形の壷で、立派な野水仙がピッタリおさまった。
生花(いけばな)の素養を持ち合わせていないが、そのままドカッと生けてみた。

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   玄関にて


採取している時にはそれ程にも感じ無かったが、
壷に生けてみたら更に芳醇な香りが漂ってきた。
シャコバサボテンも次々と花を開き、清楚な水仙と調和し、
玄関が急に華やかになった。


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心の中の住所録

2011年12月10日 | 日記

友人であり、兄弟のように親しく接して下った、アルマンド神父が7日早朝旅立った。
9日午後7時からお通夜、そして今日11時から葬儀が執り行われた。

12月4日、先週土曜午後、面会謝絶のアルマンドに会ってきた。
意識はありますが容態はかなり悪くなっていますので、2分くらいで、と言われ、
とりあえず二人きりにさせていただき、病室に入った。

入るなり私の顔を確かめるように視線を向け、手を差し伸べてきたアルマンド。
ベッド横にあるイスに座って手を握ろうとした瞬間、重篤にもかかわらず、
どこに力が残っていたのか私の体に右腕を回し、引き寄せ抱きしめられた。
そして体の下になっている左手で私の頭を押さえ、ご自身の顔に強く押し付けられた。

一瞬、この状態って、映画の一場面かテレビドラマの一場面かと思ってしまった。
中腰状態の私に、アルマンド神父は一生懸命に話してくださった。
そのうち互いに言葉に詰まり、それでも声を振り絞って話してくださった。
その都度うんうんと言いつつ背を腕をさすり、優しく頭をなでてあげた。

長くても2分までと決められた面会、
もうこれが最期と思われたのか、強く抱きしめられ5分6分と時間が経過した。
体力が消耗するといけないので、そっと手をはずしても又手を差し伸べられた。
必死に話しかけてくるアルマンド、大きな手を握りしめ、腕をさすり続けた。
決められた面会時間をはるかに超えた、アルマンド神父との別れ、
病室を出た途端、更に涙があふれ出た。

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  12月10日


   午前7時


7日早朝、私のもとに訃報が飛び込んできた。
アルマンド神父、午前5時に亡くなられた・・・。

面会に行って、わずか三日後に亡くなられたなんて。
今日までのことが一気に思い起こされ、なんともやりきれなかった。

友として、兄弟のように接してくださった17歳年上のアルマンド、
実際、彼は兄弟姉妹の長兄であった。

宣教師として来日してから47年、その40年あまりの間、お付き合いさせていただいた。
楽しく過ごした日々もあれば、意見が対立し、最長で2年間も口を聞かなかったことも。
それもこれも走馬灯のように浮かんでは消え、また思い出して。

アルマンドが亡くなってからの数日は涙を誘う雨が降り続いた。
悲しみを流してくれるような雨が降り続く中、昨晩のお通夜には大勢の参列者。
お通夜が執り行われる前まで、アルマンド神父のCDが静かにお御堂内に流れていた。

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   午前8時


そして今朝は美しい青空が広がった。
彼、アルマンドの性格そのもののような、すっきりと晴れ渡った素晴らしい天気になった。
旅立つ彼にふさわしい、すがすがしい天気になった。

一足先に教会に出かけ、誰もいないお御堂で彼に別れを告げた。
ありがとう、長い間本当にありがとう。私が重篤で手術入退院を繰り返していた二年間、
いつも励ましてくれ、栄養になるからと食べ物を病室に持ってきてくれたアルマンド。

作品が売れるか、生活は成りたっているかと、いつも心に掛けてくれたアルマンド。
10月の金澤画廊個展には手助けできなくて許して、と言ってくれたアルマンド。
私は何とかやっているし、病気を治して又皆さんの前に出てきて欲しいと訴えた。
アルマンドは、皆さんにありがとうと伝えて、堂前君から伝えてと何べんも何べんも。

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                            お御堂
   
午前11時、アルマンド神父との最期のお別れの葬儀が執り行われた。
昨晩に引き続き、本当に多くの参列者がお見送りに来てくださった。
何だかアルマンド神父の弟のような気持ちになって、皆さんに頭が下がった。

私は聖歌隊の方々と一緒に、弔いのミサ曲を心から歌わせていただいた。
2時間以上に及ぶ、荘厳な葬儀も無事に終わり、皆さんの拍手と共に彼は旅立った。

「 私が逝っても教会に来て欲しい、お願いだから歌って欲しい、約束して・・・」と。
アルマンドと交わした沢山の会話、教会にきて歌って欲しい、が遺言の一つとなった。
何の宗教も持たない私だが、思いを寄せる心は人一倍ある、と思っている。

夜、再びカトリック金沢教会に出かけ、クリスマスに歌われるミサ曲の練習をしてきた。
練習は午後7時半から9時まで。

帰宅し、日記を書きつつ年賀状の整理を行った。
アルマンド神父の住所、今日の日から、私の心の中の住所録に加わった。


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