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やわたメディカル
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病院を訪ねる時、
お見舞いに行く方が良いか、付き添いで行く方が良いか、病気で行く方が良いか、
答えはおのずと分かっていて、お見舞いに行く方が良いに決まっている。
とは言うものの、生きる上で自分の意思に反して病院のお世話になることもある。
出来るならば医師と仲良くなっても、病院と仲良くはなりたくないものだ。
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前景
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40歳後半から手術や入院と、何やかやとお世話になっている「 やわたメディカル 」。
今回は病変が進んでいないか、徹底的に調べてもらった。
現在、整形外科主治医先生はこの病院の院長で、私より10歳くらい若いか。
主治医が私のために予約日を決めて下さった日は、12月7日土曜午後3時から。
予約で満杯のところを早めに押さえて下さったが、その日はアルマンド神父の三周忌。
先生にそのことを話し、17日午後からの予約を入れていただいた。
翌日18日、検査撮影の結果を聞きに受診した。
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若いときからロクロの師がいなく、仕事のし過ぎで、肩関節の腱が切れてしまい、
どこの病院を選んだら良いのか迷い、考えに考えた抜いた末、
多くのスポーツ選手を診ていられる実績のことを聞き、
40歳後半にこの病院を訪ねた。
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こもれび広場
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当時、窯詰めを行っていて、重い作品を窯の中に詰め込んでいたとき、
右肩に激痛が走った。「 痛っ!」 一瞬のことで、その後は何もなく仕事が出来た。
たまたまギリシア取材に出かける予定が入っていて、
肩の調子が変だな、何となく腕がストンと抜け落ちるような感覚だったが、
痛みも大したことなく、予定通りギリシアに向かった。
約一ヶ月、重いトランクをゴロゴロと転がしながら、
アテネを拠点に飛行機、フェリーを乗り継ぎギリシア国内を取材した。
帰国し、やはり右腕の調子が変なので、この病院を受診した。
「 私の机の上にあるペンを取ってください、」と主治医。
「 はい、どうぞ、」とつかんで渡した。
「 おかしいなあ、この状態だと痛くて持てないはずだけど、」と主治医。
でも痛くはなく、物は持てるし掴めるし、腕も上げることが出来た。
が、肩関節内にあるアキレス腱のような、腕を持ち上げる腱が切れているのは確か。
「 手術から目が覚めて、腕が万歳の形をしていたら三ヶ月の入院です、」と言われ、
麻酔が覚め、呼び起こされて腕の状態を確認したら右腕が上がっていた。
一ヶ月間、腕も動かせず風呂にも入れず、ひたすらリハビリの先生に任せるだけ。
鎧(よろい)のようなギブスを、一日中ガッチリとはめたままの状態で一ヶ月、
寝るときも同じ状態だった。 体は看護師さんが三人がかりで拭いてくださった。
その間もリハビリの先生が毎日一時間以上、マッサージをしてくださった。
お陰で何とか腕も動かせるようになり、ヤレヤレと仕事が出来るようになった。
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従来の総合病院
中央がスポーツセンター
右が新社屋の総合病院
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その数年後、今度は左肩関節内の腱も切れた。
右肩関節の、手術室で行われた麻酔なし神経テストの痛い経験もしており、
痛さを覚悟して入院した。 同じく三ヶ月、手術、入院、そしてリハビリ。
ありがたいことに主治医の素晴らしい手術で両腕も快復し、現在に至っている。
退院後ほぼ毎日リハビリに通った。 また病院が車で3分余りの近さでよかった。
世の中狭いもので、東京でのお客様のご主人が事務長でいられた病院であった。
奥様から、「 もし何かあったら主人が事務長をしているので、」と聞いており、
意を決して受診した病院が、「 やわたメディカル 」。
入院中、何故か事務長に会えず不思議に思ってリハビリから自室に戻っていた。
私の部屋の向かいに出入りされているご婦人、どこかでお見受けしたような?
後で分かったことだが、その方のご主人が重篤の病で入っていられた部屋だったのだ。
新しい病院建設の準備を進めながらも、病と闘っていられ、
婦長さんを通して、私に何でも気が付いたことを書いてください、と頼まれた。
静かな病室で、医療に関すること、医師と患者の信頼関係、看護師と患者、
掃除係りのこと、ナースセンターの患者に対する対応、病室の設備、
リハビリ患者さん達の作品展、療養を兼ねていられる方々に対するサービス、
ピアノもあったので、月一度くらいは音楽会を催しては、などなど、
11ページに渡ってレポートと患者としての思いを書き、婦長さんに渡した。
ある日の真夜中、廊下を走り回る足音で目が覚め部屋の扉を開けた。
真向かいの部屋にいられた事務長さんが亡くなったのだった。
まさか、真向かいの部屋にいられた方が事務長さんとは。
時々すれ違う奥様、東京で会った姿とは違っていて、まさかと。
私が入っていた階には4病室しかなく、入院患者の名前も表示されておらず、
どなたが入っていられるか全く分からなかった。 当然誰も教えてくれず。
こんなくらいなら、思い切って奥様に話しかければよかったと、今も悔やまれる。
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大きな植木鉢
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その時から十数年、今は横に立派な病院が建っている。
志半ばで亡くなった事務長、新しい病院には音楽会も催せる広場と、
広い通路には、作品を展示できるスペースも確保してあり、
いつも何かの展示会が行われている。
事務長さんからの要望で、入院中に書かせていただいた医療に関するすべてのこと、
少しは役に立ったのかと、病院を受診するたび思っている。
でも会いたかったなあ、エッセイを書かれていて、入院中いつも読ませていただいた。
奥様から、すべてが終わった後にエッセイ集が届き、「 私も、もしや堂前さん?」と。
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MRI
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先週は知り合いに付き添って、二箇所の病院を受診し、
本人に代わって医師と病状について話したり。
また、いつも聖歌隊で歌っていられる方の病室を訪ねたり。
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CT
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今週は自分の病状の変化を確認するためのMRI、CT撮影、
翌日は院長になられた整形外科主治医の説明を受けたり。
と、ここまでは順調に進んでいた。
ところが昨日19日、駐車場にて停車中の私の車に女性の車がぶつかってきて。
無防備かつ突然のことで、右肩を運転席の窓ガラスに打ち付けたらしく、
そのときはビックリして何とも無かったが、今朝になって痺れが出てきた。
当然ながら車は修理に出し、加害者さんが加入している保険会社の人に話し、
今日午後から又病院へ。 レントゲンなど撮り診察を受けた結果、
全治10日間。 ああ、これも運命か!