昨日は、ワカヒメ様の、イサナキ、イサナギご両親神が現在の和歌山県熊野に住まわれるところまで書いた。
その後、ワカヒメ様はご結婚をされて、滋賀県のヤスカワ(現在の野洲)に住まわれて、お子様にも恵まれるが、最後には、また和歌山の玉津島に移られて、その地で生涯を終えられる。
というのが、おおまかなあらすじだが、私が関心を持ったのは、ワカヒメ様が和歌の奥義を極められた方であったということ。
和歌の5・7・5・7・7の31音には、特別な力があって、この形で歌を詠むことによって、目に見えないものが目に見えるものになる。
逆にいえば、和歌というものは、目に見えないものをこそ詠わなければならない、ということにもなりそうだ。それが、和歌の、短歌の極意なのかもしれない。
と、脱線したが、
ワカヒメ様には、特にその力が備わっていて、詠うことによって病気を治したり、邪悪なものを払いのけることもできたという。
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見えるものしか信じることのできない現代人は、この本の内容は荒唐無稽に思われるかもしれないが、私は信じることができる。
現代人は、自分の利益しか頭にないが、いくらお金をたくさん溜めたところで、本当の幸せが得られる保障はない。
地震が来て津波がくれば、あっという間に大勢の人が亡くなってしまう。
富士山のような大きな火山が噴火すれば、広い範囲で、多くの人が亡くなってしまう。
われわれの幸せは、そんな天災の起こりうる地球上での一時的なものなのである。
そんなことを考えてみれば、見えないものを「ない」と言い切ることはできないはずだ。
見えるもの幻なれば目に見えぬまごころをこそ大切にせむ biko
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文中、私の現在の住いから比較的近い西宮の廣田神社の話が出たり、長男の住いの近くの滋賀県野洲の三上神社の話が出たり、さらにさらに、ワカヒメ様が、その晩年を送られたという和歌の浦の玉津島神社には、ほんの3ヶ月前に訪れたということなどに、不思議なご縁を感じた。
和歌の浦を訪れた日は、暑くも寒くもない絶好の気候であったせいもあって、私には、本当にいい思い出になった。お世話くださったkiwattiさん、ありがとうございました。
和歌山の玉津島にはワカヒメの社のありて和歌を伝ふる biko
その後、ワカヒメ様はご結婚をされて、滋賀県のヤスカワ(現在の野洲)に住まわれて、お子様にも恵まれるが、最後には、また和歌山の玉津島に移られて、その地で生涯を終えられる。
というのが、おおまかなあらすじだが、私が関心を持ったのは、ワカヒメ様が和歌の奥義を極められた方であったということ。
和歌の5・7・5・7・7の31音には、特別な力があって、この形で歌を詠むことによって、目に見えないものが目に見えるものになる。
逆にいえば、和歌というものは、目に見えないものをこそ詠わなければならない、ということにもなりそうだ。それが、和歌の、短歌の極意なのかもしれない。
と、脱線したが、
ワカヒメ様には、特にその力が備わっていて、詠うことによって病気を治したり、邪悪なものを払いのけることもできたという。
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見えるものしか信じることのできない現代人は、この本の内容は荒唐無稽に思われるかもしれないが、私は信じることができる。
現代人は、自分の利益しか頭にないが、いくらお金をたくさん溜めたところで、本当の幸せが得られる保障はない。
地震が来て津波がくれば、あっという間に大勢の人が亡くなってしまう。
富士山のような大きな火山が噴火すれば、広い範囲で、多くの人が亡くなってしまう。
われわれの幸せは、そんな天災の起こりうる地球上での一時的なものなのである。
そんなことを考えてみれば、見えないものを「ない」と言い切ることはできないはずだ。
見えるもの幻なれば目に見えぬまごころをこそ大切にせむ biko
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文中、私の現在の住いから比較的近い西宮の廣田神社の話が出たり、長男の住いの近くの滋賀県野洲の三上神社の話が出たり、さらにさらに、ワカヒメ様が、その晩年を送られたという和歌の浦の玉津島神社には、ほんの3ヶ月前に訪れたということなどに、不思議なご縁を感じた。
和歌の浦を訪れた日は、暑くも寒くもない絶好の気候であったせいもあって、私には、本当にいい思い出になった。お世話くださったkiwattiさん、ありがとうございました。
和歌山の玉津島にはワカヒメの社のありて和歌を伝ふる biko
ご師匠ではなく、ご友人でいらしたのですね。
申し訳ございません。
そして、竜王、、、北杜もしくはやまなしにお住まいでしょうか。
ますます不思議なご縁です。
何卒よろしくお願いいたします。