神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

宮尾登美子さんと得月楼

2017年09月19日 16時32分09秒 | 読書
今朝の記事「言わざれば(書かざれば)問題は起こりえざりしことなれど」にコメントくださった方に、私の文章は宮尾登美子さんの文章と同じ匂いがすると言っていただいた。

お世辞でも、そう言っていただけると嬉しい。

もし、そういう傾向があるとすれば、いっとき私が宮尾さんに傾倒して、そのご著書を読みまくった結果かもしれない。

宮尾さんの代表作『櫂』や『陽暉楼』に出てくる料亭”陽暉楼”=現”得月楼”は、私の実家の近所である。もっとも、陽暉楼と呼ばれていたころは料亭ではなく、遊郭だったようだが。

私の実家は、祖父存命のころは、お正月とか”お客”(=宴会)をするときは、得月楼の芸者さん達に来てもらっていた。

だから、私は幼い頃から得月楼の芸者さんにはなじみがあった。

近くだったから、布に巻いた三味線を抱いて、歩いて来てくれていた。

そして、宴会が始まると、三味線を弾いてくれたり、民謡をうたってくれたりした。

踊りはあまり見なかったように記憶しているが、なぜだったろう。

一段落すると、お客さんたちにお酌して回ってくれたりもした。

けっこう年配の芸者さんが多かったように記憶しているが、その分愛想がよく、私などにも「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」と下にも置かぬように接してくれたものだった。

だから、幼い頃の私は芸者さん達が好きだった。(笑)

そういういきさつがあるから、宮尾登美子さんが売れっ子作家になられて、『櫂』とかの著作を出版されるようになって、初めて読ませてもらったときは、感動した。

なにしろ、実家の近所の料亭が舞台になっていたのだから。

得月楼の前身の陽暉楼のほうは、ずっと鏡川の下流のほうにあって、近所というほどは近くなかったが、それでも、大人になれば、自転車を走らせれば行けるくらいの距離であった。子供の頃は遠出することは許されなかったが。

それで、それまでは比較的箱入り娘だった私は、毎年のように見ていた得月楼の芸者さん達の実態を、宮尾登美子さんの小説で初めて知ることができたのであった。

それでいっときは、むさぼるようにその著書を読み漁った。

宮尾登美子さんが、母と同世代ということも親近感を抱かせた。

そんないきさつから、ひょっとすると、自分で意識しないまま、その文体から影響を受けたかもしれない。

宮尾さんは3年前に亡くなられたが、できうれば、生きていられる時に一度拝顔したかった。

私の高校時代の親友は、陽暉楼のあった地区の昭和小学校を卒業していたので、宮尾さんが昭和小学校で講演会を開かれたとき、聞きに行ったとか。

テレビで拝見するより、ずっとおきれいだったと言っていた。



               *

  生前に一度御目文字したかりし宮尾登美子さんの御すがた

  わたくしの母より一歳年下の宮尾さんなれば身近に思ふ

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得月楼は、今年5月に、先日亡くなった京都大学名誉教授だった友人と昼食を共にしたので、過去記事に、その写真が残っている。

宮尾登美子の『陽暉楼』こと「得月楼」で昼食~中江兆民の生誕地へ

昨日母の送ってきてくれた写真

               *

明日は、この得月楼の近くの実家に帰省するため、朝から出立します。

ですから、ブログはお休みするか、あるいは、ケイタイからの簡単投稿になると思います。

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2 コメント

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おはようございます、bikoさん。 (MKママと田舎親爺)
2017-09-20 07:45:04
昨日、久しぶりに
伊丹によってMKママの
おふくろさんに会いに
行ってきました。

昔二人で歩いた武庫川で
散歩もして、六甲がきれいに
見えました。


あちらが、bikoさんのところ
なんてMKママと話しながら
懐かしい日々思い出していました。

すみません。記事と関係ないコメントで
近況報告でした。

さきほど帰宅しました (biko)
2017-09-24 16:42:24
旅行中、ケイタイからの投稿だったので、コメント返しができず、失礼いたしました。

そうですか。田舎親父さんご夫妻は伊丹市に?

どうやら、私とすれ違ったようですね。

また来られるときは教えてくださいね。

「あ、今頃、田舎親父さん達は伊丹にいらっしゃるんだと思わせていただけるから。(笑)

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