帰省から帰ってきて、ずっと母のこれからを考えている。
あれだけ弱ってきたら、もう老人ホームに入ってもらうしかないかとも思う。
母にそのことを言うと絶対いやという。
まだ認知症ではないが、しかし、一人で生活するには余りにも頼りない。
兄嫁達とは同じ建物に住んでいるが、2階と3階で、所帯は別個である。
現代は90歳になっても矍鑠とした老人もいるが、母の場合は、いつも書いている通り、78歳で脳梗塞を起こしたから、後遺症として滑舌が悪い、心臓の心室細動のため声が弱弱しい。左半身は滑らかに動かせない。
というわけで、常に誰かの手助けが必要な状態なのだが、未だに活け花から離れようとしないで、週に一度、自宅で教えているのみならず、学校にも教えに行っている。
あれだけの状態になった老人だから、教えにこられるほうも迷惑だと思うのだが、母が活け花が生きがいだと押しかけているような有様である。
確かに元気なころは、高知県の活け花のトップであるのみならず、全国的にも活躍していた大先生だったのだが、寄る年波と病には、さすがの母も勝てない。
そのことを言うのだが、聞く耳をもたない母とは喧嘩になるばかりである。
あげくに、私の娘に、「お母さん(私のこと)は切れる(怒る)から困る」というようなことを言いあげる。
3年前に亡くなった兄も、母の対応には、ほとほと困っていた。
兄嫁と母の板ばさみになって、兄は苦しかったと思う。
兄は急逝したが、しかし数年前から人工透析を受けていたから、まったくの急逝だったというわけでもない。
なぜ人工透析を受けるようになったかというと、お酒の飲みすぎである。
グルメだった兄は、兄嫁の作る料理が口に合わないと言って、毎日、外で好きなものを食べて、お酒も飲んでいた。これには、仕事柄も多少絡んではいたが。
そうこうしているうちに、いつのまにかアルコール依存症になった。
それで、肝臓だけでなく、腎臓まで悪くしてしまったのだ。
お酒をたくさん飲んだのは母と兄嫁の板ばさみになっていたことも遠因にあったのではないかと私は思うのだが、これは推測の域を出ない。
私は、内心お酒を止めさせなければと思っていたが、母も兄嫁もいながら私が言うことではないと言わなかった。
こういうふうになると分かっていたら、嫌われても言うべきだったと思う。
兄は、私と違って、赤ちゃんのころから健康優良児で、学業も成績優秀であったから、母の自慢の息子であった。
私は、当然、兄は私より長生きして、母も看取ってくれると思っていた。
が、こういう結末を迎えてしまった。
母は、あまり出来のよくない私に残された。
実子は私だけになったから、私が母の世話をするべきだろうか。
夫は、そうすべきだという。だから、高知に帰って母の世話をせよと。
確かに、姑の世話は、認知症が酷くなるまでは、私達より近くに住んでいた義妹がしてくれていた。
ともいえるし、義妹は実の娘なので、嫁いでからも実家であるこの家に頻繁に来ていたから、その延長だったともいえる。
姑が本格的な認知症になってからは、私達が引越してきて選手交替した。
私達が引越してきてからは、義妹は一度もこなかった。
たまには話し相手に来て欲しいと思うこともあったが、姑と義妹は実の親子であるがゆえに、お互いに遠慮がないことが災いして大喧嘩になるのが常であった。
認知症になった人のややこしさは、世話をした人でないと分からないと思う。
そんなこんなを考えると、私も兄嫁にお世話してもらいたいと思うのだが、兄亡きあと、それは無理な相談だろうか?
夫は、そんなに心配なら、私が世話をしにいくべきだと言うが、私自身、それほど体が丈夫ではないので、自信がない。難聴であるので、母の言っていることが聴き取りにくいのも疲れる。
姑は、認知症ではあったけれども、体は健康体であった上、声は比較的低音であったため、聴き取りやすかった。
また、義理の中なので、お互いの遠慮もあって上手くいくところもあったし、夫にも相談できた。
ところが、今後、母のことを私が引き受けるとなると、まず経済的な問題も発生する。
母には不動産は全て甥たちにやってといわれているし、預金は、母が税金対策として、ほとんど兄名義にしてあったから、兄嫁と甥のものになっている。
いったいどうしたらいいかと私は思案投げ首である。
ま、神様が、いいようにしてくださると当分このままにしておこうか。
あれだけ弱ってきたら、もう老人ホームに入ってもらうしかないかとも思う。
母にそのことを言うと絶対いやという。
まだ認知症ではないが、しかし、一人で生活するには余りにも頼りない。
兄嫁達とは同じ建物に住んでいるが、2階と3階で、所帯は別個である。
現代は90歳になっても矍鑠とした老人もいるが、母の場合は、いつも書いている通り、78歳で脳梗塞を起こしたから、後遺症として滑舌が悪い、心臓の心室細動のため声が弱弱しい。左半身は滑らかに動かせない。
というわけで、常に誰かの手助けが必要な状態なのだが、未だに活け花から離れようとしないで、週に一度、自宅で教えているのみならず、学校にも教えに行っている。
あれだけの状態になった老人だから、教えにこられるほうも迷惑だと思うのだが、母が活け花が生きがいだと押しかけているような有様である。
確かに元気なころは、高知県の活け花のトップであるのみならず、全国的にも活躍していた大先生だったのだが、寄る年波と病には、さすがの母も勝てない。
そのことを言うのだが、聞く耳をもたない母とは喧嘩になるばかりである。
あげくに、私の娘に、「お母さん(私のこと)は切れる(怒る)から困る」というようなことを言いあげる。
3年前に亡くなった兄も、母の対応には、ほとほと困っていた。
兄嫁と母の板ばさみになって、兄は苦しかったと思う。
兄は急逝したが、しかし数年前から人工透析を受けていたから、まったくの急逝だったというわけでもない。
なぜ人工透析を受けるようになったかというと、お酒の飲みすぎである。
グルメだった兄は、兄嫁の作る料理が口に合わないと言って、毎日、外で好きなものを食べて、お酒も飲んでいた。これには、仕事柄も多少絡んではいたが。
そうこうしているうちに、いつのまにかアルコール依存症になった。
それで、肝臓だけでなく、腎臓まで悪くしてしまったのだ。
お酒をたくさん飲んだのは母と兄嫁の板ばさみになっていたことも遠因にあったのではないかと私は思うのだが、これは推測の域を出ない。
私は、内心お酒を止めさせなければと思っていたが、母も兄嫁もいながら私が言うことではないと言わなかった。
こういうふうになると分かっていたら、嫌われても言うべきだったと思う。
兄は、私と違って、赤ちゃんのころから健康優良児で、学業も成績優秀であったから、母の自慢の息子であった。
私は、当然、兄は私より長生きして、母も看取ってくれると思っていた。
が、こういう結末を迎えてしまった。
母は、あまり出来のよくない私に残された。
実子は私だけになったから、私が母の世話をするべきだろうか。
夫は、そうすべきだという。だから、高知に帰って母の世話をせよと。
確かに、姑の世話は、認知症が酷くなるまでは、私達より近くに住んでいた義妹がしてくれていた。
ともいえるし、義妹は実の娘なので、嫁いでからも実家であるこの家に頻繁に来ていたから、その延長だったともいえる。
姑が本格的な認知症になってからは、私達が引越してきて選手交替した。
私達が引越してきてからは、義妹は一度もこなかった。
たまには話し相手に来て欲しいと思うこともあったが、姑と義妹は実の親子であるがゆえに、お互いに遠慮がないことが災いして大喧嘩になるのが常であった。
認知症になった人のややこしさは、世話をした人でないと分からないと思う。
そんなこんなを考えると、私も兄嫁にお世話してもらいたいと思うのだが、兄亡きあと、それは無理な相談だろうか?
夫は、そんなに心配なら、私が世話をしにいくべきだと言うが、私自身、それほど体が丈夫ではないので、自信がない。難聴であるので、母の言っていることが聴き取りにくいのも疲れる。
姑は、認知症ではあったけれども、体は健康体であった上、声は比較的低音であったため、聴き取りやすかった。
また、義理の中なので、お互いの遠慮もあって上手くいくところもあったし、夫にも相談できた。
ところが、今後、母のことを私が引き受けるとなると、まず経済的な問題も発生する。
母には不動産は全て甥たちにやってといわれているし、預金は、母が税金対策として、ほとんど兄名義にしてあったから、兄嫁と甥のものになっている。
いったいどうしたらいいかと私は思案投げ首である。
ま、神様が、いいようにしてくださると当分このままにしておこうか。