神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

庶民の海老チャーハン

2015年02月28日 13時31分25秒 | 料理
NHKの料理番組を録画して見ている。

飛ばしながら見ることも多いが、しかし、なかなか参考になる。

今日の昼食は、先日録画してあった過去の再放送番組「まだまだ見たい!小林カツ代おかず」から「庶民の海老チャーハン」。

「庶民の」とついているのは、使う海老が生の海老ではなく、干し海老だから、ということらしい。

番組では白葱を細かく切って醤油につけた「しょうゆ葱」を使っていたが、今日は白葱がないので、玉ねぎのみじん切りで代用する。

まず中華なべで、干し海老を乾煎りして、取り出しておく。

その中華鍋に、油(私は先日の揚げ物で使用した油)を入れて、溶き卵(私は3個)を入れたところにご飯を入れて、ひっくり返しひっくり返しして混ぜていく。

混ざったら、作ってあった「しょうゆ玉ねぎ」を入れて、さらに炒める。

最後に取り出してあった、干し海老を入れて出来上がり。あれば青葱を散らす。

干し海老から旨みが出るので、案外おいしいし、彩りもきれい。

  たつぷりの卵たまねぎ干し海老で庶民チャーハン出来上がりたり  biko

これに、昨夜作って残っていた餃子の一品も加えて、昼食にした。

『少しは、恩返しができたかな』

2015年02月27日 22時22分28秒 | 読書
一昨日、東京に住む娘からタイトルにした本が届いた。

パラパラと読んでみると、東京の某私立高校2年だった生徒が、ユーイング肉腫という特殊な癌にかかりながら、その病に負けないようにと大学受験することにして、天下の難関、東大、慶応、早稲田に合格するというお話らしいことがわかった。が、その北原君は、念願の東大入学式後、一度通学しただけで、3ヵ月後には亡くなってしまう。

実は、その高校というのは、この2月に東京の孫の合格した中学の高校部である。

その合格の喜びの時に、なぜこんな悲しい本を送ってきたかといぶかしく思いながらも、せっかく送ってくれたのだからと、昨日から読み始めて、さっき読み終えた。

最初は、娘に対する義務感のような気持ちで読み始めたのだったが、途中から泣いている自分に気づいた。

そして、読み終えるころには、ぼろぼろ涙を流している自分がいた。

あらすじはこうだ。

病気にかかるまでは、勉強のみならず、卓球にも打ち込み、青春を謳歌していた、北原和憲君は、高校2年の夏休み明けに脚の変調に気づいた。

その脚の変調がユーイング肉腫という特殊な癌であることが判明してから彼の人生は大きく傾く。

しかし、ご本人も、ご両親も、決して諦めない。

最後の最後まで治ることを信じて闘病するのみならず、健康な人でも厳しい大学受験にも挑戦する。

すなわち癌の痛みに耐えながら、抗がん剤の苦しみに耐えながら、病室で受験勉強に明け暮れる。

高校の先生方も、高校の友人達も、彼の受験勉強に助力を惜しまない。

センター試験は、癌による激しい脚の痛み、歯茎の痛みに耐えながら別室受験した。

その後、滑り止めの早稲田理工学部、慶応工学部も受験する。そして、東大理1の2次試験も・・・。

結果は全て合格であったが、ただ慶応医学部2次の面接試験だけ、たぶん彼の病名が原因で落ちる。なぜなら、医学の勉強に耐えることのできない病気ということがはっきりしていたから。

そういうふうに命の限り頑張った和憲君だったが、喜びの東京大学の入学式から3ヶ月あまり後の7月29日に、ついに力尽きてしまう。

そこに至るまでに、ご両親や兄上の献身的な介護があり、先生方の献身的な師弟愛があり、友人達の厚い友情がありで泣かせるが、それより、何より泣かせてしまうのは、北原和憲君その人の周りの人たちに対する思いやりである。過酷な病に翻弄された19歳の青年とは思えないような周りの人たちに対する気配りである。

成人に達してもいない北原和憲君の立派な生き方には、読者の私も心打たれて泣いてしまうほどだった。

書名の「少しは、恩返しができたかな」というのは、生前和憲君がお父さんの弟さんや自分の友人の一人にポロッと零した言葉らしい。

つまり、「東大に合格できたから、ちょっとは親孝行できたかな」という気持ちで漏らした言葉であったらしい。

学歴が全てではない、東大合格が全てではない、ということは重々分かっている。

けれども、この状況で合格したことは、親孝行どころではなく、人としても超一流だった証しだと私は思う。

北原美貴子さん、いいお話をどうもありがとうございました。

と同時に、これを送ってきてくれた娘にもお礼を言いたい。

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  全身にはびこる癌と共に生きながら果たしし東大合格  biko

シンプルが一番

2015年02月26日 14時25分41秒 | 料理
私は最近、歳とってきたせいか、何でもシンプルが一番と思えるようになってきた。

疲れやすくもなってきたから、無駄なことはしたくないという気持ちも強くなってきた。

これは生理現象であると思う。

だから、家事は、基本的にあまり頑張らない。

洗濯も必要最低限しかしない。

食べるものもシンプルにしたいと思うようになった。

なるべく手間暇かけずに、しかし、おいしいものを食べたいと思う。それが廉価であれば尚よい。

われわれが困窮した生活をしているというわけではないし、老後(既に老後)に備えて貯蓄に励もうとしているわけでもないが、いつのまにやら、そういうふうになってきた。

今日のおやつは、鶏肉手羽下。きのう、夕食の買出しに行ったときに、ついでに買っておいたものだ。

塩コショウ(黒胡椒)してしばらく放置しておいたものを、さきほどフライパンに並べて火にかけて、片面が焼けたらひっくり返して、また放置しておいたら、勝手に出来上がったおやつだ。

向こう側は、一昨日母が送ってきてくれた荷物の中に入っていたおじゃこ。

郷里の高知では、よくおやつにこれを食べる。

私は、子供のころは、このおじゃこが好きではなかったが、最近は好きになった。これも歳のせいか。

そのままでは生臭いところもあるので、フライパンで炒った。そうすると香ばしくなって、よりおいしくなるのだ。

贅沢するときは贅沢すればいいが、普段は、こういうシンプルで安価で、かつおいしいものを食べるようにしていれば、たまの贅沢が有り難く思えるし、体にもいい。

  塩コショウしてフライパンで焼き上げて焦げ目つけたる手羽下うまし  biko

一昨日の夢

2015年02月25日 13時36分32秒 | 日記
ブログネタというのは、尽きせぬものだと思う。

今日は、さっき読ませていただいたブログからネタを拾った。

一昨日朝、夫が、「おばあちゃん(私の母のこと)、この頃どうしているかなぁ」と言う。

「なんで?」とわたくし。

「実は、夢の中で、おばあちゃんから荷物が届いて、それをbikoが開けているところで目が覚めた」という。

するとである。

昨日の夕方、母から荷物が届いたのである。

中には、高知名産の文旦とか、これも高知名産のフルーツトマト、うるめ、お餅、お菓子などが入っていた。

不思議なことがあるものだと思ったが、夫に言わせれば、そういえば1週間くらい前の電話で文旦を送ると言っていたと。だから、それが記憶のどこかにひっかかっていて、夢になったのだろうと。

私には聴覚障害があるので、基本的に電話はとらない。

その代わり夫が電話を受けてくれるのだが、大概が2階で仕事中にとることになるので、私に伝えることを忘れることも多い。

この母の電話も電話があったことは教えてくれていたけれども、文旦を送るという肝心なことは私に伝えてくれていなかったのである。

ということで、夫の見た夢は、それほど不思議な夢ではなかったのだが、私の一昨日の夢はどうだ。

私は、夢の中で中学校の先生になっている。

それで、採点したテストを生徒に返す場面なのだが、私は採点した記憶は一切ない。

それなのに、どういうわけか、テストは点数の低い生徒のものから並べられてあるから、返すときは気をつけなければと思っている。

と考えながら、一番上のテストを見ると、英語のテストで、上下が分かれて採点されている。

かわいそうな最低点の生徒のテストを返そうとしてよくみると、上半分の点数は98点、下半分の点数は、なんと100点、なんだ全然最低点ではないではないかと思いながら、その名前を見ると、「大沢たかお」になっている。

と、いうところで目が覚めた。

目が覚めても???だった。

私は、教職の免許状は持っているが、先生をしたことはない。

それなのに、なぜあんな夢を見たのか。

大沢たかおという俳優さん、名前こそ知ってはいるが、全然タイプでもないし、ドラマも見たことはない。いえ、ファッションモデルもされていたというだけあって、すてきな俳優さんだろうとは思うけれども、私が好きになるタイプの男性ではないということで・・・。

それなのに、なぜ?

  先生をしたことあらぬわたくしがテストを返す夢を見るとは  biko

夢は黙っていたほうが実現しやすいというが、実現してほしい夢でもないので皆さんに話したという次第。

ハンドルネーム

2015年02月24日 12時32分14秒 | 私の意見
最近読者にならせていただいたブロガーさんのハンドルネームが愉快で、コメント欄で、「思わず噴出してしまいました」と書いてしまったが、他意はなかった。

むしろ当たり前なハンドルネームの多い中で個性的でよかったのにと私は思っていた。

「名は体を表す」だから、命名は大切だが、実名は親からのプレゼントだから、自分ではいかんともしがたい。が、ハンドルネームとかペンネームなら、自分で選べるから、その人のセンスがもろに出る。

時流に乗った名前をつけて、時勢に乗るか、または逆行して、個性を際立たせるか、腕の見せ所なのである。

綺麗な名前をつけるのは、その人のナルシシズムの表れであり、ユーモアある名前をつけるのは、その人のサービス精神というか優しさの具現になるかもしれない。

  その人の美意識、教養こきまぜてつけられてゐるハンドルネーム  biko

「水菜」というハンドルネームは、ユーモアはそれほど感じられないかもしれないが、優しさの感じられるハンドルネームだと思いました。(^^)

今日もあり合わせの食材で

2015年02月23日 18時19分26秒 | 料理
特に理由はないが、今日もあり合わせの食材で夕飯を作ることにした。

まず買い置きの野菜はジャガイモと玉ねぎと大根とキャベツ。

肉は一昨日の「葱と豚肉」に使った豚バラ肉の残り。

それだけではおかずにならないので、これも買い置きの鯖の缶詰。

以前一度作っておいしかったサバ缶とジャガイモのグラタンを作ることにした。

ジャガイモ大2個は薄切りにして、この頃はやりのセラミック容器(オレンジ色の容器)に並べる。このセラミック容器は電子レンジもオーブンもOKという優れもの。そのまま食卓にも出せる。

電子レンジを「根菜を茹でる」にしてチン。

ジャガイモを茹でている間に豚肉と大根で味噌汁。大根は皮を剥いて拍子木にするが、剥いた皮も千切りにして入れる。↓



電子レンジのジャガイモが柔らかくなったら、その熱々に玉ねぎのみじん切りを入れる。

その上に、鯖缶をほぐしたものを載せて、白味噌とマヨネーズを混ぜたものを掛けて、パン粉をパラパラ。

電子レンジを今度はオーブンにして、10分ほど焼けば出来上がり。↓



上に写っているのは、昨日のテレビ番組の池波志乃さんの「梅びしお」にヒントを得て作った「茹でキャベツと梅干と鰹節の和え物」。

  缶詰と残り物にて整える今日の夕食かんたんグラタン  biko

見せて収納

2015年02月23日 13時55分47秒 | 家事
私は自慢ではないが、片付けが下手である。

片付けが下手なら、物を減らせばよいのだが、それもできない。

夫が見かねて台所の道具類は大分捨ててくれた。

しかし、捨てられると、あ、やっぱりあれがあったらよかったのにと思うことは多い。特に鍋類。だから、今後は、あまりしてもらわないようにしようと思う。

現在の住いは阪神大震災の翌年建て替えたので、来年は築20年になる。まだ、どこもリフォームせずに暮らしている。

台所は、当時流行だった(今もかな^^)対面キッチンにした。

そのため食堂が手狭になったが、台所側のごちゃごちゃが目隠しされるのは有り難い。

その目隠しされることを利用して、裏側はこんなふうに利用している。

収納棚の扉(鉄製)に、こんなふうに磁石でできたフックをつけて、使用頻度の高い調理器具を飾って(出しっぱなしにして?)いる。

これだけで、かがんだり、棚の扉を開けて出す労力がだいぶん軽減される。

日に三度仕事をしないといけない戦場だから、少しでも楽をしたいと工夫した次第。

対面キッチンだからできた工夫だ。

  キッチンは対面式のキッチンで見えぬ裏側見せられませぬ  biko

と、詠いながら、見せているわたくし。(*^_^*)

パエリアとクリームコーンスープ

2015年02月22日 17時55分23秒 | 料理
今日も買い物に行かずに済む献立を考えた。

鶏もも肉を2枚買って、一枚は昨日「葱と鶏肉」で使用したが、もう一枚残っていたので、今夜は、その一枚でパエリアにした。使用した鍋は中華鍋。

日本では、パエリアというと、魚介類を入れることが多いが、15年ほど前にスペインのバルセロナに行ったとき出てきたパエリアは、鶏肉のそれであった。

私は、魚介類のパエリアのほうが好きだが、今日はないので、バルセロナ風に鶏肉のパエリアにしたという次第。

旨みを補うために買い置きのベーコンも炒めて入れた。

野菜の買い置きがなかったので、入っている野菜は玉ねぎだけだ。

ただトマトは、水煮トマト缶を開けたので、レシピでは200グラムということになっていたが、一缶400グラム全部を入れた。

レシピでは、米は2合ということになっていたが、トマトの量が多いので、3合にした。

あと、缶詰のクリームコーンでコーンスープを作った。スープ皿によそってからバターを落とす予定。



献立に野菜が少ないので、作りおきの大根の甘酢漬けを出す予定。

ポテトサラダも作ろうかと思ったが、読みたい本があるので、もう今夜はこれだけにする。

  献立に困つたときのとつておき今夜はとつておきのパエリア  biko

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昨日は、最近、記事に写真を入れてなかったので、夕方近くを散歩して、適当に咲いているお花(水仙)を写したのだが、ピンボケだった。アップするかどうか迷ったが、彩りにアップした。すると今朝、koichiwさんに、花よりバックにピントが合っていると指摘されてしまった。恥ずかしかったが、しかし、ちゃんと見てくださっていると嬉しくもあった。(笑)

命がけで料理する

2015年02月21日 20時10分49秒 | 料理
                   ↑夕方の散歩でパチリ

今夜、早い夕食を終えてテレビを見るともなしに見ていると、ABCテレビで、「中尾彬が涙 池波志乃下町ねぎま鍋」という番組をやっていた。

途中から見たが、池波志乃さんが「カジキマグロと白葱のねぎま鍋」と、梅干と鰹節で作る「梅びしお」と、あと「鰯の磯辺あげ」を作られていた。

どれもおいしそうで、録画しておきたいと思ったが、時すでに遅しだった。

出来上がったものをスタジオの皆さんが食べていたが、「おいしい」という言葉に実感がこもっていた。

私は、材料と作り方を見て、おいしいのは間違いないだろうと思った。

最後に夫君の中尾彬氏が、「志乃さん、あと何回食べられるか分からないが、これからも命がけで料理をしてほしい」というようなことを言われていた。

そういわれた池波志乃さんは、毎日手を抜かずに頑張って料理をされているのだろう。

私は、池波志乃さんのような玄人はだしの料理は作れないが、それでも毎日手作りの料理をと心がけている。これは、経済的な必要にもかられて・・・。

あちこちのブログを訪問させていただくと、おしゃれなお店でランチしていられる光景を拝見するが、我が家は、私がずっと専業主婦だったことと夫の転職が多かったことで、それほど優雅な生活が送れるほどの年金はいただけない。

現在は、まだ夫が家で内職的な仕事をしているから多少のゆとりはあるが・・・。

三度三度の食事を整えることに疲れることもある。

しかし、夫がおいしそうに食べてくれるのが、今の私の一番の生きがいになっている。

命がけでとまではいえないが、私の毎日のサイクルが、この朝、昼、晩の食事作りで回っていることは確かなことである。

ちなみに、今日は昼食と夕食ともに先日NHKの料理番組でやっていた「葱を使って」。

昼食は「葱と鶏もも肉」・・・まず、白葱の半分で白髪葱を作っておいて、あとの白葱は斜め切りにして、その上に鶏肉を入れてふたをして焼く。鶏肉に火が通ったら、白髪葱を載せる。最後に生姜汁と醤油と味醂を合わせたものをかけて、その上に鍋で温めたごま油をかける。

夕食は「葱と豚肉(番組では細切れだったが、私はバラ肉で)」・・・豚肉を炒めたところに白葱を斜め切りにしたものをあわせて、お餅を数個入れる(番組では4個だったが、私は6個)を入れて蓋をして、お餅が柔らかくなったら、醤油、酒で味付け。

簡単だったが、どちらも凄くおいしかった。

写真を撮っておけばよかったが、どちらも出来立ての熱々をいただいたので、写す間がなかった。

  三食の食事作りに日の暮れる日日なり命がけとはいはねど  biko

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とは書いたけれど、ランチや茶房でお茶をされているブログを訪問させていただくのは楽しいので、優雅な生活を送られている皆さんは、気になさらないないで、老春(?)を謳歌してくださいね。

夫の従姉の娘さんの連れ合い

2015年02月20日 04時24分20秒 | 日記
夫は上京したときに、よくその従姉の家に御邪魔する。

従姉には2人の子どもさん(といっても中年)がいて、上が娘さん、下が息子さんだが、上の娘さんのお連れ合いは俳優である。

が、端役専門の俳優さんで、以前からドラマに出演はしていたが、主人公で出ることはなかった。

ところが、最近、中年になってからは、端役ながら重要なパートを担う役柄で出ることが多くなった。

テレビとかで話題になることも多くなってきたので、名前を出せばご存知の方は多いと思う。

さっきほかの方のブログを読ませていただいていると、その方の従姉さんの息子さんが、やはり端役の俳優さんで、その従姉さんは、その俳優さんの生活の援助をされているということを書かれていた。

夫の従姉の娘ご夫婦も、ひょっとすると若い頃は従姉夫婦に援助してもらっていたかもしれないとふと思った。

というのが、最近は、その娘さん夫婦がその従姉夫婦に旅行をプレゼントしてくれたり、ずいぶん尽くしてくれるということを聞いたばかりなので、まあ今時奇特な若夫婦(中年だが)と感心したところだったが、ひょっとすると、若い頃は援助してもらっていたのかもしれないと気づいたのだ。

娘婿さんは、最近は端役ながら売れっ子になったから、たぶん収入面でゆとりができたのだろう。

と、ほかの方のブログを拝読していると、思わぬ話題に気づきを得られることがある。

  お会いしたこともあらざる人ゆ聞く話に気づく真実のあり  biko

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いま夫にこの記事を書いたことを話すと、夫の従姉の娘婿さんは、端役ではなく脇役といわれた。ついでに明かすと「八重の桜」のお父さん役をされていたと書けば、もう誰か分かってしまうと思うが・・・。

今日は新月

2015年02月19日 04時55分01秒 | わたしのこと
今日は、朝8時47分から新月になる。

と同時に、今日は、みずがめ座からうお座に移るタイミングでもあるから両方の星座の影響を受けるらしい。

水瓶座は12星座で一番、斬新な発想力と改革力を持つ星座で、魚座は現実的なことを取り扱うよりも、精神的(スピリチュアル)な事柄が得意という。

新月の効力は8時間あるというから、午後4時47分まで願いごとができる。

何をお願いしよう。

歌詠みの端くれである私は、斬新な発想力でユニークな歌を詠わせてくださいとお願いするか、あるいは、ここ数年の精神的な葛藤を取り去り、精神力を高めていただくことをお願いするか・・・。

お願いすると同時に、自分自身が生まれ変わろうと努力もしないといけないだろう。

  あたらしいわれに会はむと新月の月を待ちをり夜明ける前に  biko

実は、今日は私の誕生日でもある。

  あたらしい歳は来たれり新しい歳の私におはようと言ふ  biko

無理は禁物

2015年02月18日 04時34分33秒 | ブログについて
昨日は友人の短歌をアップしようと予定していたのだったが、友人に事前に見せると、いろいろ手直しするところができて、結局アップできなかった。

別に毎日更新する必要はないのだが、アップしないと何か忘れ物をしたような気持ちになる。

更新しないと読みにきてくださる人もぐっと減るし・・・。

そのために書いているわけでは勿論ないが、訪問者数が減ると多少残念な気持ちにはなる。

昨日は、このアップすることができなかった記事のために、多忙な友人の時間を奪ってしまったし、私自身も疲れて体調が悪くなってしまったのは本末転倒だった。

何でもやりだすと向きになってしまうのが、私の特徴かもしれない。

その人の俳句と短歌を載せむとし吾(あ)は疲れたりアップの前に  biko

和歌山白浜温泉のお土産

2015年02月16日 18時49分34秒 | 日記
スピリチュアル系の記事、ブログ関係の記事が続いたので、今日は、昨日、次男たちが買ってきてくれた白浜温泉のお土産をアップする。

上の写真は「柚もなか」。

たぶん表装のデザインは昔からのものをそのまま使用しているのだろう。「白浜名物」の「浜」が正字で書かれてあるし、菓子名の下の「白浜温泉」「かどや謹製」の横文字が右から左に向けて書かれている。

若い人たち(次男と婚約者)が買ってきてくれたところがミスマッチで面白いと思った。

↓一包みが小さいので、アッというまに完食。


↓この「はちみつ小梅」は甘くて、お菓子代わりにいただけた。


こういう渋いお土産を選んだということは、こういうお土産しか売っていなかったのか、または若いのに意外と2人の好みが渋いのか。

  白浜の土産は甘い柚もなか負けずに甘いはちみつ小梅  biko

平面から立体に、さらに

2015年02月15日 23時41分39秒 | ブログについて
聴覚障害のある私は、15年ほど前にパソコンの操作を覚えてから世界が一変した。

それまでの私の世界は、せいぜいテレビか新聞、あるいは書物から一方的に受け取る情報のみから構築されていたのだが、パソコンと関わるようになってから、自分からも発信できるようになった。

これは、私の人生が平面から立体になったというくらい画期的なことだった。

昨日は、特に目覚しい出来事があった。

最近読ませていただいた書物『ワカヒメさまの超復活』の感想を3日前と一昨日書いたのだが、何と、その著者の方が直接当ブログにコメントくださったのだ。

こんなことは、私がネット環境に身をおいていなければ、到底かなえられることのない出来事というだけでなく、ネット環境に身を置いていても、なかなか起こり得がたいそれだった。

昨日は、これ以外にも、さがしていたブログ、”Randomemory House”を見つけることができて、そのことを記事にさせていただけたのみならず、今朝はそのブログ主の方からもコメントがいただけた。

  偶然の出来事どんどん増えてきて不可思議なべて必然となる  biko

ネットのことではないが、こういう得がたい出来事が立て続けに起こると、私は、現在は、まだ神様とは交信することができないが、そのうち、これも可能になりそうな気までしてくる。

続・隠された言霊の神『ワカヒメさまの超復活』

2015年02月13日 23時43分30秒 | 読書
昨日は、ワカヒメ様の、イサナキ、イサナギご両親神が現在の和歌山県熊野に住まわれるところまで書いた。

その後、ワカヒメ様はご結婚をされて、滋賀県のヤスカワ(現在の野洲)に住まわれて、お子様にも恵まれるが、最後には、また和歌山の玉津島に移られて、その地で生涯を終えられる。

というのが、おおまかなあらすじだが、私が関心を持ったのは、ワカヒメ様が和歌の奥義を極められた方であったということ。

和歌の5・7・5・7・7の31音には、特別な力があって、この形で歌を詠むことによって、目に見えないものが目に見えるものになる。

逆にいえば、和歌というものは、目に見えないものをこそ詠わなければならない、ということにもなりそうだ。それが、和歌の、短歌の極意なのかもしれない。

と、脱線したが、

ワカヒメ様には、特にその力が備わっていて、詠うことによって病気を治したり、邪悪なものを払いのけることもできたという。

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見えるものしか信じることのできない現代人は、この本の内容は荒唐無稽に思われるかもしれないが、私は信じることができる。

現代人は、自分の利益しか頭にないが、いくらお金をたくさん溜めたところで、本当の幸せが得られる保障はない。

地震が来て津波がくれば、あっという間に大勢の人が亡くなってしまう。

富士山のような大きな火山が噴火すれば、広い範囲で、多くの人が亡くなってしまう。

われわれの幸せは、そんな天災の起こりうる地球上での一時的なものなのである。

そんなことを考えてみれば、見えないものを「ない」と言い切ることはできないはずだ。

  見えるもの幻なれば目に見えぬまごころをこそ大切にせむ  biko

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文中、私の現在の住いから比較的近い西宮の廣田神社の話が出たり、長男の住いの近くの滋賀県野洲の三上神社の話が出たり、さらにさらに、ワカヒメ様が、その晩年を送られたという和歌の浦の玉津島神社には、ほんの3ヶ月前に訪れたということなどに、不思議なご縁を感じた。

和歌の浦を訪れた日は、暑くも寒くもない絶好の気候であったせいもあって、私には、本当にいい思い出になった。お世話くださったkiwattiさん、ありがとうございました。

  和歌山の玉津島にはワカヒメの社のありて和歌を伝ふる  biko