三浦朱門氏は父の母校の旧制高知高等学校を卒業していたから、勝手に親近感を持っていた。
旧制高知高等学校は、都会から見れば田舎の高等学校だっただろうが、高知、いや四国では名門校であった。
私のブログによくコメントしてくださるハイジさんのお祖父様はこの旧制高知高等学校の英語の先生であられたという。
高知県内では高知高等学校生というだけでエリートだったらしいが、その学校の英語の先生をされていたということは、当時としては、かなりのエリートだったといえるだろう。
弧狸庵こと遠藤周作氏の小説などとともに、三浦朱門氏の小説もよく読んだ。三浦氏の奥様の曽野綾子氏の小説も・・・。
実家の父は文芸春秋を定期購読していたから、まだ少女期の頃から、それらの年代の小説家方の小説は読み放題であった。。
それで、早くから三浦朱門氏が高知高等学校の卒業生ということを知った。
私が高校生ぐらいの頃まで、高知市内の小津というところに、この高知高等学校の寮があったような。
この高知高等学校が後に高知大学の文理学部になったらしいから、私が見た当時は高知大学の寮だったのだろう。
もうぼろぼろの建物だった。
が、父は実家が高知市内にありなががら、この寮に入寮していたらしいから、あの頃は実家がどこにあるとかは関係なく、在校生は皆入寮していたのではなかろうか。
だから、そのとき見たぼろぼろの建物も、何か懐かしさを覚えながら見たものだった。
亡き父の母校の高知高校の寮が残りてゐし頃の高知 biko
小津といふ町にありにし高校の寮が残りてゐし頃の亡父(ちち) biko
亡くなりし三浦朱門も卒業生旧制高知高等学校は biko
東京の三浦朱門氏みやこよりはろばろ土佐に来て卒業す biko
詞書 三浦氏は二月に、亡父は三月に死す
三浦氏も父も一月生まれにて三浦氏二月父三月に biko
ご参考・・・高知大学南冥寮(旧制高知高等学校南冥寮)
ーーーーーーーーーーーーー
ちなみに、高知大学の教育学部の前身は昔の高知師範学校であるらしい。
余談だが、私の母の母校は、この師範学校女子部に併設された第二高女である。
高知大教育学部前身の師範学校女子部の高女 biko
その母校師範学校付属ゆゑその友人に先生多し biko
旧制高知高等学校は、都会から見れば田舎の高等学校だっただろうが、高知、いや四国では名門校であった。
私のブログによくコメントしてくださるハイジさんのお祖父様はこの旧制高知高等学校の英語の先生であられたという。
高知県内では高知高等学校生というだけでエリートだったらしいが、その学校の英語の先生をされていたということは、当時としては、かなりのエリートだったといえるだろう。
弧狸庵こと遠藤周作氏の小説などとともに、三浦朱門氏の小説もよく読んだ。三浦氏の奥様の曽野綾子氏の小説も・・・。
実家の父は文芸春秋を定期購読していたから、まだ少女期の頃から、それらの年代の小説家方の小説は読み放題であった。。
それで、早くから三浦朱門氏が高知高等学校の卒業生ということを知った。
私が高校生ぐらいの頃まで、高知市内の小津というところに、この高知高等学校の寮があったような。
この高知高等学校が後に高知大学の文理学部になったらしいから、私が見た当時は高知大学の寮だったのだろう。
もうぼろぼろの建物だった。
が、父は実家が高知市内にありなががら、この寮に入寮していたらしいから、あの頃は実家がどこにあるとかは関係なく、在校生は皆入寮していたのではなかろうか。
だから、そのとき見たぼろぼろの建物も、何か懐かしさを覚えながら見たものだった。
亡き父の母校の高知高校の寮が残りてゐし頃の高知 biko
小津といふ町にありにし高校の寮が残りてゐし頃の亡父(ちち) biko
亡くなりし三浦朱門も卒業生旧制高知高等学校は biko
東京の三浦朱門氏みやこよりはろばろ土佐に来て卒業す biko
詞書 三浦氏は二月に、亡父は三月に死す
三浦氏も父も一月生まれにて三浦氏二月父三月に biko
ご参考・・・高知大学南冥寮(旧制高知高等学校南冥寮)
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ちなみに、高知大学の教育学部の前身は昔の高知師範学校であるらしい。
余談だが、私の母の母校は、この師範学校女子部に併設された第二高女である。
高知大教育学部前身の師範学校女子部の高女 biko
その母校師範学校付属ゆゑその友人に先生多し biko
父を見送ってからすでに5年が過ぎました。最近引越を機に父の残した高知高等学校にまつわる書物のひもを解いております。
すると出てくるは出てくる、大叔父や縁類者の若き時代の物語に触れることができました。亡き父と共有できなかったのが残念ですが、これからも故郷を大事にしたいと思います。