朝、「老老介護も多いが、このごろは老老殺人も多い」を書いて、午後、「絶食という入滅の仕方」について書いたあと、さきほど呑兵衛あなさんというハンドルネームの方にコメントいただいて思い出した「補陀落渡海」についても書いてみたい。
といっても、詳しく知っているわけではないから、ウィキペディアを貼り付けさせていただいた。
同じ入滅といっても絶食と比べて残酷極まりないのが、上記した「補陀落渡海」だろう。
何しろ生きたまま舟に乗せて舟に造った部屋に閉じ込めて外から塞いでしまうのだから。
一応お坊さんの修行ということになっていたらしいが、いくら悟りを開いたお坊さんといえども怖かっただろう。自分から乗り込んだお坊さんはいただろうか?
それと比べれば、絶食で入滅するのは穏やかだ。
たぶん年取って食欲も衰えているだろうし、ひょっとして病気にもなっていたら、ごく自然に受け入れられた入滅方法ではなかったかと思われる。
姥捨て山の話から思わぬ方に逸れてしまったが、これから老いの坂道を登っていくわれわれも、こういうことが実際にあったということを頭に留めておいてもいいのではないかと思う。
縁起でもない話かもしれないが、死は誰にでも平等に訪れる。覚悟しておくことは悪いことではないと思うのだ。
死はそこに 抗ひがたく 立つゆえに 生きている一日一日はいづみ. 上田三四二
死について真剣に考えたときに、生きている意味も自ずと明らかになってくると思う。
生きてゐること確かめるために死を考えてみる梅雨の晴れ間に biko
といっても、詳しく知っているわけではないから、ウィキペディアを貼り付けさせていただいた。
同じ入滅といっても絶食と比べて残酷極まりないのが、上記した「補陀落渡海」だろう。
何しろ生きたまま舟に乗せて舟に造った部屋に閉じ込めて外から塞いでしまうのだから。
一応お坊さんの修行ということになっていたらしいが、いくら悟りを開いたお坊さんといえども怖かっただろう。自分から乗り込んだお坊さんはいただろうか?
それと比べれば、絶食で入滅するのは穏やかだ。
たぶん年取って食欲も衰えているだろうし、ひょっとして病気にもなっていたら、ごく自然に受け入れられた入滅方法ではなかったかと思われる。
姥捨て山の話から思わぬ方に逸れてしまったが、これから老いの坂道を登っていくわれわれも、こういうことが実際にあったということを頭に留めておいてもいいのではないかと思う。
縁起でもない話かもしれないが、死は誰にでも平等に訪れる。覚悟しておくことは悪いことではないと思うのだ。
死はそこに 抗ひがたく 立つゆえに 生きている一日一日はいづみ. 上田三四二
死について真剣に考えたときに、生きている意味も自ずと明らかになってくると思う。
生きてゐること確かめるために死を考えてみる梅雨の晴れ間に biko